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プーチン大統領の略歴
ロシア連邦大統領ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンは1952年10月7日、レニングラード市(現サンプトペテルブルグ市)で生れ。父ウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチンは大祖国戦争(対ドイツ戦)参戦軍人で、戦争で身体障害者になった。母マリア・イワノヴナ・プーチナはトヴェーリ州の出身で、レニングラード市攻防戦に巻き込まれる。
1975年レニングラード国立大学法学部を卒業、就職先割り当てにより国家保安機関(KGB)の仕事に就いた。1985-1990年、ドイツ民主共和国KGBドレスデン支部長時代に東西ドイツ崩壊を迎えるがシュタージュ(東ドイツ秘密警察)へも出向勤務経験を持つが突如1991年8月20日、国家保安機関へ辞表を提出。
1990年から市長であり恩師であるレニングラード国立大学学長の国際問題担当補佐官、ついでレニングラード市議長の参事官。
1991年6月12日からサンクトペテルブルグ市渉外委員会議長。市の経済への投資誘致問題、合併企業開設、外国パートナーとの協力担当。
1994-96年、サンクトペテルブルグ市政府第一副議長兼サンクトペテルブルグ市渉外委員会議長。緊急問題に関する市の委員会を主宰。治安機関を管掌し、サンクトペテルブルグ立法議会との提携、広報局を担当したが後に恩師が市長選て゛破れたため無職となる。
1996年8月、モスクワに移り、大統領府よりロシア連邦大統領府総務次長のポストに就く。、
1997年3月からロシア連邦大統領副長官(地方を担当)。
1998年7月、エリツィン政権下でエリツィン大統領に指名され古巣の旧KGB現在のFSB連邦保安局長官に任命。1999年3月、ロシア連邦安全保障会議書記に任命。
1999年8月からロシア連邦政府議長(首相)
1999年12月31日からロシア連邦大統領代行。
2000年3月26日に行なわれたロシア連邦大統領選挙で当選。5月7日、ロシア連邦大統領に就任。
経済学修士。ドイツ語を自由に話す。英語で意思を通じることもできる。
11歳のときからサンボと柔道に親しむ。一度ならずサンクトペテルブルグ市のサンボ・チャンピオンになったことがある。1973年にサンボのスポーツマスター、1975年に柔道のスポーツマスターになった。
夫人のリュドミラ・アレクサンドルヴナ・プーチナは、レニングラード国立大学文学部の卒業生。ドイツ語、スペイン語、フランス語を話す。
プーチン家には娘が2人いる。
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