時間の話のページ


時間とは何か

人間にとって時間とは? 地球上の常識は宇宙の非常識 時間は絶対的なものではない
アインシュタインの列車の問題 のびちぢみする時間 時間とは何か



人間にとって時間とは?
    時間は貴重です。
    人間には寿命があり、限り人生を思う時、誰もが時間の価値を認めるでしょう。いずれにしても誰もが時間は貴重だと
    思っているはずです。
    誰でも学生時代の試験前、レポートの提出の締切前や社会人になってからは仕事の期限直前にもっと時間が欲しいと
    思ったことがあるはずです。うまく行かなかった結果に落胆し、もっと時間があればと思ったこともあるでしょう。
    一方、楽しいことやっている時は時間の経つのを忘れています。ふと我に返って楽しい時間がもっと続けばいいと思った
    こともあるでしょう。

    先日、只見線の只見駅からのんびりしたローカル線の列車の旅も旅好きの人にとっては楽しい貴重な時間です。先を
    急ぐ人にとっては無駄な時間です。私にとってはゆったりした価値ある時間でも、他人にはその価値が違ってきます。

    動物は時間の概念を人間のように持っているのでしょうか、私は動物学者で無いので判りませんが、私の経験から犬
    は、自分が老犬になっても年を取ったとは感じていないと思います。少なくとも動きが鈍くなったり毛並みが悪くなった
    ことを感じても生まれてから時間が経ったとか、子犬が将来、立派な成犬になるため、沢山食事をして、体力をつけて
    明日に備えようと思ったりしていることはないと思います。

    やはり高等な頭脳を持った人間だけが時間の経過の概念を持ち、時間に対する価値を感じるのではないでしょうか
   ◆我々は時間に対して、「過去から未来へと流れていく。今のところ可逆性はない。誰も止めることが出来ない。その流れ
    に逆らうことは出来ない。」という非情な物とのイメージを、一般的にもっていることと思います。
   ◆発生事象の順序である時間の単位(年月日時分)は人間が作ったものです。したがって、人間の生活パターンを基
    に作られています。人間の生活は地球の運行にしたがっているので地球の自転や公転といった運行を尺度としている
    といえます。





地球上の常識は宇宙の非常識

  地球は1年で太陽の周りの軌道を一周する。(公転)地球は24時間で一回自転する。これは地球の話であって、水星の
  住人は、これとは非常に違った時間の観念を持つだろう。なぜなら水星は太陽の周りを88日(地球で言う1日を単位とし
 て)で回り、同じ時間で自分の軸の周りをちょうど一回転するからである。したがって水星では1日と一年は同じである。

   ところで、太陽に一番近い惑星である水星の表面温度は昼間は427℃にも上がり、夜は−183℃にも下がる。つまり、
   水(液体)が存在できる環境ではない。金星の465℃と高温で水は瞬時に水蒸気(気体)となってしまう灼熱の世界であ 
   る。一方、火星は−120〜25℃と温度が低く大量の水が存在するような環境にはない。

地球は生命の源である水が液体で存在する奇跡の星である。

   太陽から地球までの距離が現在の10%近い、または10%遠い場合、地球に水は今のように存在せず、生命の誕生も
   なかっただろうと言われている。
   また、水は固体(氷)になると比重が軽くなり、湖沼が全面凍結したと言っても氷で上に蓋をしたような形となり、湖底下の
   水まで凍ることはない。このため、全面凍結するバイカル湖でもバイカルアザラシは生き続けていられるのである。
   この奇跡的環境が人間の経済活動にともなう環境破壊による温暖化現象で破壊されようとしている。
   

   話題を時間の話に戻そう。つまり、地球という特殊環境に住んでいる人間にとっての時間の概念と宇宙規模での時間の 
   概念は大きくことなる。





時間は絶対的なものではない

   空間とはものの順序と配列である。その中に含まれる物の間の相互の順序や関係そのもので
   ある。したがって、空間を占める物がなければ、空間は何物でもなくなる。

    これと同様に時間は事象の起こる順序であり、一瞬間とか、一時間とか、一日とかも、それを
   識別する事象がないとその意味がなくなる。

      
   我々は目の前の事象を時計やカレンダーと比べることにより、時間は客観的概念となるが、
   我々地球人が使っている時計は地球の運行に合わせたものであり、それによって測定される

    時間間隔は全宇宙に適用できる絶対的な時間間隔ではない。
   相対性理論によると、基準となる系からまったく独立した時間間隔というものは定義できない。
   また、同様に基準にした系に無関係な「同時」とか「いま」とかいったものもない。






アインシュタインの列車の問題
  ■光速Cは光源や観測者の運動に関係しない。(マイケルソン・モーレーの実験結果)

  この結果から我々の日常的常識とはかけ離れた矛盾が発生する。アインシュタインはその最初の論文の中で列車の話を
  例として説明している。
  [稲妻のパラドックス]
  列車がまっすくな線路を走っている。雷雨がやってきて、線路上の離れた二点AとBに同時に落雷したとする。第一の観測者
  は線路のかたわらのA地点とB地点のちょうど中間の位置に立ってAとBからの稲妻の閃光を同時に見ることができる鏡の
  装置を持っている。一方、走っている列車には第二の観測者がいて、第一の観測者と同様の鏡の装置をもっている。
  この動いている第二の観測者は稲妻がAとBに同時に落ちた瞬間に、線路脇の第一の観測者の真正面に来るものとする。
  このとき、稲妻の閃光が動いている第二の観測者にも同時に見えるかが問題であるが、答えは否である。なぜなら、列車
  はB点の稲妻から遠ざかり、A点の稲妻に向かって走っているとすれば、Bの閃光はAよりも幾分遅れて列車の観測者に届く
  ことは明らかである。(この遅れは列車の速度が速いほど、顕著となる。)
  したがって、動いていない観測者にとっては同時に見えた稲妻の閃光も、動いている観測者にとっては「同時ではない」わけ  である。





のびちじみする時間
   光速不変の原理からからは「時間も距離も動いている座標系にそれぞれ固有のもので、座標系の運動から独立した絶対
   的なものではない。」つまり時間と距離は、個々の座標系の速度に依存するというローレンツ変換の方程式が導き出され
   るのである。
   ローレンツ変換によると光速の90%で動いているものさしは約半分の長さになる。光速で動く時計も遅く進むことになる。
   もっともこの効果が観測にかかるほど顕著に現れるのは速度が光速に近いときであり、通常の自動車、飛行機はもちろ
   んのことスペースシャトルですら観測することは難しい。我々の経験的常識では受け入れられないことはとうぜんである。
   しかし、「光速は宇宙における速度の上限である。」という基本原則を受け入れるなら、時間、距離は変数とみなさなけれ
   ばならないのである。







時間とは何か

    ◆時間は、個々の座標系の速度に依存する。
    
アインシュタインが指摘したように、人間の心臓もまた一種の時計である。したがって、相対論によると、光速に近い
     速度で旅行している人の心臓の鼓動は、呼吸や他の生理現象とともに相対的に遅くなるだろう。当人はこの事実には
     気づかない。それは脳の生理現象である彼の思考も遅くなり、彼の時計もやはり同じようの遅れて進むからである。
     しかし、静止系の時計係が判断すると、彼はゆっくりと年をとるように見えるのである。

    ◆時間は事象の起こる順序であり、識別する事象がないとその意味がなくなる。
    
        



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