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卓球のイメージについて考える

 卓球は面白いスポーツだ。だが残念なことに体育会系の部活動内では、おそらくというか周知の事実というか、暗いイメージの代表格である。
 いったい卓球の何が人々にそんな思いを抱かせるのか。その辺をこれから順序立てて解明していこう。

1 『球』…卓球の球は小さい。おまけに安っぽい。使う程に味わいの出る硬質ボールやラグビーボールに比べ、ピンポン球は使う度にうす汚れ、強烈なスマッシュあるいはうっかり者の足の下で悲運な最期を迎える。お湯につけても、もう復活しない。プラスチックであることの大きなマイナス。しかも小さく、目立ちにくい。

2 『コートの大きさ』…他のスポーツに比べ、使用する面積がかなり小さい。大きな設備も必要としないため、必然的に体育館の隅、もしくは小さめの第二体育館などが活動の拠点となる。この時点で部員の士気が下がったり、他の部が乱入してきたりも、する。

3 『練習風景』…真っ先に思い浮かぶのが、ラケットの素振りや壁打ちという、暗く孤独な練習だ。しかし素振りなら野球部もやっているし、壁打ちならテニスにもある。なぜ卓球だけが? その謎は次に明らかになる。

4 『危険度』…これがすべての正体である。人々は興奮と感動を求め、スポーツを観る。そこには危険度という要素が大きく関わっている。例えば野球。バッターは常に死球の危険にさらされている。彼は金属バットで、自分の身を守る。キャッチャーは突き指や急所に球が当たる危険にさらされている。そのためのプロテクターは鎧を連想させ、彼が守りの司令塔であることを印象づける。乱闘時にはみんな出てきて大騒ぎ。観客のアドレナリンも噴出状態。

 そして、卓球。プラスチックの球。ゴムと木でできたラケット。スマッシュ時の球はかなりのスピードをもち、当たれば痛いが、後にひく程ではない。(私が卓球をやっていて一番痛い目にあった体験は、球を拾ったあと、台の下で直立動作を開始した数秒後に起こった)
 つまり危険度の差が、人々のスポーツイメージを知らず知らずのうちに決めてしまったのだ。安全な位置から危険なものを眺める快感。ひたすら走るだけのマラソンやF1があれだけTV中継されるのも、危険をかえりみず一心に終わりを目指す者に、人々が感動を求めているからに外ならない。危険があるからこそ引き立つ魅力。晴れ舞台あっての孤独な練習。

卓球の悲劇は、誰もが楽しめる安全性にあった。そのため選手は観客の注意をひくことができない。落ちた球を拾った後、台に後頭部をぶつけ、にぶい音と共に大きなコブを作る以外には。

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