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病床の叔母へ
拝啓 あっという間に春がやってきて、今日3月29日(日曜日)近くの公園の、桜の花がぽつりぽつりと咲き始めました。季節が移る瞬間を見ております。 先般は大変な思いをされて、心中お察し申し上げます。私の方も昨年は妻の父が他界し、2月に葬儀を行いました。その時のお寺の住職が「身内が死ぬのは悲しいことですが、あきらめることです」と言った言葉が妙に心に残っています。確かに「あきらめる」しかないのですが、このような言葉を、身内の悲しみの前でさらりと言ってのけるのは、あまりにも勇気のいることだと思いましたから。

昨年のことになりますが、友人たち数人と小旅行を致しました。とあるお寺でふと「般若心経」が眼にとまり、小さな経典を買い求めました。僅か266文字のお経に中に「すべては無である。」と言い切った勇気に改めて感服しております。

私事ですが、山口から離れたのは、小学校2年の時でした。船乗りの父が寄港する日本の港は東京や横浜でしたから、家族も東京の郵船の寮に移った方が良いということで、当時はまだ煙を吐く汽車に乗って、東京に向かいました。途中、汽車がトンネルに入った途端、買ってもらったばかりの帽子を風に吹き飛ばされてしまいました。「気に入ってた真新しい帽子」、小さな悲しみを伴う記憶として胸に残っています。

文殊山中腹の祖父母の家はその頃も赤い屋根でした。鬱蒼とした木々に覆われた緑の文殊山と赤い屋根のコントラストは心にふるさとを燃やします。あの家で過ごした誰の心も同じはずですが。

今年も又、4月の下旬には横浜の父母が大島に帰ります。父は83歳、母は79歳の春ということになります。そういえばもう何十年も前、丁度今の父母と同じ位の年齢の祖父母が東京に来たことがあります。二人とも腰が曲がって小さかったと記憶しています。皆で、食堂に入って食事をしました。注文した料理のご飯の量が小さな祖父には多すぎたのですが、祖父は無理しながらも、出された「ご飯」を残さず食べました。後で食べ過ぎに苦しんでいましたが、米を作っていた祖父には、ご飯を残す、など勿体無くて許されない、ことだったのでしょう。 「おかずは残してもご飯は平らげる」私にも受け継がれてしまった、祖父の米に対する熱い想いです。

山口を離れて何十年も経った日に、久しぶりに畑を訪れた時、「おまえはこの部屋で生まれたんだよ」と母がいいました。一寸沈んだ静けさと、畳も部屋も、昔の色々な暖かい匂いがしました。

小さい頃、風呂で滑ったんだそうです。五右衛門風呂だったと記憶しています。柳井の叔母さんが、居合せて、額に開いた傷口を一生懸命押さえて、くっつけてくれたんだそうです。今でもその時の記録が額に半月の傷となって残っています。痛くて泣いたんだろうなあ、と思います。

文殊の祭りが楽しみでした。文殊堂までの道にぼんぼりがついて、皆がぞろぞろ道を登って行く楽しい記憶です。わいわい、がやがやという声が、記憶の底から沸いてきます

「学校に行きたくない」といって母親をてこずらせた記憶があります。母が学校に行かせようと捕まえに来ましたが、走って、走って泣きながら逃げ惑いました。そこから先の記憶はありません。なにか余程、学校が嫌いな理由があったのでしょう。

沖の家の近くに床屋がありました。母親が「床屋にゆけ」というと、坊主になるのがいやで、何時も逃げていました。頭も絶壁で、坊主頭になるのが本当に嫌いでした。子どもを坊主頭にしなくても良いだろうに、今でも床屋嫌いは続いています。

沖の家には大きな山椒の木がありました。山椒の木には刺があるのに、登っては遊んでいました。家を建て替える時に抜いたのでしょう。今はもうありません。今では都会であんな大きな山椒の木を見ることはありませんが、山椒の木を見ると、あの頃の沖の家を思い出します。山椒の木も大好きです。 ある時大きな台風が来ました。沖の家は危うい家で、海にも近いし、上げ潮で土間は水浸しになりました。風は相当に強く、玄関の戸が吹き飛ばされそうでした。母と二人で、中から必死に押さえておりました。 小学生の私が自然の力に打ち勝てる分けはないのですが、必死に戸を押さえていました。土間の海水はどんどん増えました。頼る父は海外航海の日々でした。あの家には大きな蛇が住んでいましたが、皆を守ってくれたのでしょう、恐ろしい一夜を何とか無事に切り抜けることが出来ました。

全国の文殊山が3つあって知恵の神様が住んでいる、という3大文殊の話しを聞いたのは大分後になってだと思います。京都と山形とそして我が山口の文殊山、3人の神様が寄って何をひそひそと相談したのでしょう。人間の知恵の浅はかさを見ぬいたことでしょうか。文殊の山頂で瀬戸の島々を眼下に見下ろすと、人間の小ささや愚かさを見下ろすことが出来るような気がします。 横に来て、40年以上の歳月が流れましたが、生まれて過ごした、8年ほどの大島での歳月は鮮明な記憶です。文殊山、瀬戸の海、青い空、これらは皆、私の宝物です。

長い話しにお付き合いいただきました。叔母さんも病床の身にありますが、是非、1日でも早い回復をお祈りします。

きっと、あの文殊や、蛇や、赤い屋根が守ってくれますから大丈夫!

敬具


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