第三新東京市ぱられるふぃーばー
その4
一週間・・・。
一週間が過ぎた。
平凡すぎる中で、僕はかつての選択の機会に遭遇していた。
僕は呟く。
その理由を僕に分れと言うのだろうか?
まるで、干からびた井戸の奥底から、突如にして染み出すような。自分のものとは思えなく、とても信じられもしない。
意味は、意味はあるのか?
握り締める右手。無数の影。笑う、笑う、笑う。
・・・それは、軽薄で無気質な笑みであって。
頭を抱える事態に突入しそうだった。それも、まるで突撃ラッパの高らかなる調べに歓声をあげて躍り込むみたいなとてつもない衝動が駆け抜ける。
「 」
夜中に神経を逆撫でする水道の蛇口から滴り落ちる水滴みたいに、その名前は自然になんのためらい無くこぼれ落ちてしまう。
気付く度に心の中で君の名前を唱えているよ。
ヒカリ、ヒカリ、ヒカリ。君は今どうしている?ミユキは元気かい?
僕はいま、とこしえの夏の最中に居るよ。
じーわじーわじーわじーわ。
セミが勢い良く声を張り上げる。
手の甲を額にかざして照り付ける真昼の夏の太陽を遮った。息をつく。シャツが肌に張りつき、背中が少しひんやりとした。
僕は、手の甲で流れる汗を拭いながらこんな強烈無比な日射に揺れるアスファルトに足を踏み出した。短くきられたような影がくっついてきて。
そらもうすぐだ。
昼過ぎから教室に入った僕は、軽い自己紹介だけで懐かしき2−Aの一員となった。
転校の手続きは素早い対応で行われた。
その日、午前中はネルフに寄った。父さんと話しをする為だった。
僕は、父さんのあの睨み付ける目を前にして苦笑していた。つい、ほんの昨日、圧せられて押し潰されたその眼が怪訝そうにしていた。少なくとも、サングラスの向こうではそうだったのではないか?と、僕は思う。
「来たよ、父さん」
「ああ」
ジオフロントから窓越しに入り込む光だけで、不思議に薄暗い印象の部屋だった。司令室に入った事は何度かあったが、ここまで周りが良く見える事に、自分が少しだけ強くなったような気がしていた。その為の苦笑いだったのかも知れない。
「僕から話して良いかな?」
僕は、先を制するように言った。
「ああ」
父さんはまた短く返事をする。我が親ながら本当に伺い知れない人物だ。
「父さん・・・サードインパクトが起こってから3年経ったんだ」
突然、喉に何か引っ掛かったみたいに言葉がうまく出ていかない。
喉が乾いて、唾を飲み込む。水の中から引き上げられた魚みたいにパクパクと口だけが何かの形をつくろうとしていた。
手短に、話さなくてはならない。できれば、父さんが正確に把握してくれるように。
父さんに時間が無い事は入った時から解っていた。
手を顔の前で組み、肘を分厚いデスクの上に掛けて身じろぎ一つせず僕の顔を凝視していた。
とたんにせりあがる情動が防波堤を突き崩した。理不尽な嵐そのものの激情が奔騰していた。
「父さんは、リツコさんと結婚して、僕に妹が出来て・・・」
箍がはずれたみたいに。とたんに僕はぎくしゃくと、そして濁流のように言葉が溢れ出て来る。秩序も統制も無しに狭い僕の口腔から我先にと飛び出す羅列は意味を為しているはずもなく。だのに、熱に浮かされたように言葉だけが激しい勢いでなだれ落ちる。
「ミユキって言うんだ。その、リツコさん似で、まだ一才で、僕の事『ぱぱ』って、呼んだんだ。小さい、おもちゃみたいな手を伸ばしてた」
目の前が歪む。腕で拭う。
「二人とも仕事が忙しいから居なくて」
ぐっぐっと、喉の奥から迫り出す苦しさで僕は、その場で立っている事が出来なくなっていた。
「それでどうした」
父さんが促す声が聞こえた。何の色も見えない、しかし、何故か胸落ちする声だった。僕は、必死に腰砕けてグニャグニャになってしまいそうな体を起こす。
「父さん、助けてよ!どうなってるのか解んないんだ!なんで、使徒がいるんだ!僕は精一杯戦って、やっと平和になって、それなのに」
吹き出すマグマのような喉の奥を押し殺し、片膝立ちになる。静まり返った部屋の中に機関車みたいな呼吸に見舞われて体が震えた。
「わからないんだ、父さん。僕には、何がなんなんのか・・・」
「シンジ」
父さんは、僕の名前を低い声で呼んだ。寸号の乱れも無い声だった。
しゃくりあげる体が、包まれるような声だった。
それから先は、どこか違う世界の出来事に感じた。なにをどうしたのか、僕はいつのまにか更衣室の向かいの自販機の長椅子で、ミサトさんに抱きかかえられて、背中をゆっくりとさすられていた。
「きりーつ、礼!」
はきはきとした声に僕はその通りに反射的に動いた。
眼が自然に、その声の主を探す。
僕の遥か斜め後ろにその声の主、洞木ヒカリがいる筈で。
まだ、誰も知らない僕が、そこに居た。
「さあって、ケンスケー。ゲーセンでも寄っていかんか?」
少女は、その声に敏感に反応する。
「こら!鈴原!あなた当番でしょう!?また掃除サボる気じゃないでしょうね!」
少女は、キリリとした委員長の仮面だ。
「掃除ぐらいするがな。うるさいやっちゃなー」
「なんですって!」
「そんなにおこっとると、シワんなるでー」
「このー!!」
胸の中で、少女の名前を呟く。
「おい、トウジ。さっさと掃除しようぜ。ゲーセン行くなら早い方がいいだろ?」
どこかの違う世界みたいな感覚が僕の中でぐるぐると渦を巻いた。
トウジの妹は怪我をしなかったんだ。と、思った。
僕は、鞄を持つと歩いて教室を出た。学校を出た。
日差しはまだ高く、僕は、汗を拭う。
「綾波」
僕は、突き抜けるような空を仰いでそう呟いた。病院へ行って見ようかと思った。
あと一週間は入院していた、と。
気付くとジオフロントへのリニアに乗っていて。気付けば病院の受け付けでIDカードを示して、綾波の部屋を聞き出し。
病室の前でグラグラと目眩のする頭で、ノックもしないでドアノブを回す。
がらんとした広い部屋の真ん中にぽつんとあるベッドに点滴のクダを付けた少女を見て。気付けば僕は、その傍らに跪き、浅い息をつく少女の顔に見入っていた。
コシュー、という口元に付けられた逆さにした透明なマスクのようなものから漏れ出る音が、僕をひたすらにしていた。
閉じられた目蓋に和紙のような鮮烈な白さが不安にさせる。
僕は、その場に座り込んだまま身動きを忘れて、ただひたすらにその目蓋が震える様を見守った。
ルビー色の瞳は、正確に僕を貫く。その遥か向こう側を望むような眼差しであって。
まんじりともせずに、僕はそのまま、見つめつづける。その赤い瞳になんの無色透明そのもののしか感じられない。母に似せた造形としてのものでもなく、あの暗い空間で見た無数の綾波レイとも明らかに違う。
綾波は、静かに瞬く。
「綾波」
あなただれ?
赤い瞳が問う。
ぼくは、シンジ 碇 シンジ
どこか桁外れの会話だった。
互いに見つめ合う中で触れるその先で会話していた。
真っ白くて折れそうな手がシーツの端から出るのを両手でそっと押さえる。
赤い瞳の奥に細波が浮かぶ。
いかりしんじ?
そうだよ
あなたが司令の・・・
うん・・・でも、僕はちがうと思う。
どうして?
それは未来の出来事だから
わからない
僕がサードチルドレンだということだと思う
そう
でも、それもちがうと思う
そう?
僕もよくわからない
<あなただれ?>
・・・始めまして、綾波レイ
ドクンと体の中で何かがうごめく。
「会いたかったのかもしれない」
「たっだいまー」
「お帰りなさい」
僕は、冷えたジョッキを出して、枝豆とビールとテーブルに置いた。
「あらあ、ありがと!」
気色満面で揉み手をしながら席について、僕がジョッキに注ぐまもなく口を付ける。
「ぷはあ!家に帰ってからの一杯はたまんないわぁ〜」
「いつどこで飲んでも最高のクセに」
「あ、あははは。そりゃないわん、シンちゃんの注いでくれたビールのお味、煮えてすぐの枝豆!家に帰るのが最近本当に嬉しいのよ」
「そう言ってもらえると、僕も嬉しいです」
僕は、自然と頬が緩むのを感じた。
「晩ご飯もうすぐできますから」
「今日はなに?」
ミサトさんは、何故か赤くなった頬を指で掻きながら言う。
「今日は暑かったから、素麺と冷奴にしました。もうちょっと待っててくださいね」
ミサトさんは、はーい!と小さい子供みたいに返事をした。
「学校ではうまくやってる?」
食後にリビングで、ビールを飲みながら思い付いたようにミサトさんは言った。
僕は、それに答えずにビールを一本持って来た。
「あら、ありがと・・・って、シンちゃん?」
そのままプルタブを引いて飲む。
「やめなさい!まだ未成年なんだから・・・」
「僕だって、飲みたい時はありますよ。後、一週間は使徒は来ませんからだいじょーぶです」
話す先から呂律が怪しいのが自分でも解り、ケラケラと笑った。
「・・・何か、あったの?」
「友達はできましたよ」
「良かったじゃない」
ミサトさんは微笑もうとしているようだった。
「・・・今日、綾波に会って来ました」
「レイに会ったの?・・・それで」
「・・・綾波でした」
「当たり前でしょ・・・、この前聞いた事、リツコに問い質して見たけど、そんなことないってなにそれって笑われたわよ。それでレイの個人情報を見せてもらったわ。ちゃんと戸籍もあるじゃないの。シンちゃんの言ってた事違ったわよ」
ミサトさんは、僕をなだめるようにそんなふうな事をゆっくりといった。
「やっぱり、あなた少し疲れているのよ。今度、ネルフの病院の精神科で調べてもらいましょう?・・・この間の戦闘で脳神経にかなりの負担も掛かったっていうし・・・そうしなさい」
「信じてくれてたんじゃなかったんですか!」
「私だって信じたい、でも私が調べられる限りでは、シンジ君から聞いた事は確かめようも無いし・・・確かにあなたはエヴァについて良く知っているわ。でも、それでも、私には解らないし、確かめようも無いんですもの」
ミサトさんはガックリとうなだれて、頭を僕の肩に擦り付ける。
「わかんないのよ」
「ミサトさん」
僕は、肩を抱くとまた、ビールを飲み下した。
「彼女は、二人めなんです。僕の事を知っていた二人めの綾波レイなんですよ!」
「・・・レイがクローンだって言ってわよね。でも、個人情報は完ぺきだったわ。それに前言ったけど・・・いくらなんでも人間のクローンの技術があるなんて聞いた事も見た事も無いわよ。第一倫理的にそんな事通るわけないわ」
「それは・・・僕は知りません。僕だって、綾波の個人情報なんて見た事無かったし・・・正確になんなのかもわかりません・・・でも、これだけはわかります」
「え?」
「心が震えるんですよ。彼女にあった瞬間に。あの瞳で見つめられるその度に」
「ドキンドキンって?」
「『彼女だ』『彼女だ』『彼女だ』って、大声で騒ぐんです。まるで、大合唱ですよ。その度に物凄い風が僕を突き抜けて・・・立っている事も出来ませんでした。病室に入って、彼女の青い髪を覗いた瞬間から身体中から汗が吹き出して来て、落下感覚にふらついて、気付くとベッドの脇に居て・・・って具合で、それ自体が夢の中みたいに現実的じゃないんです。意識が、飛ぶんです。大体、どうやってここに帰って来たのかもおぼえて無いです。本当は」
「・・・お安くないわね〜、それって一目惚れってことじゃないの?シンちゃんもうすこし簡単に考えてみたらいーんじゃないの?この世の中で女の子つかまえてクローンだと二人めだの言うよりよっぽど健全ってもんよ」
「そんな生易しいものじゃないです!・・・何だか魔術的なんですよ。心を縛られるって言うかそういう戦慄があったんです。がんじがらめにされて、魂を取るとか」
「そんなのきまってるじゃないの。それが一目惚れしたってことなのよ。きになってきになって、もういてもたってもいられない!・・・だから、気楽に考えりゃ良いのよ。シンジ君は脳神経に負担が掛かって疲れている。小さい頃に出会った思い出の女の子、綾波レイとの再会に一片に心を虜にされたって」
僕は目を見開いて、ミサトさんを見た。
「幼い頃に出会った・・・?」
「ええ。あなたは一度、綾波レイと会っているのよ」
「そんな馬鹿な・・・」
「リツコはレイの保護者ですもの。小さい頃の記録を見せてもらったのよ」
「小さい頃の・・・?」
「ええ・・・言いたくないけど、シンジ君。小さい頃に一度精神障害を起こしているわね。その時に記憶の混乱があったと聞いたけど・・・」
ミサトさんの声は、何処か遠くに聞こえていた。
記憶の障害?
「うっ」
ガンと殴りつけられるような頭痛に頭を抱え込んだ。
記憶・・・混乱・・・精神障害・・・。
「ぐ、あ、あ、あ、あ」
低く獣のようなうめき声が何処かで聞こえていた。
「・・・ンジ君!シンジ君!シンジ君!!」
<あなただれ?>
ぼくはいかりしんじ きみは?
れい
れい?
そうよ はかせがそうよんでいたもの
「・・・救急の・・・ええ、そう!・・・・シンジ君が・・・早く!」
れいちゃんっていうんだね いいなまえだとおもうよ
そう わからないわ
そうだよ! ねぇ いっしょにあそばない?
あそぶ?
うん おままごとしようよ ぼくがおとうさんで れいちゃんがおかあさんで
「遅かったじゃないの!とにかく、シンジ君をお願い。先程発作を起こして、引き付けを起こしたようになっていたから・・・わたしの手なんかどうだっていいわ。とにかく、早く!」
おとうさん?おかあさん?
うん おままごと したことあるでしょ
したことない
じゃ おしえてあげる
「・・・鎮静剤を打ち・・・から、これで・・・は・・・まると思います・・・」
「・・・ますって!・・・あなた・・・!・・・かしなさいよ!」
そ ん な ば か な こ と が
『ぱぱ!』
ミユキ?
『シンジ!』
ヒカリ?
っーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
わからないそのなかのくらいうみというもののなかでぼくはぼくはかなしみのはてにただよいつづけるかなしみのかなしみのうみのなかでくらいくらいうみのそこでうえもしたもわからないままくるくるとまわりつづけてまわりつづけてかなしみのはてへとくるくるとまわりつづけてうみというかなしみのなかにくらいひとりそのなかのうみというもののはてへとながされてかなしみのかなしみのぼくはさびしさというもののふるえるうみのくらいしずみつづけるゆめのなかのなんにもみつけることのできないなかでわからないわからないただただくるくるとくるくるとくるくるとくるくるとーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<続く>
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