E-listBBSSearchRankingSiliconValleyGo to Top

 僕は、その時どうしたのか全然おぼえていない。恐るべき戦慄が体を貫き通し、冷汗に濡れ、深海の猛烈な圧力とその暗さに圧せられた。
 いったい何処に僕は居るんだろう・・・。



第三新東京市ぱられるふぃーばー

その5


 シンジ君。と、呼ぶ声が聞こえた。非常に弱々しい脆弱そのものの響きがあった。
 み さ と さ ん?
 辺りが忙しく動きはじめるのがわかった。僕には、強烈な落下感覚だけが残されており・・・。

 意識が飛ぶ。TVの画面のような意識野が、白色の稲妻のようなノイズに見舞われ、時間が移動した事を知った。

「こんな事、いつまで続けているの!もっと、自分の足下を見て、回りを見なさいよ!あたし、アタシ、やだ。嫌なの、あなた、このままダメになっちゃうのやなの。お願い、碇君、もう、こういう事、やめて、お願い」

 薄暗い、うち捨てられ復興の目処も立たない廃墟だった。路地には下水の濁った水が溢れて水たまりを作り、アスファルトには大きな罅が走り、蕩けたようなコンクリートの塊は崩れたかつてのビルディング。腐臭が漂うその中で、彼女は顔を歪め、一重の可愛い目許から一筋の流れが光る。
 誰かがくぐもった声で嘲弄した。
「そんなの、僕の勝手だろ。洞木、勝手な事を言ってるのはキミだよ。キミは、まれに見るエゴイストそのものだ。僕に護ってもらって、そして、この世界を創ったのは僕だ。キミは誰に向かってそんな口を聞いてるのか解ってるのか?」
「そんなの知らない!だって、わたしの目の前にいるのは、碇君よ。私達を護ってくれた英雄よ。とっても、凄い事だもん。・・・ただ、わたしは碇君が、ダメになって行くのが、いや。エゴイストって言われたっていい。耐えられないの。そんな姿、見たくない」
 鳴咽に少女は顔を覆う。
「・・・言っただろ。僕の事は放っておけばいいんだよ。僕なんか、誰にも相手になんかされない。どうだっていい存在なんだよ。仮に、僕が神だとして、だからこそ僕は人に絶望している。ぜんぶ、くだらないんだよ。僕なんか、死ぬほど痛めつけられればいい」
「碇君、あなた誤解している」
「僕は、確信をしているのさ。僕が願ったからね。願ったからこそ、ヒトは不完全なんだよ」
「だからって、こういうの間違ってるわ」
 彼女の眼は、強い光を帯び、サーチライトのように僕を釘付けにした。
「だからって、なんだ。僕は、こういうのを望んでいたんだよ」
「うそ」
「ホントだよ」
「わたしがぜったいやめさせる」
「無理だ」
「ぜったいやめさせる」
「どうやって?」
「それは・・・」
「なんだよ。僕に向かって偉そうな事を言っているわりには、底が浅いな。どうせ、僕の事なんて、心配しているふりをしているんだろ?変な、期待持たせて、そして後から徹底的に潰そうとする」
「やめて」
「いやだ。僕は、自分を痛めつけたい」
「いやよ」
「・・・もう、僕に構わないでくれる?」
 ヒカリは、僕を睨み付けた。
「どんなことをしても、やめさせるわ。アスカや、鈴原や、相田君の為に」
 ヒカリは、強い意思を込め、魂を吐き出すように言葉にした。
「わたしの為に」
 僕は、自分でもワケが解らず、彼女を抱きしめている事に気付く。互いの瞳が揺れている事に気付く。顔が焼けるように火照っている。
 僕は、ただちに彼女を犯しはじめた。ヒカリは抵抗と言う抵抗もしなかった。僕は、何度も彼女の中に精を放った。破瓜に血塗れた秘所から溢れるほど夥しい量の精液をゆっくりと放射しつづけた。身体中が引き込まれるような恐るべき射精感だった。苦痛に顔を歪めるヒカリは、そのうちに低い溜め息のような声を漏らしはじめた。僕の背中にまわされた手を爪立たせる。勢いに破かれた彼女の衣服が回りにわだかまっている。その横に脱ぎ捨てられた汚れたジーパンが投げ棄てられていた。汚れた大地に、僕のシャツに遮られ、白色の、しかし、健康的な生身の女性がおり、僕はそれをかき抱いた。信じられない衝動が駆け抜ける。
 僕は、嫌悪に塗れる事は無かった。
 誰とも知らず、僕は、僕を殴った、トウジやケンスケの事を思い出す。次第に、口が勝手に動きはじめた。稲妻のような陰惨な生活の記憶、その全てが駆け回った。その時、ヒカリは深い歓喜に身をゆだねていた。動きはじめた口は、ようやく本当の事を形作りはじめた。
「ヒカリ」
 ここで、始めて僕は彼女の名前を口にした。
「愛してる」
 僕は、初めての言葉を口にした。
 ヒカリは声にならない嬌声を放ち。そして、涙に濡れた瞳に感動を現す。
 僕はここに、生きている意味を見つけた。
 僕は、学校に戻った。すぐに高校の受験があったーーーーー

 ーーーーーーめくるめく射精感に覚醒した。下腹部に冷たいどろっとした粘液がわだかまっている。それが不快感と、それを吹き飛ばす驚愕に変貌する。ただちに、僕は、何処に自分が居るのか確信した。それは、静謐な、しん、とした中での些か乱れた呼吸音と、そのすぐ側に見守る長い髪の女性だった。
 僕は、それがミサトさんである事を理解し、彼女が僕が寝る簡素な寝台にスツールに腰掛け、頭を埋めていた。その背中が規則的に上下していた。ーーー眠っているのだ。
 夢・・・僕は何が夢なのかわからない。
 ただ、わかったのは、この濡れた下半身をどうしようかと悩みはじめた事だった。
 そうっと、ベッドを抜け出そうとした事で、困った事が発生した。唐突に部屋に医師が出現した。リノリウムの床を踏み、彼は唐突にガチャリとドアノブを廻す。物凄く急いでいるその姿に、ノックもしないで、などと言う事は欠如していた。
 彼は、白衣の袖で額を拭った。その時には、ミサトさんの体が跳ね起きていた。僕の体に巻き付けられたような機具だけがぶらりと垂れ下がり、ピーーーーと電子音が場所を支配した。無造作に機具を取り外した右手がゆっくりと開閉をはじめた。
 ・・・開く、閉じる、開く、閉じる。
 僕は、自分が随分と間抜けに思えて来た。
「シンジ君!」
 ミサトさんが、涙声で僕を抱きしめる。
「つまりその、なんですね。あれです、つまりそうだったというワケであって、つまるところ僕は、そのぅ、アレであって。それをだから、あのぅ、こうするために、ですねぇ。・・・シャワー浴びたい」
「・・・大丈夫そうだね」
 医師は、そう低く言った。機具にその視線がさ迷っている。
 とてつもなく不健全な状態に、僕は放り出された事に気付かざるをえない。
「あ・・・そうね」
 と、何故かミサトさんが、唐突に言う。頬が赤らんでいる。
「はい・・・」
 と、僕は、何気を装い、言った。
 その時、部屋に数人の看護婦が入り込んで来た。
 ・・・こんな僕に、検査をしようと言うのである。
 どこかよそよそしくミサトさんが口を出した。
「検査は、手短に。後は、ウチですぐに引き取ります」
「だ、だから。ぼ、僕は、とどのつまり、そのぅ、あのぅ・・・」
 何故か、ミサトさんはしどろもどろの僕に、その度にまっかな頬で肯いた。



 何となく、僕は、そのとき、ぼうっと、窓の外を見ている綾波に見とれた。目には眼帯を巻き、包帯を巻かれ、腕を吊っていた。
 何となく、何となく、一瞬だけ、綾波は僕の方を向き、また視線を外に向けた。青白い丘陵を望むような、遠い視線に思えた。
「なんや、随分と減ったみたいやなぁ」
「疎開だよ、疎開。みんな転校しちゃったよ。街中でアレだけ派手に戦争されちゃあね」
「よろこんどるのは、お前だけやろなぁ。生のドンパチ、みれるよってに」
「まあね」
「しっかし、あのロボットのパイロットたいしたもんやなぁ」
「ああ、政府の発表通り、どうやら本当に民間人では死人はいないらしいよ。それに、聞いたか?あの転校生の事」
「転校生?碇やろ?」
「変だと思わないか?転校したのって、あの事件のあとだぜ」
 居心地の悪いうわさ話が後ろから聞こえた。おおっぴらに声をあげてしゃべっているのだった。
 トオジと、ケンスケだった。
 僕の、かつての友達。そして、その横に、ヒカリがいた。つり目がちな瞳を、トオジに向けているのを感じた。
 ーーーヒカリは、トオジの事が好きなんだ。
 まるで、確認するように、僕は考えた。
 居心地がとたんに悪くなった。
 僕は、学校を早退した。自主早退というか、サボリだった。まるで、昔の自分にもどったようだ・・・と、変な事を思い浮かべながら。
 ポケットを探ると、幾らかの小銭があった。僕は、自動販売機で煙草を買った。100円ライターをコンビニエンスストアで手に入れ、煙草のパッケージを開け、一本を取り出すと口に咥え、手でそれを囲い火を付けた。脳芯が痺れるような麻痺感が体を包む。
 初めて煙草を覚えた時みたいだ。と、考え、それは明らかに正しい事に苦笑した。
 まさか、その時代の僕が、自分が煙草を吸うなんて、馬鹿げて見えた。
 そのまま咥え煙草で、僕は歩きはじめた。行き交う人の目が突き刺さる。
 繁華街を抜け、僕はリニアまでの道のりをなんとはなしに重い足をひきずる。
 自分が、なんらかのジュブナイルの中に存在しているような気になる。
 明らかに、街が騒々しく、空騒ぎしているような気分。浮き立って、そこだけ暗闇のようなのは僕なのだ。
「碇君」
 僕は、振り返る。煙が目に染みた。蒼髪が風に揺れている。
 まだ半分残っている煙草を僕は深く吸い込み、吐き出し、そして足下にもみ消した。
「喫煙は、よく、ないわ」
 それが綾波である事は、そして、この場に彼女が来る事は予想していたのかもしれない。待ち望んでいたような、感覚にたぎりながら、何故、とは思わない。
「綾波だって、こんな時間に外うろついてるじゃないか」
「・・・碇君が、歩いているのを見掛けたの」
「学校から?」
「ええ」
「・・・せっかくだから、少し、話でもしようか」
「・・・そうしたいなら」
 明らかに感情の欠如した面持ちは、綾波独特のものだ。急に、目が冴え渡るような気配を感じながら、僕は、一軒の喫茶店に彼女を促した。
「ちょうど、そこに喫茶店があるから、はいろうか?」
「ええ」
 彼女は、言った。
「私、お金持ってないわ」
「いいよ、それくらい。僕が、奢るよ」
 少しの緊張に、僕はそう言った。
「ええ」
 と、彼女は静かに肯いた。
 喫茶店は時間がまだ早く、店を開けた直後のようだった。明るい店内にコーヒーの匂いがたちこめている。イタリアのカフェのような洒落た内装が、どことなく自分にはふさわしくないように、居心地の悪さを助長しはじめる。奥へと僕は、進んだ。
 一番角の席で、一面ガラス張りの路地からはカウンターを隔てて死角となっている。
 僕は、更に最も奥の席に座り、彼女を促した。
 綾波は、すっと、音も立てずに席についた。
「いらっしゃい」
 と、緑色の無地のエプロンを掛けた、人の良さそうなマスターが水を運んで来る。
 僕は、コーヒーを頼んだ。普通のブレンドコーヒーだった。綾波は、珍しく戸惑い、メニューの上に視線をさ迷わせた。
 こんな時間に、それも、綾波と一緒に喫茶店に、更に、制服姿でいる事に僕はマスターを注視する。
 彼は、穏やかに笑いながら、デートかい?学校をサボって。若いねぇ。と漏らした。
 僕は、苦笑し、綾波が小首を傾げるのが見えた。
「そんなんじゃないですよ」
 すると、不思議そうに、瞳を揺らし、綾波が桜色の唇を開いた。
「デート・・・って、何?」
 僕と、マスターは顔を見合わせた。
「・・・デートって、なんだろう?」
「・・・さあ?」
 面白いものを見つけたようにマスターは笑った。
「えーーと、じゃあ、注文は、少し待ってくれますか?」
 僕は、いまだきょとんとメニューに視線を走らせている綾波を見て、マスターに言った。・・・こうしてみると、綾波って可愛いな、と何処となく救われたような気がした。
「ゆっくりどうぞ。あ、コーヒーはどうするね?」
「彼女が決めてからでいいです」
「それでは、決まったら声をかけてくれよ」
「あと・・・」
 彼は、僕が言おうとした事を先取りした。
「わかってる。学校には、ナイショだな」
 彼は、器用なウインクを見せてカウンターの中へ落ち着いた。
「綾波、何にするか決めた?」
「・・・何にしたらいいのか、わからない」
 僕は、また煙草を取り出した。
「一服つけるよ」
 と、慣れたふうな事を言って火を着ける。綾波が、不思議そうな顔をした。
「・・・アップルティーなんて、どうかな?」
「アップルティー?」
「うん」
「それは・・・これね」
 綾波は、メニューに視線を走らせて、写真を示す。
「うん」
 僕が肯くと、綾波もコクリと先の細い顎を引くように肯いた。
「そうする」
 僕は、マスターを呼び、コーヒーとアップルティーとを注文をした。
 考えて見れば、綾波の趣向など全然知らなかった。一度だけ、ラーメンを食べに言った時など、『にんくらーめん、チャーシュー抜き』と、随分と通な注文をしていた。
 部屋に行った時など、彼女が家事などに疎い事がわかったくらいで、そこに生活臭を感じる事はなかった。
 僕は、煙をゆっくりと肺に入れ、心地好い酩酊を感じた。苦い煙草の味は、非常に近しい。飲酒は止められても、禁煙はできなかったのである。
 ヒカリと付き合いはじめても、何度も注意されたとはいえ、結局これだけはのこってしまった。
「・・・あのさあ」と、僕は言った。また、魔術的な心地が僕を支配しはじめていた。
 戦慄が身体中をぞろりと粟立てる。何か、存在の二重化された目前が、微笑みを浮かべる誰かと重なる。それは、空恐ろしい歓喜の情動を伴っていた。
 ・・・その誰かこそは、まぎれもなく、ミユキそのものだった!!
 ぱ・ぱ・ぱ、と目前に展開される無数のWindowsそのものが重なりあい、それは連続写真の速さで桜並木が近づいて来る。僕は、黒衣の彼女に微笑み掛ける。彼女は、くるくると良く動く瞳に笑みを浮かべ、幸せそうに四肢を伸ばすのだ。僕は、彼女を抱き上げると、突き上げるような歓喜に身を震わせる。
「碇君?」
 と、僕は、目の前にトレイにコーヒーとアップルティーを乗せたマスターがいる事に気付く。
 僕は、瞬きをすると、怪訝そうな綾波に、「何でもないよ」と焦って言った。
「ごゆっくり」
 マスターは、どこかで見たような、近しい大人を思わせた。
「・・・おいしい・・・」
 綾波がポツリとそういった。
「ほんとだ、コーヒーも美味しいよ」
 僕は、成り行きでなんとなく綾波を誘った自分が、こうやって普通にいる事が何故か可笑しかった。
「どうしたの?」
 怪訝な綾波が言う。僕は、顔に出ていたかな、と顔を撫で回した。
「あ・・・なんていうか、その。こうやって綾波と一緒にいるなんて、夢みたいだなって思って。それも、白昼の学校で禁止されている喫茶店、で、なんて」
「・・・そう」
「気味が悪いくらい、嬉しいよ。・・・あの、僕の事、憶えてる?」
「え?」
「僕、小さい頃、その、綾波と会った事あるらしいんだ」
「知らない」
「そ、そう?・・・僕も、何となく思い出したんだ。僕、綾波とままごとしてた」
「ままごと?」
「うん、子供の遊び。僕が、お父さん役で、綾波がお母さん役」
「おとうさん?おかあさん?それがままごとなの」
「・・・うーん、僕、小さい頃、病気に掛かっていたみたいで、ね。あんまり、昔の事おぼえていないんだ。それに、小さい頃の事だし」
「私は、知らない」
「・・・綾波、昔からそうだったなあ。無口で、さ。神秘的で。多分、父さんと離れて少ししたくらいの時期だったかな。・・・僕、よく苛められてたな。ここじゃなくて、叔父さんのところだけど。僕、暗くてさ。体も、モヤシって呼ばれくらいに弱かったから、格好の苛めの的ってことになっちゃって。あ、思い出した。クラスにトオジっているじゃない。鈴原トオジ。トオジみたいな感じのヤツがいてさ。あ、名前は、佐々木カナメっていって。体が僕の倍も大きくて強いんだ。そいつが、さ。僕の事苛めはじめたんだ。一回もろくに話した事なかったんだ。恐竜みたいな目をしててさ。恐ろしかったな。僕は、気が弱くて、佐々木の取り巻き数人に毎日殴られたり蹴られたりしてたっけ・・・。あ・・・ゴメン。何だか、こっちの話ばっかりで」
 綾波は小首を傾げる。
「・・・いい」
「・・・え、と。それでさ。ソイツが、今度は僕にお金をもってこい、って言いはじめたんだ。・・・これ以上苛められたくなかったら、お前がいる事によって不快な気分になる自分達の迷惑料だって。信じられる?迷惑料だって!身体中、毎日傷だらけでサ。打撲で身体中ボロボロ。・・・僕、さ。叔父さんのところにいたって言うけど、なんていうか、情に薄い叔父さんでさ。お小遣いとかあんまり貰った事無くて、どうしようか本当に悩んだんだ」
「へえ、イジメか」
「へ?あ、マスター」
「未だ、イジメは無くならないか。『イジメ』なんて軽い調子でひと括りしてるが、それは基本的人権の侵害行為だ。子供だからって言って、そんな事は許されないな。ま、俺も暇だし、聞かせてくれるかい?」
「え、と。まあ、構いませんけど何だか、恥ずかしいです。恥じの発表みたいで」
「おかわり、どうだい?今度はモカだけど、ね」
 マスターは、コーヒーポットを見せた。
「え、いいんですか?」
「ま、サービス、かな。こんな可愛いカップル二人が平日の白昼真っ只中で、学校サボって不良しているのを見ては、こうせざるを得ないな」
「な、何の事だかさっぱり解りません、が」
「みれば、あんまり不良っぽくないのに、慣れたふうに煙草なんてすってるだろ?興味もつってもんさ。さあ、続けてつづけて、彼女も話しを聞きたそうだよ」
「・・・碇君」
 促すように、綾波はそう言った。綾波は、マスターの事は全然気にしていない。見れば、何時の間にかに、彼女のカップは新しいものに変わっていた。
「こっちも、サービスだよ。アップルティーじゃなくて、今度はシナモンだけどね」
 綾波は、何も言わずすっとカップを口に運んだ。
「ま、まあ。そうですか」
 僕は、苦笑をすると再び口を開いた。
「・・・初めは、靴を隠されたり、机に酷い落書きされたりしてたんだ。教室の黒板にでっかい文字で『碇は人殺しの息子だ』なんて、掛かれたり・・・」
 綾波が瞬間弾かれたように僕を見る。強い光がそこに込められていた。
「・・・もちろん、そんなの酷い中傷そのものだった。父さんは、そんなことしないって解ってたから。母さんの事故の事、新聞で叩かれたからね。・・・でも、僕がそう思ってても周りはそう思ってくれなかったんだ。そして、殴る蹴る、石をぶつけられる・・・みんながみんな、僕の敵だった」
「・・・それ、わかる」
「・・・え?」
「わたしも、そうだったもの」
「・・・そうか。今でも?」
「・・・ええ。それは、嫌がらせだったのね」
「・・・許せないな。そんなの。綾波、苛められてたんだ」
「・・・気にしてないから」
「ダメだよ!そんなんじゃ、父さんに、そういう事話したりした?父さんだったら、きっと綾波の事、そうやってほっとくはずないんだ」
「・・・言ってないもの、気にしてないから」
 綾波は、顔を伏せる。僕は、僕の昔を思い出し、そして重ねた。本当は、辛いのに、辛いと言う事がわからない・・・。
「じゃ、何かい?君のお父さんは、この子を養子にでもしているのかな?」
「あ、えーと、ちょっと複雑なんですけど、大体そういう感じ、かな?」
「すると、キミタチはなんというか、兄妹って事か」
「え、えーと」
 見ると、綾波は、そんなやり取りに目を丸くしている。
「そんな感じかな・・・?」
 自身なさげに言うと、マスターは頭を掻いた。
「いやあ、どうも、兄妹で、カップルで、というわけか。確かに複雑だな。で、キミが、お兄さん、かな」
「んー、ど、どうでしょう?」
「・・・お兄さん・・・?」
「え、えーーーとーーー、は、はい」
 綾波の不思議そうな口調が導き出すので、僕は改まってそう返事をした。なんだか、思っても見なかった展開に、頬が熱を持つ。
「・・・そう、碇君は、お兄さん」
「そ、そうなの、かな」
 そこで、何を勘違いしたのか、深く肯きながらマスターはとんでもない事を言い出した。
「大丈夫、お嬢さん。兄妹といっても、どうやら話しを聞くと、血はつながっていないんだろう?キミは、碇君と彼をよんで、キミは綾波、と呼ばれていた。つまり、君と彼との血のつながりは無い。だから、仮にキミタチが僕が見たとおりカップルであり、結婚をするにしても、なんの、もんだいも、ない」
「・・・結婚?」
「ちちちちち違うよ!マスター!ななななななななににににををををを」
「ハッハッハ、キミタチはどうも、からかいがいがあるなあ」
 むぅ、と、僕がそっぽを向く。綾波は怪訝そうに小首を傾げる。赤い瞳を瞬かせながら・・・。
「あ、そうだ」
「なに?」
「えーと、そろそろ、本部に行かない?」
「・・・今日は、訓練は午後4時から。どうして?」
 僕は、壁の時計を見る。昼過ぎだった。随分、話し込んでしまった。着けて消した煙草の数は、そろそろ10本。
「おいおい、もう少しいいじゃないか。彼女だって、もう少し君と話したそうだぞ」
「あ、また来ます。お愛想お願いします」
「・・・そうだな。今日は、キミタチに会えた記念としておくよ。だから、サービスだ」
 と、マスターは笑った。僕達と入れ違いに、店に数人の客が入りはじめた。
 その喫茶店が、何故か非常に居心地が良い雰囲気だと自分の中で変化をしている事に気付いた。その店の名前を見る。今まで一回も来たことがない通りである。
 名前は、「たんぽぽ」とあった。あのマスターに似合わない可愛い名前だ。と、変な感想を覚える。綾波は、珍しい事に少しばかり名残惜しそうに見えた。もしかしたら、僕だけがそう思っているのではないか、と苦笑し、僕はネルフへの道を綾波と共に向かいはじめた。
 直通のリニアが出ているのである。
 ちょうど出て行こうとしているリニアに、綾波と共に駆け込み乗車をすると、向こうで駅員が怒鳴りはじめるが、ドアがそれをせき止める。
 僕は、綾波に顔を向けると、彼女はどうやら左手を注視している。見れば、なんと僕は何時の間にかに彼女の手を取っていたのだった。どうやら、嫌がってはいない様子だが、離そうとすると、今度は綾波が、こともあろうか、僕の手を握った!
 白い頬をぱっと桜色に染め、彼女はうつむいた。頭の中で、『僕のヒカリ』が、ハンカチを噛んで涙目になっている、が、僕はその事では既に・・・。蘇るのは、あの、トオジを見つめる洞木ヒカリの視線。そして、僕は綾波に恐ろしいまでの愛情を覚えた。
 まったく、予想外だった!
 こんなに、彼女の事が好きになるなんて!!
 頭の中には、あの、ターミナルドグマでの事が残っている!
 あの、忌まわしい、あの、あの、あの、夥しい量の肉片へと変貌する綾波を僕は知っているんだ!
 ・・・しかし、僕は綾波の手をぎゅっと握った。痛くないように、する優しさと、こんこんと沸き上がるその愛情に戸惑いながら、僕は、彼女に変わらない愛情を持ちつづけている自分が生きつづけている事を知った。
 それは、知っていたのだ。あの、使徒との自爆を選んだ綾波。失い、どこまでも空洞化したおのれ。その心を。
 ・・・僕は、綾波の事が好きなんだ。
 それは、全ての事象や、その他の全てを越えて、僕の心に橋頭堡を築いた。
 ぴぴぴぴぴぴ。電子音が二人のその静寂を破壊する。
「はい」
「もしもし」
 それは、非情招集だった。
「使徒だ」
 ぽつりと呟く。綾波は、そんな僕を見つめていた。


『エントリースタートします』
『シンジ君、インダクションモード使える?ねぇ、ホントに大丈夫?シンジ君が倒れて、殆どまた、訓練も無しなんて・・・』
「ミサトさんが気にしなくても、いいですよ。だって、一週間も倒れてたなんて、僕も信じられないんですから」
 何を思い出したか、モニターの中のミサトさんがちょっと頬を染めている。
『そ、そうよね。ま、まあ、パレットガン、装備して』
『初号機、インダクションモードで固定。いい?照準はこちらで計算するわ。シンジ君は、目標が中央にロックした時に、落ち着いてレバーのスイッチを押しなさい』
「はい」
『し、シンクロ率198%!!ハーモニクス安定!!』
『凄い!』
『まさか、プラグスーツを用意しただけで、これだけ上がるなんて・・・』
 リツコさんが、どこかで見た事のある底光りのする目・・・危険なその目を僕に向けている。
「・・・あの、じんたいじっけんは、やですよ」
 僕は、思わずポツリと漏らす。オペレーター、ミサトさんを含め全員がリツコさんへ視線を向ける。
『ま、まさか、そんなこと、しないわよ。・・・まだ』
 まだ?
 僕の思い出すのは、あの技術力だけは世界一位のリツコさんだった・・・。
『ま、まさかリツコあなた・・・』
『違うわよ。言葉のあやよ』
『せんぱい・・・』
『ま、マヤ、手が留守よ。ほら!ミサト!仕事、しごと!』
「い・・・いやだ!リツコさんは、その目で僕に嘘を付くんだ!僕に加速装置やサイコガンをつけようと思っているんだ!僕だって、人間だー!」
『ぱ、パイロット。ハーモニクス乱れてます!』
『シンジ君!落ち着いて!』
『パルス逆流!』
「いーやーだー!あの父さんがニヤリって笑ってるんだーーー!」
『碇君』
 見れば、モニターには、綾波がいる。
『頑張って』
『パルス、ハーモニクス安定しました!』
『れ、レイ?・・・もう、何だかわからないけど・・・初号機、発進して!』
「うん、僕・・・がんばる」
『もう、いーから出して!いーい、シンジ君。目標をセンターに入れて、スイッチ。よろしく!』
「はいっ!」

 ゴウ!と、僕の周りが加速した。それは、僕が加速したのであって、けして周りが動いているわけではない。それでも、そんなふうに僕は認識する。
 臙脂<えんじ>色をした機械質の光沢が僕の目の前に首をもたげた。のそりとした起き上がりというよりも、何か歯車じみたものをおもわせる。そのまるでファロスのような形状の頭部には、意思を持たない見ようによってはそうみえるかもしれない、目のような二つの円が形作る。
 まるで虫のような存在感に自然と体が泡立つ。
 エヴァと、自分との切れ目が消える。
 解き放たれたように僕は、ソレを眼底から見据える。
 頭の中のさざめき。モニターが掻き消える。
 その時僕の眼は、エヴァの眼と変わる。
 身体中に力が漲る。膨れ上がるような四肢の全てに強力な力が存在するのだ。
 無限大の力の存在である。
 それは、魂のチカラ。
 使徒は、首をもたげ、じっとこちらを伺う。僕は、油断無く手にあるパレットガンを構える。ぞろり、と、使徒は首の付け根と思われる部分の両端にある小さな突起物から長大なエネルギーの束を伸ばした。それは、揺れ動き、たわみ、にぶいピンク色になり、全長の三倍程で安定する。それは、二本の鞭に見えた。
 そうすると、縦横無尽に二本の鞭を奮いはじめた。
 距離を取れ!そうだ!
 僕は、集中をする。距離は、200m。
 構え、使徒は浮遊するそのままに無造作に距離をつめはじめた。
 てーーーーー!!
 だ・だ・だ・だ・だ・だ・だだだだだだだだだだ。
 劣化ウラン弾であり、それはガンの持つ理論値を叩き出した。
 僕の目には、その一粒一粒が赤色に歪み、使徒の表面に穴を穿つのが見えた。
 ガン!
 そのひとつは光球に衝突し、ぱっと火花を上げた。
 ガン!
 もうひとつはやはり光球に衝突する、パッと火花を上げる。
 ガン!
 さらにひとつは、やっぱり光球に衝突し、めり込んだ。僅かに入る罅。
 ガン!
 それは、まぐれ当たりにも先のめり込んだ劣化ウラン弾そのものに着弾した。
 キュン、とガラスの割れ響く音が震え、光球はパラリと破片を落とすと明滅から透明な水晶の無機物へと変化をし、使徒は完全に停止していた。
 だだだだだだだだだだだだだだだだだ。
 既に停止した使徒に対し、発砲をした劣化ウラン弾は貫通、引き裂き、四散させた。
 そのひとつは、たまたまど真ん中に命中するのを僕は見つけた。そして、それが爆発を誘発する事に気付く。
 爆 発 す る !
 ぱ・あ・ん。
 辺りが爆風を伴い僕を連れ去る。使徒を囲む檻を連想し、それを両腕で抱えると、山の方へ投げ飛ばした。
 すると、山が目に入る。そこに、最悪の状態に陥りそうなひきつった二人を見つけてしまった!
 トオジ、ケンスケぇぇぇぇぇぇ!
 たちまちにして、僕はATフィールドを凝縮させた。何でこんな事ができるんだろうか、等と考えながら、小さく凝縮させたフィールドを飛ばす。
 それは、使徒を囲んだ檻に衝突し、爆音を上げて使徒の入った檻その物を山の向こうまで吹き飛ばした。
 使徒は、空中で、ATフィールドの檻の中で四散した。
 ケンスケとトオジは、慌ててシェルターへと山を降りて行った。


『・・・ンジ君、シンジ君!ちょっと!リツコ!どうして暴走してないエヴァの通信に支障がでるのよ!』
『・・・おかしいわね、そんなはずないのに』
『プラグからの強制切断だと考えられます』
『しっかし・・・完全勝利ね。エヴァってここまで無茶苦茶つよいの?』
『理論値を越えているわ・・・シンジ君の場合、操縦している、というよりも、同化しているのかもしれない』
『エヴァと、同化?』
『少なくとも、このシンクロ率は、普通じゃない。これは、わかるわね、ミサト』
『ったく、あんたが作ったんでしょうが!』
「あの・・・」
『碇君』
「あ、綾波?終わったから、帰ろうと思うんだけど・・・・」
『了解、赤木博士に伝えます』
「助かるよ、ありがとう」
『な、何を言うのよ』
 綾波は、頬を染めるとよそよそしくなった気がした。
『あの・・・・』
「え・・・?」
『ご苦労様』
 綾波は、幽かに微笑みを浮かべていた。
 そこにいるのは、とてつもなく可愛い女の子そのものだった。


<続く>

<第6話へ>




<誤と魔部屋へ戻る>