第三新東京市ぱられるふぃーばー
その7
まったく何がなんだか、さっぱりという状況であって、どうして僕がケンスケのところに居るのか、という些細な事についても理解できない。自分の現在の座標を見失ったのかもしれず。
「コーヒーでいいか?」
ケンスケは、手慣れた様子でパーコレーターを掲げた。
「う、うん」
ケンスケって、まだろくに話した事も無いのに、親切なんだ。僕は思わずにいられなかった。何にも無い、閑散とした郊外の原っぱで、趣味でサバイバルトレーニングをしているのは、ケンスケらしさそのものであって。
「暗い、くらいなー。なんていうか、碇って夜中に切れそうになった街灯みたいな危うさがあるよ。パカパカって瞬いてて、いつ、ふっと消えるのか、そんな不安に駆られちまう。もっと、人生って簡単なもんだと俺は思うね」
いったいどうしてなのか、ケンスケのその言いようはあからさまに唐突だった。それがどうも、しっくりとはまり込む。何等かの既視感だった。
「何だよ。それだと僕ってどうしようも無いやつみたいじゃないか」
「知らなかったのか?碇は、どうしようも無い奴そのものだよ。碇ぃ。かくれんぼをしていたら、隠れたまんま皆に忘れられたみたいな、そんな寂しさがあるんだよ。どう考えたって、かまわずにいられなくなっちまう」
「そんなの、知らないよ。別に、そんなに影薄くあろうとしているなんて事無いし、僕なんて、絶対に見つからないと自身満々で隠れたくせに、いの一番で見つかるっていうか、もっとお間抜けにできているのであって。ケンスケがそうやって、見るのって、理解できないよ」
「だから、碇は放って置けないんだよ。何だか、か弱い小動物みたいに見えるんだ。自分は本当は虎なんじゃないか?なんて考えている猫みたいな、ものすごい勘違いをしているんだ。寂しいくせに、寂しくない振りをする。かまって欲しいのに、かまってもらいたくないって突っ張ってる。でも、それが本当じゃないんだ。碇の場合、ただでさえ何だか無性にかまいたくなっちまうんだ」
「それって、なんだろ。僕はそんなつもりはないのに、かまってもらいたがっているって事かな?」
「なんていうのか、俺にはわかんないな。辛いんだったら、力になりたいって思うのは、本当なんだ。碇みたいな奴を野放しに放っておくなんていうのは、どうもこれは保護動物を見放しているみたいに思えちまうんだ」
「・・・ケンスケ、ありがとう。ケンスケに力になってもらえるんなら、こんなにうれしい事はないよ。無明の荒野で、さまよい歩いていた気がするんだ。心細くて、誰にも僕が見えていない、触ろうと手を伸ばしても擦りぬけてしまうホログラフィーで。足元がまったくわからない暗闇の中を手探りで進んで行く・・・。誰にも、寄りかかっちゃいけないって、一人で思ってた」
「碇は考え過ぎなんだよ。誰だって、不安な事や恐い事に囲まれて生きているんだぜ。俺だって、そうだし、みんなそうさ。ただ、考えないようにしているだけで、さ。辛い事だって、それぞれあるに決まってる。例えば、裕福に生まれた人にはそれなりの悩みがあるだろうし、貧乏に生まれた人にもそれなりの悩みがある。どこまで行ったって、悩んで悩んで悩んで、ただそれだけで前に進んで行くもんだって。碇が辛いといったって、碇一人だけが辛いって思ったら間違いなんだ」
「そうだね。僕は、自分が悲劇の主人公みたいになっているって、そう思ってたのかもしれない」
「ほら、カップ」
ケンスケは、金属製のカップをさし出した。火にかけたパーコレーターをタオルをまいた手で持ちあげる。
やけにとろりとしたコーヒーがカップに注がれた。
「悪いな、あんまり良い豆じゃないんだ」
ケンスケは薄い色の髪を掻き、弁解をした。
「幸せの総量なんて、人それぞれなんだぜ。幸せかどうかを判断するのは誰だと思う?他人じゃないんだ。自分なんだよ。その自分からして、ああ、自分は不幸だ。なんて思っていたらどうする?ほんとは、さ。誰だって幸せだって、常に感じる事なんて無いかもしれないんだ。不幸だ不幸だ、って思いつづけたら、どんな幸福が訪れたって、だめだって、俺はそう思うね。俺は、今、結構幸せなんだ。どうしてだと思う?俺が、幸せだって、そう思っているから、さ。
俺、3年前にこっちに転校してきたんだ。こっちに来てから、嬉しくてさ。トオジも、おんなじくらいの頃だったかな、転校して来て、そして同じクラスの席は前後ろ。
教壇のまん前でさ。トオジが一番前だったんだ。むっつりと黙りこんでいてさ。俺も、その頃は暗くてね。俺くらい不幸な人間は、ざらにはいない、何て本気で思ってた。世の中辛い事ばっかりで、楽しい事なんて、知らなかったな。だから、ずっと根暗。変な期待をしたら、それでしっぺ返しに酷い眼にあう、なんて思っててさ。醒めてた。
友達だって、居なかった。いつも、クラスの他の奴等がくだらない話しをしているのを横目で見て、つまらない奴等だって思ってた。ほんとは、さ。すごくうらやましいのに。ほんとは、自分だって話しの中に入って行きたくて堪らなかった。でも、それを認めると自分が本当にくだらない奴だって証明するみたいで、突っ張ってた。
そうだ。トオジの奴、俺に初めて話し掛けた時、何て言ったかわかるか?あいつ、突然振り返って俺の事、じろってにらんで、それで言ったんだ。
『なんや、根暗な奴やな』
あの頃、こっちに来てさ。初めての登校、クラス。戸惑ってた。だから、碇のどことない混乱も、少しはわかるつもりだぜ。
あいつらしいだろ。俺、そんな事初めての奴にあからさまに言われて、不思議と新鮮だった。びっくりした。あんな奴初めてだった。だから、すぐに友達になったんだ」
ケンスケは、驚くほど饒舌だった。ケンスケの事、聞くのって初めてだな。と、僕は思った。どこか醒めていて、大人・・・それが、ケンスケのイメージだった。ケンスケに葛藤が無かった、とは考えた事は無かった。それどころか、僕は、ケンスケの期待をうらぎってばかりで。
「俺、トオジと友達になってから、多分、変わったんじゃないかな。時々、そう思う事があるんだ。俺、はまり易い方で、ね。ほら、このカメラ。デジタルムービー型端末。これだって、こだわりがあってね。ま、碇に行ってもわっかんないか」
「凝り性なんだ」
「そうそう!俺は、さ。いつか、何かになってやりたいんだ。昔は、俺、昆虫がすきだったから、クワガタ虫。それも、一番かっこいいミヤマクワガタになりたかった。後から、オオクワガタの事を知ったけど、価値うんぬんじゃなくて、あのミヤマクワガタの美しいフォルムに惚れたんだ・・・。ま、虫になりたいなんてのは、子供の発想だってすぐに気付いたさ。でも、その時から、好きな物にのめり込むっていう、今の体質になったんじゃないかって、ね」
「クワガタって、あの?」
「そうなんだ。笑っちゃうくらいバカだったって思うだろうさ。でも、あの時真剣に何かを好きになったって事が重要なんだ。俺にとっては、カブト虫よりもクワガタ。オオクワガタよりもミヤマクワガタで」
「・・・すごいなあ、ケンスケは。すごいよ。そんな風にのめり込むってこと、僕にはなかったから。いつだって、何をやってもだめなんだって劣等感に潰されてたのかもしれない。・・・僕、小さい頃母さんが亡くなって、父さんはその頃いろいろ大変だったみたいで。だから、親戚の叔父さんのところに預けられたんだ。そういう事情って、子供にはわかんなくて。捨てられたって思っていた。だから、誰にとっても僕は価値の無い子供で。自分が何かの価値を得られるなんて、そんな事考えられなかった」
「そんなたいそうなもんじゃないさ。子供ながら変な事考える奴だったんじゃないか。それで、今はこれ」
「これって?」
ケンスケは実に晴れ晴れとした顔をしていた。テントの内部を見回す。
「戦争だよ。もちろん、浮かれているだけの軽薄なマニアだって解っているつもりだよ。でも、さ。楽しいんだ。すごく。
自分でこうやって、サバイバル訓練まがいの生活をしてみたり、自衛隊の軍用機を追ったり、そうやってる自分が、ね。まるでバカだってわかってる。写真を撮るのも楽しいな。皆の平和な姿を撮ったり、戦艦を撮影したり・・・そのギャップがドキドキする。
俺、おかしいんだ。いま、さ。本気の戦争が起こってる。どこかの生物兵器か、宇宙怪物か。とにかく、すごい怪獣がここを襲って来ててさ。そして、そうやって戦争がおきている事が楽しいんだ。俺、このあいだの非常招集で、シェルターに非難する時、初めて解ったんだ。皆、おっかなくてさ。とにかく、何がなんだか解らない恐さに震えて、顔なんてこわばってた。そんな中で、さ。トオジが俺の顔、まじまじと見てるんだ。どうしたのか、解らなかった。トオジの奴、ぽかん、としてた。俺、トオジにどうしたんだって聞いたよ。そしたらさ。トオジの奴言ったんだ。心底驚いたみたいな顔してさ。
『何笑ってるんや』ってね。
俺、笑ってたんだ。トオジに言われてはじめて気がついた。俺、楽しいんだよ。すごく充実してる。でも、ほんとに、自分は変なんだって解ってるんだ。戦争なんて、くだらなくて、つまらないって解ってるんだ。どんなに残酷な事が世界中で起きてたのかしってるんだぜ?碇だって社会の時間、何度となく教わって来たろ?
・・・俺、一日中、戦争の事だけ考えて居られるんだ。シェルターの中に隠れてさ。それで、自分が戦争に参加しているように考えて、それだけで楽しいんだ」
「ケンスケ・・・」
吐き捨てるようなの独白だった。鳥肌だつような、熱病じみた妄執だった。
ケンスケが、僕を責めるわけだ。
すんなりと、胸落ちという素直さで、僕はケンスケの言葉を飲み込んだ。
「・・・碇に言っても、こればっかりは解んないよ。危ない奴だって思われてもしかたないって。碇の眼。俺の事恐くなって来たんだろ」
「・・・違うよ。ケンスケって、あんまりそういうのっていわない方だって、そう思ってたから、びっくりしただけで。僕は、ケンスケの事、理解したい。理解したいんだ。人って、理解できるようにできているようで、理解できるのって、ほんの一部分の眼にみえるところだけ。そんなの寂しいって思わない?互いに傷つけあって、そうやって理解して行くんだ・・・人は。僕は、そう思ってる。理解しあうためにはお互いに、胸のうちの明るいところだけじゃなくて、暗い部分だって見せあわなくちゃいけなくて。だから、僕だって、ケンスケの事、とやかく言えるほど立派なワケじゃなくて。だから・・・」
「もう、いいよ。碇」
ケンスケは寂しそうに笑った。
「理解しあう必要なんて、無いだろ?必然だなんて、誰が決めたんだ?」
「違うよ、ケンスケ。僕が言いたいのは、つまり、理解する事はできなくても、理解しようと努力する事はできるってことであって」
「じゃ、理解なんかできないんだろ?結局、さ」
「・・・そうかもしれない。でも、人はそれでも、理解しあおうと努力するしかなくて。みんな寂しいんだ。僕も、ケンスケも、トオジも、クラスの皆も、寂しいんだ。心が欠けているみたいに、どこかに穴が空いてて。だから、少しでもその欠けかた、心の形の似通ったグループになる。それが、友達なのかもしれない。心を相互に満たしあう、そうすればきっと寂しくなくなる。きっと、そうだよ。僕は、今日、ケンスケと話ができて嬉しいんだ。身体に強い熱が走りぬけたような、そんな気がする」
「そうか?」
「そんなもんだよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんさ」
「そうかー。俺馬鹿みたいだなって、いま、思った」
「どうして?」
「碇と俺って、昔どこかで出会ってたような気がする」
「それって、なんだよ。殺し文句?」
「バカ、違うって。なんだか、デジャビュってあるだろ。あれだよ。あれ。名字じゃなくて名前でいきなり呼ばれるのもしっくりくる。おかしいな。どこかで、もしかしたら違う世界の同じ時に、出会ってたのかもしれないって思った。」
「やっぱり、それって殺し文句だよ、ケンスケ。ケンスケと僕が話したのって、これが初めてだよ。学校でも、自己紹介の時くらいしか話さなかったし」
「何だか、妙に波長があうんだよな。すごく相性が良いんじゃないかって、さ。ま、ジョークだよ。冗談だと思って聞いてくれれば良いさ。何だか、はじめっから気になってたよ。何しろ、皆が先の戦闘で疎開のそんな中で転校して来たんだからな。これは、マニアとしてはどうも気になるところだよ」
「そ、そうかな。別に、父さんの仕事の関係だよ」
「俺の勘だと、碇はNERVの関係者だ。しかも、あのNERVのロボットと関係がある・・・」
それは分析ではなく直感のするどさだった。鋭角的で、ズバリという鋭さであって。
「まいったな」
ケンスケをじっと見つめた。
期待に輝くような眼は、ごまかせない。僕は、そう思った。
いつのまにか、とろりとしたコーヒーは、カップの中からにはなくなっていた。
味なんか、解らなかったのかもしれない。
ただ、まずくはなかった。あんまり良い豆じゃない無いんだ、なんてケンスケは言っていたけど、僕はパーコレーターで煎れたコーヒーは初めてで。とろりとしたコーヒーが気にならないはずはなかった。
「・・・隠してるつもりじゃ無かったんだ」
僕は、つぶやくように言った。
「僕が、パイロットだよ。ケンスケ」
ケンスケは、眼を輝かせ、ついで息を付き、そうか、とだけ返した。
<続く>