March 26,1993 AM09:10
羽根の絵

ホームステイ

 

「マサ? いつまで寝てるのよ。あたしよ、ア・タ・シ!」

 その声の主がフミだということはすぐわかったが貴重な睡眠時間をフミごときに邪魔されたと思うとひどく腹立たしかったのでわざとわからないふりをした。

「えっ、間違い電話じゃないですか。じゃあ切りますね」

「待ってよ。私の声わからないの。フミちゃんよ。フミちゃん」

「そのフミちゃんがオレになんのようなんだよ」

「今日、私の家まで迎えに来てくんない。学校まで遠いのよ」

「なに甘えてんだよ。こっちはそんなに暇じゃないんだよ。1時に学校だぞ。遅れんなよ。じゃあな」

「ちょっと待ってよ!。迎えに来ないと私旅行に行かないから」

 フミはそれぐらいのことは平気でするような奴である。しょうがないのでマサが折れることにした。

「わかったよ。迎えにいきゃあいいんだろ。ちょっと待ってろ。いま地図取ってくるから」

 マサはそう言って部屋に戻った。

部屋の中はずいぶんと盛り上がっていた。

「イイジャン!、イイジャン!」
「NO! NO!」

 イエメン人が日本語を言いながら覆いかぶさり、日本人が英語で拒否するという滅多に見られない貴重な光景だった。しかも男同士である。ケンのひ弱な体型ではオマーに押さえつけられたらまず逃げることはできないだろう。

「マサ、助けてくれよ」

 ケンの悲痛な叫びをあげていたが、結末がどうなるのか興味があったのでマサは地図を取るとそのまま電話に戻った。

 フミから住所を聞き出すのは一苦労だった。アメリカの市内地図にはひとつの地図に一軒一軒の家がこと細かく書かれている。一覧性はいいのだが字が小さすぎて見にくいのだ。だから地図で探す場合は、自分の知っている場所か大きなストリートから探していくしかない。しかし、フミは自分の家の住所と家の前の小さなストリートしか知らない。毎日学校までどうやってきてるのだろうと少し不安になる。やっと思いで家の場所を探し出したときには目がチカチカして疲れがどっとでた。

「これで満足だろ。じゃあな」

「それとね、」

 フミは続けてなにか言おうとしたが、マサはむりやり電話を切った。切ったあとなにを言いたかったのか妙に気になったが、大したことでないことはわかっていたし、もし大事なことだたったら、また電話がかかってくるだろう思った。

 振返ると居間のソファーに、ケンが座ってテレビを見ている。

「なんだ。もう終わったのかよ」

「全くひどい目にあったよ」

「あんなことで驚いてちゃ、アメリカで暮らすことはできないぜ。まあこれからオマーとは同じ部屋で暮らすわけだから、あんなのは日常茶飯事だろうな」

 平然と言ってのけるマサを見てケンは再び青ざめた。よく考えればかわいそうな奴だ。アメリカに来た次の日に男に襲われ、そいつとこれから同じ部屋で暮らすことになるのだから。

 ケンは必死に落ちつこうとしていた。日本男児たるもの、このくらいで動揺してはイカンとでも思っているのだろう。そしてなにを思ったのか、将棋盤と駒を出し、将棋をしようと言い出した。

 ケンは日本人留学生にありがちな勘違い野郎の典型だった。外国にやたらと日本のものを持ち込みたがる。しかも日本にいるときは見向きもしないようなものばかりだ。

 この家にも「こけし」や「下駄」が飾られており壁には習字や浮世絵までが掛かっている。そういう贈り物はホームステイ先に喜ばれる。日本にそんな飾り付けの家があるか知らないが、これで日本の家に近づいたとホームマザーは鼻高々のだ。

 マサは実際に日本で使っているものを渡すのが、本当のコミュニケーションだと思っていたので、そういうものはいっさい持ってこなかった。といっても旅行用品を買った時に福引きであたった卓球セットを「日本の国技です!」と言って渡したマサにとやかく言う資格はないが。

 それでもケンの場合は異常だった。レトルト味噌汁を半年分持ってくるわ、部屋の壁に「一日一善」などが書かれた日めくりカレンダーを張り付けているわ、カバンの奥には柔道着まで入っていた。とても柔道をやるような体系には見えないし、まさかあれを来て学校に通うつもりなのだろうか。ケンなら考えられるとマサは思った。

「神経を集中させるために将棋をやるんだよ」

 ケンは意気揚々に説明したが、マサから見たらただのキチガイだった。

「ここはアメリカだぜ、なんでアメリカに来てまで将棋しなきゃならないんだよ」

「日本の心を忘れないためさ。日本人なら将棋をしなきゃダメだよ」

「朝っぱらから将棋をする奴なんて、日本でも見たことないよ。そんなことするのは、ケンか日本マニアの外人ぐらいだろうな。だいたいなんでそんなに元気がいいんだよ。昨日アメリカに来たばかりだろ、時差ボケとかはないのか」

「飛行機の中でずっと寝てきたから、調子がいいんだよ」

 ケンは胸を張っていった。

「とにかくオレは寝るよ」

 マサは眠くてたまらなかった。昨日の夜、マサとケンは夜遅くまで騒いでいた。ケンが日本酒を持ってきたので、二人で一升空けたのだ。ケンはホームステイへの贈り物として持ってきたみたいだったが

「ここのホームファーザーは酒癖がめちゃくちゃ悪いんだよ、日本酒なんて飲ませたら収集つかなくなるぜ!」

 マサは大嘘を真顔でいえるという特技を持っている。適当なことを言ってケンを丸め込み、念願の日本酒を口にすることができた。さすがに贈り物だけあって酒の味は最高だった。

「これでおまえのアメリカ生活は安泰だ」

 などと無責任なこといっては、つまみが豊富なケンの鞄の中からスルメを勝手にほじくり出しては食べていた。最高の気分で寝たのに、将棋ごときで貴重な時間をつぶすわけには行かないのだ。

 やっと部屋にもどったマサは、聖地メッカの方向に向いアラー神にお祈りしているオマーをまたぐと、ベッドに飛んびこんだ。

「Omer , Good night」

 マサはホームステイ最後の眠りについた。

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