例の如く英語と日本語で起こされたマサは、例の如く不機嫌だった。何時間寝ようとも寝起きの悪いことに変わりはないのだ。時間ぎりぎりに起こしてくれるように頼んでおいたので、寝ぼけている暇はなかった。身なりを整え、帰り荷物をガレージに置き、この家を去る準備はあっと言う間に終わった。 家の前にはオマーとケンが見送りにでてくれた。
「Have a nice trip!」
聞き慣れたオマーのしがれ声も、もう聞けなくなるのだと思うと寂しい気がする。マサとオマーは二人で教え合った日本語やアラビア語の放送禁止用語を連発し大笑いした。その言葉が二人にとっての思い出だったし、二人を結んだキーワードでもあった。オマーは商社マンになるといっていたが、日本に来ないのが得策だな、心のどこかでそう思いつつも、堅い握手をし、そして抱き合い別れを惜しんだ。横にいたケンはその光景を「こいつらやっぱりホモだ」というような顔で見ている。
ケンとも握手をし抱き合おうとしたが、ひどくいやがっていたのでマサは諦めた。ケンは悲しそうな顔をしていたが、それはマサと分かれるのを惜しんでいると言うよりオマーとのこれからの共同生活を案じている感じだった。
「ケン、大丈夫だよ。オマーはホモじゃないって、5ヶ月間一緒に暮らしてきたオレが保証するよ」
それを聞いてケンは少し安心したようだったが、マサはむしろオマーの方が心配だった。これから毎朝、将棋に付き合わされるオマーのことを考えると、同情せずにはいられなかった。
「Good luck!」
マサは長い間、暮らしてきた家に別れを告げ、待ち合わせ場所である学校に向かった。
学校ではすでにジョーとフミトが待っていた。フミを迎えに行くことを告げると、二人は笑いながら了解してくれた。
フミのホームステイに行き、車のフォンをならすが、なかなかでてこない。しょうがないので玄関まで行きベルををならすとやっとフミが現れた。
フミはでてくるなり、
「マサぁ、お願いがあるんだけど」
フミが人にものを頼むときはろくなことがなかった。まさかこいつ今になって旅行に行くのはやめるなんて言い出すんじゃないだろうな。マサは不安になりはじめた。
「もう一人いきたいって子がいるんだけど、5人いける?」
マサはほっとした、というよりラッキーと思った。これでさらに旅行代が安くなる。5人だったら、全然問題ない。
その子を迎えに行くため、電話をして家の場所を聞くことになった。電話をかけながら、マサはよからぬことを考えていた。
「これはラッキーかもしれない。やっぱり男同士で旅行に行くよりは女の子がいたほうがいいもんな」
念のために書いておくと、フミもれっきとした女である。
電話にでた女の子は、突然、旅行に参加することを悪いと思っているのだろうか、遠慮がちにマサに家の場所を教えた。
「やっぱり女はこうでなくちゃ」
フミを横目で見ながら、マサは一人納得した。
住所を聞き終わったので地図にマークをつけ、その子の家に向かうことにする。車の中でマサはフミにその子がどういう子なのか聞いた。同じ学校で、名前はユーヤというそうだ。変な名前だなと思ったが、その名前に聞き覚えはなかった。フミはさらに続ける。
「年は私と同じでしょ、結構美人だし本当はマサ知ってんじゃないの」
「IEIに美人なんていたのかよ」
マサはフミの顔を見ながら皮肉を込めていった。フミはムッとして黙り込んでしまったが、フミトになだめられてまた話し始める。
「STEP10ですごく英語ができるのよ、マサとは大違いね!」
「人のこといえる身分かよ」
フミの反撃も、マサにはあっけなくかわされる。
「もう、やっぱりこんな旅行くるんじゃなかった。マサがどうしてもって言うから来てやったのに」
「本当はうれしいくせに」
フミもそれを言われては、なにも言い返すことはできなかった。実際、一番恩恵をこうむるのは、フミトと一緒に旅行できるフミなのだから。
「マサもそのくらいにしとけよ。いまはユーヤのことをはなしてるんだからさ、どんな奴だったんだっけ?」
フミトが話を元に戻す。普段はマサと一緒におちゃらけているフミトだが、ここではまともな人を装っていた。まあ、フミトだって男なのだからどんな相手にせよ、好きだと言われれば悪い気はしないだろう。いまのフミにしてみればフミトとマサは、月とスッポンぐらいに見えているはずだ。フミはマサに話すときとは対照的にうれしそうに話し始めた。
「いつもサングラスをかけてて、ショートカットの子よ、ロシア人と仲がいいみたい」
「嘘っ、あいつ!」
フミトが興奮気味にマサに話しかけた。
「あいつだよ、オレッグに変なことをいった女!」
「まさか!」
マサはいちおう驚いたふりはしたが、実はだいぶ前に感づいていたことだった。ただ、自分から言う勇気がなかっただけだ。そんな恐ろしいことは口が裂けてもいえなかった。
その女は、マサが旅行の同行者を捜していた時に避けていた日本人女性のうちの一人だった。そのうちの一人はフミだから、もしその女がユーヤだとすると、一番望んでいなかった同行者たちとこの旅行をすることになる。これじゃあ、メロドラマも真っ青の展開じゃないか。
だが、マサにはその女ではないという確信があった。
「第一あいつの名前はユーヤじゃなく、アユムだろ。フミトもびびらすこと言うなよ」
「そりゃそうだけど、あいつ以外に考えられないんだよな」
確かにフミの言っている女はアユム以外には考えられないのだが、名前が違うのだからどう考えても別人である。それでもマサはフミトと同様、いやな予感がしていた。
「ねぇー、アユムって誰のこと、ユーヤと関係があるの」
フミが不思議そうにマサにたずねたが、わけがわからないのはマサやフミトの方だった。
「とりあえずいってみようよ。いって顔を見てからじゃなきゃオレは信じないね」
マサはフミトにそう言い、同時に自分にもそう言い聞かせた。せっかく4人集めて楽しい旅行が始まろうとしているのだ、それに一人の女が加わってさらに楽しい旅行になろうとしているのに、まさかあの女といっしょに旅行することになるとは、いやあの女であるはずがない。マサがそうこう考えているうちにフミトがとんでもないことを言い出した。
「マサ、迎えに行くのはやめてこのまま行こうぜ、そんなメンバーで楽しい旅行ができるはずがない」
マサはその通りだと思ったが
「いい機会じゃない。あの時はあんな結果になったけど、実際あいつのことはなにも知らなかったわけだし、それを知るチャンスだよ」
といった後にマサはひどく後悔した。このときばかりは自分を恨めしく思った。どうしてこうも自分の思ってもいないことを堂々といえるのだろう。今更取り消せないし、どうしよう。
「ねぇ、何なのよ、急に迎えにいくのやめようなんて。ユーヤとなんかあったの」
「何でもないよ!」
なにも知らないフミが尋ねたが、マサはかき消すようにいった。フミにつきあっている状況ではなかった。まさかあの女と旅行することになるなんて。いや、まだあの女と決まったわけではない。たぶんあの女だろうが、まだ1%ぐらい他の女である可能性は残っている。神様、これはオレのアメリカ最後の旅行なんだぜ。
マサはこのときばかりは本当に祈ったが、そんな思いは神様に見事に裏切られた。マサは目の前にある現実から逃げることはできなかった。歩道を歩いている女を見たマサは機械的に言った。
「いたいた、あいつだろう。JOE, Stop Here」