ここの海岸の岩は変わっていて、石ころなどで簡単に削ることができる。そのためか多くの旅行者がここの岩に名前などを彫っていた。マサも彫ろうとしたが、そこら中が名前だらけで、彫るスペースなど残されていない。できれば馬鹿でかく名前を書きたかったので、誰も彫っていない岸壁ぎりぎりまで行って命懸けの彫刻作業が始まった。
「そんなところに彫ったって誰にも見られないんじゃないの」
マサが見上げるとフミがあきれた顔をして目の前に突っ立っている。
「見られようが見られまいがオレの知ったこっちゃないんだよ。名前を残すことに意義があるんだから」
「一生やってれば」
「うるさいな、何しに来たんだよ」
「ねぇ、ちゃんと言ってくれたんでしょうね」
「はあ?」
「『はあ』じゃないわよ。フミトにちゃんと言ってくれたんでしょ。約束したじゃない!」
約束など守っているはずがなかった。その場ですぐ忘れてしまったのだから。だが、場所が場所だけに「忘れてたよ」と軽々しく言えるような状況ではなかった。そんなことを言ったら、フミの怒りのひと突きでマサは海の藻屑と化してしまう。
「当たり前だろ。あれからすぐ言ったよ」
「それで、どうだったの?」
「フミトのほうが心配してたよ。全然話しかけてくれないし、マサとばかり一緒にいるし、フミに嫌われたんじゃないかってね。おまえが話しかけさえすれば何も問題ないんだよ」
「本当にそう言ってたの!」
「おまえに嘘ついてもしょうがないだろ。ほら、フミトひとりで暇そうにしてるじゃん。行ってやったら喜ぶぜ」
フミは喜びながら、フミトのほうに走っていった。とりあえず命はとりとめたマサではあったが、そのうち真相を知らされたフミが戻ってくるのではという恐怖心があったので急ピッチで彫刻作業を進めた。マサの心配とはよそに二人はいい雰囲気でずっと海を見ていた。マサはフミトが女好きであることを思い出した。
「まあ、フミだって性格さえ目をつぶれば、それなりにいい女だしフミトだって悪い気はしないだろ」
命の恩人でもあるフミトにマサが感謝するはずもないが、もとはといえばフミトが女好きになったのはマサの責任だった。
入学当初のフミトは日本に残してきた彼女のことばかりを考えていた。だから積極的に女の子と話すことはしなかったし、もちろん女遊びなんてしなかった。
マサとフミトは酒を飲みながら夜通し討論することがよくあった。この日のテーマは「女」だ。
「こんなに女がよりどりみどりなのに、遊ばないなんてもったいないよ。そんなの自然じゃないし、自分に嘘ついてるだけじゃないか。もっと素直に生きた方がいいよ」
まあ、この程度のこじつけだらけの話ではフミトは納得しない。マサだってこれぐらいで説得できるとは思っていない、これはマサ特有の前振りなのだ。マサは本題に移った。
「IEIの日本人女性には気の強い女が多いだろ。なんでそうなのかわかるか?」
「そういう奴がここに集まるんだろ。ここはロスやニューヨークのように都会じゃないし、遊ぶところはなにもない。こんな田舎を狙ってくるってことは本気で英語の勉強をしたいわけで、遊びや男には興味はないんだよ」
そうフミトは説明した。
「確かにそれもあるかもしれない。でも残念ながら人間はそんなに偉くない。オレはここにいる女は欲求不満なんだと思う。妙にツンケンしてるのは、性欲をちゃんと処理してないからなんだよ。日本人は自分の感情を出さない性格だから外国人の友達も作れない。結局日本人としか話さなくなる。だから英語力も上達しない。上達しないからあんなにいる外国人男性と話すことがますますできなくなる。そして欲求不満になり、どんどん孤立していく。悪循環の繰り返しさ。
日本人男性が4人しかいない学校なんてめったにないぜ。おまけにオレたち以外はゲイとデブだろ。女と遊んでやることは一種のボランティア活動なんだよ」
「それって都合よすぎるんじゃないか」
「都合がいいんじゃなくて合理的なんだよ。英語を覚えたいんだろ。だったらそのための手段は選ばないことだよ。ここにはいままでフミトの心の支えになっていた彼女はいないんだよ。そんな堅いこと言ってたらフミトもIEIの女たちのように欲求不満で孤立することになるって。そんな向上心のない奴ならオレだってグラマーを教えたくなくなるよ。アメリカ生活を長く続けたいのなら、無駄な悩みはしょい込まないこと。これが大事さ」
フミトに対してアメリカ生活どうのなんて言える立場ではなかったが、実際、傍から見ればマサには悩みがなさそうに見えたし、「合理的」という言葉を持ってくるあたり妙に説得力があった。
次第にフミトはマサの意見に共鳴しだし、そして自分を正当化していった。男なんてそういうものなのかもしれない。
フミトとフミは相変わらず海を見ていた。マサはご機嫌だった。プロセスがどうあれ結果的にフミの悩みを解決したわけだから、こういう場合も「愛のキューピット」と言うのだろうか。少なくともマサはそう思っているようだ。
だが、マサの顔には暗雲が立ちこめてきた。理由は二つある。ひとつは名前を岩に大きく彫りすぎたため最後の字を小さくせざるおえなくなったこと。もうひとつはフミが調子に乗りだしてきたことだ。
フミはフミトの肩に寄り添いだした。マサはいやな予感がした。フミトは根は真面目な奴だからそれ以上エスカレートするとまずいことになる。と思ってる間もなくフミは次なる暴挙にでた。フミトに抱きつき始めたのだ。これではどっちが男でどっちが女かわからない。
マサの予感は的中した。フミトはフミの腕をはらうと立ち上がった。続いてフミも立ち上がる。とうとう口論が始まった。フミトはかなりエキサイトしてるようだ。声がマサの場所まで聞こえてくる。激しい口論の末、フミトはその場を去り、フミはその場にうずくまった。
「まったく、人の親切を無駄にしやがって」
英語と日本語で名前を彫り終わったマサは、フミが海に飛び込まないことを祈りながら、その場を去った。
マサはジョーに会いに行こうと思ったが、岸壁の下で写真を撮っていたので諦めた。いったいどこから降りていったのか見当もつかなかったからだ。
「Hi JOE!」
しょうがないのであいさつだけすると、ジョーは上を見上げてニコリと笑った。
行き場のなくなったマサは、次にやることを必死で考えはじめた。が、その必要はなかった。誰かの視線を感じたからだ。というより目の前にユーヤが立っていた。
ユーヤはマサと目が合うとそらしてしまった。
気まずい雰囲気が流れる。
マサはフミトにユーヤと和解するといったことを思い出した。もちろんこの約束もフミの場合同様、とっくに忘れていたのだが。
「あっ、日本人だ。こんな所であうなんて奇遇だね」
「・・・・」
気まずい雰囲気は続行中。
とりあえずマサから口火を切ってみたのだが空振りに終わる。ここでくじけてはならないのだが、マサはすでにカチンときている。
「なにふてくされてるんだよ。全くガキだなあ」
「なによ偉そうに、ちょっとぐらい年上だからっていい気にならないでよ」
「これでも、年相応の生き方はしてきたつもりだけどね」
「いうことがいちいち頭に来るのよ。あんたと一緒だって知ってたら、こんな旅行、絶対来なかったのに」
「なに怒ってんだよ、あの時のこと、まだ根にもってんのかよ」
「当り前でしょ。あんたみたいな単純人間とは違うのよ」
「おめえはアホか。悪いのはそっちの方だろうが、全く少しは反省してるかと思えばこれだ。つきあってられないよ」
「あんたが勝手に話してんでしょ。私はあんたみたいな口ばっかりの人が大っ嫌いなの。中身なんかなにもないくせに偉そうなことばかり言って。もう私にはかまわないで、向こうへ行ってよ」
「なんだよ、こっちが下手に出てればいい気になって、なんか知らねぇけどこうして旅行してしまってるわけだろ、だから仲良くやろうと思ってんじゃないか。」
「もういい!、あんたの話なんか聞きたくない。お願いだから、私にかまわないで」
「勝手にしろ!」
これが、ユーヤとマサとのこの旅行最初のまとも?な会話だった。
絶望的である。