これで僕もプログラマー
SC-3000を買ってからというもの昼夜を問わずBASICの修得にいそしんだ。例え、テストで赤点を取ろうとも、追試になろうともだ。
その時のバイブルがBASICマガジン誌であった。他のパソコン誌では取り上げられることのないマイナーな機種も含め当時50機種以上のプログラムを毎月掲載していた。SC-3000もご多分にもれず、他のパソコン誌にプログラムが掲載されることはほとんどなかった為、毎月プログラムが掲載されるBASICマガジン誌は非常に有り難い存在であった。
また掲載されたプログラムへのワンポイントアドバイス的なコーナーがあり、このコメントを繰り広げるDr.D、編さん、影さん、編集長と言ったキャラクターと、森くん、高橋はるみちゃんといった常連の投稿陣が当時の誌面を盛り上げていた。
そしていつしか自分の作ったプログラムがこのBASICマガジン誌の誌面を飾ることを夢見つついよいよ自分でプログラムを組むことになる。
当時のパソコンでは、プログラムセーブと言えばカセットテープが常識の時代であったが、フロッピーディスク搭載パソコンも発売され、普及の兆しを見せ始めていた。当時のフロッピーディスク搭載機は高価であった為、3.5'FDに形状の似たクイックディスクなるものが登場し、MZ-1500に搭載されたがその後どうなったかは定かでない。
SC-3000では家にあったラジカセにオーディオケーブルで接続し、プログラムをセーブしていた。120分テープなら片面60分なので相当の大きさのプログラムをセーブ出来そうだが、それ以前にそんな大きなプログラムはパソコン本体に入るはずもない。
SC-3000のメモリの大きさは、購入するBASICのカートリッジにより違っていた。Z80では最大64Kのメモリを管理することができた。今の私のパソコンの1000分の1の大きさのメモリである。しかもSC-3000では悲しいことにこの約半分をBASICのインタプリタで占められる為、使用できるメモリエリアが最大であるBASICカートリッジLevel3Bでも32KBには及ばず、私の持っていたLevel3Aでは約16KB、Level2に至っては約500Bという容量であった。(500KBではなくて500バイト。半角500文字分である。)
しかし、当時の8ビットパソコンはLevel2の500Bは少なすぎるとしても、どれも似たようなものだった。
それゆえ当時は、いかにハードの限界性能を引き出すかという戦いであった。
また、よく聞いた話だが、BASICのプログラムを作っているとBASICの実行エラー音にかなり過敏に反応してしまうと言う症状が現れる。SC-3000ではエラー音がBASICのBEEP音の何番かに対応しており、このBEEP音を使ったゲームを実行すると精神衛生上非常によくなかった。
そして苦労の末、ようやくプログラムを作ってBASICマガジンへ投稿することができた。その記念すべきプログラム第1号は気球にのって爆弾を打ち落とすと言うゲームだった。「ゼビウスもどき」を目指して作り始めたプログラムだったが、結局もどきにもならなかった。自分でやってみても面白くはなく、結果は不採用。
それでもめげずに、プログラム第2号を作成し投稿した。そして、ある日家に一本の電話がかかってきた。それはBASICマガジン編集部から採用を知らせる電話だった。高鳴る胸の鼓動とは裏腹に電話の対応はなぜか冷静だった。
掲載されたBASICマガジン誌と原稿料\10,000から源泉徴収税\1,000が引かれて\9,000となった小切手が送られてきた。バカボンのパパが小切手を手に入れて使いまくるというストーリーを思い出した。
その後、2回投稿したうち中1回採用される。高橋はるみさんの名作メテオをLevel2に移植したものだった。
その後プログラムを作るも、ある程度までできると最後まで完成させることなく次のプログラムを作り始めるということを繰り返していた。段々とSC-3000の限界が見え始めてきていた。
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