嫌な予感がする。
美紗はまわりに何も言わずに授業を休んだりしない。
僕が心配することはもちろんわかっているし、
迷惑をかけて平気で居られるような神経も持っていない。
そんな勝手な事はしない、確信があった。
それはつまり、僕の本当の不安を意味していた。
歩く足が止まり、すぐまた走り出す。
ここで逃げてどうする・・・
引き返しそうになったその足はまた、歩みを始める。
重い足を無理矢理動かし、鍵を取りに行く
通り過ぎる風景をにらみつけながら、僕はすぐに246教室へ向かった。
さっきの体育で女子が更衣室に使用したはずの部屋。
一番最後に美紗が入ったであろう部屋・・・
その僕の足取りは今まで感じた事の無いほど重く
触れた廊下、階段、全てを強く押し出す
それだけの役割でしかなくなっていた
もう、走っている感覚さえ僕には無かった
何も考えられなかった。
246教室の扉が見える
明かりはついていない
静まり返るその更衣室は
授業中の廊下と同化して
なお静かで冷たかった
・・たっ、
部屋の前で立ち止まる、もう居ない・・・か
コンコン、美紗、居るか…
何かが中で動く。
比呂人:「美紗、居るのか」
???:「・・・ゃ・・・」
比呂人:「ちょっと待って、今鍵開ける」
???:「・・・やだ・・・」
比呂人:「・・・どうした?」
???:「来ちゃ・・・だめ・・・」
鍵を取り出そうとした比呂人の手が止まる。
比呂人:「どうした」
???:「わた・・・大丈夫・・・から・・・」
比呂人:「何も聞いて無いのに大丈夫なんて言う時は
十分大丈夫じゃないよ」
???:「・・・」
比呂人:「ごめん、入るから服着てなかったらすぐ着て」
???:「や、ダメ!!」
無理やり部屋の鍵を開け、扉を開ける。
初めて見る風景、立ち入る事の無かった領域。
なのにその部屋が違和感に包まれていることはすぐにわかった。
そこにはいくつもの「物」、そして部屋の隅に縮こまっている塊が居た。
扉を閉める。
比呂人:「これ・・・」
その光景から僕は思わず目をそらした。
足元には切り刻まれた制服のスカート
折れ散らかったモップや箒
満遍なく水浸しの床
引きちぎられた体操着
ボコボコのロッカー
壊れた鍵
歪んだハンガー
そして
見た事の無い栗毛の女の子が居た
比呂人:「・・・」
美紗 :「・・・」
見た事の無い塊は
見た事の無い美紗だった
美紗は
今まで僕の前で笑顔を絶やした事は無かった
怒っているときも
泣きそうなときも
必ず僕の顔を見れば笑ってくれた
なのにここに居る美紗に表情は無かった
ただ頬を涙が伝っていた後だけ
僕に向けられる視線からは
微塵の生気も無かった
何かをあきらめたような
遠くをただ何時間も見据えているような
信じる物を失ったような瞳
側にある制服だったであろう
布切れを胸に押し当て呆然とするその女の子の
あまりにも悲しいその視線に僕は負けそうになった
比呂人:「・・・怪我は」
美紗 :「・・・」
額を少し・・血が伝っている。
自分のブレザーの上着を美紗にかける。
ビクッ、と一瞬驚いた、・・・震えている。
美紗は僕と目を合わせようとしなかった
比呂人:「・・・こっち見て」
美紗 :「・・・」
比呂人:「早く見て。」
美紗 :「・・・」
恐る恐る
こちらを向く純な瞳
暗い瞳の底を見る僕は
水の中の散った花弁を見たような気分だった
まるで誰かに許しを請うような
何かに怯えるような
哀しみに満ちた目は僕を見る
わかってる
この子は何も悪くない
僕は、目を細めそうになるのを必死でこらえた。
一度でも哀れみの視線を送ったなら
僕の行動は全て意味を失ってしまいそうだったから。
美沙も、そして僕も救われなくなる、そんな気がしたから。
虚ろなガラスのような瞳がこちらを見る
美紗は目を合わせた途端
何かが溢れ出すように泣き出した
自分の中に溜まった嫌な感情を
自分の視界に入る全てを
全てを流してしまいたいような
そんな泣き方
僕はしばらく頭を抱え
気が済み
泣きやむのを待った。
優しく頭を撫で
大丈夫だよと
意味もわからないのに何度も声をかけた
何度も何度も
救いになるのかもわからない言葉を投げかけた
ただただ涙が
美紗の涙が枯れることを待った
少しでもこの子の気が晴れるなら
何日でもこうしていてやりたい
代わってやれるなら、
どんな苦しみでも受け入れてやりたかった。
握った拳から血が流れた
抑えられない汚い感情は
僕の汚い血液と一緒に外へ流れ出した
この日僕は
殺意を知った
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その後
僕は美紗を保健室へ送り届けた
保険医は何か言いかけたが
何も聞いてはこなかった
ただ僕を信用してくれているようだった
こんな有様の美紗を連れてきたのに
僕が疑われなかった事に驚く余裕もなく
美紗をベッドへ降ろした
今は少しでも早く、落ち着く場所へ届けてやりたかった。
寝付くまで側に居てやりたかったが
保険医は授業を受けてきなさいと言った
これ以上僕が授業に出ないとまた
美紗が責任を感じるかも知れないと思い
僕は
素直に従った
教室の扉を開ける
英語の授業中だったが
そんなこと気にしている
心の余裕は無かったのですぐに席についた
この女教師は臆病らしく
生徒に向かって何かを
注意している姿は見た事が無い
教師の職を全うする気が無いのだろう
席につくとすぐ顔を伏せた
この感情を今高ぶらせてはいけない
これ以上僕の感情が高ぶれば
何が起こるかは分かっていた
深い
ただ深い眠りに
少しでも早くついてしまいたかった
そのとき、教師の顔色を伺いつつ
小声で横の女子生徒が話しかけてくる
生徒 :「大丈夫でしたか?」
比呂人:「・・・」
生徒 :「さっき保健室に運ばれたんで、凄く心配しました…」
比呂人:「・・・大丈夫」
ぶっきらぼうに返す、今はそれが精一杯だった。
誰だったろうか…数回話した事があった気がする女生徒だった
生徒 :「あの、この手紙呼んでください」
意味不明な言葉を受けた
僕は意味がわからなかった
黙ってその綺麗な便箋を鞄に入れると
物欲しそうな顔をする横の女生徒にも
全く気づきもせず僕は眠りについた。
もう見飽きた説明が心地よく耳に響く
雑音でしかないその教師の声は
眠りにつくには丁度よいお経だった
少しでも早く
授業に早く終わって欲しかった
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放課
まっすぐ保健室へ向かおう
自分の筆記用具を鞄にしまう
保健室に行ってそのまま帰ろう
そう思い美紗の机の上に置かれたままの
可愛らしいデザインの筆箱を美紗の鞄にしまう
美紗の鞄も一緒に持ち教室を出た
保健室
美紗が無事であるよう願いながら扉を開ける
今日ここの扉に触れるのは何度目だろうな…
中に入ると体を起こし
保険医と何やら会話をする美紗が居た
比呂人:「美紗。」
美紗 :「あ、比呂人さん・・・」
保険医にも軽く挨拶をする
自分の机へと体を移し席を空けてくれた
仕事を始める保険医
その保険医を横目にすっと美紗の側の椅子に座る
僕は二つの鞄を床に置く
ふと何かを思い出したように少し照れる美紗
ここまで美紗を運ぶときの格好にももう少し
気を使ってやればよかったかも知れないな
少し後悔した
多少気分も回復したのか
さっきに比べれば幾分も顔色は良くなっている
比呂人:「…具合は?」
美紗 :「え、だ、大丈夫大丈夫!もうほら、ピンピン!」
両手を開き勢い良く
天高く付き上げる美紗
比呂人:「…良かった」
僕が軽く顔を崩して笑うと
美紗に一瞬暗い表情が見えた
どんな人間でも、嘘の表情を出せば
表情に一瞬本音が出ると聞いたことがある
美紗は僕に嘘を付いている気分なんだろ
無理はさせたくない
僕が無理しないでいいと言うより先に
少し照れたように見上げてくる美紗が照れながら言った
美紗 :「さっきは・・・その・・・ゴメンね」
比呂人:「あ・・・」
美紗の方が一枚上手だったようで
僕の言葉はさえぎられた
僕に大丈夫だとアピールしたいのだろうか
結果的に無理させるなら僕のせいか…
だがここは美紗に合わせてやる事にした
美紗との長年の付き合いから
僕の「気づかないフリ」もさまになってきたと思う
比呂人:「帰れるか?」
美紗 :「うん、鞄取って来るね」
よ、っとベッドがから出る美紗
比呂人:「ん、鞄」
美紗の鞄をさっと差し出す
美紗 :「わ、ゴメン…や、違うよね、鞄『ありがとう』!」
学校指定の鞄だ
この学校は制服か鞄が
指定の品以外だと入校すらできない
こればっかりは美紗とおそろいにならざるを得ない
美紗は毎度毎度僕の鞄と見比べて軽く笑いこういう
美紗 :「おそろいだね。」
比呂人:「そうだな」
何回この会話をしたかもわからない
いつも僕は軽く相槌を打つ
制服は学校のものを借りたのだろう
いつもどおりの格好をした美紗は上履きを履くと
一度クルッと回って見せる
微笑む僕
比呂人:「じゃあ帰ろう」
美紗 :「うん!」
パタパタと出口へ向かう美紗
教室を出る時後ろを振り返る
少し険しい表情をした保険医
直後こちらを黙って見ていたかと思うと
パッと明るい表情になる
比呂人:「…さようなら」
保険医:「おー、気を付けて」
言いたい事はわかる
でも保険医もあえてそれは言わなかった
僕は軽くため息をついた
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帰り道
近頃誰とも一緒に帰った事の無かった道
僕が故意に避けていたのもある
これ以上美紗の価値を下げたくなかったから
僕と居る事で美紗の可能性を潰したくなかったから
美紗 :「へへえー」
比呂人:「・・・どうかした?」
美紗 :「比呂人さんと一緒に帰るの、なんだか久しぶりだよねっ」
比呂人:「ん・・・ああ、そうだな」
美紗も薄々気づいていたのかいなかったのか
あえてあけていた距離をつめてくる美紗
正直僕は少し気が引けた
自分の存在が後ろめたかった
いつもより明るく振舞っている美紗
合わせてやら無くちゃいけない
───何かしてやる、そんな言い回しはおかしいかもしれない
僕には今美沙に合わせる義務がある
僕の責任
何があっても今は美紗を見なければいけない
目を反らしてはいけない
あんなに辛いことがあったのに、美紗は
何事も無いほどに明るく努める
僕は自分の存在のちっぽけさを痛感する
この子は凄く弱く、そして強かった
自分より他人を守る事で、自然と周りから守られるような
不思議な魅力、僕には真似出来ない強さ
そのときだった
美紗 :「あのねあのね、この前散華ちゃんがねぇ」
僕の前に立ち後ろ向きに歩く美紗
不意に轟音とけたたましい音が僕たちを包んだ
トラックのクラクション
時が止まった
振り返る美紗
もうトラックはそこまで来ていた
間に合わない
理屈ではなく直感的にそう感じた
僕は ・ ・ ・
また
過ちを
おかした
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「あの日」
第ニ話「大切な」Ver.04/01/06
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