|
|
|
MPEG忍者って誰? MPEG忍者の実態は、杉山昭彦 (Akihiko K. Sugiyama)。MPEGでは、Ken Sugiyama として知られる。1989年から、MPEGオーディオ標準化に参加。MPEGオーディオは、ISO/IEC JTC1/SC29/WG11傘下にある Audio Subgroup が標準化を担当している。1992年7月のAngra dos Reis 会合(ブラジル、リオデジャネイロ近郊)では、Audio Subgroup 臨時議長を務め、MPEG-1 Audio のConformance Testing Draft (標準合致試験規格草稿)をまとめた。 なぜ、MPEG忍者と呼ばれるのか? ISO/IEC JTC1/SC29/WG11の Convenor (議長)は、イタリア、CSELT の Leonardo Chialiglione (レオナルド・キャリリオーネ)である。1994年まで、MPEG会合日本代表団のオーディオ部門とりまとめをしていた関係で、MPEG会合でオーディオに関して、日本の状況を聞かれたり、日本の見解を求められることがあると、答える立場であった。あるとき、大きな階段教室で全体会合が開催された際に、日本の状況説明のために、階段の下、すなわち、正面のステージに出て行く必要があった。このとき、階段を一段飛ばしに駆け下りたところ、キャリリオーネが "Oh, MPEG Ninja!" と叫んだ。これ以来、MPEGの世界では、MPEG忍者として知られることとなった。と言っても、1994年に最初の引退をして、MPEG活動から身を引き、さらに参加者も入れ替わってしまい、いまやMPEG忍者を知らない人々がMPEG標準化を行っている。 「最初の」引退とは? それは、これまでに3回、MPEG活動を引退しているから。最初は、1994年7月。MPEG-1/Audioの標準化が1993年に終了し、MPEG-2/BCも終わった頃、最初の引退をした。従って、MPEG-2/AAC(当時)においては、標準化の表舞台には登場しない。時は過ぎて、MPEG-4標準化最終段階の1998年。MPEG忍者は、所属する組織の提案を通すために、MPEG標準化に呼び戻された。MPEGオーディオサブグループ内の人脈と(英語による)交渉力が功を奏して、MPEG忍者復活は成功をもたらした。そして、1998年12月に、2度目の引退。さらに時は過ぎて、2002年10月。MPEG忍者に再び復活の機会がやってきた。1994年と同じように、所属組織の提案が危ない。厳密に言えば、所属組織は変わっており、隣の組織の提案である。しかし、同じ会社。組織を超えた復活要請に答えて標準化に参加したMPEG忍者。もちろん、提案は採択され、3度目の引退が2002年10月にやってきたのだった。そう、たった一ヶ月の復活だったのだ。 3度目の眠りについたMPEG忍者。次に復活するのはいつなのか、誰も知らない。 2003/02/10 09:13:38
|