LONG TIME AGO 日本にパソコンが 黎明期を迎えた頃 モニターと記憶装置が 付けられるようになった時 パソコンはその歩みを始めた 第一章
PC6001
時は1980年、アポロ11号が月面に降り立って10年が過ぎようとしていた
アメリカではTandy,そしてAppleがAppleUを発売
ソードが国産ビジネスマシン(8インチFDベース)を開発
マイクロソフト副社長だった西氏が帰国、国産初のコンブ雑誌アスキーを発刊 
それまでコンピューターと言えば冷房室にそびえ立つ磁気記憶装置の列を指し
個人が所有できるものではなかった
身近なコンピューターといえばゲーム喫茶・ゲーセンのゲーム機であり
子供向けコンシューマーゲーム機だった
まだ汎用性が命のコンピューターとは言えなかった
そして数字だけのLEDキットを脱し、ついに本格的なモニターを接続できるマシンが発売される
NECの名機PC-8001である
16kのBASIC ROMと16kのメモリRAMを積み、記憶装置としてテープレコーダーを接続できた
価格はふつうのサラリーマン1ヶ月の給料では到底買えるものではなく
ボーナス全てつぎ込んでもどうかというものであった
就職したばかりの私には手が出せず、ボーナスでPC-6001を買う事となる
このマシンは一応コンシューマー用途で開発されたものだが
とても子供に買える価格ではなかった(笑)
このマシンの最高傑作はなんといっても「オリオン」(擬似3Dシューティング)につきる
ほとんどマシン語(ML)で記述されていたため、そのスピードは現在のアーケードゲーム並であった
しかもテーマ・ミュージックはインディ・ジョーンズ(爆)
この頃音程の出せるマシンは、PC-6001だけだったように思う
このマシンで増設ROMをいれてマシン語やろうとした馬鹿はσ(^_^;ワタシだけ?

第二章
PC-8001MkU
コンピューターの楽しさに目覚めた私が、次にローンで買ったのはPC-8001MkU
文字通り8001の後継機種であり、価格も安くなったような記憶がある
この頃テープレコーダー(データレコーダーと呼ばれていた)から
記憶装置が5インチフロッピーに替わっていく
FD(2D=320K)一枚が、一番安かったもので1,000円
ドライブはNEC純正で実売20万、TEAC(NECのドライブもつくってた)で14万した
MIDIの歴史は以外と早く、この頃既に素晴らしい音を出していた
アスキー提唱のMSX規格パソコンも出た
この頃はデジタル・リサーチがDOSをリードしていたし、CPUはザイログZ-80(INTEL8080上位互換)
私はアセンブラにはまり、またデジタルリサーチの勉強をしていた 
........当然ものにはならなかった(爆)
UNIXやっとけよ...┐('〜`;)┌
このマシンの最高傑作は「プリンセス&ウイザード」(シェラのアドベンチャー)だと思う
光栄は「信長の野望」とか「ノルマンジー上陸作戦」をテープで出し
今となっては社史から抹殺したいだろう「団地妻のxxx」ヾ(・・;)ォィォィ(爆)をつくってた
JUSTシステムも子会社だがHソフトつくってた
全ては黎明期のことであった
第三章
PC-8801MkU
ハード的にはFDが2DD(640k)になり、IBMがパソコン市場に乗り出した
アップルがAPPLEUc,RISA,マッキントッシュなどを出すが業績低迷
ついにジョブズはアップルを追われることとなる
そりゃそうだRISAやMACはマウスは積んでいたが、モノクロでローレゾおまけに価格150万
しかも致命的なことにイラストレーターがなかった!!
一方BASIC屋だったマイクロソフトがDOS分野へ躍進しはじめることとなったが
日本市場ではまだ対岸の火事でありDOSよりもBASIC花盛りであった
この頃からなんとかプログラムに日本語が入れられるようになった
このマシンの最高傑作はなんと言っても「ウィザードリィー」(RPG)
ちなみにファミコンが発売されるが、7000円くらいで投げ売りされていた
ところがマリオが出るや、いきなり14000円の定価販売でも在庫切れの始末
やっぱりソフトなければただの箱....
任天堂はこの間違いを3年前もやってしまった
第四章
PC-8801MkUFR
この頃ついにMS-DOSの高まりは急速に接近するが、最先端に取り残された私は
ゲームに没頭する(爆)
というのもこの頃より明らかにゲームのクオリティが上がり
バグだらけのソフトとか訳の分からない(`_')ゲーは淘汰されていく
このマシンの最高傑作と言えば「ザナドゥ」(日本ファルコムARPG)しかない
それまでの動きとは全く違う画期的作品だった
またこのマシンを買ってFDDを増設するが、内蔵のフラットケーブルが届かない
ジャンク屋でケーブル買ってきて適当にソケットつけたら動いた...ヘ(^^ヘ))))... ...((((ノ^^)ノ ウヒョヒョ
この時からコンピューターも真空管テレビも一緒だと思えてきた(^。^;)
第五章
PC-286E
ついにBASICと決別の時がきたMS-DOS2.1で足場をがっちり固めたマイクロソフトは
デジタル・リサーチを葬り去り ついにOSのシェアを万全なものとしていく
一方,アミーガ,MAC,タウンズ,X6800といった機種はGUIを強化し、AVパソコンとしての主張を始める
そんな中、NEC9801のエピゴーネンとしてエプソンが出したのがPC-286である
16ビットマシンで安く、これで動かない9801のソフトはなかった名機である
このマシンからHDDを増設するようになった 80Mで14万....
最高傑作は「大戦略」(シュミレーション)シリーズ
思考ルーチンはスーパー大戦略が一番強い
サード・メーカーの難解マップ集もよかった
第六章
PC-386
やがてHDDのバックアップをどうするかという問題がでてきた
FDDは2HDで成長をやめていたし、ストリーマはテープで時間がかかった
そして登場したのがMOである 128M1枚5000円
サイリックス等のCPUアクセラレーターも流行する
486の16MHz 今とは比べようもない(笑)
このマシンの最高傑作は「A3」(シュミレーション)だろう
ARTDINKが、いち早くHDD対応のソフトを量産し始めた時の傑作である
第七章
TOWNSU
この頃どうしてもビデオ編集をしたくなって買ったマシンである
MAC AVはまだ80万くらいしてたし、アミーガは200万('_`)ウゥ
そこでトータル50万くらいかけてTOWNSを強化した
24M(8Mx3) RAM 12万あうぅ
HDD320M 2本(;゚゚)ウッ!
LANC装置ETC...
カット編集とエフェクトマシンでしかなかったが(レンダリング等の取り込みはなし)
結構活躍してくれた 当時デジタルデッキが無かったのがネックだったが...
このマシンの最高傑作は「ビデオ編集」
ゲームなら「falcon」かな
ソフトがCD-ROMで供給されるようになったのもこの頃だ
第八章
PAL-8000
これは自作マシンである 今はまるで違うスペックになっているが(笑)
M/B ASUSTec P/I-X55T2P4
SCSI ADAPTEC2940UW
HDD IBM UW2G*4台
G/B MATROX MILLENIAM4M
CAPTURER CANOPUS VC PCI
JAZ IOMEGA 1G
CD-R LOGITEC LCW-748
このスペックなのにCPUはP-133(当時最高のCPUはP-200)
このミレニアムというボードは名品だ 今なお使っていて見劣りはしない
傑作は最近2もでたが「ADVANCED大戦略98」(シュミレーション)かな
第九章
PAL-9000
おくればせながらこのマシンからインターネット接続する
やはり自作マシンである現在3度目の大改造が終わった
M/B ASUSTec P3B-F
SCSI TECRAM DC-390U2B
HDD SCSI UW14G
IDE 10G
G/B SPECTRA3200
+MILLENIAM4M
JAZ IOMEGA 2G
CAPTURER CANOPUS RAPTOR
ZIP SCSI IOMEGA 100M
CD-R LOGITEC LCW-748
CPU CELELON466MHz
FAN    8枚(爆)
傑作ソフトは今のところ「信長の野望INTERNET」かな
友達も多くできたし
1999.12.21頃サーバを増設WANとなる
未完(笑)

最終更新日1999年12月24日