本多勝一氏、朝倉泉の文体に強く影響を受ける


桜ヶ丘中への道
 先日、たまたまおもしろい記事を見つけた。雑誌「潮」1982年6月号に掲載された 本多勝一氏「貧困なる精神 連載64」である。以下は、その抜粋である。
「三流人間がなぜ「高級」官僚になるか」
 −役人は低能で無知で馬鹿だから人間の宝を滅ぼすのだ−
 北海道の国有山林は、乱伐による荒廃で刻々と滅びつつある。 ・・・・山の荒廃をまのあたりに見ている地元の住民は、この原因を「林業界と林野庁役人がツルんで国有林を私物化しているからだ」と信じている。
 ・・・・林野庁の官僚は・・・・どうして、そんなにまで、人類の宝を・・・・滅ぼしたいのだろう。
回答は次の二つ以外には考えられない。
 第一 業者からワイロその他利益を得ているから。
 第二 低能で馬鹿で無知で人間の質が三流品だから。
・・・・直接的三流人間役人・・・・が放置されている傾向にある。
 あるアイヌ青年と話していたとき、「どうしてまた、高い教育を受けたはずの、アタマのいいはずの 高級官僚が、こういう馬鹿なことをしているんでしょうかね」と彼はふしぎがった。・・・・ 「そうですね。それは彼らが本当の高い教育を受けていないのと、アタマが悪いのと両方でしょうね」と 私は以下のように答えた。
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 いわゆる「高級」官僚になるコースには、普通は大学の法学部を出る場合が圧倒的に多いことはご存じでしょう。 ここにまず第一の問題があります。・・・・そもそも大学で法学部を選ぶ学生は、どういう動機でそれを決めるのでしょうか。 ・・・・私の高校時代(長野県)の同級生らの場合をみると、次のように三大別できるようです。
@ 家庭の経済的事情で、ともかく有利な就職をして早く稼げるようにしたい。
A 権力側に可能な限り登りつめるには法学部が一番有利だから。同時にカネのモウカル道だから。
B 法律そのものが好きで、たとえば弁護士になって理論闘争するのが趣味。
 私の知る限り、右の中でBはゼロだったように思います。@とAとを比べると、@の方がやや多いでしょう。 考えてみると「親友」といえる中には法学部に行った例は二人くらいしかなく、いずれも@でした。
・・・・しかし日本の「経済発展」の結果、・・・・@の学生は「家庭の事情」というより、「ほかに特に好きな 道がないので、ともかく就職上のツブシのきく場として」法学部に進む例が多くなったのではないか。 ・・・・結局はほとんどが「とくに好きなことがない」消極型と「権力欲・金銭欲」としての積極型とになるでしょう。
 ・・・・今の教育体系は、幼少のうちにその多様な才能をむしりとり、「好きなこと」をなくすことに全力を傾け、 馬鹿げた「受験勉強」くらいしか能力のない子供だけが優越感を抱く「モノサシ一本教育」ですから、 真に優れた人間を育てる高い教育など思いもよらぬことです。 反対に他人を踏みつけ、文化の意味も環境の意味も理解できぬ三流人間が、右の分類でいえば Aの動機で「一流大学」の「一流学部」として法学部を選ぶことになります。
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 このアイヌ青年と別れた翌日の新聞は、「高級」官僚の天下りが史上最高で、とくに建設・製造業の重役が多いことを報じた。 マッチポンプでモウカル商売には三流人間がハエのように群がるものだ。これはまるごとの談合国家である。
 論旨は、本多氏いうところの「高級官僚」になりたがっていた朝倉泉と、まったく正反対のものになっているが、 その文体は、驚くほど朝倉泉の遺書と似かよっている。
 たとえば、本多氏の「第二 低能で馬鹿で無知で人間の質が三流品だから。」 は、朝倉泉の遺書、第一章「総括」部分の、 「1、エリートをねたむ貧相で無教養で下品で無神経で低能な大衆・劣等生どもが憎いから。」 や、第二章の「愚鈍で馬鹿で嫉妬深くて低能で貧相な大衆」とそっくりである。また、項目の立て方も遺書と酷似している。
 朝倉泉独特の言葉遣いである「劣等人種」「三流人間」「うじ虫のように群れつどう」「ハエのように群れる」と言いかえたことが せめてもの新聞記者(当時)としてのプライドか。
 もちろん朝倉泉のことは、一言も触れられていない。しかし、大新聞記者が、自分の攻撃対象である官僚についての論評に、自分が取材対象とした官僚志望の一高校生の文体を借用してくれるとは、 朝倉泉も「地獄の底で声をあげて笑ったにちがいない。」
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