人のふり見て、我がふり直せるか?
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今となっては、ダメダメなプログラムソースを見る機会が皆無に近いくらい減ってしまい、タイトルのようなことが出来ない面もあるが、昔、システム開発会社の一社員として働いていた頃は、まだ湯気が出てる、作った人、書いた担当者が存命(をぃ)な、ホットな、ダメダメソースを見せられていた(決して、自発的要素は大きくありませんでしたが)。 学ぶことはいっぱいあるんで、良いんですが、これも接し方と言うか、上司の方針や会社の方針やプロジェクトでの方針で、そのダメダメなまま残してしまうことは多々あるんで・・・私は、ほぼ、そう言ったことに抵抗し、ダメダメなプログラムソースは、全部書き換えてしまったりしましたが(^_^;) 私の主張と言うか、考えは、ダメなものは、なんぼやってもダメ、なんですよ・・・なんですよ(^^;) そりゃ最初の最初からダメじゃないこともありますが、ソースが一つの意味のあるシステムの一部なり全部なりで完成したと言える前に、システムに対する要求が変わり、ぐちゃぐちゃになっていくもの見たことあるし、また、完成した後、時間をおいて、追加の要求や機能の変更、削除などが発生し、元々作った主義主張哲学(大袈裟)を知らない別の担当者が手を加え、足で蹴飛ばし・・・ダメダメになって行くこともある。 でも、どういった場合でも、時間とともに、ダメダメ度合いが上がって行き、ダメダメにんっちゃったら、どりゃダメなんですって(笑) まぁ、最初からダメダメじゃないソースを見るのは、なかなか有意義なことなんじゃないかとは思います。人のものの考え方を取り入れたり出来ます。プログラムの構築パターンみたいなもんも見えてきたりもします。それを頂きたいものです(^^;) しかし、最初からダメダメなものの場合、変な色に染まってしまうと恐ろしいことになります・・・なんぼやっても、その人が作るプログラムソースはダメダメな方向に進んでいくと言う、初手から泥沼方向(爆) と言うことで、自分なりの感覚でしか無いかもしれないけど、人のふり見て我がふり直せるのも、基準や標準が無いと困ったことになるっつーことかな? |