2003年 9月
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@幻惑密室 (1998)
西澤保彦講談社文庫推理
402頁667円★★★

 社長宅に若手の社員が4人集められた新年会の折、彼等はとてつもなく奇妙な現象――ドアの外には普通の光景が見えているのに、どうしても家から外に出られない――に遭遇した。そしてその騒ぎの中で、社長は何者かに殺される。社長宅に当の社長の死体とともに丸一日以上缶詰になった後、彼等はようやく家から出る事が叶うが、彼等の感覚で一日以上経過した時間は、外の世界では60分しか経っていなかった。
 一笑に付されそうな彼等の証言(社員4人+酒屋の店員1人)に対するは、“超能力問題委員会”通称<チョーモンイン>の捜査官見習神麻嗣子と、セクシーな能解警部、そして売れない推理作家の保科の三人。

 「スコッチ・ゲーム」がいち早く文庫落ちしたので、同年出版の本書も年内に文庫が出るものと、てぐすねひいて待っていた。いや出ました。
 なんでこんなに期待したかというと、ネットのいろんな書評サイトに載っていた<チョーモンイン>シリーズが、わたしが昔好きだった、清水義範幻想探偵社シリーズのイメージにダブったからだ。なんと、著者自身も後書きで幻想探偵社について語っているではないか。さすがだ。
 というわけで、異例の“買って即読み”に入ったのだが…。

う〜〜む、あまり面白くないぞ。

 著者のいつものパターンで、事件関係者にあまり好い人間がいないからか。
 この表紙絵に退いてしまったのか。
 それとも神麻嗣子のキャラがあまりの萌え萌えネライで鼻につくのか。
 しかしそれはまさしく幻想探偵社の系譜だから、あまり考えたくはないが、年をとったからなのか…。

 こうなってくると、幻想探偵社シリーズを読み直してもやはり駄目なのだろうか。不安だ。
 少々頼りない主人公の一人称で、なぜか周りに美少女がいるというパターンでは、同じ作者の「魔獣学園」がさらに好きだったが、これは恐ろしくて読み直せない。

(2014/5/27改訂)

A塗仏の宴 宴の支度/宴の始末 (1998)
京極夏彦講談社ノヴェルス伝奇
613頁/635頁1200円/1200円★★★★

(1)ぬっぺっぽう
 関口のもとを訪れた雑誌編集者の妹尾が彼に話したのは、随分と奇妙な内容だった。ある警官が十二年ぶりに、戦時中一年ほど駐在していた村を訊ねてみたのだが、村民全員が消えていたという。村の建物自体は変わらず、人も住んでいる。しかし住人たちの顔に見覚えはなく、しかも彼等はその場所に七十年も住んでいるというのだ。一方当時の新聞には、村民全員が忽然と消えた風聞があるとの記事が。果たしてそれは錯覚か、それとも・・・。妹尾はこのネタで記事を書くことを関口に依頼し、関口はその奇妙な体験をした元警官とともに村へ向かう。

(2)うわん
 朱美が助けた村上という男は、おかげで死ぬ気が失せたと、彼女に感謝することしきりだったが、彼女が眼を離した隙にまたしても自殺を図ろうと試みる。村上の過去にはなにがあるのか。村上は『みちの教え修身会』に入信しているという。一方朱美の住む沼津には、鉦や太鼓を賑やかに鳴らしながら、『成仙道』の集団が集まってきていたが・・・。

(3)ひょうすべ
 京極堂のもとを訪れていた宮村という男は、街でひょうすべを見たという女性の話をする。その女、真美子は子供の頃に祖父と初めてひょうすべを見たというが、今回の体験を祖父に話したところ、そんなものは見たことがないと言われる。祖父は最近『みちの教え修身会』に多額の献金をしていたが・・・。

(4)わいら
 京極堂の妹敦子は、彼女が書いた記事で『韓流気道会』に恨まれ、付け狙われていた。敦子は自分も追われているという、不思議な雰囲気をまとった女とともに身を潜めるが、『韓流気道会』に踏み込まれ、危ういところを『条山坊』の通玄先生なる人物に助けられる。敦子と行動を共にする女は政界にも影響を持つという占い師『華仙姑処女』だったが、榎木津探偵事務所で彼女はこう告白する。「私は村人全員を殺して逃げた女です」と・・・。

(5)しょうけら
 男に付き纏われて迷惑している春子という女に、木場がいやいや力を貸すことになった。春子と男は『長寿延命講』で知り合ったのだが、春子は『藍童子』という霊感少年の助言で講をやめたという。その後春子のもとには、彼女の行動を微細に綴った男からの手紙が届き始めた…。

(6)おとろし
 織作家の茜は、親戚の羽田製鉄取締役顧問羽田隆三から、『徐福研究会』の資料館を造るにあたって、その手伝いをしないかと誘われる。その資料館の立地場所として、『徐福研究会』の会長東野は伊豆の韮山山中の一点を挙げる。一方羽田製鉄の本社移転の計画があり、同社の経営コンサルタント『太斗風水塾』の南雲が指した一点もまた、韮山の同じ場所だった。偶然と思えぬ一致に、羽田は茜に現地を見に行って欲しいと依頼する。

 個々の連作が、八つの怪しげな組織を介して緩やかに繋がっている。
 背後には軍部の動きや、「この世に不思議でないことなどない」と語る謎の男が見え隠れし、今回は最初からある程度の関わりを持っているらしい京極堂。
 「宴の始末」の後半で関係者は韮山の村へと集まってくるが、その派手さはまさに宴の賑やかさだ。大規模でトンデモな事件の構造だが、軍を絡ませるというのは、強引ながらも解釈をつけるいいアイテムではある。例えば「陀吉尼の紡ぐ糸」なんかのシリーズも、昭和初期が舞台の突拍子もない事件だが、やはり軍部が絡んでいる。戦後の影響がまだ多く残る昭和二十八年が舞台というのは良い時代設定だ。

(2014/5/27改訂)

Bおばちゃまはシルクロード
 Mrs. Pollifax on The China Station (1983)
D・ギルマン集英社文庫冒険
348頁648円★★★

 ミセス・ポリファックスがCIAのカーステアーズから今回依頼された任務は、中国に潜入し、新疆にある収容所から男を一人脱出させる、別の情報員のサポートをすることである。彼女はその情報員が誰なのかも知らされないまま、早速観光客として中国観光ツアーに参加する。ツアーにはアメリカからの雑多な面々が参加しており、その中に彼女のパートナーとなる情報員もいるはずだが・・・。

 どうやら6冊目のようだ。1巻からのワープだが、特になにも変わっていないな。

と思いきや
いつの間にか空手の茶帯になってる…!?

おそるべしミセス・ポリファックス。あんた幾つや。

 この本が書かれた当時は、中国は西側と交流が漸く出てきたあたりで、中国観光自体がかなり珍しかったようだ。もっとも2年前にわたしがこの辺りを訪れた時でも、西安では西洋人もそこそこ見かけたが、敦煌以西を訪れているのは、日本人かあるいは中国人の国内ツアーばかり、というのがわたしの印象だった。

 本書はシルクロード編とはいうものの、それに該当する街としては、トルファンウルムチだけ。たしかに原題に“Silk Road”の文字は入ってないから、これはシルクロード好きの多い日本人向けの集英社の深謀である。

 それはさておき、観光スポットとしては、トルファン近辺としてアスターナ古墳交河故城ベゼクリク千仏洞、そしてウルムチ起点として、記載内容からすると南山西白楊溝――わたしは行ってないが――が登場するが、敦煌はすっ飛ばされるし、莫高窟が無視されるのは、シルクロード・ファンとして悲しいところだ。先に地名を挙げた観光スポットでも、ミセス・ポリファックスはスパイ行為の完遂の為に気を張りつめているので、とてもシルクロードにロマンを感じるどころじゃないし…。  ま、アメリカ人にはしかたのないところか。

 それにしても、ウルムチとトルファン間の距離がやけに短く感じるし、天山タクラマカンを舐めすぎているような気がするが・・・。

(2014/5/27改訂)

C百器徒然袋―雨 (1999)
京極夏彦講談社ノヴェルス探偵
476頁1150円★★★

(1)鳴釜
 ある高級官僚のどら息子に姪っ子が陵辱されて、彼女は自殺未遂を図った。憤懣やるかたない“僕”は知人に相談するが、法的手段に訴えても勝算は低いだろうと言われてしまう。そのうえで、“調査も推理もせず”、“常識が通用しないのが最大の武器”で、しかし“秘密を暴く力を持っている”ある探偵を紹介され、薔薇十字探偵社を訪れるが・・・。

(2)瓶長
 泰日通商協定の成否に関わるという、砧青磁の甕を探すという依頼を榎木津が受けているらしい。挨拶に探偵事務所を訪れた“僕”は、甕だか亀だかもよく判らない内容に興味を覚えて、その内容を京極堂に話し、その場に居合わせた京極堂の妻から赤坂の壺屋敷なるものを教えてもらすが・・・。

(3)山颪
 “探偵一味”が解決した事件のあらましを聞こうと、“僕”は京極堂を訪ねたが、そこに同じく京極堂を頼ってきた常信から、彼の知り合いで長らく音信不通だった僧亮沢の不審な反応を聞く。亮沢がいる寺は、現在美食倶楽部になっているというが・・・。

 京極堂シリーズ番外編。本編は榎木津が主役で京極堂が従だと聞いていたが、多少榎木津の出番が多いとは言え、やはり締めは京極堂中禅寺の役割だった。このシリーズの薀蓄alで重層的な構造の物語の中で、トンデモな能力と戯画的なキャラクターで浮きまくっている榎木津だが、大暴れのパワーは持っているものの、ストーリーをまとめる力はないので仕方のないところ。
 どうにかこうにかオチがつくのは、京極堂の能力というよりは作者の神の力という気がしないでもないが…。

 わたしはあまり榎木津に必要性を感じていないが、冒頭の「鳴釜」は、事件が非道でやるせないこともあって、彼の傍若無人パワーが炸裂するのは爽快だ。
 連作を通しての“僕”については、なにか仕掛けがあるのかと思っていたのだけれど・・・。

(2014/5/27改訂)

Dニードフル・シングス 上下
 Needful Things (1991)
S・キング文春文庫ホラー
630頁/707頁733円/781円★★★

 キャッスル・ロックの町に、“ニードフル・シングス(必需品)”という名の雑貨屋がオープンした。町の人間は、そんな店がはたしてやっていけるのかと斜めに見ていたが、それでも一人また一人と店を訪れる。店の主人ゴーントさんが勧める品は、それぞれの客に妖しく所有欲を掻き立てるものだった。しかも、価格は格安。代わりにゴーントさんが求めるものは、他人へのちょっとしたいたずら、ただそれだけだったが・・・。

 「デッド・ゾーン」「クージョ」「ダーク・ハーフ」「サン・ドッグ」、有名どころでは「スタンド・バイ・ミー」の舞台となった、あのキャッスル・ロックが、満を持してついに壊滅。
 という魅力的なふれこみを受けて大事に在庫としていた。しかし漸く読んでみれば、著者にしては意外につまらない本であった。町の人々はオーランドさんに品物を見せられた時点で、すでに魔法がかかった状態になってしまっているので、言うなれば操られてるのと一緒。わたしが期待したのは、個々人の人格や理性はそのままに、微小な悪意の積み重ねが徐々に雪だるま式に膨れ上がって・・・、という流れであった。
 しかしキング作品を読むと毎回思うが、このネタでよく1000頁オーバーの小説を書けるものである。

 今回は、キング作品で馴染みの町、キャッスル・ロックの崩壊が客寄せ文句だった訳だが、考えてみればキングの他の作品でも、大抵似たようなメイン州の田舎町が舞台となっている。特にこのキャッスル・ロックに愛着を覚えるいわれもないような…。

(2014/5/28改訂)

E僕たちの好きなウルトラマン3 (2003)
宝島社特撮薀蓄
143頁1200円★★★

 題名の通り三冊目の筈だが、扱われているのは初代ウルトラマンウルトラQである。
 「1」と「2」はどういった内容なんだろ?

(2014/5/28改訂)

F人はなぜエセ科学に騙されるのか 上下
 The Demon-Haunted World:
 Science as a Candle in The Dark (1997)
C・セーガン新潮文庫
406頁/390頁667円/667円★★★★

 「COSMOS」という科学番組で日本でも有名になった――といっても、かなり昔のことになってしまうから、映画「コンタクト」の原作者と言ったほうがマシか――セーガン博士の渾身の一冊というべき本。上下巻700頁の中に、宇宙人やUFO、悪魔や魔女といったものを見たと証言する人と話す際、受け手が配慮すべきポイントが丁寧に書かれている。
 「Xファイル」を見るまでもなく、何かと言えば政府の陰謀というオチに飛びついてしまいがちだが、国防問題という観点から考えると、必ずしも政府の歯切れの悪い対応=陰謀ではないことがよく判る。
 それにしても、米国ではカウンセリングやセラピーといったものが、日本に較べてかなり身近に入ってきているようだが、宗教が諸刃の剣であるのと同様、程度の低いカウンセラーやセラピストたちが治療と称して火に油を注いでいる面があるという歪な構造は、肌に粟が浮いてくるようだ。

 セーガン博士はなぜ大多数の人があっさりと、エセ科学に取り込まれてしまうのかを非常に嘆いている。結局それは教育問題に行き着くということで、下巻はかなりそういったところへの苦言や提言が頁を占めとるのだが、その意味で本書はたしかに著者の遺言のようだ。米国の教育の現状を嘆く上で、日本と比較して悲壮感を抱いている箇所も散見するのだけれど、日本の教育の現状も目くそ鼻くそという気がしないでもない。

 そう言えばつい最近も、あのスカイフィッシュ羽ばたいてるただの虫がビデオカメラの周波数の制約で、引き伸ばされて映っているだけだったというTVのレポートを見たなぁ。

(2014/5/28改訂)

G秦の始皇帝 (1995)
陳舜臣文春文庫歴史薀蓄
180頁438円★★★

 始皇帝の墓驪山陵の近くで偶然に発見された兵馬俑のことを知れば、それを造らせたの始皇帝という人物とその時代に、一層の興味が増すこと間違いなしだ。中国の歴史を解りやすく紹介するといえば著者だが、始皇帝で一冊ものの本書が出ていたので早速読んでみた。
 後の始皇帝の誕生前夜から、死後の短すぎる秦の滅亡まで過不足なく、もちろん読みやすく書かれていてお薦めだ。兵馬俑についてもいろいろと書かれている。

 とかく始皇帝と言えば、焚書坑儒に代表されるように残忍な面がクローズ・アップされがちだが、彼の伝記というのは、もちろん秦の後の漢代以降に書かれたものだから、そこいらを考えて割り引いて読む必要があると著者は書いている。彼自身は坑儒はなく、焚書も当時どれだけ実効力があったのか不明と考えているようだ。

(2014/5/28改訂)

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