2005年 4月
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@魔術から数学へ (1991)
森毅講談社文庫数学史薀蓄
218頁840円★★★

 文庫になる前は、「計算のいらない数学入門」という題名だったらしいが、内容からすると、この文庫版の題名のほうがふさわしい。
 なにせ、本書を読んでわかるのは数学の初歩といったものではなく、ケプラーガリレオデカルトパスカル、そしてニュートンライプニッツといった、数学史や科学史、思想史上の錚々たる有名人たちの暮らしぶりだからだ。それを痛快な口語文体で紹介、批評しているのが本書だ。

 くだけた表現とはいえ、著者の思考には残念ながらついていけない部分もあるのだが、あまりそういったところは気にせずに、科学や数学の発展に巨大な影響を残した先人たちも、魔術や錬金術、そして宗教にどっぷりと浸かっていた(あるいはそれらで満ちた世界の中で暮らしていた)ことを楽しく読み取ればいいだろう。

(2014/4/7改訂)

A燃え続けた20世紀 戦争の世界史
 The Course of Our Times
 The Men And Events That Shaped The Twentieth Century (1977)
A・L・サッチャー祥伝社黄金文庫歴史薀蓄
459頁695円★★★★

 学校の授業では通例端折られることが多い20世紀史として大絶賛の燃え続けた20世紀シリーズの第一巻だ。
 大絶賛という割りに、「殺戮の世界史」を読んでからえらく間が空いてしまったが、常識として覚えたい内容が多すぎて(と予測して)、逆に敷居が高くなってしまったのである。所詮記憶できるのはごく一部だと割り切って、ようやく手をつけることができた。

 今回の読みどころは、第一次大戦での巨大な死傷者数に恐怖したはずの欧州が、わずか20年でなぜに第二次大戦に突入することになったのかということ。

ヒトラーを擁したドイツが第三帝国として甦ったのはなぜか?
・革命後のロシアが共産国家として生まれ変わることができたのはなぜか?

 といった部分である。
 それをこの場で簡潔に述べる能力はないが、すべての人にぜひとも読んでもらいたい一品だ。

 ただし著者はアメリカ人だから比重はやはり欧米に傾いており、日本を含むアジアの記述はやや少ないので、そちらには物足りない部分あり。

(2014/4/7改訂)

B涙流れるままに 上下 吉敷竹史シリーズ15 (1999)
島田荘司光文社文庫推理
513頁/608頁762円/857円★★★

 平成9年。吉敷は、死刑判決を受けながらも39年もの長きに渡って無実を訴え続ける恩田夫妻を知る。当時この事件を扱ったのが、上司の峯脇であることを知った彼は、組織の誰もが喜ばないことを知りながらも裡なる欲求に逆らえず、この39年前の事件を洗い直していく。一方、吉敷の元妻通子はゆき子を育てながら、ついに自分の過去を見つめ直す決心をするが・・・。

 39年前の物証が残っていたり、通子の証言もでてきたりと、冤罪事件を覆すにあたっては都合がよすぎる面はあるが、冤罪というものがある程度の確率で起こりうることは覚えておくべきだろう。初期の弁護方針が間違うと怖い。

 なんにせよ、18年、5冊に渡る加納通子サーガもついに大団円である。感慨深い。
 吉敷の行動と通子の行動が交互に現れるが、この千頁を超える物語で二人が逢うのは最後だという演出はさすが。決して楽しい話ではないのに、まさに涙ながれるままにというか、すべての労苦を水に流してしまえる演出である。
 望むべくは、通子とゆき子のいる家庭から出勤した吉敷警部が、活躍する話を一編くらい読んで安心したいものだが、「龍臥亭幻想」では果たしてそうなるのか?
 しかし文庫落ちは当分先か。(「龍臥亭幻想」の感想はコチラ)

(2014/4/7改訂)

C戦乱のペルシダー  地底世界シリーズ<3>
海賊の世界ペルシダー  地底世界シリーズB
 Tanar of Pellucidar (1928)
E・R・バローズハヤカワ文庫
創元推理文庫
異境冒険
334頁/343頁370円/400円

 バローズの隣人でラジオの虫、グリドリーが受信した特殊な電波は、なんとペルシダーからペリー老人が送信してきたものだった。その通信によると、マハール族が去った後、デヴィッドが統治するペルシダー帝国に対して、北方からコルサール族が襲ってきたらしい。彼らはカリブの海賊のようないでたちに、それに相応した武器と造船術を持っているというのだが、彼らのような種族がなぜ石器の世界ペルシダーに居るのか。
 そしてコルサールとの戦闘でガークの息子タナーは捕虜となり、彼らの故地へと連行されることになるが・・・。

 物語としては、捕虜として連行される途中嵐に遭い、敵の娘ステララと漂流することになったタナーが、コルサール・アズに浮かぶ島アミオキャップとハイムで遭遇する冒険が中心となっている。

 最初に読んだハヤカワ版の口絵の影響もあって、コルサールの地下牢の暗闇の中、大量の蛇にまみれて幽閉されるというエンディング間近のシーンが強烈に印象として残っていたが、今回読み直してみると、テレスドンを操った地底人ばりに目玉がたこやきな<地底人間>コリピーズなども印象的で、恐竜と石器人が同居する太古の世界という基本設定からは、どんどん枠を広げにかかった三冊目である。
 いずれにせよ、やたら地下にもぐるシーンが多くて、閉所恐怖症のわたしなんぞ何度も気が狂ってしまうこと間違いなしだ…。

 しかしながら、今回の再読――いや、再々読か――で驚いたのは、ペリーが送信してきた特殊な電波をたまたま受信できた人物が、たまたまバローズの隣に住んでいたという、おそるべき御都合主義。いやまぁここまでくるとある意味豪快でOKの気もするが。

(2014/4/9改訂)

D魔剣天翔
 Cockpit on Knife Edge (2000)
森博嗣講談社文庫推理
431頁695円★★★

 練無の高校時代の先輩、関根安奈が所属する航空ショーのチームが名古屋で航空ショーを披露するということで、阿漕荘の面々はタダ券で航空ショーを観にいくことに。一方チームの出資者で安奈の父親の関根朔太は高名な画家だが、エンジェル・マヌーヴァと呼ばれる高価な短剣を所持しているらしい。その所在を探す仕事を保呂草が請け負っていた。また脅迫状を受け取ったチーム・リーダーの西崎に呼ばれ、祖父江たち愛知県警も会場に集まってきている。そして航空ショーの最中、飛行機のコクピットという完全な密室の中で、西崎が射殺されるという不可思議な事件が発生する。

 なかなか他に類を見ない奇抜な設定だが、やはり読了後には主人公たちの言動のみが印象に残り、犯人の印象はほとんど残らない。このあたりはあまりに割り切りすぎで、いささか物足りない。

 一番印象に残ったのは、冒頭の飛行機が美しいことに関する論考であった。

(2014/4/9記載)

E吸血鬼伝承 「生ける死体」の民俗学 (2000)
平賀英一郎中公新書民俗学薀蓄
198頁720円★★★

 著者も何度となく書いているように、一般の人が思い浮かべるような、いわゆるドラキュラのようなものとは一線を画した、東欧+ロシアの民俗学としての吸血鬼伝承を取り扱った本だ。
 因みに日本名の吸血鬼という名称が、また理解をややこしくしているのだが、そもそも英語のヴァンパイア(VAMPIRE)と吸血鬼とは、言葉の意味として1:1の対訳になってはおらず、ヴァンパイア及び、その同種の眷属の地方々々での呼び名、例えばヴルコラークヴルコラカスストリゴイ、云々かんぬんの様々な属性の一つに“吸血”があるにすぎない。
 これら一連の妖怪の最大公約数に近い属性はと言うと、LIVING DEAD(動き回る死体)であって、日本人の感覚ではむしろゾンビに近いものだ。(ブードゥーの本来のゾンビとはこれまた違うのだが…)
 歩き回る死体が生者から生命エネルギーを奪う場合に、その象徴として吸血行為が付随してくることは確かに多いのだが、明らかに主体は歩き回る死体のほうで、吸血行為は従にすぎない。

 そんなこんなを考えると、常日頃よりわたしは、吸血鬼=ドラキュラと思っているような不埒な輩には、「ドラキュラは吸血鬼だが、吸血鬼イコールではない。吸血鬼は種族名でドラキュラは一個人名だ!」喝を入れてきたが、B・ストーカー「DRACULA」を和訳する時に、接頭語をつけて「吸血鬼ドラキュラ」としたのが吸血鬼という言葉の流布の始まりだとすれば、吸血鬼というのはドラキュラ氏に対する形容詞にすぎないのかも…。あながちえらそうにツッコんでもいられない。

 兎にも角にも、ヴァンパイアのメッカ、東欧やロシアでヴァンパイアに関する伝承を採取するために、何らかの属性や語源が共通しているものを集め回ると、日本で呼ぶなら狼男魔女妖鳥といったものまでが含まれてしまい、純粋なイメージを取り出すことが不可能なほどに混沌としてしまうようだ。もちろん吸血鬼伝承、もしくは甦る死体の伝承の発生には、土葬文化(基本的に火葬の風習を持った地方に生ける死体伝承は生まれない)に関わって、様々な要因による腐敗プロセスの異常があるのだが、それに加えて、身の回りの不可解な現象をすべておっかぶせたうえに、さらには閉鎖的で排他性の高い村社会においては、何らかの理由で槍玉に上がる人物へのあることないことのあてこすりまでもがすべて伝承に含められ、膨らんでいったというのが実情だろう。

 といったことが判って興味深い本書なのだが、東欧とロシアの地方ごとの“吸血鬼”の名称と特徴を延々と羅列していく中盤は、読破するにはかなりのパワーが必要だ。せめて年代を追った分布地図でも用意してくれれば、はるかに解り易くなるのだが・・・。

(2014/4/9記載)

F平然と車内で化粧する脳 (2004)
澤口俊之/南伸坊扶桑社文庫脳科学対談
237頁619円★★★★

 人間は社会的知性などの高度な精神活動を発達させるために、前頭連合野をここまで発達させてきた。この進化の戦略はネオテニー化にあるというのが、本書のキモだ。ネオテニー化というのは、子供の姿のまま成体になって繁殖するというやつで、アホロートル(ウーパールーパー)で有名だ。

 高等生物の進化にはネオテニー化が必要だというのはなんだか逆説的な感じがするが、種がより効率よく生き残るためには、それだけサバイバル知識を豊富に持つ必要がある訳で、より知識を頭に詰め込むには、脳の発展期である幼少時の期間が長いほうがいいという理屈である。なるほど言われてみれば、たしかにそんな気もする。

 だからして、長い人間の脳の発展期には、その分しっかりと教育(しつけ)を受けなければならない。
 
また同じ人間でもコーカソイドよりモンゴロイドのほうが、よりネオテニー化が進んでいるというのだが、それにもかかわらず、戦後の日本人は生活スタイルも欧米化して、子供に早い時期から個室を与えてしまうといった間違いをしたりするもので、総じて自己中心的で恥を知らない身体だけの大人が増えてしまっている。
 この嘆きと警鐘が本書の題名に現れているわけだ。

 恐ろしいのは、本来引きこもりなどの発達障害を起こして、社会からは消えていくべき人間が、ネット上でコミュニティーを作って、一大勢力になってしまったりすることだ。明日の社会はどうなるのか、一体…。

 脳内物質や脳と社会性の発達をテーマにした本書は、これから子育てする若い両親に強力に推薦したい。(←このとき、わたしに子供はまだいなかった…)

(2014/4/9改訂)

G赤毛のアンの世界 作者モンゴメリの生きた日々
M・ギレン新潮文庫伝記
201頁★★★

 「赤毛のアン」シリーズの著者モンゴメリーの伝記である。
 わたしは世界名作劇場でしかアンを見たことがないのだが、昔実家に転がっていた本書を回収して在庫に加えていたものを、この度読んでみた。
 で、内容についてはどーのこーの言える立場にないのだが、著者自身はシリーズ後半の作品は嫌々書いていたというのが面白い。まあ現在でもままあることではある。

 本書には、彼女自身や彼女の生まれ育った土地の図版が豊富に掲載されている。特に風景や学校、生家など、現在も当時と変わらない状態で残っているらしく、カラー写真が奢られている。もちろんモンゴメリーが生まれ育ったのは、アンと同じプリンス・エドワード島だから、“赤毛のアンの世界”が紹介されているということになる。

(2014/4/9改訂)

H面白いほどよくわかる太平洋戦争 (2000)
太平洋戦争研究会日本文芸社歴史薀蓄
284頁1300円★★★

 これは何も言わずに読むべき。
 最近はちょびちょびと太平洋戦争関係の本も読むようになったが、やはり広く浅くでいいから、アウトラインを抑えておくことは大事である。
 その意味でもまずは本書のような本を一冊読んでおくべきだ。

(2014/4/9改訂)

I逆説の日本史3 古代言霊編 平安建都と万葉集の謎 (1995)
井沢元彦文春文庫歴史薀蓄
427頁619円★★★★

 藤原仲麻呂という人物は、弓削道教ともどもに称徳天皇との愛人関係が取り沙汰されるらしいのだが、その説とは真っ向から反対に、仲麻呂が称徳(最初の即位時は孝謙)の敵対勢力だったことを“証明”している。

 例によって、どこまで丸呑みしていいか判らないとは言え、母親光明皇后の権力基盤を固めるための令外の組織である紫微中台の設置や、孝謙と称徳の間に位置する淳仁天皇と仲麻呂の関係を、子楚呂不韋の関係、奇貨おくべしで捉えた説明は、非常に解りやすくて納得できる。

 平和都市宣言し武装放棄した桓武天皇の思考方法を、現代のどこかの国と比較した第2章も面白いし、第3章などはまるまる150頁が万葉集の話だというのに、まったく飽きさせないのだから大したものだ。

(2014/4/9改訂)

J徳川慶喜家にようこそ わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔 (2003)
徳川慶朝文春文庫
218頁543円★★★

 慶喜家を継いでいる著者はごく普通の写真家だそうで、本書の中では“自分はまったく一般の市井人で、他人からいつも似たような反応をされるのに閉口している。第一歴史の興味もあんまりない。”とやたら繰り返している。もちろんその鬱陶しさは大変なものだと拝察するが、歴史に然程興味がないとまで言われては、なんでこんな本を出したんやとツッコミたくもなる。なんでも「徳川慶喜家の子供部屋」のヒットで企画されたらしいが…。
 せめて、父親の代も含めて“ごく一般人”になっていった経緯をもう少し詳しく教えてくれればいいいのだが、そっちはかなりさらっと触れられているだけで不満だらけ。

 まぁ慶喜家の当主が書いた本ということが、本書の価値のすべてだ。
 そこに敬意を表して★×3ということに。

(2014/4/9改訂)

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