2006年 6月
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@殺意の集う夜
西澤保彦講談社文庫推理
344頁590円★★★

 台風の中、園子と万理の二人は彼女らの大学の人気助教授?が持つ別荘に車を走らせていた。彼の妻が家を空けるという情報を手に入れた園子が、車を持つ万理を強引に同行したものだ。だが別荘に意中の人の姿はなく、奥さんから留守を頼まれたという若い男が一人居るだけ。しかも土砂崩れで前後の道がふさがったと、次々に避難者がやってくる。万理たちは集まってきた胡散臭げな人物達と一夜を明かすことになるが、恐るべきトラブルの連鎖が始まってしまう・・・。
 一方殺害現場に居ながら、保身で見ぬ振りをしてしまった刑事の三諸は、被害者と同衾していた犯人の男を捜すが・・・。

 著者の作品の中では発表の早い部類だと思うが、表紙がどうにも気に入らずにここまで放っておいた。さすが西澤作品、なんとも豪快な設定で無茶をやってくれる。
 しかし興味は、万理のパートと、三諸のパートが如何に繋がるかである。
 <ネタばれ反転>これは結局叙述トリックな訳で、しかもそう鮮やかには感じなかった。ちょっと無理を感じる。

(2015/11/17改訂)

A信長の戦争 「信長公記」にみる戦国軍事学
藤本正行講談社学術文庫歴史薀蓄
1000円★★★★

 著者自身が前書きで書いているように、こういった信長関係の本は、本屋でやたらと見かけることができる。
 そういった中にあって、本書の特色は拠り所の史料を「信長公記」に絞っていることだ。(加えて太平洋戦争時の状況と比較することも多い)
 逆に、「信長公記」に書かれていることがすべて事実とみるのもどうかと思うが、同時代の発給文書や日記を措いて、信長関係の歴史書の中では断トツの一級史料であることは間違いない。

 同書を拠り処とした場合、例えば桶狭間の合戦の奇襲や、墨俣一夜城、あるいは長篠の合戦における鉄砲の三段撃ちはなかったとかの話が想像できるのだが、それらも最近あちらこちらから漏れ聞こえてくるので、ことさらに驚かされるネタでもない。

 しかしながら、本書でもっとも驚かされるのは(面白いのは)、序章にあたる数頁で、「信長公記」自体を、著者の太田牛一の来歴と合わせて分析している点だ。
 本書を読むまでまったく知らなかったが、

(1)太田牛一の手による直筆本は、建勲神社所蔵版池田家文庫所蔵版の二冊。

(2)それらは、1568年(信長が足利義昭を奉じて京に上った年)から1582年(本能寺の変で没した年)までを一年毎に記した15巻から成る。

(3)それ以前の事跡は、“首巻”としてまとめられているが、牛一の直筆は残っていない。

(4)上記二冊の直筆本のいずれでも(双方での違いはあるが)、信長よりもむしろ家康に対する敬意に意識が向けられている。

(5)牛一の読み方すら確定されていない。【注1】【注2】

 例えば、若き日の信長の奇矯な装いや振る舞い、親戚との争い、斎藤道三とのエピソード、そして桶狭間戦から美濃攻略までのトピックはすべて、つまりは信長34歳までの事歴は首巻の内容ということだ。

 太田牛一は、比較的早くから信長に近侍し、彼の伝記を意識して集めた人物であることは間違いないが、1567年以前はそういった意識を持つ前なのか、未だ信長に直に仕える前で、記事は後日集めて回ったものかもしれない。
 それでも直接体験した人物から直に取材できた分、他の史料よりも信憑性が高いと考えられるが、同じレベルの信用度で臨むわけにもいかないだろう。

 あるいは、1567年以前の巻が最初は存在していたのだが、何らかの理由で後年廃棄されたと疑うことも可能だ。

 これらのことを知ったうえで、上記桶狭間合戦に奇襲はなかった/墨俣一夜城はなかった/長篠合戦に鉄砲の三段撃ちはなかったと書かれると、やはり一度は自分でも「信長公記」を読んでみたいという気になる。

【注1】太田牛一は、一般的には「ぎゅういち」と読まれるが、彼の子孫は片諱に牛を用いて、うし○○と呼んでいたらしい。となると、牛一は「うしかず」もしくは「うしかつ」ではないか。

【注2】また軍記読みは一般的に○○一(いち)と名乗ることが多かったという記述もある。となると、彼の本名は牛○で、軍記読み的なペンネームを名乗って牛一(うしいち)と称したという解釈も可能だろう。

(2015/11/18改訂)

Bシャーロック・ホームズ対切り裂きジャック
 The Last Sherlock Holmes Story
M・ディブディン河出文庫探偵
326頁880円★★★

 世のシャーロキアンたちは、ワトスンに発表された4つの長編と50編あまりの短編の中の記述ミスのつじつまあわせに血道をあげたりする。言うまでもなく、それはコナン・ドイルのうっかりミスなどでは断じてないわけだ。
 さらにコアなシャーロキアンになると、さらに現実の歴史的事象との整合性を図ろうとする。それは(冷静に考えれば空しい作業かもしれないが)なかなか楽しい文化的作業である。そうした際にひとつの必須事項として立ちふさがるのが、1888年のロンドンで起きたあまりにも有名なこの事件である。天下の諮問探偵シャーロック・ホームズが、スコットランド・ヤードを翻弄したこの事件に関わらなかった筈がないではないか。

 ということは、ホームズが真犯人が挙げられず、そしてワトスンも沈黙した理由をうまく説明しなければならない。
 もちろん、ホームズが真犯人に辿り着けない筈がないので(もちろんシャーロキアンの観点から書いてる)、事件の真相が当時の社会状況下でとても公表できなかったという理由を組立てるということだ。

 本書もそうした流れで書かれているが、その(隠すべき)真相は驚愕的なものだ。
 あるいは、最近の新本格以降の作品を読みなれたすれっからしの読者にとっては、さほどでもないかもしれない。
 しかし世間ずれない純真なシャーロキアンには容易に受け入れたくない衝撃があるだろう。
 ただし、単純に奇を衒った一発ネタと切り捨てるには惜しい。なぜなら本書の真相で、上述したホームズ譚における大きな矛盾の幾つかを同時に説明できるからだ。またその解釈の土台をやや不安定に揺らして、別の解釈もありと思わせているのは秀逸だ。

(2015/11/18改訂)

Cさむけ
 The Chill
R・マクドナルドハヤカワ文庫推理
271頁480円★★★★

 結婚したばかりの花嫁が失踪したという青年が、リュウ・アーチャーに助けを求めてきた。彼に同情したアーチャーが捜査を開始すると、間もなく消えた花嫁、ドリーの所在は知れたが、彼女は青年の元に帰る気はないという。そして事態は一変、アーチャーの短い捜査中に知り合った女性教授が殺害され、容疑はドリーに。そしてアーチャーはドリーの過去を探るうち、驚愕の事実を探り出すことに・・・。

 昨今の推理小説繚乱のご時世に慣れてしまった眼からみると、あるいはそれほどのインパクトでもないかもしれないが、これには驚いた。どうせハードボイルドだからとタカを括っていたこともあるが、フィリップ・マーロウものの長編全部と較べても、最も衝撃的な真相ではないだろうか。
 特に60年代の作品であることを考えると、さすが名作といったところ。

 アーチャーものは初めて読んだが、世上言われるところの、(スペードやマーロウに比べると)アーチャーは個性をどんどん消して透明になっているということはよく判らなかった。後続の作品でより顕著になっていくのだろうか。
 これくらいなら「黒祠の島」の式部くんのほうがよっぽど透明だ。

(2015/11/17改訂)

D歳月
司馬遼太郎新潮文庫歴史
700頁933円★★★★

 明治草創期に司法制度を立ち上げた江藤新平
 明治7年の佐賀の乱で処刑されて、早々と舞台から降りてしまうことがなければ、同じ佐賀出身の大隈重信以上のビッグ・ネームになっていたところだ。

 この人物が興味深いのは、幕末の活躍がまるでないことだ。肥前鍋島家は最後のぎりぎりまで佐幕――というか日和見――で、江藤は藩内で身動きが取れず、何ら目立った活躍はない。しかし最終的に戊辰戦争官軍側として加わった鍋島家の兵力が大いに役立ち、終わってみれば佐賀藩は薩長土に続く功績藩となったわけだ。この時、藩が中央に出せる人材として、江藤新平が一躍表舞台に躍り出た。
 さらに佐賀の乱で大急ぎで退場するといった、彼の劇的な生涯の栄枯盛衰は、他でもなかなか類を見ることはできない。

 明治初期の最大の政治家は大久保利通で異論がないところで、その功績に比較すると、人気のなさはかわいそうなほどだが、佐賀の乱の首魁として江藤新平を追い詰め、捕縛、裁判、処刑とたたみかける非情さは怖ろしい。江藤が結果的に立ち上がった時には、大久保は江藤を凶賊として攻め滅ぼす準備をすっかり終えていたという。

 やはり食うや食わずの餓死一歩手前の状態から、あれよあれよと司法卿にまで登りつめる前半が特に面白い。

(2015/11/17改訂)

E世界遺産サフランボル 民家とくらし
ジョシュクン安達智英子歴史薀蓄
78頁15トルコリラ

 サフランボルの土産物屋で買った。
 ジュシュクン安達智英子という人が何者かは判らないが、現地の人と結婚して、このあたりに住んでいるのだろうか。
 定価2ユーロとあって支払ったら、店がユーロの釣り銭を用意してなかったもので、すったもんだで15トルコリラで落ち着いたが、あとでよく見てみると750円とも記載されていた。1トルコリラ≒75円。んっ、全然あわないじゃないか…。

 まぁそんなこんなで手に入れた本だが、意外に面白くてめっけものだった。

 世界遺産サフランボルの民家と言われても、外見的にはあまり面白みがない。正直イスタンブールのあれこれやカッパドキアの奇岩群に較べるとなんとも地味だ。なんでトロイに行かへんのじゃあ(←申し込んだあと長いこと気付かなかった)と悲しく思っていたが、一般公開している民家に入ると、これが実に個性的で非常に面白い。

 イスラムの風習が現在よりも色濃かったオスマン・トルコの時代、一般民家の一つ屋根の下でも、男性の居住空間と女性の居住空間は厳然と分かれていたようで、顔をあわせずに皿や器の受け渡しができるドンメ・ドラップや、一見、棚か押入れにしか見えない壁の中には隠し風呂グスルハーネがあったりする。

ドンメ・ドラップ

グスルハーネ


 そして基本的な間取りを俯瞰でみると、大きな四角形を3×3の格子状に分けて、個人、夫婦の部屋は四隅に設けられている。残りの十字の空間は共用スペース(あるいは物置や階段等)に充てられる。これはトルコ人が遊牧民だった頃のゲル(移動式テント)の配置の名残だとか。これは面白い!

 負け惜しみでなく、これは炎天下にトロイの遺跡をうろつく――ペルデアスペンドス、そしてハットゥシャシュの遺跡でそれは十分――よりも楽しい体験だったと思う。

(2015/11/17改訂)

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