2006年10月
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@海馬 脳は疲れない
糸井重里/池谷裕二新潮文庫理系薀蓄
342頁590円★★★
 ★×5をつけた「記憶力は強くなる」池谷裕二とコピーライターの糸井重里が、脳について語りあう対談集。
 先の本からさらに進んだ研究最前線の話が聞けるかと楽しみに読んだ。

 しかし、悲しいことに本書のほうが出版時期が古いみたいで、「記憶力は強くなる」でのエキサイティングな感覚をもう一度味わうことはできなかった。あれを先に読んでいなければ、本書でも十分面白かったかもしれないが、しかし糸井重里が自分の仕事へ関連付けて、やたらとべらべら喋りすぎなのが少々鼻につく。“考え方次第でこう生きれるよ”ってなことを書いたHow to本のような読後感である。
 脳機能関連をネタにした対談集であれば、「平然と車内で化粧する脳」のほうがスリリングである。
A今昔続百鬼―雲
京極夏彦講談社文庫推理
749頁971円★★★
BトゥエルブY.O.
福井晴敏講談社文庫冒険
393頁648円★★★
Cホンモノの敬語
柴田武角川oneテーマ21日本語薀蓄
221頁686円★★★
 世界の言語の中でも難しいと思われる日本語だが、とりあえず聞いて話すという、最低限のコミュニケーションに必要なレベルは、意外に五週間程度でマスターできるという、実はとても簡単なものらしい。難しいのは漢字を書くことと、そして相手によって複雑な使い分けが必要とされる敬語を会得すること。なるほどそうかもしれない。

 ところが、さぁその複雑な敬語について、どんな薀蓄を披露してくれるのかと思いきや、あまり奥深い内容はなかった。尊敬語は尊敬を表すだけではなくて、相手から距離をとる(敬遠する)ための手段でもあるというのはなるほどと思ったが、全体の内容としては、例えば外来語の日本語化とか、日本語に関する軽いエッセイちったところだ。いろんな本に載った文章を集めたらしいのだが、題名と内容が今ひとつ合っていないのはどうかと思うぞ。

 中の章題でもそれが言えて、「信号の色は、なぜ「あか」「あお」なのか」という章題では、誰もが思っている(はずの)疑問は、実際の信号機では多くの場合“みどり”色だというのに、なぜ“あお”と呼称するのかだが、本書ではまったく言及なし。いらいらしてしまう。
 人間の眼は青よりも緑に感応するので、より目立たせるための実利上、徐々に青から緑に変わってきたのだろうか?
 そのうえで、言葉としては“みどり”よりも自由度の高い、基本(色)語である“あお”が残っていると考えれば、一応納得はできるが・・・。

 因みにこの場合の“自由度が高い”とは、

青を使うことば・・・まっさお、あおさ、あおい、あおあお
緑を使わないことば・・・まっみどり、みどりさ、みどりい、みどりみどり

と例を挙げればよくわかるだろう。基本の4色は、あか、あお、くろ、しろである。これは本書でも書いてある。

 しかしそうなると、周りに“みどり”色のものが満ち溢れている日本で、“みどり”の色をあらわす基本語がなぜできなかったのかが疑問だ。確かに古墳時代の昔から、朱雀、青龍、玄武、白虎という中国文化の流入はあろうが、やまとことばとしては、それ以前からありそうなものなのだが・・・。

 というような疑問に、本書はなにも答えてくれない。
D嵐の惑星ガース  デュマレスト・サーガ1
 The Winds of Gath
E・C・タブ創元推理文庫SF
228頁★★★
 最低限の金を稼いでは他星への片道切符を購い、死亡率15%の冷凍睡眠に身を委ねて星から星へと渡り歩く渡り者。そんな生活を送る男、アール・デュマレストが降り立った惑星ガースは、しかし次の航宙費用を稼げるあてもない荒れた惑星だった。デュマレストが睡眠に入った後で、行き先が変えられていたのだ。彼が載った船をチャーターして行き先を変えたのは、カンド女皇国の一行だった。女皇自身を含む高貴な一行は、何のためにこの星にやってきたのか。この星にはいったい何があるというのか。航宙費用を工面せねばならないデュマレストは、危険な賭けにうって出たことで、女皇の目に留まり…。

 デュマレストは一体どうやって、次なる旅費(あるいは旅の手段)を工面するのか。
 というのが最初の興味だが、まずこれが早々にうっちゃりをくわされてしまう。その手段は、とてもスペオペとは思えない方法で、なかなか唖然とさせられた。キャプテン・フューチャーにはなかなか演らせにくい演出である。しかしキャプテン・ケネディならやっちゃうかも・・・。

 ・・・おっと、作者は一緒じゃないか!グレゴリー・カーンは著者の筆名のひとつ)

 読了後、役者あとがきで知って驚愕しました・・・。

 スペース・オペラというジャンルの呼称が、安手の西部劇のことをホース・オペラといったことに端を発するのは有名な話だが、著者の作品を同じ西部劇に例えると、これはマカロニ・ウェスタンということになるだろう。
 より暴力的で、さらにはご丁寧に、本書では棺桶を運ぶ男まで登場する始末である。

 ところで金策の次なる興味は、有象無象をこの荒れた星に呼び寄せるガース自体の謎だが、これがまた、厚くもない本の2/3辺りで開示されてしまう。残りはカンドの継承問題に巻き込まれたデュマレストの活躍が描かれるが、これはこれで意外に面白い。
 かなりの有能ぶりを見せつけるデュマレストだが、本作では十分に開示されない彼自身の過去についても、シリーズでおいおい明らかになるのだろう。
E日本古代史 謎と真実
関裕二学研M文庫歴史薀蓄
266頁590円★★★★
 歴史小説で読んで面白い時代は、一に戦国時代、二に幕末明治維新というのは、概ねのところで異論はないと思うが、歴史をミステリとしてあれこれ推理することを考えると、最も面白いのが古代史ではにだろうか。一向に終息しない邪馬台国論争などは、その大きな一例として挙げることができるが、個人的に最も興味深いと思っているのが、聖徳太子の死(622年)から乙巳の変大化の改新と言われることが多いが、それは間違い)、壬申の乱を経て、日本書紀の完成(720年)までの百年間だ。
 時代背景、宗教観、人物像、その血縁/地縁等の考察から、表面的に与えられた証拠(古事記日本書紀の記述)のウラを読み、それまでなんとなく覚えていた歴史の流れ(概ね古事記や日本書紀といった正史に準じたもの)が、ガラリと様相を変貌させるのは、上質のミステリを読むかのごとくだ。もちろんいかに説得力があっても、いわゆる状況証拠ばかりであるから、“一般的にはこう思われてますが、こんな解釈もできますよ。どうです、この解釈のほうがもっともらしいと思いませんか。”という所に留まらざるをえないが、それでもそれまでの無味乾燥な古代史がとても魅力的に見えること請け合いだ。

 個人的に生活圏内に近い纒向(まきむく)古墳が地質年代的に邪馬台国の時代(3世紀)に相当するらしいので、考古学関連の徒は邪馬台国は畿内で決まりだと考えているらしい。同時代の西日本最大の都邑だからというのがその理由だが、神武東征神話の成立理由に関しては何もコメントがないのが残念じゃ。やはり仮説を提示する場合は、その反論に対するコメントが欲しいところだ。

 個人的な印象だが、著者の記述が、@〜という仮説を立てられる。Aこの仮説が正しいならば〜。と進められながら、最終的には、B〜に違いない。と断定して書かれているようなので、これはなかなか素直に信じられるものではない。
 天智天皇天武天皇の関係に関しては、概ね井沢説と重なって、こちらは素直に納得してしまうので、なんだかんだ言って井沢元彦の説得力には恐れ入るところである。

 その他も概ね著者も怨霊史観に則っているので、井沢説と重なることが多いが、より藤原氏の暗躍を強調した説で、その分聖武天皇光明皇太后等の担がれる側のキャラクターづけが異なり、比較して読むとなかなか面白いだろう。
F赤緑黒白
 Red Green Black and White
森博嗣講談社文庫推理
583頁695円★★★
 射殺したあとで全身を真っ赤に塗られた死体が発見された。しかも被害者の名前は赤井だという。保呂草のもとには赤井と交際していたという女が訪れ、犯人は判っている。事件現場の近くに住む作家の帆山美澪なので、その証拠をつかんでほしいと依頼する。依頼を受けるかどうかを迷いながらも、予備調査を開始する保呂草だったが、その結果をもって依頼人を訪れると・・・。

 シリーズ最終巻。
 アップしていない感想を書こうと、少し読み返してみたら、結局ほぼ全てを再読することになってしまった。(2011年3月)
 それにしてもこれだけあからさまに<ネタばれ反転>S&Mシリーズとの関連を、ネタばれぎりぎりまで公表しているとは驚きだった。いかに自分がええ加減な読み方をしているのかが明らかにで、とても情けない。

 本筋の事件自体も、ほぼ忘却の彼方だったが、記憶が残りにくい原因は、やはり(一般的な意味での)動機の不在だろう。登場人物の口を借りて語られる著者の考えは理解できるし、昨今のトレンドでもあるが、往年の名作に初めて触れた時のような感動には遠く及ばない。これだけの派手な連続殺人だというのに、一冊の推理小説としての印象は低いのが残念だ。  また、この興味を惹く題名についても、理由(瀬在丸紅子の解釈)を聞いてがっかりである。作者もさすがに悪いと思ったのか、第二の理由も用意しているが、これまたがっかりだ。緑と青は置換え可能なんて、聞いたことがない。赤、青、黒、白と緑ではあきらかに語のレベルが違うので、これはなっとくできない。

 作者だけでなく、主要キャラクターの誰もが動機に拘泥しないというのも、少々気持ち悪いところだ。厳密にいうと、犯人は検挙された訳だから、その後しっかりと外堀埋めはされていったのだろうが。新興宗教の教主との関連性についても、白黒をつけてくれないし・・・。

 もちろん別のサプライズはたっぷり仕込まれてる訳だが、その衝撃はあの本までお預けだったので・・・。くーっ、情けない。
G日本の異端文学
川村湊集英社新書文学薀蓄
660円★★★
 日本は西洋キリスト社会と違い絶対的な価値観のないので、日本において異端とはなんぞや?という問いかけから始まっている。
 なるほどと興味を惹かれたのだが、「序章」では“文学を白眼視する文学”、「あとがき」では“ちょっと変わったもう一つの文学”だと。

 
うーん。“文学”の定義が解らない。


 といった訳で、なんや腰くだけの感ありだ。
 取り上げられた作品からすると、執筆当時の世間の常識に捉われず、冒険的、あるいは反骨的に何かを主張した小説で、後の作品に少なからず影響を与えた本といったところだろうか。
 しかし個人的には、“異端”の語感には“ひっそりとした”ものを感じるので、文学者の間での知名度の高低はともかく、大衆小説として知名度の高く、長期に渡って巻を重ねた「大菩薩峠」などが異端文学なんかいなという疑問がある。

   本書で紹介された“異端文学”の中では、上で異端とは思えないと書いた「大菩薩峠」団鬼六「花と蛇」くらいは一度読んでみるべきか。しかし日々は短し在庫本は多しで、すぐには手を出せそうにないところが悲しい。
 そうそう、まったく存在を知らなかったが、橘外男「怪人ジブリアリ」はかなりのバカ本のようで、これは興味を惹かれた。
 また、中井英夫「虚無への供物」は取上げられているが、夢野久作沼正三に関しては言及がなし。少々物足りない。

 大正から昭和、特に戦争を挟んで大きく変貌した日本社会の影響に関する言及が多いのが特徴だろうか。
H光る鶴
島田荘司光文社文庫推理
413頁648円★★★
「光る鶴」・・・ 2002年秋、吉敷は告別式に出席するために久留米を訪れたが、そこで故人から名前を聞いていたという青年に話しかけられる。26年前に恋人の母親と姉二人を惨殺したとして、死刑判決を受けている昭島の冤罪を晴らす手助けをしてほしいというのだが・・・。

 冤罪晴らしの達人の感のある吉敷だが、わずか一日の捜査で実績を上げてしまうとは、ある意味御手洗モノ以上の島田ファンタジー炸裂といっていいだろう。
 それはともかく、題名となっている光る鶴に辿りつく瞬間は、美しくまた感動的だ。

 しかしこれを以って、本作の元になっているらしい秋吉事件がどうだというような感想は持てない。
 冤罪というのは、まったくもって恐ろしいことで、これを排除するためのあらゆる考証はなされなければいけないが、だからといって、死刑廃止論には賛成できない。本書の解説は弁護士の人が書いているが、どうもいわゆる“人権弁護士”の臭いがする。
 山口県光市のケースなどは、――これが冤罪の可能性はないと思うが――死刑反対どころか、公開のこぎりびき処刑でもいいくらいだ。

 とにかく、自分が万が一にも冤罪に嵌められないためには、強い意志が必要だということは肝に銘じておこう。

 著者には、「秋吉英明事件」と同じようなドキュメンタリーで、「三浦和義事件」もあるが、あの結末に対するコメントが聞きたいのだが・・・。

「吉敷竹史、十八歳の肖像」・・・ 昭和41年春、東京に出てきた吉敷は大学で桧枝という男と友人になるが、学生闘争の活動家であった彼は、学内で殺されてしまった。吉敷は学内で聞き込みをし、間もなく佐々木という男が怪しいことをつきとめる。そんな中、吉敷の父親の経営する町工場が倒産したという電話が・・・。

 ほんの40頁ほどの話だが、吉敷竹史が刑事になるきっかけを作った“事件”である。
 それにしても、著者は権威を振りかざす小役人というものを憎悪しており、この短い話でも、彼らやまたは小汚い小市民に辟易させられる。

「電車最中」・・・ 2000年6月。鹿児島市役所の建築企画課長が射殺された。刑事課の留井は、犯人は以前企画課長に面子を潰されたことのなる、福士というヤクザ者だとにらんだが、目撃証言はなくこれといった証拠がでない。だが電車の形をしたもなかが現場から出てきたことから、事件は収束に向かうと思われたが・・・。

 そう、最中はさいちゅうではなく、もなかのことである。「灰の迷宮」で吉敷と知遇になった鹿児島県警の留井刑事を主役とした小編。
 題名にインパクトがあるものの、ひたすら地味に捜査を進めていく話で、しかも特徴のあるもなかが被害者のズボンの折り返しからでてきたことも運なら、決め手となった目撃証言が出てくるシチュエーションもあまりに都合がよすぎだ。  留井の捜査に多少協力する形で吉敷が登場し、最後に東京の飲み屋で留井と語り合うが、そこに何らかのオチがあるかと思いきやうっちゃりを食らった。
 完全にオマケとして受け取るべき作品で、御大の文庫書き下ろしでなければ許される物語ではないだろう。

 吉敷竹史あるいは島田荘司のコアなファンならばよいが、推理小説を読み始めた人が、間違って本書を読むことのないように忠告しておく。
Iファウンデーションの危機 上下  新・銀河帝国興亡史1
 Foundation's Fear
G・ベンフォードハヤカワ文庫SF
495頁/518頁920円/920円★★★
 忍び寄る帝国の衰退に逆らい、心理歴史学の構築に全力を傾けるハリ・セルダン博士。しかし皇帝は、なんと自分の後継者としてセルダンを指名する。対立候補から命を狙われたセルダンは、身の安全を図るために訪れた惑星パニュコピアで、現地の亜人類パンへの精神接触を心理歴史学へ応用させることを考え、一方、トランターに残った助手のユーゴは、心理歴史学を過去に適用させてみるために模造人格を入手するが、仮想空間にはあやしき<霧>が・・・。

 I・アシモフファウンデーション・シリーズグレゴリイ・ベンフォードグレッグ・ベアデビッド・ブリンという錚々たるSF作家が受け継いで、90年代末に発表された連作のシリーズ第一弾。
 50年代に書かれた元々の三作品にはコンピューターもロボットも登場しなかったところに、アシモフ自身が80年代以降になって自身のロボットものとの結合を試みた後期四作品?が原典となっている。
 そこに世代の違う有名SF作家が、どんな味付けをするのかというのが、新シリーズの最も興味深いところだろう。はたして本作では、早速というか当然のようにというか、仮想現実空間やそこでの模造人格なんてのが登場している。この模造人格が、ヴォルテールジャンヌ・ダルクであるところが、SFファン以外でも興味をかきたてられるところだ。

 ところで著者のあとがきにも、新ファウンデーション・シリーズの残り二冊に関わる種が、本書にまかれていると書かれているのだが、悲しいくらいにすでに記憶から欠落してしまってる。仮想現実モノとしてはそれほど面白さを感じることができなかったのだが、やはり本シリーズの楽しみ方は、原典という縛りに対して、何をどのように拡張させていくのかという興味につきるだろう。アシモフの原典はしっかり読み直しておくべきだ。

 ところが、私は完全に読み方を誤った。
 つい時系列に沿わせてシリーズ全体を読んでみようと思い立ってしまい、「ロボットと帝国」から「ファウンデーションへの序曲」と進んだはよいが、次の「ファウウンデーションの誕生」を第一部まで読んだ時点で本書に移り(というのもあとがきにそのような時系列だと書かれていたので)、しかも本書の読了後は止まったまま現在に至っている(2011年9月24日)
 新シリーズの続きたる「ファンウデーションと混沌」は手元にあるものの、「ファウンデーションの勝利」「ファウンデーションの彼方へ」は持っているはずだが行方が知れず、「第二ファウンデーション」は読んだかどうかすら覚えていないという体たらく。一体どうしたらいいもんだろうか?
J文壇アイドル論
斎藤美奈子文春文庫文学薀蓄
310頁629円★★★
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