東京の一地域をピックアップして扱うことはこれまでもあったが、一遍のみで一冊独立となったのは、本郷が初めてではないだろうか。
本郷と言われても、東京自体が出張等で通過するか地点移動のみで、歩いた土地といえば上野駅の周囲のごく狭い範囲にほぼ限られる、わたしのような地方生活者にはなにもイメージできない。東大周辺のエリアだそうだ。
東京大学が旧前田家上屋敷だったことは有名なので、それに関したトピックは予想できるが、明治文学者の話が結構多いのが興味深かった。
例えば、幕末や明治ものではたまに名前の挙がる啓蒙家、西周と森鴎外が縁戚にあったとは知らなかった。鴎外(当時森林太郎)が若かりし学生の頃、西周の家に寄宿していたらしい。彼らはともに山陰の小京都として今でも有名な、小藩津和野の出身である。
それ以上にインパクトがあったのは、明治の一時期、東京府庁(警視庁だったようだ)で夏目漱石の父親が樋口一葉の父親の直接の上司だったということ。漱石の兄と一葉の婚姻話まであったというから驚きだ。
そんな中でも「三四郎」には、たっぷり頁を割いて思いを馳せている。欧米の文明受容は当時東京に一極集中しており、配電盤としてその成果を地方に送る役割を一手に引き受けていた。それゆえに当時の東京は現代以上にきらきら光っていたのだが、「三四郎」はこのきらきら光る配電盤の周りをうろついたり、近付いて幻惑されたりする物語だという。恥ずかしながらわたしは、夏目漱石の一冊すらまともに読んだことはないのだが、こういった観点を知ると、ひとつ読んでみようかという気に少しなった。
また東大農学部の立地には水戸家の中屋敷があったらしく、水戸家の話題も豊富だった。水戸家で発展した水戸儒学が幕末の尊王攘夷運動の思想的根拠となったことはよく知られているが、水戸家二代藩主光圀はその思想の下に、多大な労力をかけて日本史の編纂作業を開始した。その中心となった学問所、彰考館(上屋敷内に設置されていた)の館長(総裁という言葉が使われていたような…)職を務めた史学者の中に、佐々十竹(介三郎)、安積澹泊(覚兵衛)という人物がいたらしい。これがいわゆる「水戸黄門」における助さんと格さんのネタ元である。どちらも学者だったわけだ。
因みにわたしが本書でもっともインパクトを受けたのも、冒頭に語られる水戸家絡みだったかもしれない。
上述の中屋敷内には水戸斉昭(15代将軍徳川慶喜の実父)の句碑が建っていたというのだが、明治後に町割りされた際に、その句碑にある文言から、その辺り一帯は弥生町と名付けられた。後にここから土器が発見されて、ついた名前が弥生式土器。そして時代区分が弥生時代。
弥生というのはもちろん三月のことなので、昔はじめて弥生時代という名称を聞いたとき、なんでなんかなぁと疑問に思ったことがあった。
こういう忘れていた疑問がふいに解けるのは格別である。
(2014/2/14記載) |