2011年11月
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@スナッチ
西澤保彦新紀元社推理
397頁743円★★★

 昭和52年。恋人の両親へ挨拶するために、奈路充生は故郷の高知へと帰ってきた。ところが彼女に会う間もなく、突然暗くなった空から叩きつけられた銀色の雨に意識を失ってしまう・・・。そして奈路が意識を取り戻した時、鏡に写った五十年配の男が今は平成20年だよと話しかけてきた。

 もちろんSFではなく著者得意ののSF“的”ミステリである。このジャンルも久しぶりだ。
 ひとつの身体の中に意識は二つ。そして犯人探しと言えば、これは間違いなく、ハル・クレメント「二十億の針」のオマージュだろうと確信したが、著者自身のあとがきではジャック・フィニィ「盗まれた町」にインスパイアされたとのこと。クレメントにはまったく触れていなかった。
 いや私は信じないぞ。

 ところで、著者作品のSF的設定は推理小説の条件設定のための筈だが、本作はいつも以上にそちらに引っ張られていて、推理小説としては弱い印象だった。まぁ私としては、上記のとおり「二十億の針」を思わせる設定(ついでながら、「盗まれた町」も大好きな作品だ)で楽しめたし、医療についての薀蓄(どこまで信用してよいかはやや疑問だが)も興味深かった。

 考えてみればナロくんの立場はかなり可愛そうなのだが、本人があまり悲観的でないこともあって、あまり暗くならないところがいい。これは著者の作品の中では珍しい部類では・・・。

A日本怪奇幻想紀行 一之巻 妖怪/百鬼巡り
創元推理文庫民俗薀蓄
202頁1700円★★★

 河童八百比丘尼天狗etc.etc.の妖怪伝承を取材している。
 それぞれの章毎に別の筆者が担当しているので、伝承に対する立ち位置には僅かながらブレがある。それらの僅かな違いがやや気に障る箇所もあったが、完全否定はしない方向で伝承を紹介するというのが、基本的な編集方針のようだ。

 しかしこの編集方針は残念だ。
 現代に残る伝承や書物に著された記述はそれはそれで興味深いが、そこで終わってしまうと、それではTV番組と同等レベルだ。
 例えば、人魚のミイラなんてものがある。かなり有名なもので、写真を見た人も多かろうと思うが、まがい物であることは間違いなかろう。私としては興味があるのはその先だ。どのような背景でそういった妖怪伝承が書物に書かれ、伝承が伝わることになったのかが知りたいのだ。そのあたりの考察が全体的に不足している印象である。

   という訳で、興味深いトピックもあったが、いまひとつ面白さを感じなかった。
 もっとも興を惹かれたのは、本書の企画・編集者として三津田信三の名前が挙がっていることだ。

B毒草師 QED Another Story
高田嵩史講談社文庫推理
403頁676円★★★

 遡れば在原業平の周辺に繋がるという旧家鬼田山家で、先代当主の妻が密室状態の離れから消失するという事件が発生した。鬼田山家では先代の当主を含め過去にも二度、同じ離れからの消失があったという。しかもそれらの前後には、付近で一つ目の鬼を見たという証言が・・・。医療雑誌の編集部に勤める西田は、編集部が鬼田山家の主治医と懇意であることから、この事件について調べ始めるが・・・。

 そして西田の下宿先の隣室に、「QED 神器封殺」で初登場した御名形史紋が住んでいるわけである。
 この史紋先生、少々キャラづけがあざとすぎるが、早くもスピンオフである。人気があるのかな。(ドクター・キリコを思い出すのは私だけだろうか・・・)

 トリック(というか事件の背景)は決して悪くはないのだが、これを無理なく受け入れるためには、本書の二倍くらい書き込まなければならない気がする。しかも御名形があまりにあっさりと進めるので、より淡白に感じてしまうのだろう。この手の背景を暴くのは、やはり金田一耕助がふさわしいといっておこう。

 ところで本書の本題?は「伊勢物語」
 いつもより“現在”の事件との関係性が低いと思うが、やはり興味深い。キモはシリーズのある作品と共通してますな。

Cキドリントンから消えた娘
 Last Seen Wearing
C・デクスターハヤカワ文庫推理
392頁720円★★★

 前任者の事故死でモース警部に回ってきた捜査は、二年前に失踪した女子学生の捜索だった。モースは彼女がすでに死んでいるとの直感のもとに、部下のルイスとともに関係者を洗っていくが、そのうちの1人が刺殺される事件も起こり・・・。

 事件の発生時点で何らかの不可能状態が構築され、それを論理的に解決する態の推理小説ではなく、少ない前提条件のもと、仮定の推理を組み立てては、新たな事実の発見により瓦解、新たな視点で再度推理を組み立てて・・・、というように次々と構築される解釈を楽しむ作品だ。
 非凡な発想力と行動力を持つ一方で、やたらとエロ親父的な妄想にも襲われるモース警部の造詣は面白く、前述の特色が顕著な終盤はさすがに面白いのだが、前中盤は読み進めるのにパワーを要した。これは私の記憶力と集中力のなさ、あるいは常識のなさが原因だが、キドリントンオックスフォードロンドンの地理関係が最後まで今ひとつ掴めず、ストーリーに入りきれなかった。
 あとがきを読むまで、モース警部の所属がどこにあるのかも理解できなかった体たらくだ。

 ところで、本書は70年代の作品で比較的新しい(私がすでに生まれている年代の)作品だが、モースの時間管理はかなりルーズだ。深夜まで働くかと思えば次の日は夕方まで寝てたりする。オックスフォード州テムズ・バレイ警察はみあげた自由裁量制を取っているようだ。

 彼、勤務中にもグビグビ飲酒しとるのよな。
 そんな特異な行動について、モースはなんの良心の咎めも感じていないようだが、これはモースの性格が破格なのか、英国の実態がある程度それを許す環境だったのか、実際のとこ彼の国の労働事情はどうなのだろう。?

D吾輩はシャーロック・ホームズである
柳広司角川文庫推理
272頁552円★★★

 ワトスンのもとに妙な東洋人が連れられてきた。日本からの留学生ということだが、少々気がおかしくなって自分をシャーロック・ホームズだと思い込んでいるらしい。不在のホームズからの指示もあって、ワトスンはこの東洋人をホームズとして遇することになったが、その“ホームズ”と二人で参加した交霊会で、霊媒師が毒殺される事件が起こり・・・。

 この“ホームズ”と名乗った東洋人ナツメが夏目漱石というわけだが、私の知る限りでは、この取り合わせは御大「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」に続いて二冊目。どうやら他にも例はあるらしい。
 シャーロック・ホームズを好きな人間が多少日本史をかじって、夏目漱石がベーカー街近辺に下宿していた事実を知ったならば、これは唸ってしまうこと確実なので、欧米人がホームズと切り裂きジャックを対決させたがるのと同様、自然な取り合わせと言っていいだろう。

 さて、「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」では、漱石の目からみたホームズの奇矯なふるまいをパロっていた印象があるが、本作では、夏目漱石自身が心を病んでホームズ自身を演じるという設定が特長だ。(留学時代の漱石が鬱々としていたことも史実である)

 事件自体や謎解きの印象はあまり残らないのだが、これは島田作品でも同様。だった。どうしてもインパクトのある設定に全体の印象が引っ張られるので、仕方のないところか。しかし“大英帝国”に疑問を抱くことない原典に対して、その時代のイギリス人を糾弾する展開となっているのが秀逸だ。ワトスン自身はあんな目に遭いながら、中身はさして心に届いていないようなのがご愛嬌だが。

 ワトスンといえば、「四人の署名」のことを連想しながら、不幸にも先立った(はずの)妻について何の言及もないのは、個人的には少々残念だ。

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