2012年 4月
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@モノ言う中国人
西本紫乃集英社新書社会/民族薀蓄
223頁1500円★★★
 モノ言う中国人、つまり言論の自由のない中国でも、インターネットの普及によって下々の声が言論に影響を与え始めていることを指している。
 もちろん共産党はインターネットも完全に管理下におきたいことに違いはないわけだが、匿名性の高いインターネットでの完全管理は不可能。結果として、これまで決して表出することのなかった暗部が明るみに出るようになってきた。例えば、あるレンガ工場での労働環境の実態だ。(誘拐されてきた子供が、長時間奴隷のようにこきつかわれていたという、トンデモナイ事例。多大な努力の末に誘拐されていた息子を探しあてた両親が泣きじゃくる横で、当の息子は無表情で立っているという衝撃的な写真がネットに載った)

 これなどは、彼の国の民度を挙げることに繋がるので、誠に目出度いわけであるが、手放しで喜んではいられない。
 この件に対してのネット上掲示板への書き込みの中には、“自国内にこんな事例があるなんて恥ずかしい”というもっともな意見があるのと並んで、“こんな状況が中国にあるのは、日本の侵略の所為だ。奴らが恨めしい”といったものまであるからだ。

 数年前に問題になった反日暴動などは、よく想像されるところの、共産党が裏で糸を引いているというのではなくて、ネット上で燃え上がった反日によるものらしい。党はむしろ火消しに回ったらしいのだが、中国で強烈な勢いで増え続けるネット人口は、十代、二十代の若い世代に偏っているという実態がある。
 つまり共産党の愛国教育、つまり反日教育に結局は原因があるわけだ。  いい加減に、共産党は自己を絶対正義化するために、その黎明期の敵国であった日本を、いつまでも槍玉に挙げて教育するのはやめてほしい。
 私は日本による非道な行いがあったか/なかったかという恣意的に単純でやらしい問いに対しては、もちろんゼロではなかったと思う(これにしてもさらに言い分はあるが、ここでは述べない)が、もし自国/他国の一般民衆に対する非道な行いを、絶対的に中立化された判断基準でもってリスト化することが可能であったとしたら、その結果は日本よりも中国の下に遥かに膨大なリストが並ぶことは確実だと思っている。

 因みに、ここまでは党によるネットの言論統制はムリだという流れになっているが、それは放棄したというわけではもちろんない。
 ウーマオダン(五毛党)という要員が、ネット上の掲示板に共産党寄りの「正しい」意見をせっせと書き続けているのだ。(一件のコメント毎に1毛(=1角)が報酬となる歩合制?らしい。)
 その数甘粛省だけで650名。←省の宣伝部長が言っちゃった!
 一説には、となると、中国全土では10万人を超える要員がいるということだ・・・。
Aある閉ざされた雪の山荘で
東野圭吾講談社文庫推理
292頁533円★★★
 ○○のとあるペンションに、劇団のオーディションに合格した男女7人が集まってきた。劇の内容は、大雪で外部と遮断された山荘が舞台の推理モノらしいが、脚本ができているわけではなく、彼らだけで演劇の基本的な流れを実体験させるつもりらしい。不可解に思いながらも、不在の脚本家の指示ということで彼らは生活を始めるが、一夜明け、二夜明け、殺害されたという設定で仲間が消えていくとともに、残された男女には、はたしてこれは劇なのかという疑念が生じる・・・。

 裏表紙に書かれたこの設定に惹かれて、以前から読みたかった一冊なのだが、あまりにメジャーになった著者の作品を読むのが気恥ずかしく、アマノジャク精神でこれまでは敬遠していた。

 最後に明らかになったように、<ネタばれ反転>劇の内容も何等決まっていない時点でオーディションなんてすることあるのかという疑問はさておき、不審に思いながらも脚本家(の息のかかったスパイ)に少しでも気に入られようとして、ペンションでの生活を続けるというトリッキーなシチュエーションは面白い。
 正直なところ、何らかの形で彼らの行動が脚本家に伝わらなければ意味がないので、<ネタばれ反転>スパイ云々というよりも、モニターはともかく盗聴器が仕込まれていることには容易に気づくだろうが、観察者が同じ建物の中に隠れていることには思い至れなかった。ペンションの間取りにその空間が明示されていることを考えると、これは全く迂闊といってよい。悔しい思いでいっぱいだ。
 <ネタばれ反転>また観察者に見せるための演技をしていたというウラのウラ設定が秀逸だ。
B100人の森博嗣
森博嗣講談社文庫エッセイ
295頁581円★★★
 本書はVシリーズの最終巻「赤緑黒白」が文庫化されたときに、一度別の出版社から文庫化されていたらしい。
 前半はVシリーズ+αの自作解説、中盤は他作家の作品に寄せた解説、後半はエッセイとなっている。

 私は優秀な森作品ウォッチャーではないので、S&MシリーズVシリーズは読破したものの、彼の作品の面白さは推理小説とは別のところにあって、謎解きとしての面白さは今ひとつだと思っていた。そういった訳でかなり読み流していたので、「四季 秋」まんまと驚いてしまったクチだ。しかしかなりあからさまに、両シリーズの関係について記載された本書が出ていたことに驚いた。

 「人間は考えるFになる」で対談した土屋賢二氏についても書かれているが、私としては、同じお茶の水女子大学繋がりで、ぜひ藤原正彦と対談して頂きたい。
 著者は歴史には興味なさそうだし接点はないと思うが、教育に対する考え方では意外に話が合うような気がする。少なくとも土屋氏とよりは話が噛み合うのでは?

 高校生のレポーターに対して、若い頃のほうがストレスが多い。歳を取るにつれてストレスは減っていくと話しているが、これを言える大人はどれだけいるだろう。著者に対してはなにかと羨ましい。

 ところで、最近TVでバカリズムをみると、あ、森博嗣だと思ってしまう。
 そんなに顔が似てるというわけでもないのだが。
 ちょっと斜めから発想するようなコメントからの連想かなぁ。
C異星人の郷 上下
 Eifelheim
M・フリン創元SF文庫SF
349頁/351頁940円/940円★★★
 1348年。神聖ローマ帝国領域内の一村、上ホッホヴァルトの住人の多くは奇妙な感覚とともに目覚めた。夜明け前だというのに空は白くなり、毛は逆立って協会の十字架の先にはセントエルモの火が点った。これが中世ドイツの村人とクレンク人たちとの奇妙な交流の開始を告げる前兆であった。一方現代、統計歴史学者のトムは、ペストの時代以降人が再定住しなくなったアイフェルハイムの謎を追っており、ルームメイトの宇宙物理学者シャロンは、ジャナパー空間の幾何学に取り組んでいたが・・・。

 1348年のドイツと現代のアメリカ?を交互に描いているが、元々は現代編のみからなる中編だったらしい。
 しかし長編として新たにまとめられた本書は、八割方が中世に人知れず起こっていたファースト・コンタクトの顛末である。クレンク人で喋る頭の侍従(通信士官といったところか?)ハンスと、公にできない秘密を抱えたディートリヒ神父(当時の最新科学知識と柔軟な知性、そしてカトリックの宗教観を所持)とのコミュニケーションを中心に描かれていく。双方の進化のベースや宗教感覚からくる理解のズレなどにニヤリとさせられるが、奇を衒うことなく、むしろ淡々と静かにクレンク人と村人の出会いと別れが描かれていく。
 また歴史に興味のないSFファンにはややつらい面もあろうが、私などは、クレンク人とのコンタクト以上に、ドイツの田舎にあった小村での当時の生活感がよく伺える描写が興味深く楽しかった。

 静かな進行の中にクレンク人、村人双方に忍び寄る悲劇の予感は、脳天気な展開へと意表をつかされるべくもないのだが、それだけにエピローグとなる現代編が、過去への叙情と未来への期待でしめくくられ、とても印象的な読後感を残す良作だ。
D冷たい密室と博士たち
 Doctors in Isolated Room
森博嗣講談社文庫推理
404頁629円★★★
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