2013年 4月
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@QED〜flumen〜九段坂の春 (2007)
高田崇史講談社文庫歴史ミステリ
386頁676円★★★

(1)九段坂の春
 1981年春。
 九段坂中学校1年の桑原崇は、あまり人付き合いをしない寡黙な少年だったが、理科の教科担任五十嵐弥生にだけは、古典や歴史で大きな影響を受けていた。一方桑原と同級の鴨志田翔一は、彼と会った直後、不運な死亡事故の第一発見者となるが…。

 次の「QED諏訪の神霊」で再登場する鴨志田の一人称視点で始まる本編は、短編だというのに、岩松、弥生、崇と視点がコロコロ切り替わるし、事件?の真相が明示されるわけでもないので、推理小説としてはまことに残念な感じ。作者の思い入れの強さとは裏腹に、なにやら習作を読んだ気分だ。
 ただし本編(と「那智の冬」)を読んでいないと、「QED出雲神伝説」がやや唐突になってしまうので、おさえておくにこしたことはない、困った外伝である…。

 個人的に印象に残ったのは、三島由紀夫「豊饒の海」の関係。【注1】

(2)北鎌倉の夏
 1984年夏。
 高校1年の棚旗奈々は、別の高校の空手部男子学生と友人ちょい越え恋人未満の淡い関係。
 近くの鎌倉宮の管理人が死んだ事件がセットされるが、やはり事件については期待はしないほうがいい。

 本書では、シリーズ主要人物の若き日を語るのがメイン目的としてドンとあるので、むしろ短編にもかかわらず、現実の事件(もしくは歴史の謎)をオミットしなかったところを褒めたたえるべきだろう。

(3)浅草寺の秋
 1985年秋。
 大学一年の小松崎良平は、高三から軽くつきあっていた江川優里から、姉が以前の彼氏と心中してしまったことを聞かされる。彼女はすでに別の男とつきあっており、前の男と心中というのは不自然だったが…。

 小松崎と鴨志田のニアミス。声をかわした訳でないので、記憶される事はないかな。「QED諏訪の神霊」で会った時に、それらしい会話をしたのかどうか、…思い出せません。

(4)那智瀧の冬
 1990年or1991年冬。
 和歌山県勝浦の海辺に、顔が異様に膨らんだ男の死体が流れ着いた。地元の有力者で、女子高生に自分の愛人になることを求めるいけすかない男だったが、何らかの毒物を飲まされたらしい。
 和歌山大学の学生御名形史紋は、ある毒物に気がついて…。

 ははぁ。彼にとっても、彼女はアイリーン・アドラーなわけでしたか。

【注1】 たまたま「春の雪」だけ所持しているのだが、未読が続いている…。

(2015/11/29記)

Aそうだったのか!中国 (2005)
池上彰講談社文庫歴史・社会薀蓄
429頁724円★★★★★

 なんとも内容が豊富な本なので、印象的な箇所をチョイチョイと選んでコメントできるようなものではない。
 TVと同様、言葉を選んであまり攻撃的にならないように気を遣った制御された文章だが、それでも中国の異形さ、怖さがひしひしと伝わってくる。

 かのチベットのトップがダライ・ラマだというのは常識だと思うが、ナンバー2はパンチェン・ラマという。彼らのどちらかが死去した際には、もう一人が相手の転生者(子ども)を探して指名する決まりであるらしい。
 ちなみに先代のパンチェン・ラマが死去して、ダライ・ラマが次代にと指名した少年は、その直後に行方不明となり、現在のパンチェン・ラマは中国側に指名された人物らしい。
 …中国のチベット征服、完了寸前じゃね?

 昔天安門事件(第二次)が起こった時、ソ連も崩壊に向けて進んでいた砌、中国も共産党が滅ぶ潮になってきたなと印象をもったものだが、結果は真反対。若者への思想教育が不十分だったと反省した挙句の愛国教育がスタートして、今日の反日が蔓延るスタートとなった。
 愛国=愛共産党。共産党は大日本帝国との闘いの中から生まれてきたということで、共産党が絶対正義である以上、日本は絶対悪なのである。若い世代に反日が日々量産されてしまっている訳だ。

 なんとか対中国関係は敬して遠ざける方向に舵をきれないものか。
 経済なんてものは、やってしまえばなんとかなると思うのだが。
 尖閣問題もあるし、無理か…。

(2014/8/4記)

BQED 諏訪の神霊 (2008)
高田崇史講談社文庫歴史ミステリ
467頁743円★★★

 1998年。珍しく崇から誘われた奈々は、GWに二人で諏訪の地を訪れる。現地で崇の友人の鴨志田翔一たちと合流した二人は、四社を廻りながら諏訪大社の様々な謎に挑む。一方鴨志田が社宅として住んでいる住宅地では、前年秋から不気味な連続殺傷事件が起こっており…。

 諏訪大社については、なぜか出雲国譲り神話健御雷にボロ負けした健御名方が主神だというので、不思議だなとは思っていたが、深い話はまるで知らなかったのが実状。わたしの信州方面の地理感覚は、信玄絡みの大河ドラマを見る際に地図での位置関係を見たことしかない。(有名な御柱に関しては、高橋克彦「竜の棺」「星封陣」だかでトンデモ魅力的な使われ方をされていたのを読んだ筈だが、内容は忘却してしまった…。)

 そんなまっさらに近い状態でまず驚いたのは、一般に諏訪大社と呼ばれる神社が、上社(本宮、前宮)下社(春宮、秋宮)の四社に分かれていること。(常識知らず?)
 そしてさらに驚いたのは、前宮で毎年実施される御頭祭についてだ。江戸時代のある時期までは、なんと毎年75頭の鹿をはじめ、多くの動物が残酷に解体されて供えられていたという。

 御柱の謎(一般的には漠然と神と同体とされながらも、その運搬形態は、例えば伊勢神宮遷宮におけるそれとは明らかに異なり、とても神――に準ずる神聖な品――に対する敬意の感じられない荒っぽさである。そもそも御柱とは何であるのか?)も魅力的だが、個人的には、古代の神社は然程血をケガレとしていなかったということに驚いた。節目の行事に対して牛馬を供えることの禁止令は、8世紀の聖武天皇の時代だという。(禁止令が出されたとは、言い換えれば、その時まで牛馬を生贄に捧げていた事例があったということだ)

 たしかに古代の天皇は自ら剣を携えて戦ったのだから、ケガレ々々と騒いではいなかっただろう。やはり武装放棄した桓武天皇以降の平安時代に、ケガレ思想が形成されていったのだろうか…。

 物語中現代の事件に対しては、  …まぁ不問でいいでしょ?

(2013/12/27記載)

Cカンナ 飛鳥の光臨 (2008)
高田崇史講談社文庫歴史ミステリ
318頁629円★★★

 伊賀一の宮、敢國神社の近くに位置する出賀茂神社から、「蘇我大臣馬子傳略」なる古文書が盗まれた。また飛鳥では、聖徳太子関連の事物の盗難が相次いでいるらしい。これらの情報を得るために、出賀茂神社の跡継ぎ鴨志田甲斐とバイトの巫女中村貴湖が飛鳥へと向かう。一方飛鳥に位置する地方出版社歴史探邦社では二つの殺人事件が起こっており、二人はこれに巻き込まれることに…。

 桑原崇を主役に据えたQEDシリーズと同じ世界を舞台とした新シリーズが開幕。QEDシリーズに何度か出てきた崇の同級生、鴨志田翔一の弟が甲斐という設定だ。

 元シリーズからして、歴史蘊蓄を「主」、それをなぞらえた現代の事件は「従」として流して読んでいたが、本シリーズの現代パートは、活劇テイストが加わった妙なテイストになっている。なんというかラノベ度合いが激しく正直まるで惹かれなかった。
 蘊蓄はあいかわらず魅力的ではあるし、次巻の天草にもたっぷり興味がある(まさか天草のキリシタン一揆の実態が、旧小西家臣の浪人主導による農民一揆だったというような、簡単な話ではないことを期待している)のだが、どうしたものか。

 因みに本書の蘊蓄パートは、聖徳太子の実在性、蘇我一族の実像である。QEDシリーズにおいても、最後の崇の〆台詞の証明終わりには納得しきれないのが常だが、本シリーズではもう少し手前、一般的には歴史的事実とされている記述への疑念の提出といった位置である。

(2013/11/26記載)

D横溝正史読本 (1977)
小林信彦編角川文庫推理小説薀蓄
276頁514円★★★★

 1970年代の角川文庫のヒットから、再度横溝正史と金田一耕助が脚光を浴びることになった。
 この1977年の対談は、角川/東宝版(「犬神家の一族」)松竹版(「八つ墓村」)の映画の企画が進行中の時期。映画に関しては、横溝正史自身は気楽に制作会社まかせにしているようだが、金田一耕助の配役として、渥美清に期待していることがうかがわれて興味深い。(対談時点で東宝、松竹ともにキャスティングは未決定だったらしい)

 横溝正史はこの対談と、そのホストの小林信彦をベタ褒めしているが、日本の推理小説勃興期の証言記録ということで、とても貴重である。

 戦後を待っていたかのような横溝正史の活躍で、江戸川乱歩の次世代の代表推理小説作家としてのイメージが強いが、デビュー自体は横溝正史の方が二年早く1921年である。しかし戦前は作品よりも「新青年」の編集長をはじめとした雑誌編集者としての顔が有名だろう。(それを手引きしたのは乱歩だ)
 編集者として、日本の推理小説発展期(海外作品の紹介も含めて)の生き証人として、対談で当時の状況を語っている。
 このあたりも興味深いが、最も興味が沸くのは、やはり古典的傑作としての評価も定まった、戦後の一連作品に関しての裏話である。

 後半には、「本陣殺人事件」に対する江戸川乱歩の評文、「蝶々殺人事件」に対する坂口安吾の評文が収められている。二人ともに推理小説論にもなっており、とても興味深い。
 また横溝正史のコラムも収められているが、これも著者のもとからはとっくに散逸していたものを、小林信彦が見つけてきたらしい。

 横溝正史が、自分の推理小説の作風を、“コネコネクチャクチャ推理小説”と呼んでいるのがオカシイ。探偵がコネコネクチャクチャと論理をこねまわした後で、おもむろに犯人はAである、またはBであるCであると指摘しても、大抵の読者は納得してくれるという便利なテクニックだと自ら揶揄している。
 数学と違って、人の暮らしの中での“論理的”は、3つ4つ重ねるとすぐに精度をなくすのは確かだ。だから作者の筆次第で、適当らしいオチに誘導することは可能だろう。
 しかし“大抵の読者が納得してくれる”ためにはかなりの筆力が必要なので、逆に言えば、自分の文章に自信を覗かせた発言と捉えることもできる。
 ちなみに、後に横溝作品の映画化において、原作からの犯人の変更はままあったが、全体の印象は然程変わらないという事例もある。

   とにかく推理小説ファンならば、絶対のお薦めだ。(ただし古典の有名処は事前に読んでいないと、平気でネタばれがあることには注意が必要だ)

(2014/2/13記載)

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