1989年5月、新興宗教汎エーテル教団の教祖に脅迫状が送り付けられ、その犯人捜しを法月綸太郎が依頼される。教祖は9日のうち3日間の周期で、80mの塔の上にある部屋で断食瞑想する課を組んでおり、綸太郎との面談の後もその塔へと姿を消した。一方新宿のマンションで首なし死体が発見され、綸太郎の父親法月警視等が捜査を開始したが、やがてその死体がどうやら瞑想中の教祖である疑惑が生じ…。
本書が発表された80年代後半は、多くの新興宗教が発生し、法人化された時期である。
もちろん著者に社会派ミステリを書く意図はこれっぽっちもなかっただろうが、例の世界を震撼させたテロ事件(この教団の法人化はまさに1989年)を経験したわれわれが読むと、若干物足りなく感じてしまうのは仕方のないところか。本書にはジャパゆきさんなんて懐かしいキーワードも出てくるが、もちろんそれも主要なテーマではない。
といったところで、本書には新興宗教組織の蘊蓄という観点ではさほどの情報はないのだが、冒頭の甲斐三兄弟の生い立ちの簡単な説明が、不可能犯罪と論理的な謎解きが好きなミステリ・ファンにとっては、なかなかリーダビリティを高めてくれる。
このプロローグといいこの題名といい、ミステリの定番アイテムを真っ向から提示しているところがすばらしい。
こういった場合、このあからさまな提示自体をレッド・ヘリングとしてウッチャリをかけてしまいそうだが、さすがは本格ミステリ界保守筆頭と言うべきか、入れ替わりネタの範疇でこねくりまわしてくれる。
ただし上記の情報がアドバンテージとして与えられる分、読者に真相は見えやすくなっている。探偵法月綸太郎が辿りつくよりも早く、気付いてしまうかもしれない。
本書において、綸太郎は次から次へと思いつきを並べ立てては覆される。
著者があとがきでコリン・デクスターを意識していたと書いているが、これでは法月綸太郎がさほど賢くみえないのが残念なところ。
また、甲斐三兄弟を三つ子にしなかったことは、それではさすがに趣向がバレやすいと考えたのだろうが、真相のひとつ手前、つまり<ネタばれ反転>甲斐辰朗と安陪兼等の入れ替わりは、遺伝子も共通でなければ育ちも環境もまるで接点がない訳で、なかなか納得し難い。綸太郎があっさりその解釈に飛びついていることも、彼が賢く見えない理由の一つだ。しかも<ネタばれ反転>兼人と実際に一卵性?双生児の誓生があっさりだまされているのもどうかと思う。
これは探偵法月綸太郎というよりも、作家法月綸太郎が人物の入れ替わりを安易に利用しすぎなのではないか。前作もそうだ。
登場人物紹介欄での綸太郎が、“探偵”でも“推理作家”でもなく、“詭弁家”であるところが確信犯的といったところか…。
(2013/11/30記載) |