2013年12月
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@アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない
 (2006〜2008/2012)
町山智浩文春文庫社会薀蓄
242頁533円★★★★

 初出が2006年から2008年に雑誌連載されたコラムということで、バラク・フセイン・オバマが民主党の大統領候補に決まったあたりまでの内容だ。したがって本書で取り上げる米国のトンデモない問題点というものは、そのほとんどが息子ブッシュ政権(副大統領はチェイニー)の無策、誤策ぶりに根がある。マイケル・ムーア「華氏911」「シッコ」を観たことがあれば、内容はかなり被っているし、免疫がかなりできているかもしれない。しかしそちらを未見ならば、かなり衝撃的であろう。
 最近は“中国がトンデモない”事や“日本は捨てたものでもない”事を主張する本やTVが目立つが、米国もまたトンデモない国であることを教えてくれる。

 北朝鮮の拉致問題に関して、われわれはつい、アメリカさんがもっと強く北朝鮮に迫ってくれないかななどと思ってしまいがちだが、“テロとの戦い”の名目で、CIAも国外で容疑者の拉致を繰り返している(しかも冤罪もある)現状では、とても偉そうなことは言えないのだろう。わたしがもっとも衝撃を受けたのは、自国では法律上拘留期限であったり拷問禁止があったりと規制が多いので、そこら辺が緩い国(モロッコ、シリア等)に容疑者を輸送して、尋問(拷問)を行っているという件だ。同じ共和党でもマケインなどは、このようなやり方に反対しているといった記述もあるので、事実無根とかいったレベルではなさそうなのが怖い。

 他にもトンデモない内容がたっぷりだが、キリがないのでやめておく。惜しむらくは、今回の文庫化にあたって僅かながらコメントが追加されてはいるものの、いかんせん2008年以降の情報が少ないことだ。オバマ政権が当初の期待ほどに経済等の改善実績があがっていないと漏れ聞くが、ブッシュが残していった大量のウンコ掃除に困っている面も大きいのだろう。

 因みに、題名に関しては著者に責任はないだろうが、ここで言うニューヨークとは、マンハッタン島に代表されるニューヨーク市ではなくて、ニューヨーク州のことだ。(本文にそう書いてある)
 これって、感覚としては、関西以西に暮らす日本人に東京周辺の県の位置を示せない人がいるのと、似たようなものでは?

(2014/2/10記載)

A伊藤計劃映画時評集1 (1998〜2000)
 Running Pictures
伊藤計劃ハヤカワ文庫映画薀蓄
302頁740円★★★

 不明にして、つい先日まで著者の名前はを知らなかった。
 本屋で何冊かの著書が平積みされているのが目に止まったのだが、映画批評らしい本書をぱらぱらと捲ったものの、わたしよりも若い著者がすでに物故していることに気付かなければ、本書を購入することはなかっただろう。

 基本的に自分が好きな映画しか取り上げない。また一般的にヒットはしない映画でも、別の見方を提示することで読者を映画館へ誘導するのが目的だとのコメントがあるが、いやいやどーして結構痛烈に批判してるじゃないですか。書き忘れたが、本書のテキストは、著者が作家としてデビューする前にHPで公開されていたもので、基本的に一般上映前あるいは上映中に書かれた文とのこと。
 二分冊の前半が本書で、1999年から2000年に日本公開された映画から50本弱が取り上げられている。

 著者が美大出身ということで、映像設計に関するコメントの引き出しがもちろんわたしより遥かに多い(音楽関係も…)が嗜好に関してはかなり近いように思う。「アルマゲドン」平成ガメラ・シリーズに関する感覚的な好き嫌いは同じだ。

(2014/2/10記載)

B池上彰の新聞勉強術 (2006/2011)
池上彰文春文庫社会薀蓄
263頁600円★★★

 新聞がそれぞれ各社ごとに、事実に対しての偏向性を持っていることを知ったのは、もう十数年も前のことだが、同じ新聞でもどこの支局で印刷しているのかで内容が異なったり、また同じ支局発の新聞でも、印刷所からの距離の差で、早い版と遅い版で三種くらいの違いがあるということは知らなかった。(印刷所から距離が遠い地域には早い版が輸送され、近い地域には、可能なら最新情報を更新させた遅い版が配送される)

 因みにわが家の今朝の新聞をみてみると、統12版と13版が入り混じっていた。
 “統”というのは統合版のことで、夕刊をカバーしていないエリアでは、一部夕刊の内容を反映させた朝刊(統合版)のみの配達ということになるからだ。14版がないとこからも、わたしの居住エリアが都市部でない事が想像できる。

 本書で著者が結論的に述べているニュースの手に入れ方は、
(1)速報はインターネット乃至TVのワイドショーで入手。
(2)その中で、気になったニュースは、新聞で熟読。
(3)続報を含めてある程度熟された情報は、週刊誌、月刊誌で補完。

 尚、(2)については一誌だけでなく、セカンド・オピニオン的に二誌、三誌と併読するのが望ましい。

ということになる。正直言って、一般誌と経済誌を併読するビジネスマンはかなりいるだろうが(わたしもビジネスマンのうちだろうが、そんなこと考えたこともない!)、著者のようなプロでもなければ、複数の一般誌を併読するのはかなり難しいと思う。

 それだからこそ、著者のニュース解説番組がこれほどまでに受けているのだろう。わたしもなるべく視聴するようにしている…。

(2014/3/10記載)

C逆説の日本史16 近世名君編 (2007〜2008)
井沢元彦小学館文庫歴史薀蓄
★★★★

 前巻が主に徳川幕府の寿命を縮めた“バカ殿”関係だった反動からか、本巻の前半では時代を巻き戻して、徳川政権初期から中期にかけての名君の治績を取り上げている。徳川光圀(御三家、水戸藩)保科正之(幕閣、会津藩)池田光正(備前岡山藩)上杉治憲(米沢藩)といった人選で、上杉治憲(鷹山)以外は17世紀の人物だ。
 ただし治績といっても、名君がこんなことした、あんなことしたという履歴の紹介だけでないのが、このシリーズの面白いところだ。

 例えば、保科正之は最近では名君の代名詞として知名度がグンと上がっているが、彼についても、一見マイナスの事歴も書かれている。それら治績のプラス面、僅かなマイナス面の双方についても、彼らが日本的儒教【注1】の信奉者であったという立場から、うまく説明をつけている。

 後半は江戸文化の変遷を扱っている。連歌俳諧から発展し、松尾芭蕉が文化としての格を挙げた俳句。上方で始まり江戸で発展した歌舞伎。その他落語などの発展が語られるが、単純に各時代の代表的な人物名や作品を挙げる教科書のような記述ではなく、大衆に与えた文化的影響の大きさについて考察されているところがとても興味深い。

 また本巻を通して語られるのが、名君、庶民、各々の江戸期日本人が、どこから教養を得ていたのかという分析である。
 よく日本人は無宗教と言われる(しばしば本人もそう思っている)が、そうではなく、神道国家神道ではなく)の、あるいは日本教の信者なのだと、本シリーズではよく語られる。
 「古事記」ケガレを、「万葉集」等の和歌集でコトダマを、「平家物語」「太平記」怨霊を民族の裡に吸収していったのだという。特に、最初から琵琶法師の語りで広めることを企画された「平家物語」が庶民の識字率アップの底上げに果たした巨大な功績を称えている。
 幕末日本人庶民の識字率の高さは、当時世界に驚きとともに伝えられたらしいが、それは決して江戸時代の平和が長く続いて生活の余裕が出たとか、商業の発展に伴って教育の必要性が高まったとかいった簡単なものではないという主張だ。
 同様に、武士たちが儒教的教養を身につけたのも、最初から「論語」「孟子」で勉強したわけでなく、最初の素養となったのは、多くの場合「太平記」の注釈書「理尽鈔」だと解説されている。少なくとも江戸中期の学者として有名な新井白石は、自著「折たく芝の記」でそのように書いているとのことだ。

【注1】後に朱子学的道徳から尊王攘夷運動が展開されたことでも解るように、日本の儒教(学)には神道との結びつきが強い。しかし本来の儒学は、孔子「君子怪力乱神を語らず」という言葉があるように、宗教とは背反する教義である。(儒学自体が儒教という宗教のようでややこしいのだが…)

(2014/4/1記載)

D高山殺人行1/2の女 (1984)
島田荘司光文社文庫推理サスペンス
255頁427円★★★

 1983年10月。国道141号を清里方面に、派手な格好の若い女が赤いMGBを走らせていた。とある目的で、人目を惹く服装と車で自分の姿を周囲に適度に晒しながら、清里から松本を経由して高山へ向かう予定である。しかし車は清里の手前でオーバーヒートしてしまう。通りすがりのライダーにファンベルト切れの応急手当てをしてもらいその場はなんとか凌ぐが、本修理のために軽井沢へMGBを進める彼女の前に、奇怪な現象が起こり始めて…。

 英国製スポーツカーのMGBは、この物語の時点ではすでに生産終了していたのだが、この車種選択は著者の好みなのだろう。今現在でもヴィンテージ・カーの導入モデルとして結構流通があるらしい。

 本書はトラベル・ミステリーらしい。と言えば、ついついトレインと結び付けてしまいがちだが、たしかに車版のトラベル・ミステリーがもっとあってもいい。考えてみれば、わたしなどは細かな時刻表と首っぴきするのは好きではないから、多少ざっくりな管理でOKな車ミステリのほうが、エンターテインメント嗜好と組合わせるにも向いている気がする。
 とは言え、実は本書でもカーチェイスのシーンがあるのだが、これはまったくの不要だ。
 昔のカレからドラテクを教わっていたなんて苦しい設定を主人公のマリに語らせてまで、わざわざ追加するほどの価値はなかった。

 また本書をトラベル・ミステリーとして評価するならば、旅先の描写がほとんど考慮されていないこともマイナスだ。一人称視点人物のマリが途中から情緒不安定なこともあって、周りの風景や土地の来歴に思いを馳せる余裕がないのである。
 見方を変えればサスペンス重視という言い方もできるが、そこを好意的に考えても不十分な読後感。
 それは(安いTVドラマよろしく)主人公が都合良く何度も意識をなくすところであったり、キーパーソンの銀色上着のライダーの絡み方の処理だったりする。気持ちの良いサスペンス感が阻害されるのだ。例えば<ネタばれ反転>マリに寄ってくるライダーの動向を気にしていた筈の犯人たちが、最後まで彼の動きに無警戒だったことはかなりハテナだと思うが如何に?
 また、彼女にとってはまったくの不思議状況だが、登場人物が少ないこともあって、読者にとってはかなりのところまでオチの想像がついてしまうこともつらい。<ネタばれ反転>ひとつの突発事項が騙す側と騙される側のニアミスを起こしてしまうアイディアは面白いのだが。

 本書で紹介されていて初めて知ったが、MGBには通常の機械式MT(マニュアル・トランスミッション)に追加して、年式によっても異なるが、ボタン式で油圧制御のオーバードライブが装備されていたらしい。その運転心地は知りたいところだ。
 表紙に描かれているようなラバーバンパー仕様(烏の嘴のようですな)だったのかどうかは本文中に描写はない。

(2014/2/10記載)

E魔群の通過 (1978)
山田風太郎ちくま文庫歴史
379頁950円★★★

 幕末の争乱から30年ほど。福井県判事の武田猛は、それまで固辞していた天狗党に関する記憶を敦賀史談会の前で語り始めた。それは安易に話すことなどとてもできない壮烈な体験であった…。

 天狗党の首謀者の一人武田耕雲斎の息子で、当時十二、三歳で一連の騒動に参加していた猛を語り手として、最初から最後まで構成しており、彼や金次郎、丑之助、おゆい、お登世が絡んだ個所には創作が多いのだと想像するが、著者の作品群の中では飛びぬけて史伝に近い作品と思える。
 天狗党事件は、尊王攘夷の旗頭であった水戸藩が、なぜ維新後の明治政府に高官を一人も送り出せなかったのか、その理由を説明する悲劇として触れられることは多い。しかしこの事件をメインで語った史伝や小説は、これまで読んだことがなかった。
 行軍の厳しさ、結末の悲惨さもさりながら、冒頭100頁あまりの、絶望的な行軍を開始するまでの常陸上州界隈での状況、そこに至るまでの背景説明がややこしくも興味深かった。

 本書での状況説明は、「逆説の日本史」において、水戸藩だけは最初から(初代頼房二代光圀時代から)尊王よりで動くように設定されていたという主張とは大きく異なっているように感じる。(設定されていたのなら、その思想は後代にうまく継承されていなかった)
 そのあたりを「逆説の日本史」幕末編でどのように解説されるのか、とても興味があるところだ。

(2014/3/10記載)

F消える「水晶特急」 (1985)
島田荘司光文社文庫警察/サスペンス
355頁505円★★★

 1985年4月。国鉄の新型展望列車クリスタル・エクスプレスがお披露目され、東京から秋田県の酒匂に向けて処女発進した。酒匂出身の大物代議士の加灘が到着地を選定したのである。ところが加灘代議士に恨みを持つ男が、発進早々のクリスタル・エクスプレスをジャックし、病気のために搭乗できなかった加灘を連れてくるように強要する。犯人の男は酒匂の駅に加灘を連れてくることで妥協し、列車は酒匂に向けて再発進するが、酒匂到着目前に列車自体が五両編成丸ごと消失してしまい…。

 どういった背景で執筆されたのかは判らないが、女性嫌いの著者(決めつけてスミマセン…)が女性を主役とした異色作である。しかも前半は列車に搭乗して人質のひとりとなる蓬田夜片子を視点人物として進み、中途からは車外にいるその相棒の島丘弓芙子が視点人物に切り替わるという作り。消えた列車のサスペンスに慄くという意味では、島丘が主役といっていい。そして彼女らが軽く心惹かれるハンサムな刑事が吉敷だ…。
 といった吉敷シリーズ外伝になっている。

 題名ともなっているクリスタル・エクスプレスが“消える”ことについては、冒頭に詳しい地図が載っていることもあって、結構気付きやすいのではないかと思うが、その後消息を絶ったままであることは別の話。こちらが終盤近くまでホワイダニットで引っ張ってくれる。アクロバティックであり、このような緊急措置が現場指揮官(吉敷だ)の強行で対応できるのかは疑問だが、なかなかよく考えられていて感心した。(再読なのに…)

(2014/2/10記載)

G消える上海レディ (1986)
島田荘司光文社文庫サスペンス
265頁480円★★★

 1985年12月。神戸―上海間を結ぶ客船の新たな就航にあたって、運航会社は青いチャイナ・ドレスに青いつば広帽子といった形の“上海レディ”を選出し、宣伝を図った。女性雑誌「L・A」からは、蓬田夜片子がそのお披露目に出席し、島丘弓芙子が神戸から上海まで、客船に乗組んで取材記事を書くことになっている。
 ところが乗船前から、弓芙子の前にはその上海レディが見え隠れし、彼女に謂れのない敵意をみせる。しかも上海レディは弓芙子にとても似た姿形であった。上海へ向けて発進した客船でも彼女は襲撃を受けるが、ついに殺人が発生、しかし上海レディの犯行を主張する弓芙子に反し、船内には上海レディの痕跡はまったくなく…。

 女性雑誌記者島丘弓芙子を主役とした消えるシリーズ?第二弾。ただし前作に登場した吉敷竹史は、残念ながら本書に出てこない。構造的には、むしろ「高山殺人行1/2の女」に似ている。主人公の周りに起きる怪異が他人には認識されず、次第に現実と幻覚の区別に自信が持てなくなって精神に不調を起こしてしまう流れだ。
 もちろん最終的には、背後で犯罪が進行しており、犯人の恣意的な行動+偶然が“幻覚”の理由であることがわかる仕掛けだが、いかんせん素直には楽しめない。
 一応は理屈をつけられるにせよ、計画と偶然の積み重ねは少々キビシイ。奇抜な格好をしている“上海レディ”を客船内で見かけた目撃証言が皆無だというのは、<ネタばれ反転>稲村のフォローのおかげでAデッキの狭い空間への限定的な出現のみに抑え込められたお蔭かもしれないが、弓芙子の動きにも疑問が残る。アンタ記者なんだから不気味に感じたり怒りを覚えたりする前に、取材精神で素早く動きなさいよといったところか。雑誌で特集を組む記者にとって、特集に大いに関係のあるキャンギャルを“偶然”見かけたのだから、めちゃラッキーとばかりに取材にいくべきだろう(たとえ東京で自分にレンガを落とした疑惑があったとしても)。そのキャンギャルに、マネージャーもしくは雇い主の会社広報なりが同行していないこと自体も、立派な取材理由になる。

 前述の「高山殺人行1/2の女」以外にも、著者にはこのパターンの作品として「幽体離脱の女」があるが、主人公の視点人物がいずれも女性であることが、日本人に厳しく、とりわけ女性に厳しい著者の考えがよく出ている。

 執筆は作中時期とさほど変わらないと思うが、戦中から時間の止まったような街として何度も紹介される上海は、開放経済後の今日ではもはや消えてしまっただろう。残念である。

 ところで、本書の解説(司凍季)について。
 日中戦争での日本の罪を語りながら、饒舌になって従軍慰安婦問題まで語り始めるが、少なくとも従軍慰安婦問題に関しては、国が組織ぐるみで慰安婦を斡旋していた事実はない(あれば、指示/管理文書が残っている筈。ま、これも敗戦した時点で、ヤバい文書はすべて廃棄したのだというツッコミは可能だ。個人の犯罪でなければ、痕跡まで消し去るのは不可能だと思うが…)。したがって、あとは私的な慰安婦斡旋業者が当時どんな対応をしていたのかという事歴を個別に検証するしかない。(その場合、女衒の側に占める朝鮮人の割合をしっかり検証すること!)
 もちろん1965年の日韓基本条約で、↓こうなっている↓ことを脇においての話だ。

「韓国は、日本の植民地支配による個人の未払い賃金を含む一切の対日請求権を放棄し、その代償として5億ドルの無償・有償協力資金(他に民間協力資金3億ドル)を受け取った。」

 当時の日本が周辺諸国にとって許容可能なリーダー足り得ず、大きな被害を与えたことは事実である。直接被害を受けた当事者たちにとって、情を切り捨てることは困難ということは理解できるが、すでに70年以上が経過した戦争被害の検証は、当時の連絡/指示書面をはじめ、周辺情報もしっかり調査する必要がある。決して “自称”当事者の証言だけで考えてはいけない。
 現代でも痴漢加害者に冤罪が多いという恐怖すべき一面があるが、ましてや白髪三千丈の国“こうあるべき”で歴史を語る儒教の国の主張をそのまま受けちゃあダメだ。
 解説者が問い合わせているのが朝日新聞なところがすでに問題外ですが…。

 Wikipediaで司凍季を調べてみたが、やはり来歴がプロレタリア云々なんですな。さもありなん。

 ちょっと感想がズレてしまったが、本書の内容は解説ほど被虐史観に基いたものではないのでご安心を。

(2014/2/10記載)

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