2014年 3月
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@ゴルの巨鳥戦士 反地球シリーズ1
 Tarnsman of Gor (1966)
J・ノーマン創元推理文庫冒険/SF
275頁300円★★★★

 アメリカの大学で歴史学教師の職を得た英国人タール・キャボットは、休暇中のハイキングの最中、正体不明の物体に拉致されてしまう。見知らぬ世界で意識を戻した彼は、長らく失踪していた自分の父親に再会し、自分が地球の公転軌道上、太陽を挟んで真反対にある惑星ゴルの都市国家のひとつコ=ロ=バにいることを教えられる。彼を拉致したのは、裏でゴルを支配する“神官王”らしいが、誰もその正体は知らない。タールはそこで戦士としての指導を受け、最近その勢力を拡大している覇権都市国家アルを抑えるためのある任務を与えられるが…。

 こちらのほうにも書いたが、ある一点を除けば、いわゆるバローズ・タイプの異郷冒険(SF的)小説の最高峰と断言しても良いと思うわたしのバイブル本の一冊だ。
 しかしこのシリーズをバイブルと言い切ることに、多少の恥ずかしさを感じるのは、ナニがアレだからだが、もはや7巻以降が翻訳されることは金輪際なかろうという諦観のもと、原書を勢いで22冊もポチってしまったこともあり、三十年ぶりに再読した。

 御大バローズ自身の作品ですら、昔ほどの情熱では読めなくなっているので、今回の再読にはかなりの不安を持ってのぞんだ臨んだのだが、ありがたいことに十分面白かった。まだ世界観が広がっていない本巻でさえ、世界設定に深みの兆しがあって、やはり非凡なものを感じる。
 反対に、ナニがアレなのが目につきだすのは三巻くらいからと記憶していたのだが、本書でもその傾向はすでにチョロっと出ていた。しかしその辺りを含めても、本書のヒロイン、タレーナのキャラクターは新鮮で、御大バローズ描くところの比較的ステロなヒロインと較べて魅力的だ。

 それだけに2巻以降の放置プレイは??で、著者が一体どんな構想を抱いていたのか大層興味がある。そのために大して読めもしない原書を大量にポチってしまった訳だが、死ぬまでに読み終われるのかな…。

因みに、7巻の表紙はコレだ。

かなりマズイでしょ…。



(2014/3/14記載)

A乱れからくり (1977)
泡坂妻夫新潮文庫推理
366頁800円★★★

 勝敏夫は宇内経済研究会(その実は興信所の下請け)に採用されたその日、初仕事として尾行していた車に隕石が衝突、その後の炎上に巻き込まれて、依頼主の馬割朋浩が死ぬという考えられないような事故に遭遇する。敏夫の雇い主の宇内舞子は、それでも馬割家との確執があるらしく、彼らの傍を離れない。一方馬割一族は、数代前からの老舗の玩具会社を経営しており、広大な敷地の庭に巨大な迷路まで敷設されたねじ屋敷に暮らしていたが、朋浩の遭難後も、彼の一族に悪魔に魅入られた如く不幸が続き…。

 読後やられた感で一杯になった。
 確かに<ネタばれ反転>馬割朋浩が犯人とする本書の結末が、より題名に沿うことにもなるし、<ネタばれ反転>彼の退場時のセリフなども巧く絡んでくるので、気がついてしかるべきだった。
 非常に選択肢が限られてくる中、まさか真棹はないだろうということは判るが、もう一段ひねっていた。まさにコントロールされていたのだろう。わたしなどは、面接で敏夫を選んだところから彼女の計画が始まっていたのじゃないかと
邪推したうえに、最後に<ネタばれ反転>舞子と俊夫が交わす台詞すら想像してしまっていた。やられた感で一杯の所以である。

 となると、大層気にいったのかというと、実は気にいらなかった。
 異常な一族皆殺し事件――特に透一殺し――に対する周りの反応の鈍さがカンに障ったのだ。舞子と俊夫も含んでの話だ。というか特に奴らだ。どうも彼らは、真棹は自分の幼い息子が死んでとても悲しいだろうという想像しかできておらず、直接感じるべき情感は持っていないように感じるのだ。
 推理小説の登場人物が定型的であっても一向にに構わないのだが、俊夫に限らず、男女の愛憎に関してだけは行動の動機付けになっていたりするので、バランスの悪さを感じる。
 動画や写真がワンサと残ってエンドレスに嘆くことができる今の時代と違って、昭和の初期に成長した世代は、肉親の一人や二人早逝していたりすることが多いし、意外に割り切りが速かったりするのかもしれない。
 わたしが感じるよりは一概に不自然ではないのかもしれないが、好みの問題である。わたしは嫌いだ。

(2014/3/12記載)

Bこんなにスゴイ!自衛隊最強ファイル (2013)
菊池雅之竹書房兵器薀蓄
191頁571円★★★

これもコンビニで買ってしまった本。店頭でパラパラ捲った時に、まったく知らなかった三点の新装備に驚いて、つい買ってしまった。
 海上自衛隊に配備されたいずも型ヘリ空母(という言い方は自衛隊ではしない)と、陸上自衛隊に配備されたAAV7機動戦闘車である。

 いずも型の最大の特徴はそのサイズ。
 これまでも全通甲板を持った空母形状の護衛艦にひゅうが型があったが、二回りくらいデカイ。全通甲板を有する全長248m、全幅38mの艦船を空母じゃないと言っても説得力に欠けるが…。オスプレイはもちろん、導入されればF-35Bも本艦に搭載されて運用されることになるのだろう。
 AAV7も国産ではないが、水陸両用の強襲車として急きょ配備が決まったらしい。昨今島嶼防衛の緊急性が上がっているので、海関係は装備面だけでなく組織や運用の情報もホットに載っている。

 陸関係では、まだまだ10式戦車の導入が記憶に新しいが、こと日本国内の防衛に対しては履帯【注1】なしで困る面と、装輪仕様で舗装路を高速で移動する面を天秤にかけると後者の重要性が優位。ということで、新型の機動戦闘車【注2】が配備されることになった。タイヤでの接地となるとなかなか重装備の火砲は装備できないのだが、105mmライフル砲を装備しているのが特長だ。もちろん10式戦車の120mm滑空砲よりも小さいし、重量も軽いわけだが、体積では10式よりもやや大型だという。

 新式装備の情報以外に、陸海空の主要装備が紹介されているが、それぞれに購入価格が記されているのが本書の最大の特徴だろうか。F-2が120億円ということだけは他の本からの情報で記憶していたが、例えばAH-64アパッチは125億円もするらしい。
 因みにあたご型のイージス艦は1497億円、上記のいずも型ヘリ空母が1139億円とのこと…。

 関係ないが、先日近所の港で自衛隊のふれあいフェスタをやっていたので見に行ってきた。
 娘が体調が悪かったらしくごねてしまって、早々に退散したが、掃海艦やえやまつしま【注3】。それにPAC-2PAC-3の発射システム等が展示されていた。


やえやま型掃海艦一番艦やえやま


やえやま型掃海艦二番艦つしま


パトリオットを始めとする地対空誘導弾LS(Launching Station:発射機)
向かって左がM901で右がPAC-3を発射できるM902だと思う。



【注1】一般的にはキャタピラーの名称ほうが、まだまだ認知されているかな。
【注2】通称、相性のようなものはない。
【注3】掃海艦という性格から、磁気反応型機雷に対応するために木造船体である。今後FRP船体の船に置き換わっていくのだろう。


木造であることがよく判る船体塗装面のアップ。



(2014/6/1記)

C火星の黄金仮面
 The Outraws of Mars (1933)
O・A・クライン創元推理文庫冒険/SF
225頁220円★★★

 恋人に裏切られ職をも失ったジェリー・モーガンは、叔父のモーガン博士が開発した装置によって、遥か古代の火星へと移動した。カルシヴァー帝国首都王宮の屋上庭園に到着した彼は、誤解から王女ジュニアのペットを殺してしまい処刑されようとするが、危うい処をモーガン博士の火星での協力者ラル・ヴァクに救われ、王宮内での仮の生活を始める。カルシヴァーは高層建造物が建ち並ぶ壮麗な都ではあったが、王都の外では拷問王サーキスと名乗る仮面の男が無法者たちを糾合して一大反勢力となっていた。そんな中ジュニアの兄シーヴ王子が殺されてジェリーに嫌疑がかかり…。

 火星シリーズに始まる1910年代のE・R・バローズの冒険小説のヒットは、以降数多のエピゴーネンを生み出した。
 元々ウェスタン小説をベースに、当時の空想科学的アイディアと異郷情緒を加味して生み出されたバローズの小説は、その後はよりSF的なガジェットの並んだスペース・オペラや、“科学”の部分を魔法に置き換えたヒロイック・ファンタジーへ発展していったが、中には、バローズ・タイプとしかジャンル分けできないような小説もあった。
 それら追随者たちの中でも、O・A・クラインの幾つかの作品は、完コピと言っても良いような設定で、一時は本家バローズと争うほどの人気だったらしい。
 争いというのは、1928年にクラインが「The Port of Peril」という金星シリーズを連載しヒットしたので、本家バローズも1932年に「金星の海賊」を上梓。これに逆切れ?したのか、クラインも1933年に「The Swordsman of Mars」という火星シリーズで領土侵犯したといった具合だ。
 本書はその「The Swordsman of Mars」の続編といった位置づけになっていて、先行する金星シリーズともどもにモーガン博士のトンデモ装置が、各惑星間の移動手段となっているようだ。

 さて、クライン作品の中ではなぜか本書のみが訳出された【注4】のだが、本家のシリーズ同様に武部本一郎手抜きのない仕事をしていることもあって、バローズ作品としてもまったく違和感のない完コピぶりだ。

 強いて両火星シリーズの差を挙げるとするならば、本作が数万年太古の火星が舞台ということで、現役の運河が登場することであろうか。本作での巨大水路は三本がワンセットで配置され、断面的に見れば、Mの字の3つの頂点に位置する。挟まれた斜辺部が耕作用の造成地で、中央の低い処を走る運河が排水路という設定だ。
 この壮大なビジュアルが、王宮も含めて屋上が巨大庭園になった円柱状の高層建築群という都市の景観と相まって、なかなか印象的である。外周部を除いて窓がないであろう部屋部屋の内部配置がどうなっているのかは解らない(描写はないが、バームクーヘン様の同心円、あるいはワッフル様の格子状に吹き抜けが多数設けられていると考えるのが自然か)が、ジェリーが与えられた部屋(ラル・ヴァクの部屋だろう)のバルコニーの直上がニシャ公女の部屋で、その上がジュニア王女の部屋だというのがなんとも面白い設定だ。一応許されたとはいえ、胡散臭い外星人の居室の真上に、貴人の部屋が配されているのは無邪気すぎ…。

 後半にかけて、若干軍記物の要素が加わることも特筆すべきだろうか。
 ジェリーの軍隊と、拷問王サーキス軍、そしてヌミン皇帝軍の三つ巴の対決だ。本家バローズのストーリーに規模の大きな戦争がないわけではないけれど、印象的とはいえない。バローズタイプの冒険小説でメインとなるのは、基本的に個人の冒険である。

 であるので、バローズ・タイプの小説にこのような要素を入れたことを評価すべきかもしれないが、いかんせん僅か百頁ほどで太閤記をやるようなもの。ジェリーはあれよあれよのうちに万を超える軍の指揮官兼参謀になるが、一糸乱れぬ軍行動をあっさり成立させているのはさすがに納得しづらい。大軍の秩序だった行動がどれほど困難なものか、もう少し考えて欲しいところだ。しかも軍を立ち上げた中途で、ジェリー自身は一旦軍を離れ、御姫様とお約束のマン・ツー・マンの逃避行をしてたり・・・。
 本作が軍団規模の戦争にかなり重点を置いているのは、バローズとの差異を出すにはなかなかの着眼だったと思うのだが、いかんせんアラが目立ちすぎだ。あえてツッコミを入れるのも野暮かもしれないが、個々の作品は別にして、バローズタイプの冒険活劇はわたしのバイブルなので、あえて三点について、物言いをしておく。

 まず第一点は、上述の続きになるがそもそも拷問王サーキス軍は、――彼を悪役にするために極悪なキャラクターを与えられているが――少なくとも、彼の下に人が集まって大軍となっているのは、白人帝国に対するカラードの反乱という位置づけにある。そしてジェリーがそこから分離拡大し、自ら“平民”と名乗って統率する軍が、容易に一大勢力に成り上がれた理由もそこにある。現体制への激しい不満が背景にある筈だ。物語前半には、登場人物の形容に肌の色が多用されているので、著者も意識していたのは間違いない。
 ところが、先にカルシヴァーを占拠していたサーキス軍を駆逐したジェリー軍は、部下に一言提案するだけで、あっさりとヌミン王に権力を委譲してしまうのである。こんなのありえない。

新撰組結成のきっかけを作った策士清川八郎でも無理々々。

 まるで蒋介石中国国民党を破った毛沢東が、日本軍の将軍の娘に惚れていたので、(娘を得る代償に)権力を日本軍に献上するようなものだ。…説明強引すぎますか?

 二点目、バローズタイプの特徴のひとつに、科学技術の発達(本作では運河造成用の機械とか)と軍隊の主力武器(剣とか槍とか)が乖離していることがあるのだが、本作では本家火星シリーズのような空飛ぶ機械は登場しないものの、翼竜のような獣に騎乗した言わば騎兵部隊が、空軍として敵味方ともに設置されている。というのに、空に対する防備体制がゼロなのはいただけない。

 三点目、ジェリーの統率力は別として、彼の軍が圧倒的な進撃をみせた理由は、<ネタばれ反転>運河造成用の機械を軍用の戦車として転用開発していたことにある。この事自体も二点目とと合わせて、火星人軍人たちの無邪気さ具合にツッコミを加えたいところだが、そこは置いておく。しかし戦争とは言え一方的な殺戮にジェリーが何等感想を述べていないことはやや気持ちが悪い。
 バローズタイプの小説への批判に、民主主義の教育を受けた筈のヒーローが、お姫様と結ばれることで主義主張もなくあっさりと王族に加わることがよく挙げられるが、民主主義者ならば一方的な殺戮に対する感性をまず見せて欲しい。
 本書では“あっさり王族に〜”のところにだけは配慮したのか、権力は放棄するのだが、上述したように自分の支持基盤の意向(があった筈)を完全無視して、ジュニア王女さえ手に入れればさっさとバっクレようとしている。

下層民の地位向上のために、議会制導入の道を開く努力とかせんかいっ!

 書いてるうちにいろいろと出てくるのだが、ジェリーはこれほどリーダーとして有能で、ジュニア王女のみならずニシャ公女からも惚れられるナイスな男だが、思い返せば彼はそもそも地球では女に裏切られて仕事も失っていた筈。これも設定の辻褄としてはダメなところだ。
 火星での協力者ラル・ヴァクが、途中(ジェリーが王子暗殺の濡れ衣を被るあたり)から完全に姿を消してしまったり。
 どうにもストーリー構成のいい加減さが目立ちすぎ。

 いや、過大な期待さえ持たなければ、そこそこ楽しく読めるんだよ…。フォロー遅いか。

【注4】この一冊が邦訳されただけでも、当時のバローズ人気の凄さを垣間見ることができる。残りのクライン作品がこの先邦訳される可能性はまずないのは、少しだけ残念だ。

(2014/6/1記載)

Dゴルの無法者 反地球シリーズ2
 Outraw of Gor (1967)
J・ノーマン創元推理文庫冒険/SF
328頁360円★★★★

 タール・キャボットは地球で不本意な年月を過ごした後、反地球ゴルへ再度移送された。ところが数年ぶりに訪れたゴルでは、タレーナや父たち愛する人々に再会できないばかりか、コ=ロ=バ自体が消滅しており、住民は離散していた。そして新たに出会った人たちは、そのことを忌み怖れるように口を閉ざす。タールはこの理不尽な状況を神官王に糺すために、意を決しサルダル山脈へと向かうが、途中で訪れたタルナの街で姦計に陥り、囚われの身となってしまう…。

 タルナは銀の仮面を被った女王と、同じく仮面の女たちに厳しく統制された街として登場する。
 バローズタイプの小説では、主人公はこういった街ごとに特徴のある状況下での冒険を繰り返していくのが常で、先行・類似作品のそれらと比較しても、本書のエピソードは十分上位にくる面白さだ。囚われからの脱出にしても、政権交代に至る主人公の活劇にしても、類似作品では単身の活躍のうえでなされることが多いと思うが、本書では集団の反乱といった形で進むのが新鮮だ。ジョン・カーターたち先達に較べて、タール・キャボットは鬱屈が多いだの弱さが前に出てくるだのと言われるが、その統率力とカリスマには目を瞠るものがある。
 弱さが云々されがちだが、そこはキャラの深みというところだろう。

 さて、とりあえず褒めちぎったところで、タールとタルナ女王の関係とタルナ騒動の顛末をみてみると、やはり恐るべき男性優位の思想に基いている。前回この二巻まで読んだ【注5】時点では気付いていなかったが、フェミニストが読んで楽しむにはツライだろう。冒険小説としてとても面白いだけに残念である。

【注5】中学1年だったか2年の時だったか…。

(2014/7/9記)

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