2014年 5月
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@日本人と日本文化 (1972)
司馬遼太郎D・キーン
対談
中公文庫歴史薀蓄
245頁552円★★★

 後に司馬遼太郎は、ニューヨークで催かれたドナルド・キーンの退官式に出席するほど縁が深くなるが、この対談で始めて顔を合わせたらしい。

 博学な人同士のハイレベルな対談はまことに面白い。
 これが理系同志で近い分野だと、(お互いに知っていることは)割愛されすぎたりして、内容がさっぱり解らないことになり兼ねない。しかし文系分野だとそういうこともなく、素人でもエキサイティングに読める。
 ただ収録が古いことが残念で、あれだけ豊富な知識を駆使して対談してるというのに、わたしでさえ疑問に思うような内容が、話の展開上まったく出てこないといった不満があった。
 例えば、日本人のモラルとはどこに源があるのか、儒教の影響度はどうかというところで、両者の考えに多少のズレがあって、白熱した対談になっているのだが、井沢元彦の本を何冊か読んでいれば馴染みの深い、話し合い至上主義怨霊史観などのキーワードが出てこないのは残念だ。
 司馬遼太郎はすでに鬼籍に入って久しいが、ドナルド・キーンが健在の間に、井沢元彦との対談をぜひしてもらいたい。(いや、これまでに対談していないのかは寡聞にして知らないので、もしすでに対談された書籍が出ているならば、教えて頂きたい)

(2014/6/4記)

A逆説の日本史 別巻4 ニッポン戦乱史 (2013)
井沢元彦小学館文庫歴史薀蓄
261頁552円★★★

 別巻の四冊目は戦乱史である。
 北条早雲の国盗りから稿を起こして、戦国時代と幕末の動乱をメインに日露戦争までを扱っている。戦国時代以前のものは、なぜか最終章にまとめて五項目のみ取り上げられている。

 逆説の日本史をシリーズで読んでいる読者にとっては、完全な新規ネタはさすがに少ないような気がするが、歴史に興味を持った初心者が最初に手に取りやすい類の項目ピックアップ本としては、やはりアタマ抜きんでた面白さではないだろうか。例えば、長篠の合戦の実像についてはいろいろなことが言われているが【注1】、著者が自賛しているように、銃声が馬に与える影響については他書で言及しているのを読んだことがないように思う。

 いわゆる朝鮮出兵の際、これに加わらずに兵力を温存し、後の朝鮮との関係も上手く進めることができた徳川家だが、一般的にはこの侵略戦争の無謀を察した家康が、出兵軍に加わらずに済むように運動したと解釈されることが多い。
 この論に対して、いやいや最初から負けを予想して戦う奴はいないと反論している。
 出兵軍の中核を担った豊臣政権の中堅処の武将たちの石高を(戦勝で)加増することによって、徳川家クラスの石高を有する武将を増やし、相対的に家康の力を削ぐ目的だったという、あくまで豊臣秀吉の考えに則った措置だというのは面白い。確かに秀吉の考えはそうだったかもしれない。

 最近は韓国があまりに非常識な(もちろん北朝鮮も)こともあって、秀吉の大陸出兵についても、彼の老耄の故の狂気の渡海とブッタ斬る以外の論調もまま見られるようだ。たしかに、すでに持てる側だった上級武将たちの中には、もうこのあたりでいいや的な厭戦ムードはあったかもしれないが、末端の兵たちの気分まで含めると、まだまだイケイケだった可能性は高い。しかし曲がりなりにも同じ文化圏で陸戦メインに進められる本州/九州/四国と違って、朝廷や幕府を尊ぶ感覚がないどころか、言語の文法すら異なる異文化の国で、さらに陸戦以外に制海権まで押さえなければならない朝鮮半島への派兵は、これまでの戦争とは一段レベルの違う準備が必要だった。

 当時の感覚において、大陸への侵攻自体がアタマオカシイとは思わないが、準備不足のままゴリ押したことは、秀吉の大きなミスだったことは否めない。文禄の役慶長の役の間に位置する関白秀次の事件(95年)を考えると、やはり90年代の豊臣秀吉の人間としてのバランス感覚は、かなり劣化していたのだろう。

 上述したように、戦国時代以前の合戦がまとめられた最終章に、なぜか一編だけ「岡崎三郎信康事件」が混じっている。
 わたしは信長/秀吉/家康の天下取り三武将関連では、谷口克広の著作が好きで今も一冊読んでいる最中だが、彼はこの事件に対して巷間言われているように、信長の命令で家康は泣く々々嫡男の信康を死に至らしめたのではなく、謀反の兆しのある信康に手を焼いた家康が、信長に信康の処置について相談し、許可を得たに過ぎないと論じていて、魅力的に感じている。
 本書ではこの事件から、服部半蔵が“忍者”でなかったことを考察していて面白い。【注2】

 本能寺の変については、明智光秀織田信忠に対するおさえが遅れたことから、(光秀が謀反した理由として)著者は「単独犯」、しかも「発作的犯行」だと導き出している。
 先の谷口克広氏も光秀単独犯説だが、どの程度“発作的”だったのかについてニュアンスが異なる。
 この二人の対談も面白そうなのだが…。

【注1】合戦の舞台となった設楽原付近は、騎兵が走り回れるような土地ではなかったとか、当時の日本の馬は現在とは違って、颯爽とした騎兵戦を行えるような馬体ではなかったとか、そもそも無敵武田騎馬隊と銘記するほどに武田の騎馬部隊に特筆すべきものがあったのかとか…。
【注2】この時、半蔵が信康の介錯を担当した。

(2014/6/5記)

Bユダヤ警官同盟 上下
 The Yiddish Policemen's Union (2007)
M・シェイボン創元推理文庫
285頁360円★★★

 2007年。シトカ特別区の刑事ランツマンが住んでいる安ホテル内で殺人事件が発生。同じホテルに居住していた孤独な麻薬中毒者が一人死んだだけの湿気た事件だが、生前ランツマンとは接触のなかった被害者が、チェスをよくしていたことを知り、彼は事件に興味を覚える。アラスカ州への返還間際のシトカにおいて、引き継ぎ前の捜査を歓迎しない上層部をよそに、従弟で同僚のベルコとランツマンが捜査を進めるうちに、その湿気た事件の背後にユダヤ人社会を、世界を震撼させる怖ろしい謀略が…。

 2007年〜2008年に、ヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞といった有名処のSFの賞を総ナメにしたという作品。その割にはハヤカワでも創元でもなく、新潮での文庫出版であり、裏表紙に書かれたアタマの概要を読んでも、SFっぽさは皆無である。
 いざ本文を読み始めても、あくまでハードボイルド的文脈(一人称ではないが)で、一向にSFの要素が現れない。やたらにユダヤ人が多いとか、あと二カ月でシトカ【注3】特別区をアラスカ州に返還するとかいった背景が次第に明らかになるにつれ、違和感がつのっていくが、P.32に至って、ユダヤ人は一九四八年に故郷から追い出されたという文面でやっと解った。歴史ifものというわけだ。
 その後、満州国が存続しているとの言及があってニヤリとさせられたりするが、ストーリーに関わるのは、あくまでユダヤ人の土地への帰属、アイデンティティーの問題だけである。(ベルリンに原爆が落ちたとかどうとかいった言及もあったように思うが、いや本書じゃなかったかな…、この世界の中で日本がどういった位置づけになっているのかは不明だ。)

 アイザック・アシモフがどこかで書いていたように、宇宙船やレーザー銃がでてくるからSFなのではなく、それらが社会インフラに、そこで暮らす人々の生活にどう影響を与えているかを考察するのが質の高いSFだという観点からは、本書もSFの範疇に入るかもしれない。訳者があとがきで書いているようにSFをスペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)と広げて捉えれば、より確実というものだ。 しかしわたし基準で考えれば、やはり本書をSFの範疇に加えるのには、かなりの抵抗がある。有名なSF三賞を総ナメしたと聞くと、感心するよりも、他に対象はなかったんかいとツッコミたくなってしまうクチだ。

 SFという既成カテゴリーを外すと、さすがに筆力があって、最後まで面白くぐいっと読ませるのだが、著者は本来がジャンル小説家でもないらしいので、パッと見のカテゴリーであるハードボイルド小説としてみても、きちんとオチがついたスッキリ仕立てで終わっているわけでもない。事件自体の謎(というか背景)は解明されるものの、エンターテインメント的に悪は悪として懲罰を受けるところまではいかず、中途で終わってしまっている。第一<ネタばれ反転>ランツマンの妹を殺した(殺す細工をした?)実行犯すら捕まえられたわけでもないのだ。
 読者によっては(わたしだ…)モヤモヤが残るだろう。
 一応これからでっかい告発をしようかというところまで描かれている訳だが、背景の巨大さから言えば、ランツマンとビーナまでが消されてしまう可能性もかなり高そうだ。
 精神的にガタがきていた主人公的には、ユダヤ人のアイデンティティーを考えるうえで一つの救いを見出して、ある意味ハッピーエンドと考えることもできる。
 まぁわたしの心の平穏のために、あまり深く考えないでおこう。【注4】【注5】

【注3】熱血おバカ怪獣映画「パシフィック・リム」で、冒頭に主人公が壁を作っていたのがシトカだった。
【注4】本書の題名の意味にも最後に言及されるが、腑に落ちるところまではいかなかった。この題名はかなりキャッチーなので、正直これだけ?と思ったのだが、読解が足りないのか?
【注5】一概に“ユダヤ”と訳されているが、題名にも使われて、本書で主人公たちシトカの住民が主に使用しているイディッシュ語は、ヘブライ語とは別に、欧州のユダヤ人たちによって使用されていた言葉らしい。おそらくこのあたりにも、本作の思考実験の一パラメータがあるのだろう…。

(2014/6/5記)

C銀の空想科学読本 (2012)
柳田理科雄空想科学文庫科学薀蓄
287頁600円★★★

 「金の空想科学読本」から一年遅れて発表されたようだが、文庫化は同時だった。(と思う。少なくともわたしが気付いたのは同時で、平台に仲好く並んでいたので。⇒裏表紙の折り返しに“同時刊行!”と明記されていた…)

 「金の〜」が読者アンケートのベスト25だったのに対し、本書は著者の自選26である。
 もちろん「金の〜」で選ばれた項は外してあるのだが、うすうす察していたように、わたしは著者と世代がまぁ近いので、本書のほうがやや面白かったように思う。ネタの膨らませ(暴走)度合いが、本書のほうが冴えているのではないか?

 わたしは簡単な算術だろうが細かい計算は得意ではないので、もちろん検証したりはしないのだが、いわゆる地底モグラの排熱の問題【注6】や、原子力エンジン搭載のロボットがどうエネルギーを取り出しているのか【注7】とか、常識の範疇で感覚的にツッコめる筈だが、ふつう誰もツッコまないネタとして、作者の炯眼に感心する。

 んっ、このふたつは最初期のネタだったような。
 やはり、理科系ネタとしても魅力的で暴走が面白いネタ出しはなかなか難しいようだ。
 “理科系”を脇に置いて、ツッコミが面白いものはとしては、ショッカーの植物怪人列伝やハチの薀蓄が楽しい「みなしごハッチ」のネタ等があったが。

 魔女(魔法使い)のホウキに関する考察では、「ドラえもん」で魔女セットを使ったしずかちゃんが、こんなにお股が痛いものなのかと述懐するシーンにぜひとも言及頂きたかった。

【注6】いわゆるクリーンな動力源を使用した場合の言及はなく、内燃機関オンリーの話だった。
【注7】いくら核分裂核融合が莫大なエネルギーを得られるといっても、利用可能なエネルギー形態に変換するには、まず湯を沸かさなければ…。
(2014/6/5記)

D信長と家康 清州同盟の実体 (2012)
谷口克広学研新書歴史薀蓄
★★★★

 最近映画になって知名度も上がったので、つい勘違いしてしまうが、副題の清州同盟とは、本能寺の変後の織田家督を巡って開催された清州会議で取り決められた枠組みのことではない。【注8】
 それより遥かに以前、織田信長の名前を大いに高めた桶狭間の戦いの後、今川家から距離を取り始めた松平元康(後の徳川家康)と信長の間で交わされた同盟のことである。一般的には織徳同盟と呼ばれることが多いのではないかな。

 実は先に「信長・秀吉と家臣たち」を先に読み始めていた。
 当然ある程度内容は重なっているのだが、扱う年代は本書の方が狭く、かつ先に終わることは題名から明白なので、途中でこちらに読み換えた次第。

 本書は後背常ならない戦国時代において、成立後信長が横死するまで互いに離反することなく二十年ほどの期間も続いたこの同盟について、その裏事情(もしあるなら)を考察することが目的である。
 その意味では、奇を衒った論が展開される訳ではなく、極めて真っ当に、互いに利用価値があったから長きに渡って続いたのだという結びにすぎない。
 付記するならば、よく膾炙されているように家康側がひたすら耐え忍んだ訳ではないと明言しているところがポイントか。

 この結論が導かれるための大きな要素が、岡崎信康事件である。
 別の処で引用もしたが、著者のこの事件に関しての立ち位置は、従来よく言われるように、“信康の嫁(信長の娘)の告げ口→信康を処置することを信長が家康に命令→家康が泣く泣く従った”のではなく、“信康の謀反の兆し→家康が信長に処置可否の問合せ→信長の承認”だったという論である。
 理由として挙げているのは、主にキーパーソンである酒井忠勝のその後の待遇だ。

 ところで、わたしが本書で一番興味深かったのは、清州(織徳)同盟以前の状況説明であった。主に東三河の勢力争いだが、
・1530年代に家康の祖父の松平清康が三河で大きく勢力を伸ばすが、
・1535年の守山崩れで若くして家臣に殺され、
・1540年前後は信長の父の織田信秀が勢力を伸ばし、1542年の第一次小豆坂の戦いでは、三河の奥深くまでかなり勢力を伸ばしたが、
・1548年の第二次小豆坂の戦いの頃からは、今川家の勢力範囲になっていた。

 とまぁこんな具合だ。
 またこれまで思っていた以上に、家康の母親の実家水野家というのも、徳川家がそうであるように、完全な織田家の家来という訳でなく、同盟関係にあったらしいというのも、興味深い情報だった。
 桶狭間の戦いの直後は、脱今川を図る松平家と水野家は東三河で争っていたらしいが、織田と松平を引合せる役回りもまた水野家が演じていたらしい。そう匂わせながらも、なぜ直接争っていた水野信元が仲介役を勤めたのかには言及されていないのだが…。

【注8】清州会議に徳川家康は参加していない。

(2014/6/9記)

E週刊HMSヴィクトリーを作る18 (2012)
DeAGOSTINI帆船薀蓄
1190円


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(2014/**/**記載)

F司馬遼太郎の戦国U
 「梟の城」「功名が辻」「馬上少年過ぐ」の世界 (2006〜2009)
週刊朝日編集部朝日文庫歴史薀蓄
278頁660円★★★

 副題の三作品と、なぜだか判らないが表題からは外された「箱根の坂」の四作品に絞って、前作同様「週刊朝日」の編集部が関連する土地を廻って、司馬遼太郎の足跡を回想している。
 単なる再録ではなく、街道をゆくシリーズの情報更新の意もあるところが良い処だが、一編だけ講演の再録がある。「『見る』という話」という題名で、50頁を越えるボリュームの講演録だ。こちらにも載っていた。特に戦国時代を扱った講演ではないので、なぜ選ばれたのかよく判らない。

 わが母校が少しだけ名が挙がっていたのがノスタルジックだ。
 その学校では80年代後半、秋の文化祭で器械体操部が忍者ショーを行っていたことを付記しておこう。

(2014/6/5記)

G週刊HMSヴィクトリーを作る19 (2012)
DeAGOSTINI帆船薀蓄
1190円


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(2014/**/**記載)

H信長・秀吉と家臣たち (20**)
谷口克広学研新書歴史薀蓄
307頁840円★★★★

 Wikiで著者の著作履歴をみてみると、本書は2011年の出版らしいが、同じ題名の本が2000年にNHK出版から出ている。どうやらラジオ番組のテキスト本として当時出版されたらしい。本書がどの程度前書をベースにしているのかは判らないが、歴史ドラマ等で誤った“史実”を覚えている人向けの啓蒙書として、前掲のラジオテキスト本を拡充して新たに出版したようだ。

 本書に限らず、著者の本ではビッグ3【注9】の家臣の中でもマイナーな人たちに光が当たることが多く、そこが興味深く面白いのだが、いかんせん本書の“途中で消えた人たち”の記述は、「信長軍の司令官」「信長と消えた家臣たち」といった既出の本と被っているし、むしろ割愛している面が多いので少々残念。【注10】
 しかしまぁ、本書はその主旨からして、“消えた人たち”だけがトピックではない。題名からしておそらく前掲書では取りげられていなかった、竹中半兵衛黒田孝高は果たして“軍師”なのか?という部分もポイントである。
 結論から言って、本書では両人は軍師ではなかったとしている。昨今言われているほどには軍師的役割を担っていなかったという意味だが、驚いたことに、“軍師”という言葉は江戸時代も中期に入ってからの造語だということだ。

 ところで、その当時“無かった”単語を題名に起用し、ドラマ本編内でも何度となく連呼している大河ドラマ「軍師官兵衛」は、有岡城での一年幽閉といった前半のヤマを過ぎた処だが、昔ながらの解釈に沿って無難にエピソードをこなしているという印象で、まるで面白くなってこない。
 本書のような本を読んでいるから余計にそう感じるのかもしれないが、タイトルロールで信長の正妻(濃姫、定かではないらしいが、帰蝶とも)を「お濃」と表記している時点でドン引きである。【注11】
 これは少々残念というよりも腹立たしい。

【注9】もちろん信長/秀吉/家康のことである。
【注10】比較したわけではないが、塙直正は本書でも取り上げられているものの、「信長と消えた家臣たち」で取り上げられていた、梁田広政蜂谷頼隆はについての記述は割愛されている。
【注11】美濃斎藤家からやってきた姫だから濃姫である。帰蝶が正しいかはともかく、少なくともお濃という名前でなかったことは確かだ。

(2014/6/18記)

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