§§ 国民作家が胡散臭く思えてきた(その2) §§
(1)「近世」の発見 (『中央公論』1988.10/30頁)★★★
日本学者ドナルド・キーン/劇作家山崎正和と対談。
そもそも英語に「近世」という言葉がなくて、「近代」と「現代」の区別もないというから驚きだ。
一般的に、江戸時代は身動きのできない階級社会だというが、江戸期も後半になると、金銭でもって侍になる家も出てくる。勝海舟や坂本龍馬も祖を辿ると侍ではないわけだ。
世阿弥と近松門左衛門の悲劇の一番の違いは、お金だというのも興味深い。
世阿弥の能では、もう少しお金があれば悲劇は回避できたといったものはないが、近松の浄瑠璃などでは、お金さえあれば心中する必要はない・・・。なんだかんだ言って、江戸時代はかなり貨幣経済が浸透していたわけだ。
また儒教の話になるが、江戸期の庶民の識字率はかなり高かったが、同時代のチャイナやコリアでは10%以下だという。
次男坊、三男坊は都会に出て番頭などを目指す道があったが、そのためには文字が読めて計算できる事が必須だったからだ。こういったところにも繋がるのだなぁ。
(2)近世人にとっての「奉公」… (『日本の近世』1付録1991.7/15頁)★★★
歴史学者朝尾直弘と対談。
ここでも、田舎の若い者の結構な数が、都会に出て奉公する話が出てくる。かなり普遍的な生活スタイルとして定着していたようだ。
ここで本来武家で使う「奉公」という言葉が、平気で商売人たちの言葉に下りてきているのがおもしろい。
こういった感覚は、新選組隊士に代表されるように、江戸後期に新たに取り立てられた侍(元農民)などに、より武士たる者はこうあるべしといった気分が濃厚にあったことに繋がると思う。
武士道の規範は、思う以上に庶民の間まで下りていたのではないだろうか。
日本人の中にも、われわれには道徳規範となるたる宗教がなかったなどと言う人がいるが、ちゃんちゃらおかしい。
(3)日本人の行動の美学 (『日本の名著』17付録1969.12/18頁)★★★★
歴史学者奈良本辰也と対談。
武士道というと『葉隠』を想起して忌避する人が多いが、それは戦中の思想統制に利用されたからで、大正時代までは、地元の佐賀県ですらポピュラーではなかったらしい。というか、佐賀人で『葉隠』を正当に評価した人はむしろ少ないという。
例の「武士道とは死ぬことと見つけたり」を捉えて、アホなマゾヒズムかと一蹴するのは間違いで、見事に生きるために美意識を研ぎ澄ませろと言ったところか。
たしかに、薩長土肥としながらも、幕末の肥前にこんな急峻な思想に準じた人物はいなかったようだ。もし一人でもいれば、良かれ悪しかれ有名になっていただろう。
ついでながら、作者の山本常朝は25、6歳まで頑張って童貞だったらしい。
ここからの流れで、衆道に話が及ぶ。
佐賀には、星野了哲という衆道の家元がいたとか・・・。
(4)維新変革の意味 (『日本の歴史』20付録1966.9/16頁)★★★
歴史学者井上清と対談。
学者というのは、言葉選びまでいろいろと考えなければいけないので大変だ。
明治維新は「革命」か。「変革」か。
たしかに低位の階級が上位の階級を破ってひっくり返すのが「革命」であれば、明治維新はそうとも言えない。
しかし、同じ階級の中で大きな変化があっただけかと言うと、それも違う。
結論的には、「革命」と「変革」の間で、かなり「革命」に近いあたりかな。
司馬遼太郎は、「このごろになってなおかつ、日本には愛国心がないんじゃないかと……。」と話しているが、そらそーだ。GHQの方針に乗っかって、共産主義者たち左翼と恨みがましい在日コリアンが束になって教育、弁護士界隈やマスコミを牛耳り、いまだに日本を貶める事に血眼なんだもの。愛国心とか言おうものなら、「極右だぁ〜、戦争したいのかぁ〜、軍靴の音が聞こえるぅ〜」と騒がれる異常な世の中が続いてるんだもの。
えーえー、わたしは持ってるつもりですよ。愛国心。
(5)幕末よもやま (『中央公論』1967.8/20頁)★★★★
作家子母澤寛と対談。
『新選組血風録』は司馬作品の中でも上位にくる名作だが、それでも子母澤寛の新選組三部作には及ばない。
司馬遼太郎自身が、敵わないなと悟って新選組三部作を参考にさせてもらう許可を子母澤寛に貰いに行ったという。昭和の初めには幕末維新を潜り抜けた人がギリギリ生きていて、子母澤作品には、それらの人を直接取材して得たこぼれ話が豊富に入ってくるのだから、こればかりは仕方がない。
子母澤寛が新聞社にいた頃、例えば仙台の事件を調べたかったら、仙台支局に電話して調べてもらったという。 「申し訳ない話だけれども、支局じゃ社用だと思いますよ(笑い)
対談全編が貴重なこぼれ話である。
(6)坂本龍馬の魅力 (『中央公論 歴史と人物』1978.4/26頁)★★★
文学者芳賀徹と対談。
こちらもこぼれ話が楽しい。
龍馬が乙女姉さんに宛てた手紙の「世の中には風呂から出る時にキンタマをぶつけて死ぬ運の悪い男もいるのに、自分は運の良い男だ」とかなんとか書いていたというのもおかしいが、龍馬はどうやら長崎のお龍を捨てるつもりだったのではないか、なんて発言を司馬遼太郎がしているのが興味深い。
幕末当時、例えば咸臨丸で渡米した一行の中に村垣淡路守なんて人がいて、はなかなか面白い日誌を残しているらしいが、レコーダーではあっても、時代を動かすラウドスピーカーたりえなかったというが、含蓄あるコメントですな。
幕府の医学の家、桂川家の今泉みねという人物が書いた『名ごりの夢』という本がいい文章で、福沢諭吉の面白いエピソードなども載っているというから、手に入れてみようか。(←手に入れてしまいました。2016/12/13追記)
(7)近代日本を創った宗教人10人を選ぶ… (『中央公論』1965.4/25頁)★★
宗教学者小口偉一/思想史学者武田清子/歴史学者松島栄一/宗教学者村上重良と対談。
日本人の基本的な宗教観を創ったのは、アニミズムと神道だと思うが、もとより個人名を挙げることなんてできない。
中世の例えば、空海や親鸞といった仏教指導者たちを加えることもできるが、近代となるとそんな宗教人なんているのかと思ってしまう。
しかしながら、明治の日本は廃仏毀釈でスタートしてから、伊勢神宮と出雲大社の争いや、仏教側の巻き返し、キリシタン禁制の撤廃などの流れには、それぞれに優れた宗教者がいた訳だ。わたし程度でも、新島襄や内村鑑三、大谷光瑞なんて名前は知っている。
この対談末に、どういった経緯か判らないが、対談者5人の他に5人加えた10人でひとりずつ、10人の近代宗教者を挙げている。
内村鑑三の非戦論なんて、お花畑の戦争反対論者とはレベルがまったく違う。格好いい。
この対談に書かれていたのではないが・・・。
(8)清沢満之と明治の知識人 (『中央公論』1965.4/17頁)★★★
(7)で司馬遼太郎は、近代日本を創った宗教人として清沢満之の名を挙げている。
そこで上の座談の後に、エッセイを寄稿したようだ。
浅学にして、清沢満之なんて名前はこれまで知らなかったが、彼が本願寺の教団臭から離れたところで、『精神界』という雑誌を発行し、親鸞の思想を深く求道しなければ、今の世に、日本の思想界において親鸞を最高とするような考えは出なかっただろうという。
そんな彼は、本来、哲学者として世界に名を残してもおかしくなかったほどの才能だったらしいが、ただで学問のできる道ということで、東本願寺の僧の世界へと入った。最初は宗教の情熱などなかったというのだ。
彼は実験ほどこの世で面白いことはないと語っていたらしく、「実験」によって宗教に近づこうとしたというから面白い。
(9)哲学と宗教の谷間で (『日本の名著』43付録1970.11/18頁)★★★
哲学者橋本峰雄と対談。
開口一番、またしても清沢満之の名前が飛び出してきたが、そもそもこの稿は、対談者橋本峰雄が編集した「清沢満之 鈴木大拙」という文章の中の付録としてあったらしい。5年前の(8)を踏まえての対談だ。
親鸞が示した二つの教え(人格)のうち、『教行信証』だけを抽出して教団を作ったのが蓮如で、『歎異抄』を重視したのが清沢満之だと・・・。
難しくてわたしには、これだけ読んでもよく解らない。
(10)敗者復活五輪大会 (『中央公論』1964.12/18頁)★★★
評論家大宅壮一/作家三島由紀夫と対談。
前回の東京オリンピックの年の年末に収録。
戦後というのは、貧しさからの復興の面でのみ語られてきたように感じるが、GHQや日教組の洗脳が大変に成功していて、オリンピック当時は、日の丸なんて見るのも嫌、アベベが優勝したエチオピアの国旗より三位の日本の日の丸を長く映すのはおかしいなんて狂った議論が、若い人を中心に真顔で出てきたという。
そんな風潮が自然なナショナリズムを取り戻す方向に動いたというのが、三島由紀夫を含めた三人の印象のようだ。
ただ残念なのは、この三人の中で司馬遼太郎が一番左翼思想なこと。
学徒出陣で非情な言動を自ら聞いてしまった体験者なので、やむを得ない部分もあるが、核爆弾による抑止下での制限戦争という可能性に気付けず、どうせ核爆弾など持たなくても、世界戦争が始まれば日本人は被害者になるだけでいいじゃないかという思考レベルの極めて浅い暴言を吐いている。それじゃあバカな井筒監督と変わらないよ、司馬さん。
大宅壮一からインポ礼賛なんて言われて、そうだと開き直っている。
ちなみにわたしは、唯一の原爆被害者国というアドバンテージを有効に使うためにも、原爆保持には反対だが、国内の放射性物質保持量、原子力関連技術、ロケット技術からして、外国からは、日本はその気になったら極めて短期間で原爆を作れると分析されている。発電レベルと兵器レベルでは、ウラン235の濃縮レベルがまるで異なるのでどの程度“簡単”かはわからないが、その印象をより強く与えるように積極的に情報拡散する事が大事だ。
この対談では比較的おとなしかった三島由紀夫は、このオリンピックには相応の価値を見出していたが、6年後には日本人に絶望して、割腹自殺を遂げてしまう…。
(11)革命史の最高傑作 (『世界の名著』37付録1968.1/18頁)★★
仏文学者桑原武夫と対談。
ミシュレという人が書いたフランス革命の歴史を、桑原武夫が『フランス革命史』として抄訳したらしい。
歴史家と歴史学者は違うという桑原武夫の発言に、司馬遼太郎も同意しているのだが、違和感を感じた。
分析・図式化して提示するのが歴史学者で、その意味合いをある描写に象徴させて語るのが歴史家だと・・・。
その操作に高い見識を持っているのが優れた歴史家であり、ミシュレがそうだという文脈である。
高い見識(「坂本龍馬の魅力」に出てきたボンサンス?)なのか、はたまた色眼鏡による偏向なのか、ほんに紙一重ではないだろうか。
著者と読者の基本思想が近ければ高い見識だと捉えられるだろうが、それはあくまで相対的なもので、絶対的な評価にはなり得ない。客観的に検証できるように、細かい事実を積み重ねて分析・図式化することが大切なのではないか。
もちろんその時代の人々の感情をマクロなものとして集合し、時代の雰囲気を掴むことはとても重要だし、重要な役割を演じた個人の感情を推測していく事も必要だが、マラーを殺した少女の白い服装から、“多少文学的に”読み取るのはマズイと思う。
桑原武夫は、フランス革命に(明治維新とは違って)人類的な視野があったとも語っているが、どうもトンチンカンである。
その“人類的な視野”には、白人以外の人種は入ってなかった。
さもなければ、ご立派な共和国がインドシナを搾取するなんてありえない。
(12)英国の経験 日本の知恵 (『中央公論』1991.4/31頁)★★★
外交官ヒュー・コータッツィと対談。
戦後の天皇は象徴天皇だとは誰もが知ってるが、戦前の天皇も象徴天皇だったという。
もちろん、前憲法の制度上のトップは天皇だが、欧州のエンペラーやカイゼルと違って、なんでも思うがままに命令する事なんてできなかった。
このあたりは、戦前の資料を宮内庁が開示すればハッキリする筈だが、それをしない。
陵墓の調査も許可せず、高齢の今上天皇の御公務を利権化したりと、まったくもって愚かな役人集団である。
天皇は英語でemperor と訳されるが、その語源であるエンペラートは「軍を率いる者」という意らしい。
天皇とエンペラーは全く違うので、なぜtemnoh 、あるいはmikado としなかったのか?
英国人の元外交官コータッツィが、開口一番さらっと、鎖国期の日本が「みじめな状態」だなんて聞き流せない発言もするが、最後に爆弾を投下したのは司馬遼太郎だった。
この対談は1991年の1月か2月の収録だろうが、湾岸戦争が砂漠の嵐作戦から砂漠の剣作戦へ続く最中であり、3月からはいよいよ日本のバブル崩壊が始まっている。
こんな歴史の転換点の直前のタイミングで、司馬遼太郎の発言はこんなだ。
・フセインという信じがたい人物が出てきて、とんでもない紀元前の爆発のようなものが中近東で起きてしまった。
・日本は貧乏しきるまでお金を出すべきだ。
今からみると、信じられないくらいバカな発言だ。
そこには、裏で欧米諸国がどれほど利己的な都合で第三世界を牛耳ってきたかの考察はなく、また後日批判されることになる日本の姿勢を、欠片ほども想像できてない。
大量の文章資料になった歴史では、あれだけ深い洞察力を示せる司馬遼太郎といえども、インターネットがなかった時代には、同時代に対する情報収集能力はなかったということだ。欧米目線の海外報道をただ受け売りで垂れ流す日本メディアの言い分しか耳にしないと、そーなるわな。
以前より、実体のない土地高騰をとても嘆いていた筈なので、そんなあぶく銭は全部なくなってもええわという勢いだったのかな。
ついでながら、対談の途中で土井たか子のバカっぷりをコータッツィが批判して、社会党はダメだねぇとの話になった際、彼らに今の日本で力を得るチャンスはないと断言している。――わずか3年後には村山富市がまさかの首相に・・・。
晩年の司馬氏がどんな発言をしているのか、逆に興味が湧いた。
例えば『対談集 日本人への遺言』や『この国のかたち(六)』はその辺りの文章だと思うけど、まだ読んでないのよね。
(13)二十世紀末の闇と光 (『中央公論』1993.1、『井筒俊彦著述集』1993.8/39頁)★★★
哲学者井筒俊彦と対談。
この題名からすると、二十世紀も残り10年を切ったので総括を試みるのかなと思いきや、井筒俊彦がイスラム哲学の大家ということで、やはり哲学と宗教の話になる。こういった内容は深く突き詰めた認識の在り方というか、テクニックというか、とにかく難しくてよく解らない。
少しでも理解しようと思ったら、PCで用語を調べながら読む羽目に…。
対談当時は東西冷戦が終わって数年が経ち、それまで押さえつけられていた民族や宗教起因の紛争があちこちで噴出し始めていた。その世界を救うには、言葉を超えたところ(メタ・ランゲージ)で文化のパラダイム・シフトが欲しい。そこには哲学的アプローチが役に立つのではとかなんとか・・・。
司馬遼太郎はそこに東洋思想が入るべきだと思っている。
所々で経年劣化を見せている西洋世界の基準を修繕するのに、東洋思想の考えを取り入れようという意図は悪くはない。だがしかし、おそらく彼の周辺には、さぞや親チャイナ・コリアのサロンであったとわたしは邪推しているので、彼の言には胡散臭さがぬぐえない。
そんな中で醸成された論は、耳には心地のよい理想論だが、現実のチャイナはそんなに甘ちゃんではない。
チャイナの考えはこうだ。
これまでの欧米のルールを解体し、これからはチャイナがルールを作る。
悲しくも、欧米のルールの中で努力し最適化を追求し続けて(そして都合が悪くなると、ルールを変えられ続けて)きた日本からみると、かなり羨ましい思考ではある。もしチャイナが儒教の理想である徳目に則った社会を作れるのなら、日本は彼の国に追随するのもいいだろう。
だが明らかに、チャイナがルール変更を企てるのは、欧米に変わってこれから世界を支配するのはオレだという覇権主義以外の何物でもない。
こういった事が、当時の彼を取り巻くサロンでは判らなかった・・・。
東洋思想や中東思想を取り入れるのは結構。
しかしゴリ圧し中共を除いたと力を合わせないといけない。もちろんコリアは問題外だ。
そういった意味で、中東と深く議論するのは大事なのだが、井筒俊彦が語った挿話が興味深くも悲しかった。
彼が若い頃教えを乞いに出向いたイスラム学者は、イスラムの学問で必要な本の内容は、すべて頭に入ってると語ったという。彼がある本について習いたいと希望を伝えると、その学者はその1000頁はある本をまるっきり暗記していたというのだ。
それは凄いエピソードとして紹介されるのだが、凄いと思う反面、だからイスラムは世界をリードする事なんてできないんだよ思った。
もちろん温故知新は大事だが、絶えず現代の新状況とつきあわせてリフレッシュさせていかねばならない。高い思考力はそのために使われるべきであったろう。
古典をまるごと暗記して、重箱の隅をつつくようにあーだこーだ論議しても、その時々の現代状況にはそぐわない事が多い。
他人事だと思ってはいけない。
日本でも、六法全書を暗記して司法試験をクリアし、弁護士や憲法学者になって視野の狭いお花畑思考をする輩が多いではないか。
(2016/12/4記)
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