スマトラ島(1998年8月3日〜8月7日)

8月5日

 7時前に朝食。ミ・ゴレンとコーヒー。地方紙の名前が「シュリウィジャヤ・ポストというのがここらしい。HP200LX の電池が切れたので買いに行く。単3四本で3千ルピア。出発前に時間があったので昨日分の日記をつける。南スマトラ州事務所に出発。行って見るとここの作業はすでに終わっていて、資料をジャカルタに送った後だった。様子を聞き、事務所内を見て回る。続いてパレンバン市事務所へ。人口構成のグラフが貼ってあるが、10〜14歳が多いのに0〜4歳が少ないのは奇妙。その点を聞いて見ると、「報告していないのだろう」「人口計画が成功した」などの返事。この辺の民族はいろいろ混ざっている。伝統的には植民地時代の労働者、最近ではジャワ島出身の大学生など。ジャワ島の国立大は入り難いのでスマトラに流れて来て、従来の住民と教育程度に格差が出来て問題になっているとの説明。
 キジャンで町を見に行く。シュリウィジャヤの記念碑は閉まっていて入れない。レリーフの記述を元に政府が建てた物だとのことで余り歴史はなさそう。あとで聞くと私が眠っているうちに日本の援助で立てられた有名な橋を渡ったとのこと。残念。魚料理で昼食。宿に戻ってチェックアウト。料金を請求されないので聞いて見ると州事務所で払ったと言う。受けて良いものかどうか迷うが、terima kasih の語義に従い、ありがたく受けることにする。
 ここからバンダルランプンまでは昨日にもまして遠い。例によって80キロ以上出しているが、所々道路が陥没していて減速を余儀無くされる。途中で食事。例によってパダン料理。食べた後で「さっきの皿は何だと思う?」「何?」「牛の腸だ」白人は臓物を余り食べないので、オーストラリアから安く輸入しているとの説明。「日本でも食べるけどこんなに大きな塊では出て来ない」と話すが「もつ煮」が一般的な料理かどうか自分でも自信がない。私以外の2人は道中お腹を壊したらしい。私だけ大丈夫なのが不思議。
 着いた時には10時近くなっていた。室内電話があったのでインターネットにアクセスする。毎回、ボーイが請求書にサインを求めて来た。ジャカルタまでかけたので結構高い。石鹸やタオルが見当たらないがお湯の出るバスがあった。一浴びして就寝。

8月6日

 朝食はナシゴレン。8時過ぎにバンダルランプンの州事務所に行き、近くの村を調査する。ここの原住民族はランプン人というのだろうか。ジャンビや南スマトラ同様、ジャワ人も多い模様。ジャンビの予定が早く済んだので午後が丸ごと空いてしまう。近くの「象の学校」を見に行こうという話だが、別行動を取った一隊がなかなか帰って来ず、昼の祈りの時間になってしまった。先に昼食に行くことになる。ランプン/スンダ料理の昼食の後、事務所に戻り、別部隊と合流。象の学校に向けて出発する。
 「近く」ということだったが、なかなか着かない。そうこうするうちに、個人宅に入り込む。聞けば北ランプン州のボス宅だと言うこと。全然遠いではないかと思うが、スマトラの感覚では近いらしい。道の状態が良ければ、ジャンビ=ランプン間も6時間で着くという話だが、200km/h くらいで走るのだろうか。上がり込んでしばし話す。
 北ランプン州から国立公園に入り、道が細くなってからもしばらくかかる。4時半頃、突然視界が開け、象が放牧されていた。着くのが早ければダンスやフットボールなどのアトラクションがあったとのこと。付近の森で捕獲されたのが主だが、小さいのはここで生まれたのもいるらしい。野生の象を捕まえて鎖でつないで飼っているのは可哀相な気もするが、野生の象は人間に危害を加えることもあるという。
 帰路は半分位眠っていた。相変わらず100km/h 近くで飛ばしている。到着は10時前。今度はタオルが置いてあった。軽くインターネットを除いて眠る。

8月7日

 朝食後、お世話になった人に挨拶して出発。この辺になると疲れてきて、食事のことしか覚えていない。バンダルランプンからスマトラ島南東端のフェリーの発着場(名前を覚えていない)までも結構かかる。フェリーはまぁまぁ。最近ニュースをにぎわせているレッドベレー所有の船だと綺麗だったらしいが、こちらは普通の連絡船である。2時間半ほどでジャワ島着。スマトラ島も南部になると田んぼがあるなど、ちょっとジャワに近い感じになるのだが、やはりこちらは本場。人の行き来が多い。港から出る鉄道はジャカルタのタナアバンに向かうと思われる。港の近くのパダン料理(又しても!)で昼食。ここからジャカルタまでさらに3時間かかった。