南へ!(2001年8月ドイツ旅行記)4
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第5日:AchenseeからMunchenへ テントで一晩過ごしたおいらたち。以外と寝心地も良く、予想外なほど快眠できた。で、朝の8時半頃、彼女が起きないことをいいことにまどろんでいると、頭の方からいやな音が聞こえてきた。 …雨だよ。 通り雨だと思って、しばらく待ってみるが、雨足は強くなるばかり。何だか昨日から天気に恵まれなくなってきたな。 根っからぐうたらなおいらたち二人、「雨の中でテントを畳みたくない」というとても理にかなった理由で、雨が止むのをじっ と待つが、11時になっても止まない。 意を決して、本降りの雨の中テントを急いで畳む。急いでやったにもかかわらず、結局びしょびしょに濡れてしまった。車の中ではヒーターをつける羽目に。 昼食後、今度は歩道橋かと見まがうような国境を越え、ドイツへ。誰もいなかったので、当然パスポートコントロール等はなし。 国境から1時間も走るとMunchenに着いてしまった。しかも国境を超えるなり、天気は急速に回復。この、おいらたちがテントを畳んだ時を狙い撃ちしたとしか思えない天気。 で、Munchenに入ったとたん、他の車の運転がすごく荒くなった。しかも、路上駐車の嵐。都会に来たんだなあという印象を受ける。 市中心の立体駐車場に車を停め、市内観光へ。そりゃ土曜日ということもあったのは認めるけど、それにしてもすごい人ごみ。10メートルおきに誰かがストリートパフォーマンスをやっており、それで更に人の流れが悪くなる。 Munchenの人(と観光客)はストリートパフォーマーに対してすごく優しい印象を受けた。曲の演奏が終わるたびに拍手が起こるし、小銭だってばんばん置いてゆく。 正直に言ってMunchenではほとんど何もしなかった。おいらたちの共通した認識として、さっきまで人気のない湖畔でのんびりしていたのに、急に大都会にやってきて精神的についていけなかったのだ。そんな訳で、「またくる機会もあるべえ」というわけで、Munchenを後にする。 この日はMarkt-Indensdorfという郊外の民宿に泊まる。 第6日:DachauからRegensburgへ。 この日は、Munchen郊外の町Dachauへ。この町とても美しい街なのだが、実はもうひとつ大きな人類の負の遺産がある町として知られている。それは、ナチの強制収容所。 Mausiの父ちゃんは「なんで楽しいホリデーなのにそんなとこに行くんだ」と半ば呆れ顔だったが、おいらとしては、ここには行ってみたかったのだ。 自慢にならないが、おいらは歴史というものに興味がない。興味があるのは20世紀くらいだ。で、その20世紀の最大の負の遺産のナチのしたことをこの目で見ておきたかったのだ。 ものすごく強烈だった。一万人以上を収容していたという広大な敷地、拷問に使われた部屋、そして、数万人の死体を燃やした釜。数え切れない人が射殺された壁、そして彼らが埋められた場所。そして、幸い使用までには至らなかったが、アウシュヴィッツと同様ガス室もあった。詫びなければいけないのは、写真を撮ってこなかったこと。でも、とてもばか面をして写真を撮っている気分にはなれなかったのだ。ご了承頂きたい。 重い気分を振り払うように車を飛ばし…たかったのだが、この日は夏休みの日曜日だったこともあるのだろう、Munchen付近の高速道路で渋滞に巻き込まれてしまった。日本のそれほどひどくなかったにせよ、しばらくの間のろのろ運転が続いた。 Munchenから北へ1時間半ほど行ったところにある、Regensburgという町。もう、日曜日だったこともあるが、街は死んだように静かでして。しかも、着くのが遅かったこともあって、街の中心の教会すらしまっていた。(教会が閉まるとは知らなかった) ここから、Nurnburgへ向かい、途中で宿を捜すことに。またいつもと同じパターンなのだが、手ごろな宿は見つからず、時間ばかりが無為にすぎてゆく。ようやく見つけた空きのあるホテルは、とても料金に見合った部屋ではなく…。Nurnburgまであと15キロ程度のFeachtという街にようやく宿を見つける。 宿を見つけた時点で午後9時をとっくにすぎており、おいらたちは空腹。宿の近所にギリシア料理屋を見つけたので迷わずそこへ。 月曜日ということもあってか、中には家族連れと思われる客が一組いるのみ。…良く見ると、こいつら、ここの家族じゃないか。そう、彼らはサクラをかねて、店で酒を飲んでたわけ。たしかに誰もいない店というのは入りにくいからこのやり方は効果的かもしれない。ちなみに味の方は可もなく不可もなく…。 第7日:Bamburgそして…。 朝、Nurnburgの街でMausiは家族にお土産を買う。ちなみにおいらは何も買わず。そして、今回の旅の最後の目的地、Bamburg(バンベルグ)へ。人口7万人のこの街は、街自体がユネスコの世界遺産指定。そんな指定を受けるだけのことはあって、町並みは本当に美しい。二人ともいい加減疲れてはいたが、最後の力を振り絞って街を見て歩く。 今更説明する必要もないような気がするが、ドイツのバイエルン地方が美しいなあと思えるのは「花」。だと思う。家の窓、道端、あらゆるところが花で彩られている。たくさん写真を撮ったが、その多くにごく自然な形で花が一緒に映り込んでいるのだ。 旧市庁舎のアーチを抜けると、そこから緩やかな坂が始まって、その坂は大聖堂へと続く。この大聖堂の並びにあるのが宮殿。再びアーチを抜けると、そこには街を一望できる中庭。考えてみると、Wurzburgの庭と全く同じパターン。良く見ると、植えてある花まで同じ気がしてきた。 1週間も旅をすると、美しい風景にもいささか食傷美味になってしまう。おそらくBamburgに最初に来れば、もっと別の印象を抱いたかもしれない。でも、自分の正直な気分として、美しい風景よりも疲れた気分の方が強かった。そう感じはじめたのは、Munchenから。もういいや、うちへ帰ろう。 そんな訳で、午後5時過ぎにこのBamburgを後にして、Mausiの家へ。その途中、とんでもないものを発見した。何と、対面通行のAutobahn(写真47)。1週間高速道路を中心に運転してきて、「本当にドイツの高速道路はみんなが言うほどすばらしいものなのだろうか」と謎に思っていた。そんな時にまさに駄目押しのように現れたこの風景。結構交通量の多い高速道路が突如、対面通行になってしまったのだ。 ちなみにこの対面通行の区間は約5キロ。その中にたった700メートルほどのトンネルがあった。どうもこのトンネルのおかげでこの区間が対面通行になっているらしい。よくよく考えると、ドイツの高速道路にトンネルなんてほとんどない。おいらが今回の旅で通過した高速道上のトンネルなんて、短いのもいれてもおそらく両手の指で数えられるだろう。 そう考えてみると、日本の高速道路って、とんでもないところに作ってるからとんでもなく長いトンネルなんかを作る必要があるわけで、…有料でも仕方がないのかな。 そんな馬鹿なことを考えつつ、野を越え山越え谷越えて、途中から再び降り始めた雨も何のその、140キロを超えるスピードでMausiの家へ。300キロ以上ある道のりを、途中1回休憩をしたにもかかわらず、3時間かからずに駆け抜ける。そして、午後8時半、無事帰宅。 旅行期間1週間。総移動距離2100キロ、ドイツの南部の旅は、こうして幕を閉じたのでした。結局時間がなくてチェコには行けなかったけど、これはこれでいい旅だったと思う。 <蛇足> この二日後。おいらはハノーバー空港からダブリンへ戻る。空港まで彼女は送りに来てくれた。(とか言いつつ実は行きはおいらが運転した)3車線ある高速が工事のため2車線規制になっており、で、よりによってその2車線区間で追突事故を起こしたアホタレがいて、1車線規制に。当然高速は大渋滞。時間に余裕を持って出たために事無きを得る。 ところが事無きを得ない人が約1名いた。Mausi。当然帰りは自分で運転して帰らなければならなかったのだが、空港からすぐに乗れる高速のインターをなぜか見過ごし、気がつけば、市の中心にいたそうな。…ここまで方向音痴の人間をおいらは知らない。 一応フォローをいれときますが、人間長所短所があるのです。おいらはこの方向感覚に人一倍優れていますが、ドラえもんすら描けない芸術音痴。彼女は方向感覚はないものの、絵を描かせたら(特に童話系)彼女以上に可愛い絵を描く人をおいらは知らない。そんな訳で、おいらは彼女を尊敬してますし、だからこそ、いい関係を保てているわけです。…というわけで、最後まで読んでいただいてありがとうございました。 |