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5日目 (7月31日 月曜日) サウナはゲイの香りでいっぱい
積極的選択ではないのだが、ブダペストに戻らねばならない。火曜日の朝9時にヘレナがウクライナ大使館に行かないと、彼女はビザを取れない。というわけで、この日は、移動日。Dobo Terの近所のカフェで壮絶にでかい朝食をゆっくり取り、昼からのバスでおいらたちはブダペストへ。 呑気なヘレナは言うことが違う。「あたし、オデッサ行きの航空券、まだ手配してないわ」心の中でこのお気楽娘と罵倒しつつ、彼女の首根っこをつかんで旅行代理店に連れて行ったのでした。ブダペストについたのが午後だったこともあって、何もしないうちに夕方。これはいかんということで、ブダペスト名物Turkishバスに向かう。火山もないのにまったく不思議な話なのだが、この国には温泉が湧き、Turkish Bath早い話が公衆浴場が名物なのだ。で、おいらたちのやってきたSzechenyi Gyogyfurdoはその中でも最も大きく、温水プールなども備えた、リゾート施設なのだ。ところがおいらたちがやって来た時には、すでに夕方遅く最終入館時間を過ぎているとのこと。受付の側にある窓から見れば、屋外の温水プールで皆さん気持ちよさそうに泳いでいる。他方こちらは、体中汗でべとべと。
無理だとわかると欲しくなるのが人間の心理というもの。二人とももう泳がなければどうしようもない!と言う気分になる。パンフレットを広げてみると、あった!夜10時まで開いているホテルのプール。向こう見ずな二人はそのままトローリーバスに乗ってその、Denubious termal Hotelへ。受付で自分たちのユースホステルの宿泊料より高い使用料を請求されても気にせずに、おいらたちはプールへ。 このプールは男女別々にサウナがあった。ドナウ川に面したホテルのプールで一泳ぎしてその後サウナとはなんともかっこいい。3畳くらいのミストサウナで1人鼻歌を歌っていると、入ってきたのは地元の40歳過ぎの男性。この男性、英語とドイツ語とハンガリー語の通訳をやっているとかで、(それにしてはひどい発音だったが)英語を話す。あれこれ話しているうちにのぼせてしまっておいらはそのままプールに飛び込む。 10分後、おいらは再びミストサウナへ。するとさっきの男性氏、おいらを追っかけてきたとしか思えないタイミングで再び中に入ってきた。そして、「裸になることはいいことだよ」と言って、いきなり海水パンツを脱いでしまった。そして、「君もどうかね。裸はいいぞー」。ひいい。おいらはその方面の才能をいまだ開花させていないし、これからもさせるつもりはないぞ!「あ、やっぱりのぼせたみたい」とか何とか言い訳をして、ほうほうの体でサウナから逃げ出したのでした。 実はこれ結構笑えない話なのだ。ここにくる前地元の人に言われたこと。「Turkishバスもいいけど、その中で誰かににこっと笑いかけられても、笑い返したりしたらいけないよ。そんなことしたら、下から手が伸びてくるよ。何せ、あそこにいる人の60%は同性愛者なのだから」。そういわれたときは、「んなばかな」とハナから相手にしてなかったのだけど、こういうことが実際起こってみると、それもまんざら嘘でないように思えてくる。 ホテルから出ると、外は雨。ハンガリーに来て初めての雨。プール上がりのおいらたちにはちと冷たい。そこで、行き先も確かめないままおいらたちはさっきのトローリーバスに乗る。おいらの計画ではどこかで地下鉄の駅にぶつかってそこから地下鉄でホステルに戻れる...はずだったのだが、待てど暮らせど地下鉄の駅など出てこない。外は雨が降っていることも手伝い人気も少なく、人の不安をかきたてるには十分すぎる状況。 20分後、大通りとおぼしきところでおいらたちはトローリーバスを降りる。果たしてそこは片側3車線の大通り。それを渡るために地下道などがある。通りの向こうに見えるのは、Pizzeriaつまりピザ屋のサイン。再び旅行の法則。この時間に地下道に下りるのは賢い選択ではない。とりわけ自分がどういうところにいるかわかっていない時は。とりあえずプールで泳いで、しかもまともな昼食を食べていないおいらたちは、大通りを地下道を使わず無理無理渡りピザレストランへ。 ここのウェイトレス、英語はまったく話さないものの、英語のメニューがあるとのこと。果たしてメニューを見れば...ピザなどどこにもない。普通のレストランのメニュー。特にピザに執念があったわけではないおいらたちは、そのメニューの中から無難そうなものを頼む。ビールを飲みつつ隣のテーブルを見ると、あれ、おいしそうなピザを食べてらっしゃる。結局、ぼったくるためにピザメニューを隠したのか何なのかおいらにはわからない。いかんせん、ぼったくられたと言うほどの額を払っていないのだ。これが何だったかは未だに謎。 帰り際、見ぶり手振りで町に戻るのはどうすればいいか聞いたところ、すぐそこに地下鉄の駅があるとのこと。で、さっき危険危険と近寄らなかった地下道を降りてみる。案の定と言えば案の定、何やらやばい雰囲気。しかし地下道の先には確かに地下鉄の駅が。おいおい、地下鉄の駅なら外に地下鉄の駅と書かんかい!全世界でここだけだぞ!地下鉄の駅のくせして外にそう書いていないのは!ぶつける先のない怒りを胸においらたちは地下鉄に乗りホステルに戻ったのでした。 今日の教訓: 地元の人の言うことは正しい 6日目 (8月1日 火曜日) ニューヨークカフェの高級夕食 ヘレナがウクライナ大使館に朝の9時に行かねばならないと言うことで、おいらたちは信じられないくらい朝起きをして、例のいかつい守衛のいるウクライナ大使館へ。10時過ぎ、大使館から出てきた彼女。「金曜日にビザが取れるって」...と言うことは今日取れなかったのね。この瞬間に、おいらたちのルーマニア行きの夢は潰える。彼女のビザの問題すらなければ、おいらたちはルーマニアに行けたのだが。せっかく取ったおいらのルーマニアのビザも無駄になってしまった。 ぶつぶつ文句をいっても始まらないので、そのままブダ城へ。この城、ブダペスト観光のハイライトにも拘らず来た当日にドナウ川の向こうに見たっきりでそれっきりになっていたのだ。 このお城は最初に書いたように、ドナウ川に面した小高い丘に建っている。このお城に登るために、アーチ状の橋Szechenyi Lanchid橋を渡って、そこからこちらも観光名物のケーブルカーを使うというのがまず絶対のゴールデンコース。おいらたちは、ウクライナ大使館に行った関係上、トラムに乗りお城の裏側からお邪魔することにしたのだ。 トラムを降りるとご親切に、「お城はこっち」と書いてある。素直にその矢印に従うと、そこにあったは3基のエレベーター。二人合わせて10円程度(!)の小銭を払い、おいらたちは楽チンお城へ。 出てきたのはお城の中庭。さすがは裏から入る裏技を使っただけのことはある。ここにあったはハンガリーの歴史博物館。ちょっとは文化の香りに触れてみようと言うことでおいらたちはこの博物館をゆっくり見て回る。確かに朝早いということもあったけど、この広い博物館の中はほぼ貸し切り状態。ハンガリーの歴史に興味を持った観光客っていないのかな。 この博物館で学んだこと。ハンガリーは今年でちょうど1000年の歴史がある。で、ブダペストは昔は二つの都市だった。南北方向に流れるドナウ川をはさんで、西側がブダそして東側がペスト。まるでヤンボー・マーボーのようだが二つ合わせてブダペストになったらしいのだ。そして国の歴史は侵略され独立を取り戻しということの繰り返し。そしてこのブダ城も第2次大戦の戦火でその多くを失ったらしい。 ちょっとお利口さんになったところで、おいらたちはドナウ川の側へ。「馬鹿と煙は…」と罵られようと、おいらは高いところに登るのが好きだ。そこから見る風景はいつもえもいわれぬものがある。ここも例外ではなかった。丘の上から見るペスト側の町の美しさ。やっぱり高いところはやめられない。 ちなみにこの王宮の丘から降りるのに、おいらたちは観光名物のケーブルカーを使う。こちらケーブルカーは、何と裏口のエレベータの35倍の値段をとる!最初にも書いた通り、観光客は知らず知らずのうちに金を巻き上げられているのだろうなあ。 そして午後。数日前に閉まっていて行けなかった例のTurkish Bathへ。水泳ができるほどの大きなプールなのだが、ここはあくまで「浴場」。てなわけで、泳ぐわけでもなくただぷかぷか浮かんですごす。屋外のこの温水プールに浮かんでいると、ほのぼのとした幸せを感じるのでした。 何だかんだで、時刻は夜。たまにはおいしい夕飯を食べに行こうというわけで、おいらたちはNew York Cafe へ。何でも、百数十年前にオープンして以来ハンガリーの文化人の溜まり場だったんだそな。その場所に着いてみると、建物中に足場の組まれた古ぼけた建物が一軒。外から見た感じどう見ても営業している雰囲気などではない。 ところが一歩中に入ってみれば、わ、19世紀の粋を集めた建築だ。柱の1本1本にまで彫刻が施され、とにかく優雅な感じを醸し出している。とりあえずテーブルに座ろうとすると、ウェイター氏ご丁寧にいすを引いてくれる。わー、久しぶりだなー。こんな格式のあるレストランは。Tシャツ姿で来た自分を少し恥じ入る。
おいらはアヒル料理を注文。あの公園の水面を泳ぐかわいいアヒルを思うと胸が痛まないわけでもなかったが、それを言い始めるとおいらは菜食主義者にならねばならない。そして当然のように赤ワインも注文。 少し遅れて隣のテーブルについたのは、あれ、日本人母子。さっきのTurkish Bathで見た親子だ。30半ばの痩せたお母さんに、10歳くらいのスポーツ刈りの息子さん。日本人自体珍しくも何ともないけど、退屈だったおいらは片耳でヘレナの話を聞きつつ、もう片方の耳でその親子の会話に耳を傾ける。方言から、どこの出身かはすぐにわかった。京都だ。 悪趣味ながら、人ごとだといろいろ一挙一投足が面白いのだ。まず、懐から取り出だすは、お約束「地球の歩き方」そしてやってきた初老のウェイターに、その1ページを指差す。おそらく、ハンガリー語の簡単な会話集のページに違いない。ウェイター氏、「すいません、老眼鏡がないからわからない」そしてご苦労にも別のウェイターを呼びに行く。若いウェイター氏、「ああ、今日のお薦めですね、このページです」とメニューの最初のページを指差す。そのページには確かに、「お薦めメニュー」とでかでかと書いてある。 そのページとにらめっこしてたお母さん、子供に一言、「あんた、チキンにしなさい」選択の余地のないかわいそうな息子さんなのだった。そしてこの子供がかわいげがないやつなのだ。こちらが懐から取り出だすは、情けなくもゲームボーイ。おいおい、Tシャツで来ているおいらが言えた筋じゃないけど、せっかく格式のあるレストランに子供を連れてきたのだから、テーブルマナーとかいろいろ教えることはあるのではなかろうか。おいらが子供の頃海外に行くことはひとつの大きな夢だった。でも、そんな夢も、こうして恵まれてその夢がかなう子供になると、何のことはない生活の一シーンになってしまうのだろうか。子供の後ろではクラッシックの4重奏の演奏。おいらならまず間違いなく、彼らの演奏を目を輝かせて見るに違いない。 他方おいらたち。ハンガリー産の赤ワインはやはりおいしい。そしておいらたちのメインコースが、銀の蓋つきでやってきた。二人のウェイター氏が、エイヤとその蓋を取る。自慢ではないが、アヒルを食べるのはこれが初めて。どんなものか期待でわくわくしていた。口に運ぶ。もぐもぐ。どこかで食べ慣れた味。何の味だっけ。その答えはすぐにわかった。来来軒のチャーシューの味だ!結局のところおいらにテーブルマナーがどうこう言う資格はまったくない。ハンガリー屈指のシェフが調理した(と思われる)アヒルを食べて、来来軒のチャーシューを思い出すおいらは、食通を名乗る資格などまったくない、ただの貧乏人の子倅である。 食事が終わる頃、クラッシックの演奏者たちが各テーブルで演奏するサービスを始めた。リーダーのバイオリン奏者、おいらに丁寧な英語で、「何かリクエストはございますか」おいらもつられて馬鹿丁寧な口調で、「ハンガリー民謡で、何か早いテンポのをお願いします」曲目はわからないけど、何やらハイテンポな曲をやってくれた。おいらと、お隣のテーブルの母子が日本人とわかると、「スキヤキ(邦題:上を向いて歩こう)」と「里の秋」を演奏してくださった。チェロ奏者のおじさんと話をしたのだが、このバイオリン奏者、ハンガリーではかなり有名な人らしい。そして、このチェロ奏者のおじさんも、横浜でしばらく演奏していたことがあるらしい。全く優雅な時間だった。 さて、恐怖のお会計。これだけ優雅な時間をワインまであけて過ごしたのだから、さぞかしべらぼうな値段を請求されるに違いない...と思いきや、一人当たり2000円以下!!おいらがまたハンガリーに戻ってこようと心に誓ったことは、言うまでもないと思う。 今日の教訓:「名物」と名がつくものはみな高い 7日目 (8月2日 水曜日) Balaton湖へ この日。見事に(彼女は確信犯的に寝坊したとおいらは思っている)、二人とも寝坊。かくして、次なる目的地Balaton湖へ出発したのはもはや夕方といっていい頃。当然の帰結として、湖についたのは日も沈みかけた午後8時ごろ。このBalaton湖。ブダペストからに電車で西へ約2時間。オーストリアとの国境に程近いところにある。ちなみにスカンジナビアを除いてヨーロッパで最大の湖なんだそうな。車窓からはいつ果てるとも知れない湖がずっと続いていた。 おいらたちが選んだ街はBalatonboglarと言う小さな町。着いたはいいが、行き当たりばったりのおいらたちは当然のように宿の予約はおろかここがどんな町だかすら知らない。この駅に降り立った人はごくわずかで、まさに右も左もわからない状態。とりあえず湖のほうに歩いてゆく。 さすがはハイシーズン。民宿を一軒一軒探して歩くが、みんな満室。バックパックがいいかげん肩に食い込み始めた頃、ようやく1軒の宿を発見。その時点で午後9時。真っ暗。さて皆さんならここからどうしますか?人知を超越した彼女が提案したことは、「泳ぎに行こう」行きました。真っ暗闇の中泳ぎに。夜の湖水は冷たかったものの、遠浅の湖は当然人気もなく静かに泳ぐことができた。月明かりがとてもきれいで、人が人ならロマンチックな状況とも言えなくもなかったのだが、いかんせんおいらたちのこと。ただひたすらに泳いだのでした。 今日の教訓: 早めに行動をしないと、午後のスケジュールがきつくなる。 8日目 (8月3日 木曜日) Balaton湖 非情の野宿 朝起きると快晴。遅めの朝食のあと向かったはビーチ。ありゃま。昨日あんなに人気がなかったビーチには千葉の内房の海岸ほどじゃないにせよすごい人人人。ん、よく見ると、トップレスの方々がいっぱいいる!そうなのだ。アイルランドやイギリスじゃ期待できないけど、一部のヨーロッパのビーチではトップレスのおねえさん方を拝むことができるのだ。おいらの鼻の下がどれくらい伸びきっていたかはご想像にお任せする。 よくよく気をつけてみると、ここで話されている言語はハンガリー語ではなくドイツ語。さらによく見ると、いろいろなものの価格表示がドイツマルクで書かれている。後で聞いた話なのだが、このビーチにいる人のそのほとんどは、オーストリアおよびドイツからの観光客。ここの宿も、ハンガリー人を敬遠し、羽振りのいいオーストリア・ドイツ人観光客を歓迎する傾向があるらしい。 このビーチで、ドイツビール(それしか売ってなかった)を飲みながらついでにトップレスのおねえさんを拝みながらごろんと横になっていると、もはやこれ以上ないくらいの幸せを感じる。暑いと思ったら泳ぎ、泳ぎ疲れたら横になる。そんなことを繰り返すうち、時刻はもはや夕方。
早めの夕食を取ったのち、おいらたちはミニゴルフに挑戦。彼女はスウェーデンで賞を取ったことのあるくらいの名人レベルなのに対し、おいらのスコアはひどいもの。まあ、楽しければいいということにしておこう。 時刻は午後9時。ここで、ヘレナがこの旅最大の失敗のきっかけとなる超越提案をする。「Siofokに行こう」SiofokとはBalaton湖畔で最大の町なのだが、ガイドブックによれば「近寄るべからず」と書いてある。ヘレナは、湖最大の町なのだから言ってみたいと主張。おいらは猛反対。明日の午後4時に彼女は3たびウクライナ大使館に行かねばならない。そのためには朝このBalaton湖を去らねばならない。とすれば、この移動に何の意味があるというのだ?しかし彼女に押し切られる形で、おいらたちはこのSiofokへ向かうことに。 午後10時過ぎ、Siofokへ着いた。遠くからはディスコが夜空を明るく照らし出し、通りには多くの人々が行き交う。およそハンガリーらしからぬ、イタリアかどこかのリゾート地のような光景。まず行わなければいけないのは、当然宿探し。まずはホテルから当たり始めるが、ハンガリーの安物価に慣らされたおいらたちにはとんでもなく高いホテルばかり。午後11時、ついには寝静まった民宿まで当たるが適当な宿は見つからず。一日泳いで疲れ果てたおいらにとって、背中の荷物は重すぎる。午後12時。完全に自棄になってしまったおいら、湖畔の周遊道に座りこむ。そしてそのまま生垣近くの芝生と思われるところに野宿。 夏だからと言ってなめてはいけない。いざ座り込んでみると寒いのだ。芝生の上にタオルを敷き、そして、持っている限りの服を着て横になる。ぶるぶる。寒い。仕方ないので、Bayleys(アイルランド名産のブランデーとクリーム卵を混ぜた飲み物、えらく甘くて飲みやすいが、アルコール分はしっかり高い)をラッパのみし、ボトル半分くらい空けたところで、再び寝ようと試みる。 弱り目に祟り目。今まで凪いでいた寒い風が急に吹き始め、さらに寒くなる。何やら時折犬の落し物のような異臭がするが、動く気力も確認する明かりもおいらたちにはない。何が悲しくてヨーロッパのわけのわからん湖畔で、おいらは野宿をせねばならんのだ!おいらはこんなとこで野宿をするためにアイルランドで苦労して仕事を見つけたんじゃない!思いつく限りの悪態を心の中でつきつつ、おいらは目を閉じる。 おいらの真似をする馬鹿はいないと思いつつ念のために申し添えますが、いかなる事情があろうと野宿はお薦めできません。健康面、安全面双方から命にかかわる問題が起こる恐れがあります。少しくらい高くてもきちんと宿に泊まりましょう。 今日の教訓:夜遅くに飛び込みで宿を探すのは無謀。下手をすると命にかかわる。 9日目 (8月4日 金曜日)三度ブダペストへ 眠ったか眠らないかわからないうち、午前6時。日が昇り始めた。むっくと起き上がると、うっ、背中に内から外から痛みが。内からの痛みは硬いところで眠ったことからきたもの。外からの痛みは昨日ビーチで散々日焼けをしたからだとすぐに気づく。悲劇はここで終わらない。タオルの端のほうに茶色いシミ。まさか。悪い予測は当たってその下にあったのは夕べの異臭の元。大きなタオルの端だったこと、その上にヘレナのかばんがあったことで幸いおいらへの直撃は免れたものの、おいらが数年間愛用していたお気に入りのタオルはその場に捨てられる運命に。 のそのそと歩き始めたおいらたちが見たものは、荒れた湖。昨日あんなに凪いでいた湖が今日は完全に別の表情をしている。自然と言うものはなめてはいけないと素直に思う。 こんな朝早く開いていたのは、24時間営業のアメリカ風のダイナーのみ。気持ちが悪くカプチーノ(にブランデーをたらしたもの)1杯しか飲めないおいらの脇で、ヘレナは快食。この図太さは見習うものがあると思う。 そのまま列車に乗り、おいらたちは再びブダペストへ。3度目のウクライナ大使館へのアタックで、ついに彼女はビザを取得したのでした。 今日の教訓: おいらも少し図太くなろう 10日目 (8月5日 土曜日) 世界で一番暑いパブ この日は、ハンガリー一大きいショッピングセンターで買い物をしたり、映画を見たりしてすごす。正直なところ取り立てて書くようなことがない。 ところで、ユースホステルというところには、世界各国からバックパッカーと呼ばれる百戦錬磨の旅のつわもの達が揃っている。おいらが数日間滞在した、Yellow Submarineホステルと言うところは、今まで滞在した数多くのホステルの中でもとりわけつわものが多く、そして彼(女)たちと知り合いになりやすいホステルだった。 まず、受付を担当していたオリバーというおいらくらいの年の兄ちゃん。もともとはロシア出身らしいのだが、世界各地を旅する中でこのホステルに滞在し、いつの間にかブダペストのホステルで働き始めたらしい。ユースホステルを管理するはずの彼は特に週末パーティを企画し、先週などは警察が出動するまで騒ぎつづけたとか。彼と一緒に飲んだチェコ産の怪しい緑色のアルコールに至っては、アルコール分75パーセント!これは口に入れる前に鼻に来た。すごい飲み物だった。 そして彼と台所で話しているとその他のバックパッカーたちが酒のにおいに惹きつけられてかやってくる。彼らの話がまたすごい。酒の上だから話半分に聞かねばならないと言うのもわかるが、キセルでつかまって逃げ出したやつ、査証なしで酔っ払いにまぎれて不法に入国を果たしたやつ、ニセのパスポートでこちらも不法入国を果たしたやつなど、おいらのこの旅行記などをはるかに凌ぐ話が盛りだくさん。自分の国を離れて、言葉や文化の違う国を1ヶ月やそれ以上旅していれば、いろいろな話も出てこようというもの。 そしてそんなこんなで出会った、数人といいかげんに酔っ払ったところで12時を回って出かけたは、徒歩15分程度のところにあった、The Old Music Pubという飲み屋。地下にあったのだが、入るなりにすごい人いきれ。暑い、なんてもんじゃない。人智をはるかに超えた暑さのパブの中はごった返している。のみならず、このパブ迷路のように入り組んでいる。酔っていた割には冷静だったおいら、ふっと火災のことを思い浮かべる。テーブルでろうそくなどの裸火を使っているにも拘らす、非常口は狭い入り口の階段のみ。何か起こったら大惨事は免れない。 気にし過ぎと笑う人がいるかもしれないが、ダブリンの込み合ったパブで、おいらの友人のジャケットの背中に童話のカチカチ山よろしく火がついたことがあるのだ。ことはジャケットを燃やすだけで済んだが、タバコやろうそくなどの火の気のある飲み屋で非常口が完備されていないと言うことは考えている以上に恐ろしいことなのだ。 閑話休題。この暑いパブの中、ご苦労なことにダンスホールではみんな踊っている。おいらたちも当然参加するのだが、もう暑過ぎて飲むどころの騒ぎではない。コーラをがぶ飲みし、コップの中の氷を背中に流し、ほとんど我慢比べ状態。それでもみんな踊る。踊る。気がつけば朝の4時になっていたのでした。 今日の教訓: おいらももっと冒険しないと 11日目 (8月6日 日曜日) 一目惚れを信じちゃいけない 当然寝坊をしたおいらたちは、いそいそと荷物をまとめると空港へ。ヘレナは一足早く午後5時のフライトで、イスタンブール経由でウクライナのオデッサへ。おいらは午後7時のフライトまで時間がある。チェックインと、恐ろしく厳しい出国検査を済ませ、搭乗口前の待合室へ。高いとはわかっていても独占市場。例の暴利のビールを買い、行き交う人々を見ながら一杯はじめる。 ふっと目に入ったのは、隣のテーブルに一人座るおいらより2−3歳若いと思われる女性。茶髪のショートカットが似合っていてとてもかわいい。その彼女の前に飛んできたのはタンポポの綿毛。ここヨーロッパでのおまじないのひとつとして、飛んできた綿毛をつかんで何か祈ると、その願いが叶うというのがある。 この女性、そのタンポポの綿毛をつかむと静かに目を閉じて何かを祈る。このしぐさが美しく、そしておいらが昔好きだった女の子を思い出させ、おいらは完全に心惹かれてしまった。平たく言えば一目惚れみたいなもの。おいらは思わず話し掛けてしまった。「何を祈ったかは秘密でしょ?」彼女は大きな目をくりっとして頷く。残念なことに彼女の連れの女性が戻ってきてそこで会話はおしまい。おいらはそのまま彼女ににこっと笑いかけて席を立った。まるで映画の一シーンのよう。 そしてB737に乗り込み、飛行機は静かにハンガリーを発つ。旅行の感傷に浸ろうとすると、真後ろの席でアイルランドの田舎の女性の数人のグループが大声で話している。アイルランド人の話し方は一般論として品がない。オバタリアンの井戸端会議を髣髴とさせるような、大声での会話。あまりにうるさいので後ろを見ると、そこにいたのは何とさっきの綿毛に祈りを捧げた女性!思い切りイメージを崩されてしまったのでした。ああ、あのまま会わなかったらきれいな思い出でいたのになあ、と思った。 そんなこんなでハンガリー旅行は幕を閉じたのでした。お粗末でした。 |