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Cさんの投稿体験記
(その2)
27日目 1999年2月15日 (月曜日)
くだんのスーツを着て初の面接。結局ビザとかの問題でだめだったが、面接官がものすごくやさしく親切な方だったので(本当は社名を出したいくらい)リラックスして面接を受ける。結果はともあれ、何か得たものの多い面接だった。これからの仕事探しがうまくいきそうな気がした。
某日本系通訳会社より 「これを訳して来い」とのタカビー(死後)なテストが届く。ちなみに、これを律義に訳して送り返して見事になしのつぶてだったという話を後で聞いた。
28日目 1999年2月16日 (火曜日)
アポをとってあった、アイルランドでも大手のリクルートエージェンシーへ。コンピュータ関連の仕事で日本人を探しているというが、経験者じゃないとだめとのこと。そう、なにやら、ソフト屋さんで英語もできる、という人がいれば、おそらくこの国で仕事を見つけることは容易だと思う。どこの国でもコンピュータ関連の仕事は花形なのだ。
英語学校の先生および、スウェーデン人二人と市内の行きつけのパブで昼食。のち、精力的にエージェンシーを回りCV(履歴書)のじゅうたん爆撃。ほんの少しでも可能性のある限り諦めない。
夜は某ホテルのパーティへ。(なんだか知らないけど、今に比べてパワーがあるな、おいら。若かったのかな?←オッサンだー)
29日目 1999年2月17日 (水曜日)
新しいアパートの問題(のひとつ)は、洗濯機が6世帯共用だということ。というわけで、週に1回しか洗濯機が使えず、水曜日がその日。たまっていた洗濯に追われ、仕事探しはUSITよりインターネットで少ししたのみ。ちょっと中休み、といったところか。
30日目 1999年2月18日 (木曜日)
昨日の中休みの後、今日はまた精力的に動き回る。まず、日本で最初に24時間バンキングを始めた某アメリカ系の銀行にCV(履歴書)を出しに行く。この頃この銀行の新宿南口支店に口座を持ってたのよねん。あの立派な銀行で働く自分というのはぜんぜん想像できなかった。
インターネットカフェでCVを手直し。そしていつものコーヒーショップで昼食。さらに、エージェンシーをはしごして、CVをじゅうたん爆撃。そしてUSIT(学生旅行社)でメールのチェック。自分で言ってしまえば身もふたもないが、よくがんばってると思う。
31日目 1999年2月19日 (金曜日)
就職活動を始めて1ヶ月。だんだんだんだんポイントをついた活動ができるようになり、それにつれて、CV(履歴書)の内容もより魅力的なものに変わってきた。ものは言いようというやつ。英文履歴書というものは、枠が決まった日本のものと違い、自分を売り込む機会が格段に多い。 「XX株式会社で仕事をしてました」と書くのと 「XX株式会社で、XXという大変重要な仕事を任されその結果は実にすばらしいものでした」と書くのでは、後者のほうがはるかに魅力的。はっきり言えば、こっちの人間の履歴書はうそつき。1を10と平気で書く。そういう風にして自分を売り込む。そんなことも知らなかったから、おいらの最初の履歴書はまあ、貧相なものだったと思う。
実例をひとつ。実はこの後、とあるべつのスウェーデン人の女の子の履歴書製作を手伝うこととなる。この女の子の職歴は年が若いとは言え惨憺たるもの。なんと大学の夏休みに病院でお掃除のバイトを数年間したことがあるだけ。そんなことを正直に書いてもこっちではへのつっぱりにもならない(お下劣は表現ですいません)。
彼女の職歴は友人と相談のうえこんな風になりました。
199X年7−8月および199X(+1)年7−8月 XX病院ハイジーンオフィサー。(強いて訳せば「衛生管理者」といったところか)
この時期この地方最大規模(←ウソ)の総合病院XX病院で、ハイジーンオフィサー(←なんやそれ)として働く。他にも学生アルバイトが10数人いた(←ウソ、妹だけ)が、その中でチームリーダー(←二人のうちではね)として働く。作業計画を立てる難しさ(←さっさとやらないと終わらない)、またチームチームワークのすばらしさ(←二人で手分けした)を学ぶ。
この他にも兄の会社で英文手紙を書いたことがあったので、それは、 「フリーランストランスレーター」としての仕事にでっち上げる。(ええ加減にしますわ、ホンマ)
ちなみに彼女、おいらの働く会社に見事採用されましたとさ。ちゃんちゃん。
32日目 1999年2月20日 (土曜日)
この日は、Annaという女の子とMalahide城でデートし、その後パブに行ったと書いてあるが、白状します。ぜんぜん記憶にございません。誰なんだろう?いまだにたまにくるのだ、 「誰この人?」という人からメールが。一言だけ言わせてくれ、君のことが印象にないのは、Annaとか言う何の変哲もない名前をつけたご両親のせいだ。とか言いつつ、この後彼女になった女の子の名前がAnnaだったりするんだよな(消したい過去)。
33日目 1999年2月21日 (日曜日)
おおーい、いいかげんにしてくれよー。この日も例のAnnaという女の子と"Very bad things"という映画を見に行ってるじゃあないかー。ただ、デートにこんなブラックユーモアの映画を選ぶおいらっていったい何?答え、最バカ。
34日目 1999年2月22日 (月曜日)
午前中ネットを使って仕事探し、そして、午後は試験。何の試験かというと、某アメリカ系銀行の面接前の適性試験。良きにつけ悪しきにつけ,この 「適性試験」と言う考え方自体がすでにアメリカ的だ。アイルランドで就職活動中 「適性試験」なるものを受けたのはこれが最初で最後だった。2月18日にCV(履歴書)を提出して今日試験とは,これまたアイルランドでは考えられない早業。
さて問題の試験。会社の建物内でやるかと思いきや、中庭へ。中庭には、お父さんが脱サラで学習塾を開きましたと言わんばかりのほったて小屋。中には 「受験生」がすでに15人ほど待機している。言うまでもなく、ガイジンはおいらだけ。
この試験は2部構成。1部はふたつのビジネスレターを読んで、その内容についての質問が数十問。正しいか、正しくないか、どちらとも言えないかを答える。これがまた時間が足りないのだ。当然のことながら、おいらの英語はどんなに逆立ちしてもネイティブにはかなわない。強烈なハンデ。
そして第二部。こちらは 「算数の文章題」こちらも答えは4択から。なんだか昔受けた大学入試センター試験を思い出す。
マークシートを使用していたこともあり、試験の結果はすぐに出た。おいらは別室に呼び出される。
おねえさんいわく 「試験の最低合格点は、50点。あなたの点数は45点でした」…つまり不合格やんけ!がっくりしているとおねえさんは続ける。 「しかしながら、第2部のあなたの成績はほぼパーフェクトで、他の方より抜きん出ていました。そういうわけなので特別に木曜日に再試験をしたいと存じます」…なんだか知らんが、首の皮一枚でつながった。やってて良かった公文式…なのか?
ただ、第2部がパーフェクトで、トータルが45点ということは、いったい第一部は何点だったんだ??(そこ、計算しないように)
35日目 1999年2月23日 (火曜日)
大手リクルートエージェンシーへ。なにやら仕事がありそうな雰囲気。もうひとつのエージェンシーからも連絡があり、なにやらこちらも好感触。これは期待できるかな?
36日目 1999年2月24日 (水曜日)
昨日のエージェンシーの続報。 「ドイツ系の航空会社のコールセンター」おーい、話が、第2週目に戻ってまっせ!
映画、"Hilary & Jackie"を見る。おいらはエミリーワトソンのファンなのだ。
37日目 1999年2月25日 (木曜日)
アメリカ系大手銀行の再試験。ご丁寧に同じ問題が出て、見事合格(そりゃそうだろう)。で、別室で面接。 「あなたをリストに入れます」え?職待ちリストに入れてもらうためだけのためにこんなに苦労をしたの?ちょっと肩透かしを食らった気分。
38日目 1999年2月26日 (金曜日)
超上天気。そんな中おいらはエージェンシーをはしごし、ネットで仕事を探しと相変わらずの日々。
39日目 1999年2月27日 (土曜日)
夜、スウェーデン人連中とディスコへ。ぐでんぐでんに酔う。記憶がなくなった、ということにしておく。
40日目 1999年2月28日 (日曜日)
朝、というよりは昼のそのそと起きてみると、リビングルームの椅子のひとつが粉々に砕けている。ううむ、何が起こったんだ?なぜか一日ボーっと過ごす。
41日目 1999年3月1日 (月曜日)
3月。仕事探しは進展はしているものの、いまだ結果は出ていない。自分の心の中で、今月末までがんばってダメなら諦めようと決める。そう、時間もカネも無限ではないのだ。
新しいブーツを買う。実に調子がよい。これで連日の歩き尽くめの生活にも耐えられそうな気がする。
42日目 1999年3月2日 (火曜日)
実はおいらの人生の中でのある意味での記念日なのだ。実は三年前のこの日、初めて海外に来たのだ。その初めての海外というのが、ここ、ダブリン。ダブリンに居座るようになったのは、変なたとえだが、ひよこが初めて見る動くものを母親だと思い込む「インプリンティング効果」に似ているのかもしれない。
語学留学をすることに決めて、初めて乗った国際線の飛行機。ロンドンで乗り換え、ダブリンにさあ着こうかという時、窓の外に広がるダブリンの夜景。それはオレンジ色だった。ダブリンの(おそらくヨーロッパのと言ってもいいと思う)街燈はオレンジ色。そのオレンジ色の街燈がまるで天の川のようになっていた。あれは一生忘れ得ないオレンジ色だ。
…だからといって別に今日が素晴らしい日だったかといえばそんなことはなく…。ひたすらに散らし配りのように自分のCV(履歴書)を撒きつづける日。駅前で広報活動をしている人なんかも、このやってもやっても報われない空しさを感じているんだと思う。ご苦労様です。
43日目 1999年3月3日 (水曜日)
USIT(学生旅行社)で例によってネットから仕事探し。最初の頃は、ブラウザのバックボタンの使い方すら分からずに(!)パニクっていたのが今ではなかなかポイントを得てネットを使っている。習うより慣れろとはこのことか。で、このスキルアップのおかげか、ネット上でアイルランドのコンピュータ関連のエージェンシーのリストがあることを偶然発見し、30通あまりのメールを一気に送る。ネットからのCVじゅうたん爆撃。
このメールをよりよい内容にしようと思い英語学校のヒマそうだった先生に教えを乞う。実際のところもはや生徒ではないおいらにここまで親切にしてくれたこの学校には頭が上がらない。学校とUSITの往復をしているうちに一日は過ぎてしまった。
44日目 1999年3月4日 (木曜日)
季節はずれの風邪にかかる。だからといって家で寝ているわけにはいかない。人生は短くて忙しい。
1月25日に行ったエージェンシーへ。一度行っただけではすぐに忘れられるので、何度も顔を覚えてもらえるまで足繁く通うわねば。ところが、例のドイツ人のおねえさんの姿がない。聞けばやめられたそうな。そりゃ連絡も来んわな。
市内のIrac Shopping Centreというところにある市営図書館へ。実はここ、ExcelやWordの自習ができる設備があるそうな。しかもタダ。コンピュータ関連の技能の必要性は連日のエージェンシー訪問で身につまされて知っているつもりだったので。残念なことに、このコースの教材はまさにゴミと呼ばざるを得ないもので。自分で学ぶことの難しさを再認識する。
USITへ行ってみると、昨日のじゅうたん爆撃30社のうち数社から早々と回答。この早さには驚いた。今後はネットの時代になるだろうということを認識させられた。
45日目 1999年3月5日 (金曜日)
2/12, 13の連日訪れたRDS。今度はここで、Multilingual(外国語を話す人)対象のジョブフェアが行われていたので早速参加。まさに「渡りに船」状態のおいらのために催されたような企画ではないか。
今度は前回と違い、離れの小さなホールを使った小規模なもの。参加企業も50社ばかりと前回に比べ格段に少ない。ただし、来場者のそのほとんどは、本気で仕事探しをしているということがひしひしと伝わり、熱気は前回以上のものだった。
また、入り口では、なぜか自分の名前を聞かれ、ついでに話す言語も聞かれる。正直に答えると、自分の名前と話す言語を書いた名札を作ってくれ、それを胸につけろという。その名札をつけると、なんだか自分が少しえらくなったような錯覚(あくまで錯覚)を覚える。
とある企業で恐ろしいことを言われる。
企業担当者(若いにーちゃん):「君は日本人?」
自分:「はい」
担当者:「そっかー、今日ずーっとやってるけど、日本人は珍しいね」
自分:「そうですか。どれくらい来ました?」
担当者:「僕が担当した中では、たったの10人くらいかなー」
たったの10人?待て、この会社、申し訳ないけどそんなに大きそうにもないし、あまり人が訪れているようには見えない。そんなとこにすでに10人?このときに気がついたのだ。ここでおいらは椅子のない椅子取りゲームをしているということを。全くない募集を求めておいらたちはぐるぐると回っている。いつ置かれるとも知れないたった一つの椅子を求めて。果たしてこの10人、あるいはそれ以上の仕事を探している日本人の中で、誰か仕事に就ける人間はただの一人でもいるのだろうか?
だからといって諦めるわけにはいかない。とにかくラストチャンスという思いが強く、参加していた企業すべて、たとえその企業の業種が何であろうと、自分のCV(履歴書)を渡し、いかに自分が真剣に仕事を探しているかをアピールする。そうラストチャンス。おいらに残された時間はもう少ない。
46日目 1999年3月6日 (土曜日)
お金はないが、音のない生活は何とも寂しい。というわけで、お気に入りのLeonard CohenのCDを買う。え?知らない?60年−70年代のカナダ人のシンガー。暗い曲が多いのだが心に染み入るものが多い。
47日目 1999年3月7日 (日曜日)
友人と郊外のEnniskellyという村にある、Powerscourtへ。ここの庭の美しさは尋常じゃない。規模を小さくしたベルサイユ宮殿の庭といった感じか。建物は数年前に訪れた時は火事で焼け落ちそのままになっていたのだが、いつのまにか再建され立派な観光地と化していた。アイルランドの素朴な大地がここでも失われ普通の観光地になったかと少し残念に思う。
48日目 1999年3月8日 (月曜日)
朝、某アメリカ系の銀行(この前のところとは別)のアプリケーションフォームを書く。それから先はいつも通り走り回る。
49日目 1999年3月9日 (火曜日)
市立図書館でアクセスについて学ぶ。 「意外と簡単そう」などと日記に書いているところを見ると、どうやら何も理解してなかったらしい。
50日目 1999年3月10日 (水曜日)
今度はアメリカ系のコンピュータ会社へ。数週間先に 「Windows NT」について試験を行います」と言われる。 「はーい」といかにも自身たっぷりの顔をしていたが、実は何のことだか全然分かっていなかった。意味のない見栄を張ってしまったが、なんにせよ担当のおねえさんの態度は 「そんなもの知ってて当然じゃない」といった風情だったので、とても 「なんですか、それ?」とは聞けなかった。
51日目 1999年3月11日 (木曜日)
Windows NT95とは何ぞと、本屋へ勇んで向かうが、論語だか、中島敦の小説だかのほうがはるかに簡単でいとも早々とダウンする。コンピュータの世界は 「一見さんお断り」といった印象がものすごく強いと思うのはおいらだけか?
52日目 1999年3月12日 (金曜日)
空港にスウェーデンの友人を迎えに行く。彼女とはその後ハンガリーに一緒に行ったりと、いろいろなところで腐れ縁ぶりを発揮している。実はもうすぐSt Patrick’s dayということで、アイルランド中はお祭りムード。とても仕事探しの雰囲気ではなかった。そんなわけだから、しばらく仕事探しは中休みせざるを得なかった。
53日目 1999年3月13日 (土曜日)
毎日ただひたすら仕事探しのために歩き回っている町を彼女と一緒にゆっくり歩く。そうすると普段見えていないものがいろいろと見えてくるもので。楽しかった。
54日目 1999年3月14日 (日曜日)
彼女と共通の友人Pat Ingoldsbyに会いに行く。Patはいい加減50過ぎのおじさんなのだが、彼、詩人として町の往来で本を売りながら詩を書いている。と書くと売れない詩人のようだが、実はひところはテレビの子供向けの番組に出演していたりとちょっとした有名人。彼の本は書店でも手に入るのに彼は通りで自ら売る。理由は簡単 「楽しいから」人生を本当に楽しんでいるある意味での天才だろう。そんなわけで彼との話は飽きることを知らなかった。
55日目 1999年3月15日 (月曜日)
今日も彼女と過ごす。
56日目 1999年3月16日 (火曜日)
同上。
57日目 1999年3月17日 (水曜日)
今日はSt Patrick's day。アイルランド最大のお祭りの日。というわけで浮かれて過ごす。
58日目 1999年3月18日 (木曜日)
いつになったら仕事探しに戻るのだろう?
59日目 1999年3月19日 (金曜日)
朝から二人でベルファストへ。
60日目 1999年3月20日 (土曜日)
ベルファスト二日目。彼女が何気なく 「ベルファストで仕事探しをすれば?」と言う。そっか、それは思いつかなかった。ダブリンからベルファストまではバスで3時間。決して遠くない。
61日目 1999年3月21日 (日曜日)
彼女がスウェーデンに帰った。これにて来週から本業の仕事探しに戻れる。ホッ。
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