『フランス10日間徒然日記』 2000年5月20日(土)記

  
第2号
 
1日目の2―――ロワッシー → パリ、そは茨の道なり の巻
  
2000.7.26 発行
  
 入国

 飛行機はシャルル・ド・ゴール[Ae´roport Charles de Gaulle]空港に着いたが、ターミナルに横付けされなかった。ちっ、面倒くさい。バスで移動か。
※Attention! 「Ae´roport」の「e´」は、アクサンテギュというアクセントが付いた文字という意味です)

 飛行機を久しぶりにタラップで降り、バスに乗る。そしてターミナル2に向けて移動をはじめたバスの中から、期待をこめて初めてのフランスの風景を眺めたのだが・・・そこには、灰色のくもり空の下、白ツメグサや膝丈くらいの草が生い茂る緑色の平原が、地平線が見えそうなほどはるか彼方まで広がっていた。

 ええ? なんだこの草っ原は?
 それに、いったいどこだ、ここは。まさか成田じゃないよな?

 バカな話ではあるが、初めて見たフランスの印象は、えっらい千葉と風景が似ているなー、だった。
 たぶん、まったく起伏のないまったいらな草地が地平線のむこうまで続いている、みたいな風景がわたしをそう思わせたのだろうけど・・・うう、なんてこった。全然、「ああ、ついにフランスまで来たんだっ!」という気分になれん。

 この後、ようやく到着した空港の建物も、うわさに聞いていたガラスのチューブのような通路が見えた一瞬はおおっ! と思ったけど、建物の中に入ったらまたしてもその気分はしぼんでしまった。

 何なんだよ、この通路の薄暗さは。この空港はいま省エネ実行中なのか?
 ところによっては電気がついていない場所もあり、なんだかとっても物寂しい雰囲気。通路は、壁もPタイル張り廊下も白っぽい色で、まるで病院みたいに無機質で冷たい感じ。もしくはものすごーく鄙びた地方空港みたい。人気(ひとけ)もないし、天井も低いし。
 なんか、思い描いていた空港のイメージとえらい違うぞ。

 シャルル・ド・ゴール空港なんていったら、フランスの顔とも言える空港なんだから、もっと、こう、シックでゴージャスで、着いたとたんに、「ああ、さすが“おフランス”」と思わせてくれるような内装を期待していたのに。
 だめだー、フランスに来たという実感がわかない。
※Attention! あくまでもわたしの勝手な思いこみです。笑い飛ばしてやってください)

 入国審査を終え(パスポートにハンコなし。つまらんけど、そういうものか)、バゲージ(Baggage)のフロアへ。このフロアは一転して天井が高く、片側の壁が全面ガラス張りになっている。ガラスの向こうでは、出迎えの人たちがこちらをのぞきこみ、スーツケースを受け取る人々の中に自分の待人を探そうと目をこらしている。

 荷物が出てくるまで、けっこう時間がかかりそうなので、受け取り前にトイレに行っておくことにする。
 トイレの場所はすぐに見つかった。Toilettes[トワレットゥ]と書いてあるのを見て、ああ、やっぱりここはフランスなんだな、と確認する。
 ――って、トイレでフランスを感じて、どーすんだ、わたし?

 その後、スーツケースを無事に受け取り、税関へ。しかし、税関には移動可能な折り畳み式の会議机のような机がいくつか並んでいるだけで、しかも係員はいなかった。まわりのみんなも、税関なんてまるで気に留めず素通りである。
 えー? いいの、これ?
 さすが、陸続きで外国とつながっている国は違うのう、などとちょっと思ったが(それでいいのかどうかはわらかないけど)、何にせよ、この税関は日本とはえらい違いだった。

 パリ市内へ

 到着ロビーに出て、今回ホテルの手配をしてもらった旅行会社の人(日本人)と合流。あたりを見回したが、ロビーにいる人の姿はまばら。出発時の成田空港の混雑が嘘みたいだ。
 いちおう、5月下旬のこの時期は、フランス(パリ?)はまだ旅行のハイシーズン(繁忙期)ではないらしい。そうだよな、時期的に考えれば、この空き具合の方が正しいんだよな。

 ほとんど人のいないロビーをつっきって、送迎用の車が置いてあるという地下駐車場へ向かう。途中、両替所もあったのだが、ここはレートが悪いよ、と旅行会社の人が教えてくれたので、両替は市内に着いてからにする。

 さすがにここばかりはフランスだからどう、ということはない地下駐車場から、3人車に乗って地上へ。螺旋状になった通路を昇ってゲートをくぐり、駐車場の外に出ると、やはり地上は人気のないがらーんとした平原だった。ただし、あちらこちらにクレーン車が立ち並び、建設途中の高速道路の高架のようなものも見える。

 旅行会社の人に話を聞くと、現在シャルル・ド・ゴール空港(ロワッシー[Roissy]という街にあるので、通称ロワッシー空港だそうな。新東京国際空港を成田空港と呼ぶのと一緒らしい)はターミナルが2つあるが、将来的にはさらにもう2つターミナルを建てて、合計4つにするそうな。全部のターミナルが完成すると、世界一巨大な空港ができあがるとのこと。
 へえ、それじゃもうその時には、ここはシャルル・ド・ゴール空港街だな。

 あまり見慣れぬ国籍の飛行機が駐機しているターミナル1の横を通り過ぎ、車は高速道路のような道に入る。道の左右は、しばらくはごく普通の郊外の風景。途中、左手にでっかいヒョンデ[現代]のビルがあった。車の現地法人が入っているのかな?

 空港とパリ市街はけっこう距離があるようなのだが(電車を使っても40分くらいなので、成田→東京ほどではない)、パリ市街に向かう途中の道がまっすぐなところでは、正面にエッフェル塔が見えたようだ。残念ながら、わたしの目では確認できなかった。
 でも、こんな遠くからエッフェル塔見えるということは、パリって真っ平らな土地なんだなあ。

 そう言えば以前、昔のイギリス貴族が自分の館の前にフランス式庭園(径[みち]が真っすぐでつくりが左右対称、らしい)を造ろうとしたけど、自分の領地は起伏が多かったので、実際に造ってみたらぜーんぜん道が真っすぐじゃなく、左右対称にならなかった、なんて話を聞いたことがある。

 そうか、真っ平らな土地か。関東平野は下総台地育ちのわたしが、空港周辺の平原を千葉と錯覚するのもうなずけるわな。

 ま、そんなこんなでのんびりとパリ市街をめざしていたわけなんだけど、旅行会社の人の次のセリフで、わたしは息が止まった。

「実は、ホテルは今日から3泊分しか手配できていなんですよ」

 ・・・え?

 うっそーっ!?
 ちょっと待て、どーいうこった?

 しかも、その3泊の後は、パリ市内で何かの学会があるそうで、4泊目以降のホテルはパリ市内で確保できていないんだそうな。
 そ、そんなー。同じホテルに居続けだと思っていたから、荷物を満タンに詰め込むと、ちょっとやそっとじゃ持ち上げられないという(笑)、いっちばん大きなスーツケースを持ってきたのに。

 この時になって、どうやら旅行会社の方にわたしが出したメールでの宿泊予約依頼の連絡がうまく伝わっていないことが発覚した。
 実は、今回もなぜ無料で空港まで迎えに来てくれたかというと、その連絡がうまくいかなかったために、実際に宿泊の予約を入れたのがほんの3日ほどなので、宿泊用のバウチャーを日本にいるわたしたちに発送できなかったからなのだ。
 でも・・・そんなー(泣)。

 パリ市内での宿の確保はむずかしいけど、ベルサイユ[Versailles]やロワール[Loire]など郊外に行けば、予約なしでも泊まれるはずですよ、と旅行会社の人。
 パリだけがフランスじゃないしね。いろいろ見てくるといいですよ、とも。

 そんな簡単に言わないでくれっ!
 だいたい、わたしはフランスを見に来たんじゃない。パリを見に来たのだ。
 その肝心のパリに、4日目以降いられるかどうかわからないんじゃ、話にならないよ。
 フランスなんて、一生に一度来るかどうかわからない国に、せっかく10日間も会社に休みをとって来たのにー(号泣←笑)。

 しかし、連絡がうまくいかなかったのには、お互いに問題があったので、わたしとしては文句が言えない状態だった。
※Attention! みなさんはバシバシ文句言ってください。詳しい話は事情があって、このメール上では一切できないのですが、とにかく、わたしにも非があったのは確かだったのです。うう)

 しかも、6泊目以降のパリ市内での宿は探しましょうと旅行会社の人に言われたが、4、5泊目のどうしてもパリ市内では宿を確保できなそうな日の宿は、自力でなんとかしてください、という態度をとられた。
 おいおい、待ってくれ。こっちは英語もろくに話せないんだよ。

 ちはる、この時点から気持ちが急速に欝(うつ)になる。
 見知らぬ、しかも言葉が通じない土地で宿を探す苦労を考えると、とてもじゃないけど楽天的にはなれなかったからだ。
 おまけにこれでは、日本でたててきた、この日にはあそこに行こう、この日には何をしよう、という計画が、みんなパーになってしまうではないか。
※Attention! 美術館は、曜日によって夜遅くまで開いている日があるのです。夜遅い時間は団体の観光客が来ないので、ゆっくり見られるという話だったから、この夜の美術館見学はちはるの楽しみのひとつだったのです。夜のライトアップもあるだろうし。でも結局その計画は、みんなおじゃんになってしまいました)

 うう、いったいこれからどうなるんだ?

 車がパリへと近付くにつれ、地獄の釜がわたしたちふたりを呑み込むように、その蓋をゆっくりと開けつつあるような気配がしたのは――
 ああ、どうか気のせいであってくれ〜〜〜っ!!

おわり

  
 ● 今回のフランスMEMO 
 
シャルル・ド・ゴール―1

 わたしにフランス語の知識がまったくないことは前回で述べましたが、実はフランス語だけでなく、フランスという国自体のこともわたしはほとんど知らない状態で旅行にいきました。

 なので情けないことに、空港名として冠されたこの「シャルル・ド・ゴール」が、はたして地名なのか人名なのか、それすらもまったくわかりませんでした(笑)。いや、笑い事じゃないですね。情けないです。

 というわけで、ちょっと調べました。

 えー、まずシャルル・ド・ゴールは人名です(^ ^;)。そして、フランスを2度、国家存亡の危機から救いました。
 それは、1940年のフランスがナチス・ドイツに屈伏して休戦条約を結んだ時と、1958年に植民地アルジェリアの解放をめぐってクーデターが計画された時です。

 で、シャルル・ド・ゴール関連の歴史を、一部だけ下に年表形式でまとめてみました。もともと伝記がかかれるほど波瀾万丈な人生を送った人ですから、全部を書き切るのはとてもじゃないけど無理なので、1940年のパリ占領までを簡単に。

                    

1890年 11月22日、母親の出身地であるフランス北部の街リール市
      で、4男1女の第3子、次男として生まれる。
      父親はパリで教鞭をとる教師、母親はブルジョワ階級の出身。
      父親方も、貴族姓の「ド」がつくことからわかるように、ルイ
      15世時代まで系図をさかのぼることができる由緒ある一族で、
      ドゴール家の男子は代々、「剣と衣」、つまり「軍服貴族」か
      「法衣貴族」として国家に奉仕してきたといわれる。

1904年 ドゴール14歳、軍人を志す。
08年 ドゴール18歳、サンシール(陸軍士官学校)に合格。
09年 サンシールに入学。
11年 ドゴール、少尉に昇進。
12年 ドゴール、歩兵第三十三連隊に入隊。この時の連隊長の名はアンリ・
    フィリップ・ペタン。後に国家元首となり、ナチス・ドイツとの間に
    休戦条約(事実上の降伏)を結び、第3共和制崩壊の原因となった人
    物である。
14年 8月、ドイツがフランスに宣戦布告。第一次世界大戦が始まる。
    しかし、ドイツはフランスに味方したアメリカ、イギリス、日本など
    の連合軍に敗れる。
18年 11月、ドイツ降伏。第一次世界大戦終わる。
19年 1月、パリ講和会議。6月、敗戦国ドイツに対して非常に厳しい内容
    として知られるベルサイユ条約が結ばれる。
21年 4月、ドゴール、イボンヌ・ヴァンドローと結婚。
22年 11月、ドゴール、高等戦争学校入学。

    <この間、ドゴールは『敵方における不和』(1924)、『剣の刃』
    (1932)、『機械化軍に向けて』(1934)、『フランスとその軍隊』
    (1938)などを出版>

33年 ドゴール、中佐に昇進。
39年 9月、ドイツがポーランドに侵攻。フランス・イギリス、ドイツに宣
    戦布告。第二次世界大戦が始まる。
40年 5月、ドイツ軍の攻撃により、フランス・イギリス軍大敗する。
    6月1日、ドゴール、将軍に昇進。
    6月14日、ドイツ、パリ入城。
    6月16日、ペタン、国家元首に就任。
    6月17日、ドゴール、ロンドンへ亡命。
    6月18日、ドゴール、イギリスBBC放送から「呼びかけ」を行なう。
    6月22日、フランス、ドイツとの間に休戦条約を結ぶ。これにより
    パリを含むフランス北部と大西洋岸がドイツの直接統治下におかれる。

                    

 はい、出てきました、「呼びかけ」。これがポイントです。
 何を呼びかけたかというと、フランス国民に対して、ドイツとの休戦という事実上の降伏を拒否し、抗戦を続けようと呼びかけたのです。これをドゴールがやらなかったら、フランスは第二次世界大戦の戦勝国として名を列ねることができなかっただろうと言われるほど、歴史的には重要なできごとのようです。

・・・・・・・・・・・・・・

「私、ドゴール将軍は今ロンドンにあって、武器を持ち、あるいは武器なしに英国領土にいる、あるいは英国にやってくるであろうフランスの将兵と兵士に呼びかける・・・軍需産業の技師や労働者にも呼びかける。私と連絡をとるようにと。
 何が起ころうとも、フランスの抵抗の炎は消えさってはならないし、消えさることもないであろう・・・」

・・・・・・・・・・・・・・

 この「呼びかけ」を行なった当時のドゴールは、同盟国のイギリス・アメリカはおろか、フランス国民の間でもほとんど無名の人物でした。将軍の称号を受けていたとはいっても、昇進したのはほんの半月前ですし、将軍としてのランクも最低の2つ星だったのです(そしてドゴールは生涯2つ星でした)。

 しかしこの呼びかけの後、ドゴールは自由フランス軍を組織して連合軍とともに戦い、さらに1941年9月にはロンドンで自由フランス国民委員会という亡命政府を結成しました。フランス国内では反ナチ・レジスタンス軍が組織されていきます。
(※でも、ドイツ占領下のフランスでこのドゴールの演説を聞いた人は少なくて、みんなイギリスで聞いたり、新聞で読んだりしたそうです)

 さらに、1944年6月6日の連合軍によるノルマンディー上陸作戦(スピルバーグ[Spielberg]の「プライベート・ライアン」:原題[Saving Private Ryan ライアン2等兵救出?]で有名な戦闘ね)をきっかけにレジスタンス軍の総攻撃がはじまり、8月25日、ドイツ軍は降伏文書に署名、その1時間後にドゴールはパリ市庁舎においてパリ解放を告げる演説を行ない、名実ともにパリは解放されたのでした。
(※この時、ヒトラーはパリから撤退するドイツ軍に、パリを焼くよう命令したのですが、ドイツ軍司令官コルティッツはそれに従いませんでした。ルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか?』(原題[PARIS BRULE-T-IL?])って映画のタイトルはここからきてるんですね)

 その後のドゴールはこんな感じです。

                    

44年 9月、ドゴール、共和国臨時政府設立
45年 11月、共産党・人民共和運動・社会党のレジスタンス3党連合によ
    るドゴール政権成立
46年 1月、ドゴール、政党との対立により辞任

                    

 この後のドゴールは、しばらくぱっとしなかった(?)ようです。フランス人民連合(RPF)なんてのを結成したようですが、6年程で解散してしまっています。

 どうもドゴールって、一般大衆には人気があったようなんですけど、知識階級にはものすごく嫌われていたみたいなんですね。『存在と無』を著わしたジャン・ポール・サルトル[Jean Paul Sartre]には「小ヒトラー」とまで呼ばれています。

 とまあ、こんなわけで、ふたたびドゴールの華々しい登場を見るには、1954年過ぎまで待たなくてはいけません。

 そろそろ誌面も尽きてきましたので、今回はこれまで。
 気が向いたら次号で続きをやります(←気を向かせろって)。

参考文献:
・産経新聞「20世紀特派員」−ドゴール主義

※このコーナーは不定期です。

  

 ● 今回のおこづかい帳 
 
今回はなし

小計:0円
合計:16,360円

 

 ● 編集後記 
 
  はい、今回はフランス・ファースト・インプレッション[第一印象]とグチでした(笑)。

 いや、申し訳ありません。ほんと、いきなり暗い話で。
 でもマジで、この初手のトラブルが原因で、わたしはフランス滞在中、ほとんどずーっとうつでした。

 だから今回のメールマガジンは、当初、書くのやめようかな、と思ってました。だって、わたしのテンション、めちゃくちゃ低いんですもん。いま日記を読み返してみても、かなり暗いことばかり書いてありますしね。

 でも、わたしのせいで一番の被害をこうむったのは銀です。
 やー、これは本当にすまなかった。旅行中、ほとんどわたし、いらいらしていましたから。おまけに八つ当りできるのは、日本語が通じるこいつしかいませんし。銀はあらそいを好まない性格なので、わたしに言い返すこともほとんどありませんから、きっとわたし以上にストレスがたまってしまっていたことでしょう。
 いつかまた、100%自前の楽しい旅を企画するから許してくれろ。

 それでもこのメールマガジンを書こうと思ったのは、このわたしのおバカな体験が、もしかしたら役に立つ人もいるかもしれない、と思ったからです(こんなわたしでも、結局なんとか宿をとり、列車にも乗れましたからね)。
 それに、旅の後半には、どうにかわたしもやや気分が持ち直しましたので。

 そんなこんなで、わたしのフランスの第一印象は最悪です。
 フランスをお好きな方、ごめんなさい。悪口ばかりで。
 でもこれが、わたしのまったくの本音なのでした。

 それではまた次号でお会いしましょう。

付記:これだけが原因じゃないんだけど、結局この時予約してもらってあった宿3泊分の代金は、旅行会社がタダにしてくれました。それはそれで気が重かったんですけど、開き直って払いませんでした。ふう。

  


1日目の1――海を越えて山越えて、クレーターも越えてフランスへGo! の巻
1日目の2――ロワッシー → パリ、そは茨の道なり の巻
1日目の3――パリ、ベンツの車窓から の巻
1日目の4――カフェ、その心得(こころえ) の巻
1日目の5――オレンジ色の夜 の巻
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