| ■ シュノンソー城(1)
午前11時14分過ぎ。
バスを降りて歩き始めたプラタナスの並木道の右手には、まるで牧場のような草原が広がっていた。
なんか、フランスのお城を見に来たというよりも、北海道の牧場を訪ねてきたみたいな風景だ。
お城はまだ影も形も見えない。
しかし、並木道が途切れたところで、いきなり線路が現れた。そして踏み切りのすぐ右側に、屋根も何もない片方向のみのプラットフォーム。小さな看板に「Chenonceaux」と書かれている。
あ、なんだ、シュノンソー城って列車で来られるんだ(この時は知らなかった)。
(※Attention! お城のシュノンソ―は「Chenonceau」ですが、駅があるシュノンソ―村は「Chenonceaux」です)
ということは、さっきバスの中から11時7分頃に見た線路は、この駅につながる線路だったんだな。
帰りもバスの予定なので用はないんだけど、せっかくなので銀をホームに立たせて記念撮影。
念のために時刻表を確認してみる。トゥール行きの列車もあることがわかる。
じゃあ、万が一バスに乗り遅れても安心だね、なんて銀と話す。
そう、今日はもう安心なのだ。帰りの足も確認できているし。
よーし、バスに乗るまであと5時間くらいある。今まではせかせかイライラしてたけど、この後は思いっきりのんびりシュノンソー城を堪能するぞっ!
この踏切を渡ってさらに並木道を行くと、左右に駐車場があり、正面にお城の敷地内に入れるごく普通の左右にスライドする黒い鉄柵の門が見え始めた。
門の近くにチケットを売る売店がある。おひとり様50F(約785円)を支払うと、写真入のチケットが返ってきた。
あと、いつもらったんだかわたしにはおぼえがないんだけど、シュノンソー城を解説した小冊子(日本語版)と、シュノンソー城の敷地内にあるレストランのチラシなども手に入れている。小冊子はとても詳しくて、お城の見学にとても役立った。
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シュノンソー城入場券
これも写真入り |
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こちらは無料でもらえるガイド。
「La Cha^teau des Dames」(貴婦人の城)
と自ら銘打っている。 |
門をくぐる前にトイレに行っておく。当然チップ2F。小銭は必携。
11時30分。門のところでチケットをもぎってもらい、ふたたび左右に巨木が青空に向かってそびえたつ並木道を進んでいく。
うーん、これからお城に行くというよりも、まるで神社に行くみたい。そういや明治神宮も、こんなふうに森をぬけて社に行くんだよな。
この並木道は、さながらシュノンソーに詣でるための参道みたいな雰囲気だ。
並木道の向こうに、ようやくお城がはっきりと見えてきた。
すごいなあ、お城の前にこんなに長い道があるなんて。
むかし、初めてアメリカのL.A.に行った時に、ビバリーヒルズにある有名人のお宅拝見(もちろん外から)なんていうべたべたベタなツアーに参加したことがあるけど、その時にガイドさんが、「本当に一流の有名人の家は、道路から建物が見えないように造られているんですよー」と言っていた。
だから、ここに誰々の家がある、というだけで、あまり建物自体を見た記憶はないのだけど(今考えてみると、ツアーの趣旨にいちじるしく反しているような・・・)、あの基準をシュノンソーにあてはめるなら、まさに一流の城だよね。公道からは全然見えないんだもん。
いや、でも待てよ。城というからには本来役割は城塞であって、戦争の時に役にたたなきゃ話にならんのでは? こんな見通しの悪い城が、城塞として役にたつのか?
むう(-_-)。まあ、いいか。他にもいろいろ用途があるんだろう。
並木道が終わるあたりの道の両側に、なぜか白いこぶりなスフィンクスの彫刻が置かれていた。
なーんでスフィンクス? この置き方、まるで神社の狛犬じゃん。
うーむ、フランス人の考えることはわからん。
(※Attention! エジプトでも神殿前の参道両脇には、小さなスフィンクスが置かれるんだそうです。知らなんだ。じゃあ、やっぱりこの並木道は参道?)
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はい、スフィンクス。
オベリスクといいこいつといい、
なぜエジプトでないところで目にするのだろう。 |
ここまで来ると、お城はもうすぐ目の前。城の左右には、手入れの行き届いた美しい庭園が広がっている。ほっほー、という感じ。
どのガイドブックにも書いてあるけど、シュノンソー城はころころと女主人が代わったお城で、順番に並べると下記のようになる。
◎トマ・ボイエ&カトリーヌ(16世紀初)
◎ディアーヌ・ド・ポワティエ(16世紀中) ←アンリ2世の愛人
◎カトリーヌ・ド・メディシス(16世紀後半) ←アンリ2世の正妻
◎ルイーズ・ド・ロレーヌ(16世紀末) ←カトリーヌ・ド・メディ
シスの息子の嫁
◎フランソワーズ・ド・メルキュール(17世紀)←ルイーズの姪
◎デュパン夫人(18世紀後半)
◎ブルーズ夫人(19世紀後半)
現在も個人の持ち城だって言うのだから驚き。管理が大変だろうなあ。
それじゃあさっそくお城の中に入ってみますか、ということで橋を渡りまず一番手前に独立して建っている円い塔の中に入ってみると、中はただのお土産屋さんだった。
ちっ、せっかく意気込んで入ったのにー。出鼻をくじかれたぜ。
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この塔の中がお土産屋さん。
有効活用というべきか? |
この塔の近くに井戸があった。すると銀が、「あの井戸にキマイラが刻まれているんだ」という。ふうん。
見てみると、確かに城側の側面に鷲、その反対側の側面にキマイラらしきものの彫刻が認められた。しかし、風化が激しくはっきりとは見えない。
(※Attention! キマイラ=ギリシア神話に出てくる怪獣。しっぽが蛇で、背中からヤギの頭が突き出たライオンみたいな形をしているらしい)
わたしはどーでもよかったのだが、銀が写真をどーしても写真を撮りたそうだったので、しかたなくカメラを貸してやる。
そう、実はこの時銀のカメラに、すでにフィルムはなかったのだ。
だいたいこいつは日本を出る時に、「カメラの電池がないかも。まあフランスで買えばいいや」と言っていたくせに、パリでカメラの型に合う電池を見つけられず、ずっとわたしのカメラで写真を撮っていたのだ。
しかも、トゥールに行く直前にモンパルナスでようやくカメラの電池を手に入れたかと思えば、今度はAPSカメラのフィルムがなくなってしまった。
なのでこれも「買えばいいや」と銀は言っていたのだが、フランスはAPSというシステムのカメラを導入していないのか、お土産屋さんにもスーパーにもAPSのフィルムが売っていなかった。よってフィルムがなくなって以降は、わたしのカメラでずっと写真を撮っていた。
しかし、わたしだって手持ちのフィルムには限りがある。おまけにフランスのお土産屋さんで売ってるフィルムは「ぼってるのか?」と思うくらいに高くて買えないし。
(※Attention! モノプリでもカメラのフィルムって高かったと思います。でもこの後行ったトゥール駅前のスーパーでは安かったです)
おかげで、今回の旅行では写真を撮りたいと思った時にフィルム切れすることが非常に多く、銀はわたしに激怒されていた(笑)。
銀の悪口はさておき、キマイラの写真を撮った後、いよいよお城。
王冠をかぶったサラマンダーの飾りがあるお城の正面入り口では、ディズニーランドのホーンテッド・マンションの出迎え嬢みたいに暗い顔をしたメイド服の女性が、「Bonjour」とつまらなそうな声で客にあいさつをしている。
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シュノンソー城入り口上部。
画像じゃはっきりしないけど、
サラマンダーの紋章がついている。 |
まずは左手の「衛兵の間」へ。白い壁にタペストリが何枚かかかり、床には大きなコッフル(収納箱という意味だそうな)がいくつか置かれている。
床はほとんど何もなかったと思うのだけど、壁際や部屋の隅っこに文様を焼き付けられたタイルが残っていた。
おお、昔は部屋全体にこのタイルの文様があったんだけど、いつの間にかすりへって、人の足があまり触れない場所にだけ文様が残っているのか。
この床のタイルは16世紀のマジョルカ焼きだそうな。400年以上も残っているなんてすごい。
この部屋の奥に礼拝堂があるようなので行ってみる。
壁も交差ボールトの天井も真っ白な礼拝堂は、小さいながらもおおっ、と言いたくなるような美しさ。うーん、日の光を受けて輝くステンドグラスがきれい。
正面にはもちろん祭壇、右側の壁には表面がつるつるした白い大理石に刻まれた聖母子のレリーフがあった。
その後もほっほーと感心しながら礼拝堂内部を見ていると、白い壁に文字のようなものが書かれているのを発見。よく見たら数字で、「1546」と読める。
ということは、これは西暦1546年に書かれたものなのか。
チケット売場でもらった(らしい)ガイドを見ると、この1546という数字は、フランソワ2世の王妃であるマリー・ステュワート(※前号参照)の護衛兵が残した「碑文」なのだそうな。
「碑文」ねえ。数百年の時を過ぎれば、単なる落書きもありがたい文字になってしまうってことか? きったない字だったけど。
(※Attention! この数字の近くには「悪にまどわされるな」という文字も書かれていたようです)
手元のメモを見ると、この礼拝堂の入り口上にはペリカンの彫刻があったようだ。
どんな姿をしていたか、はっきりおぼえていないんだけど、ペリカンは自らの胸に傷を付け、その血を餌にして雛に与える姿をもって「献身」を象徴するらしいので、きっとそのような姿だったのだろう。
さらに、「左下に聖人の足を洗う女の人がいる」というメモが残っている。
何だろう? 絵か彫刻か? 不明。聖書に出てくるキリストの足を香油で洗う(ベタニアの)マリアだったのかなあ。
その他、眠っている天使の彫刻もあったようだ。寝てていいのか?
この後はディアンヌ(ディアーヌ)・ド・ポワティエの居室、書斎、図書庫などのいくつか部屋が続く。
どの部屋も、かつてこの城の所有者であった人々のイニシャルである「T.B.K」(トマ・ボイエ&カトリーヌ)だの「C」(カトリーヌ・ド・メディシス)だの「D」(ディアーヌ・ド・ポワティエ)だのが壁やら天井やらにでっかい文字で残されている。「C」と「D」に関しては、まるで数を競うかのようにあちらこちらにあったと思う。
最初はものめずらしさから「へえ」と感心していたが、あまりにもたくさんありすぎてイヤになる。
そんなに自分の名前を連呼しなくてもいいじゃん。もー、うっとおしいなあ、という感じ。
(※Attention! なぜ同じ「カトリーヌ」なのにCとKで違うのか、などとわたしに訊かないように。わかりません(^ ^;))
(※Web版Attention! 「Catherine」(フランス語)と「Katharine」(英語)の違いでは、という有力な説をいただきました。トマ・ボイエの奥さんがイギリス人なら間違いなし)
タペストリもたくさん飾られていた。メモには、
・手に生首を下げた女の人(女神か?)
・誰かの頭にノミを打ち込もうとしている女の人
・誰かを象徴している鷲
と残っている。自分で書いたんだけど、どんな絵だったかさっぱり思い出せない。
これらのコテコテに装飾された部屋を抜けると、床が白い石と黒いタイルでバイアス市松模様になっている長い部屋に出た。
ここが、シュノンソー城がシェール[Cher]川をまたいでいる回廊部分になる。
(※Attention! シェール川は、トゥールの西で分岐するロワール川の支流です)
ガイドによると、この回廊の長さは60メートル。橋の部分はディアーヌ・ド・ポワティエが作って、橋の上の建物部分は後にカトリーヌ・ド・メディシスによって作られたのだそうな。
コテコテしていないし、たくさんある窓からはふんだんに光が差し込んできて、このお城の中にあっては一番すっきりして落ち着ける部屋だったと思う。
窓からはシェール川が見えてなかなかよい。
しかし、第一次世界大戦中、この回廊は軍用病院に改造されていたそうな。
ガイドにはその当時の写真が載っていて、幅6メートルの回廊の両側に、ずらりとベッドが並べられていた。
回廊を一番端っこまで歩いてみる。突き当たりにドアがあるので、シェール川の向こう岸に通り抜けられるのか? と思ったのだが、ノブを引っ張ってみたけど鍵がかかっていた。なんだ、向こうには出られないのか。残念。
(※Attention! 現在はどうだかわかりませんが、かつてこの回廊は、この近辺ではシェール川にかかる唯一の橋だったので、城の主によっては近隣の住民たちに自由な通行を許可していたそうです)
ドアを見たら開けたくなるのは世界共通らしく、わたしたち以外にもドアノブを引っ張ってみては開かないのに気付き、監視員の人に怒られないかとあわてて手を離す人がいた。
まあ、行き止まりなら仕方がない。
わたしたちは回廊を引き返して次の部屋を目指した。
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