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■ ひさしぶりのパリでの朝
7時、目覚ましが鳴って起床。
んがっ。目は覚めたのだけど、身体がまったく動かない。食欲もちっともない。
だめだ、身体が疲れきっている。
そりゃそうだよなあ。考えてみればわたしたち、パリからロワールへ2泊3日の小旅行に行って帰ってきたようなもんだし。疲れていて当然か。
結局ベッドから身を起こすことができず、まぶたは開いているものの、そのままだらだらと布団の中で過ごす。
おかげでめずらしく銀の方がわたしよりも早く床を離れ、朝食を作り始めた。
しかし、彼奴も疲れているのか数種類の料理を同時並行で作れないらしく、一品ずつ料理をだらだらと作る。それをどうにか起き上がったわたしが、できあがったものから一品ずつだらだらと食べる。
なんというか、めちゃくちゃ駄食いである。
そんなこんなでようやく外に出る準備が整ったころには、時計の針は10時10分前を指していた。どーにもこーにも疲れきっている。
■ カカリン♪
今日の予定は特にない。これは、何もすることがないのではなく、逆にやりたいことがありすぎて、どれから手をつければいいのかわらかない状態。
銀がカルチェ・ラタン[Quartier Latin]に行きたいと言う。他にアテがあるわけではないので、行くことにする。
デスクの上にチップを置き、洗濯物は部屋にあった室内用物干しに吊るし、窓を閉めたのを確認してから外へ。内通路を通って外廊下へ出たが、外廊下側のドアにきちんとロックがかかっているのも確認した。安心して外出にGo。
カルチェ・ラタン(ラテン地区)という言葉はよく耳にするが、カルチェ・ラタンという名前の駅はないらしい。
カルチェ・ラタンのどこに行きたいんだ? と銀に訊ねると、中世博物館[Muse´e National du Moyen Age]に行きたいという。
ああ、そういや日本にいる時からそんなことを言ってたな、こいつは。
ラ・デファンス[La De´fence]から中世博物館に行くには、まず地下鉄1号線に乗ってシャトゥレ[Cha^telet]で11号線に乗り換え、オデオン
[Ode´on]という駅で降りるといいらしい。
そして1号線から11号線へ乗り換えるためにホームを歩いていたら、今日はギターの流しがホームで歌をうたっていた。
わたしはこういうのが苦手なので、さり気なく遠ざかろうとしたのだが、なんと流しの男性はわたしたちと同じ車両に乗り込んできた。そしてわたしのすぐ近くで、男性はギターをかき鳴らしながら、車内によく響き渡る声で朗々と歌い始める。
そ、そんなー。こんな所で「カカリン♪ カカリン♪」とかロシア民謡歌われたって、どうすりゃいいんだよー?
ちはる、対応策を見出せずややフリーズ。
しかし、幸いにもオデオンの駅は乗り換え駅から近かった。まもなくしてオデオン駅到着。
突然はじまった車内ステージから開放されて、ほっ。ホームからさっきまで自分が乗っていた車両の中を見たら、流しの男性はなにやらお辞儀していた。どうも、乗客である男性のひとりがチップ(?)をあげたのを機に、まわりの人たちも次々と流しの男性にチップをあげはじめたのだ。
ふうん、そうやって本当にお金が稼げるんだな、ヨーロッパって。
■ 中世博物館−1
オデオン駅で電車を降りて地上に出たが、方向感覚が完璧に失われていて、どっちに向かって歩けばいいのかさっぱりわからない。
それでもすぐ近くにバス停とベンチを見つけたので、そこに座って地図を確認。
そういや、パリはあちこちにたくさんベンチがある。とても便利。
しかし地図を見ても、いまひとつ方向がよくわからない。
なので、テキトーに(ある程度目安はつけて)道を歩いて行ったら、遺跡のような少し崩れた石造りの建造物を発見。
中世博物館にあるという古代ローマ風呂(正確にはローマ公共浴場跡)ではないか? と銀が言ったと思う。そしたらまさにビンゴ。
ふらふら歩いていただけなのに、わたしたちはラッキーにも中世博物館に行き当たることができた。
遺跡のある区画沿いに歩いて、博物館の入り口も発見。
しかしこの中世博物館、名前は博物館となっているが、どう見ても「君、昔はお城だったでしょ?」と訊きたくなるくらい、建物もそれを取り囲む銃眼のような装飾のある石塀も華麗な姿をしている。
ガイドブックによると、どうも以前は修道僧が泊まるための館だったらしい。お城ではないようだが、八角形の塔や切り妻屋根、レリーフで装飾された壁などが美しい建物だった。

外から見た中世博物館。
周囲には当然路駐の車の列。 |
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入口前。これはお城でしょう、という感じ
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時刻はすでに10時30分。さて中へ。
小さな博物館らしいことはなんとなくわかっていたのだが(まあ、ルーヴルに比べればどこも小さいかもしれないが)、中はけっこう混んでいる。
チケットを買う。ひとり20F(約314円)。小さな黄色い紙片のチケット。いつもながらにつまらない。
この博物館は日本語のガイドはなかった。仕方ないので英語のをもらう。

これは英語版のガイド |
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こちらはフランス語版のプログラム |
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入場券。フランスはこんな形のが多い。 |
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中世博物館1階見取り図。
三角形の示す方向にしたがって移動した。 |
まず入った第1室はお土産屋&本屋。まだ用はないので、展示室につながる入り口の前に立っている係りの人にチケットをもぎってもらって本格的に見学開始。
第2室は、中央に書見台に乗せた古い本、壁と壁際にはタペストリと古いチェスト類を展示した部屋だった。
タペストリの中には、りんご摘みや刺繍、糸つむぎなど、中世の貴族の生活を描いたものがあった。花の咲き乱れる戸外でバスタブにつかる女性の姿もある。うーむ、本当に外で風呂に入ったのだろうか?
本は最初全然興味なかったのだが、見てみたらけっこう面白い。
手元に資料がないのでうろ覚えだが、真ん中に農民の生活から季節を表した極彩色の絵があり、その上に藍色の夜空に星が浮かぶ天空を表した半円形の絵、そして一番下にその季節の黄道宮を示す星座が描かれている。
へえ、ヨーロッパ版農民暦みたいなものか? これ。
いいなあ、一冊ほしいな、こういうの。
その他、聖書の物語を描いた本や、キリスト教徒が個人的礼拝に用いたという時祷書(祈祷書の中でも、彩色画のカレンダー[まさに今さっき見た農民暦みたいなやつ]が付いているものをいうらしい)もあったと思う。
これらの本を銀はいたく気に入ったらしく、すごく熱心に見ていたせいだろうか、白人の姉ちゃんに何やら話しかけられていた。ちはるは巻き込まれぬよう、遠くからその様子を眺める。
部屋のすみっこには、生首を手にかかえた首なし男性の小さな像があった。おおっ、これは間違いなくサン・ドニ[Saint Denis]だろう。必ず薬壺を持っている薬師如来並にわかりやすい。
この像と対をなすかのように、その反対側の部屋の隅には自分の胸を短剣で突き刺している女性の像があった。こちらの像には英語で「Female donor」とある。「女性の寄進者」程度の意味か?
それにしてもサン・ドニといい、血生臭いな、キリスト教って。
第3室は展示物保護のためか照明の暗い部屋。ガラスケースの中にローマ法王が着ているような服や帽子が展示されている。
坊さんの袈裟なら見る機会がいくらでもあるけど、キリスト教の偉い人が着る服を近くで見るのは初めてなので、ガラスケースの中を目を凝らしてみる。
すると、これらの法服の生地は単なる文様が織り出されているのではなく、聖書の物語が金糸や銀糸、あるいは色つきの糸で細かーく肉厚に刺繍されているのだった。あ、すごいぞ。水晶や真珠、宝石も縫い付けられている。
へえ、キリスト教の法服って、こんなに手の込んだつくりのものだったんだ。
うーん、ゴージャス。
その他にも、東南アジアを思い出させるような模様を織り込んだ古い布なども展示されていた。「アマゾネス」という解説のついた布もあった。
この部屋を出ると通路がある。ここも展示室になっていたようで、色々なレリーフが壁に展示されていた。どうやら、壊れた教会や寺院のパーツを集めた部屋らしい。
メモによると、「キリストが棺おけから出てきて、兵士のひとりを踏みつけながらピース」している図柄のレリーフもあったようだ。まあ、表現はともかく復活のシーンだったんだろう、ということはわかる。
この通路の脇にはステンドグラスを集めた部屋もあった。
通路を進むと下る階段がある。その階段横の壁に、表面を平らにした大きな石がある。よく見るとその表面に線画で十字架や修道女などが描かれている。
ふーん、もしここが中国だったら、今ごろこの石は拓本を取られまくって表面が真っ黒になっていただろうな。
ちなみにこの石は解説によると「Tombstones」(墓石)だった。でかい墓石である。
この階段には、どこかの寺院だか教会あたりの入り口だったであろう石の門がどーんと飾られていた。
ガイドを見ると「Pierre de Montreuil's gate,XIII」(ピエール・ドゥ・モントレイユの門、13世紀)とあるから門に違いない。しかし大胆だ。
階段を降りると右側に扉がある。閉まっていて中には入れないようなのだが、どうやらコンサート・ホールになっているらしい。聖歌の練習をしている男性の堂々とした声が、閉じた扉の向こうから響いていた。
さらに階段を下って奥に進むと、3階くらいまでの高さが吹きぬけた巨大な石造りの空間に出た。ガイドによるとここは第9室なのだが、どうやらここも外で見た遺跡同様ふるーい公共浴場跡らしい。
(※Attention! 中世博物館の外から見えたローマ公共浴場跡は、見学できる日が決まっていて別料金をとられるので、この時わたしたちが見た風呂とは別物です)

広〜いお風呂。天上のアーチが美しい |
積み上げた石やレンガの表面がものすごく古ぼけている。ということは、ここはかなり大昔に作られたということか。
よくもまあそんな昔にこんなばかでかい空間をつくりあげたものである。
建築か何かの本で、人は石を平らにではなくアーチ上に積み上げることによって、広くて大きな空間と積み上げた石組みの強度とを確保した、というような記事を読んだことがある。
なのでこのお風呂跡も、広く大きな空間を確保するための法則どおり、天井は大きな半円を描くアーチになっていた。
天井近くにいくつか明かり取りの窓があるので、部屋はわりと明るい。
部屋の1方の壁際の床が低くなって浴槽のようになっている。
ふーん、これが風呂かーと思ったが、待てよ? むかしの大きなお風呂って、たいてい蒸し風呂じゃなかったっけ? と思い直す。
ということは、もしかしてこの巨大な空間全体がお風呂だったのか?
しかし、この推測の前半分は不正解。帰国後、中世博物館でもらったガイドを読み直していたら、この部屋は「Frigidarium」(frigid=冷たい、寒さが厳しい)という説明がつけられていたので、どうも「冷水浴場」だったらしいのだ(冷蔵館じゃないだろう)。
冷水風呂かー。お風呂にもいろいろあるなあ。
(※Attention! 冷水風呂=cold bathっていう言葉もあるので、もしかしたら違うかもしれません)
浴槽の床にはイルカのモザイク画があった。
んー、日本じゃ壁に富士山だが、古代フランスでは床にイルカか。
そしてこの巨大なお風呂空間、歴史が長いせいか(どうも1〜2世紀くらいにはあったらしい)いろいろな目的に活用されていたようだ。
というのもなんと、広い部屋のすみっこに行ったら棺おけのふたがあったのだ(笑)。
誰のお墓だったのやら。
そしてこの中世博物館、展示室はまだまだ続くのであった。
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