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■ ヴォージラール街[Rue du Vaugirard]
今はフランス上院となっているリュクサンブール宮殿の横を抜けてリュクサンブール公園[Jardin du Luxembourg]を出ると、そこはヴォージラール通りだった。
銀が、「ここだろ? アラミスが住んでた通りって」と言う。
アラミス?
ああ、そうだ、そうだ。
アレクサンドル・デュマ(1802〜1870)の小説『三銃士』(原題『Les Trois Mousquetaires』1844作)に出てくるアラミスは、ヴォージラール街の25番地に住んでたんだった。
『三銃士』の舞台は17世紀前半のフランスなんだけど、小説の中に出てくる地名は、『地球の歩き方』レベルの本に載っている地図でも見つけることができる。
本の中で、アラミスの家の住所は間接的になんだけど、ボナシュー氏の口から「ヴォージラール街の25番地」と語られている(「ダルタニャン物語」第1巻 講談社文庫版、P244。以下書名は省略)。
家の描写は下記の通り。
| 「アラミスはカセット街とセルヴァンドーニ街との中間にある家に住んでいた。」(第1巻、P187)
「アラミスは、居間と食堂と寝室の三部屋から成る小さな家に住んでいた。寝室も他の部屋も一階にあって、小さな庭に面している。庭には青々とした樹立がこんもり茂って、近所からは全然見通しがきかない。」(第1巻、P133)
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(※Attention! カセット街[Rue Cassette]もセルヴァンドーニ街[Rue Servandoni]も現存します)
実際に見てきたヴォージラール街は、リュクサンブール宮殿に面した通りだというのに、道幅は狭く、ごく普通の通りという感じ。
しかし、古い街並みはよく残っている。

右側がリュクサンブール宮殿のある方向。
奥にのびるのがヴォージラール街。 |
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ヴォージラール街を示す街路標識 |
25番地というのがどこかわからないし、今と昔じゃ番地のふりかたも変わっているかもしれないから、どこにアラミスの家があったかはわからないが(それでもカセット街とセルヴァンドーニ街の間と限定できる)、この通り沿いに住んでいたんだなあ、とゆるやかなS字を描くヴォージラール街の通りの先を見つめてみたりした。
(※Attention! ちなみにヴォージラール街は4kmほどあるパリで一番長い通りだそうです。間違っても当てもなく25番地を探さぬよう(笑))
この通り沿いで郵便局を発見。
銀は意外に筆まめなヤツで、旅先から友人に手紙を出すことが多い。
郵便局で出してくる、というので、わたしもちらっと中に入って様子を確認し、その後は外で出てくるのを待つ。
■ サン・シュルピス広場
次は近くにあるサン・シュルピス教会[St-Sulpice]に行ってみる。
道は、サン・シュルピス教会の裏手の通りを歩いていった。
この教会はだいぶ古い建物なのか、裏側は何の汚れか、とにかく真っ黒だった。
ちなみにこの通りの正面に「MUJI」という店があった。
「むじ」かぁ。「無印良品」(※商標名)みたいだなあ、と思っていたらずばり正解。なんと、日本の「無印良品」のパリ支店だった。
へえ、パリに出店してるんだ。知らなかった。
好きな店なので、ちょっとうれしい。
さて、サン・シュルピス教会。
実はこの教会前の広場も『三銃士』ゆかりの地である。
(※Attention! サン・シュルピス教会は1646年着工とガイドブックに書いてあるので、『三銃士』の時代には教会はまだなかったようです)
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「いっぽう、三銃士たちもこの若い友人が大好きだった。(中略)リュクサンブール宮殿からサン・シュルピスの広場へ、あるいはビュー・コロンビエ街からリュクサンブール宮殿へと、親友たちが仲間を求めて探し廻る姿を町の人たちはしょっちゅう見かけるのであった。」(第1巻、P139)
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(※Attention! ビュー・コロンビエ街[Rue du Veiux Colombier]も現存します。後述)
教会の第一印象は「つるっとした建物だなあ」である。
左右に頂上の円いふたつの大きな塔がどーんと建ち、2階建ての母屋前面には太っとい円柱がパルテノン神殿のように2列になって立ち並ぶ堂々とした教会なんだけど、なんか物足りない。
そうして教会をよく見ると、建物の表面にほとんど装飾がないのだ。
そういや、今まで見てきた教会は、たいていどれも壁にレリーフなんかがあったっけ。
それが、サン・シュルピス教会ではほとんどない。どうやらこの教会は周囲に足場が組まれていて修復中のようである。どうりで。

サン・シュルピス教会。写真を2枚縦に重ねてあります。 |
そして三銃士とダルタニャンが駆け回ったであろう広場には、何か見本市のようなテントが出ていたが、どれもこれも小汚い。そして、機械を展示しているテントもあれば、建物を売っているテントもあり、内容に統一性がない。
広場には豪壮な噴水もあったが、こちらはあまりよく覚えていない。
せっかくだから中に入ってみることにする。
銀が「教会内に、ドラクロワが描いたヤコブと天使が相撲をとっている絵があるはず」という。相撲か。
中に入ると、あまり明るくはない教会の中央に、なぜか逆三角錐型の大きな白い布が天井から吊るされていた。何なんだ、ありゃ?(結局不明)

サン・シュルピス教会の中。三角錐形の白い布が垂れている。 |
ここの教会も天井が高くて広い。あちらこちらの壁に絵が描かれているが、窓から差し込む日差しで光ってあまりよく見えない。
壁のところどころには1691、1692などの数字が書かれている。
この数字、本当に当時のものか? と思ったが、サン・シュルピス教会の工事が始まったのは1646年なので、本物であったとしてもおかしくはないらしい。
ステンドグラスはけっこう地味。華やか〜って感じの教会ではなかった。
教会内部を逆時計回りにまわって、最後の窟でドラクロワの絵を発見。
額縁に入っている絵ではなく、壁に直接描かれたフレスコ画だった。
でも、この絵も窓から入ってくる光が反射していてよく見えない。絵自体もだいぶ汚れているのだろう、黒ずんでいて暗い。
日本だったら壁を切り取って保管室とかに入れときそうなもんだけど、フランスじゃ自然光ばんばん当てまくりか。
しかもドラクロワの絵をタダで見れちゃうし。
ルーヴル美術館でも思ったけど、文化財の取り扱い方がだいぶちがうな、とつくづく思う。
■ セルヴァンドーニ街
教会を出て、他の銃士たちの家も確認することにする。
ダルタニャンの家は、本の中では下記のようになっている。
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「こうしてダルタニャンは、小さな包みを小脇にかかえ、徒歩でパリの町に乗りこんだ。そしてほうぼうを駆けずり廻ったあげく、乏しい財布と釣りあいのとれた貸し間をひとつ探しあてた。貸し間といっても納屋みたいなもので、リュクサンブール宮殿に近いフォッソワイユール街にあった」(第1巻、P34)
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まあ、これがようするにボナシュー氏の家の貸し間で、ボナシュー氏の家の住所は下記のとおり。
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「役人はボナシュー氏に向かって、まず、姓名、年齢、職業、住所をたずねた。被告は、ジャック・ミッシェル・ボナシューという名前で、年齢は五十一歳、小間物屋を廃業して、フォッソワイユール街の十一番地に住んでいる、と答えた。」(第1巻、P226)
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というわけで、ダルタニャンの家はフォッソワイユール街の11番地なんだけど、残念ながらフォッソワイユール街という名前の通りは現存しなかった。どうも名前が変わってしまったらしい。残念。
ただし、フォッソワイユール街がどこにあったかは、下記の文章から推測できる。
ちなみにこれは、ダルタニャンがコンスタンスを連れて、リシュリューの追手から逃げるために自宅を出る場面。
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「そこで、若い女と青年は、開けた扉を閉めもせず、いそぎ足にフォッソワイユール街を突っきり、フォッセ・ムッシュー・ル・プランス街へ出て、息もつかずにサン・シュルピス広場までたどりついた。」(第1巻、P176)
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フォッセ・ムッシュー・ル・プランス街は、現在はムッシュー・ル・プランス街[Rue Monsieur le Prince]とやや名を変えているけどちゃんとある。
だから、フォッソワイユール街というのはムッシュー・ル・プランス街を経由してサン・シュルピス広場に出られて、なおかつリュクサンブール宮殿に近い位置にあるはずなんだけど(まあ、逃げる時に遠回りしていなければ、ですが)。
聞いた話によると、フォッソワイユール街は現在セルヴァンドーニ街と名を変えているそうだけど、そうなると昔からあったセルヴァンドーニ街はどうなっちゃったんだ???
まあ、あまり深くは考えない。
参考程度にセルヴァンドーニ街の方も見に行く。
セルヴァンドーニ街は、サン・シュルピス教会からすぐのところにあった。まっすぐ通り抜けると、ヴォージラール街に出ることができる。
わたしたちの見たところからは、ゆるやかに左へとカーブする細い通りの左右には、4〜6階建ての古い石造りの建物が隙間なく並んでいる。
日本とは全然ちがう風景だけど、でも路地裏という雰囲気は似ていた。
せっかくだから写真を撮ろうか、とカメラを構えたら、ちょうど通りの角にある建物を工事していた若い男性がわたしに向かってポーズを撮った。これには思わず笑。
パリの街路にはかなず通りの名前を記した看板があるのだけど、セルヴァンドーニ街の看板は工事現場の足場などに隠されて撮れなかった。
■ フェルー街[Rue Fe´rou]
さて、次はアトスが住んでいたというフェルー街。
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「アトスはリュクサンブール宮殿にほど近いフェルー街に住んでいた。造作の行きとどいた家具付きの小さな二間を間借りしている。まだ年も若く、なかなか美しいその家のお内儀(かみ)がしきりに色目を使うけれど、アトスにはさっぱり効き目がなかった。」(第1巻、P131)
「ダルタニャンは気も転倒していたので、ケティのことなど考えるゆとりもなく、パリの町の半分を駆け抜け、アトスの家のまえまで来て、やっと足を止めた。(中略)
中庭を横切り、アトスの住んでいる三階まで駆け昇り、力いっぱい扉をノックした。」(第2巻、P91)
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というわけで、アトスはフェルー街にある建物の3階に住んでいたことになる。
フェルー街はセルヴァンドーニ街と平行した通りで、通り1本か2本分、サン・シュルピス広場寄りにあったんだけど、最初はなかなか見つからなかった。というのも、別の名前を書いた看板がかかっていたからだ。
パリの町で見た街路を示す看板の多くは、長方形の上に半円がのったような形をしていたけれど、「RUE FEROU」と書かれた看板はただの長方形で、やや古ぼけていた。
もしかしてフェルー街、名前が変わっちゃうんだろうか? それとも、道の途中から名前が変わる通りだったんだろうか。
フェルー街は道の片側に高い建物がないせいか、太陽の光がよくあたるのでとっても明るくてきれい。
通り沿いの建物も、古い時代のおもかげがよく残っていて、とても今が20世紀とは思えない。
高い建物がない側には白い塀があり、そこから緑の葉を茂らせた大きな木が道に張り出している。なかなかよい環境である。
アトス、いいとこに住んでたんだなー、と銀と言い合う。

フェルー街。明るい。 |
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角度を変えて撮ったフェルー街 |
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フェルー街を示す街路標識。他の道とは看板の形が違う。 |
しかし、このフェルー街、犬のお散歩コースになっているのか、道端に犬のお土産(飼い犬のみなさんが散歩の途中、道端に落としていく物体)が非常に多い。
サン・シュルピス広場近辺にも、犬のお土産デンジャラス・ゾーンがあった。
とてもじゃないけど、この付近では上を向いてなんて歩けない。へたしたら思いっきり踏んじゃうよ。
日本では、犬を飼ってる人は自分の愛犬の落とし物をちゃんと拾って帰る。
わたしはあれを欧米から入ってきた習慣だと思っていたけど、もしかして日本独特の習慣なのか? だとしたらありがたい習慣だ。
パリの町は下を向いて歩かねば。
■ ヴィユー・コロンビエ街
次はポルトスの家。これはヴィユー・コロンビエ街にある。
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「ポルトスはヴィユー・コロンビエ街に住んでいた。みかけだけは、いかにも堂々とした大きな住居だった。(中略)ポルトスは頭と手を上に向けて、「おれの家はこれだ!」と言うのだが、この男が家にいたためしはなし、上がれと勧めたことはいっぺんもないので、この堂々たる外観の中身が実際どのくらいすばらしいものか、だれにもまるで見当がつかないのであった。」(第1巻、P133)
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銃士隊のトレヴィル隊長の屋敷もヴィユー・コロンビエ街沿い。
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「ダルタニャンは(中略)折りよく通りかかった一人の銃士にトレヴィル殿のお宅はどこか、とたずねると、ヴィユー・コロンビエ街にあると教えてくれた。つまり、ダルタニャンが借り受けた部屋からは目と鼻の距離だったのである。」(第1巻、P34)
「トレヴィル殿の邸宅はヴィユー・コロンビエ街にあるのだが、その中庭は夏ならば朝の六時、冬ならば八時ころから、まるで陣営のようないかめしさだった。五十人から六十人の銃士が、つねに威風堂々たるところを示すために、交代で勤務する仕組みになっており、ものものしく武装してそのあたりをたえず練り歩き、危急の際に備えている。」(第1巻、P40)
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ヴォージラール街やフェルー街、セルヴァンドーニ街は、サン・シュルピス広場南東に、道がくっついているくらい近くにまとまっているけど、ヴィユー・コロンビエ街だけはサン・シュルピス広場の南西に離れてあった。
通りの入り口に「なんか見たことのある服が並んでいる店があるな」と思ったら、ミキ・ハウスだった。へえ、こんなところに。
歩道に立って見たヴィユー・コロンビエ街は、静かなフェルー街やセルヴァンドーニ街と違って、道の左右に店がたち並び、ひとや自動車がたくさん行き交う華やかでにぎやかな通りだった。
ふむふむ、ポルトスらしい住環境である。
道は右にカーブしていて遠くまでは見渡せなかったけど、なるほどねー、と通りを眺めた。

ヴィユー・コロンビエ街の華やかな通り |
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ヴィユー・コロンビエ街を示す街路標識 |
この頃、どこからか2時を告げる鐘の音が聞こえてきた。
教会かと思っていたが、実際にはサン・シュルピス広場前にある6区の区役所の鐘だった。
そろそろこの界隈の散策は終わりにして、とりあえず近くの地下鉄駅に向かうことにした。
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