| ■ ビン底ガラス窓
エル・グレコなどのスペイン絵画を見終えたあと、ドゥノン翼からリシュリュー翼に移動する。
この時、どこをどう移動したのか憶えていないが、何気に歩いていたら「ミロのビーナス」[Venus de Milo]があった。
あれま。こんな有名なものがこんなところにさりげなく。
モナリザはガラスケースの向こうで厳重に、ニケは大階段の踊り場で劇的に展示されているのに対して、ミロのビーナスは普通の床の上にぽつんと唐突に置かれていた。

ミロのビーナス。ほんと、歩いていると突然現れる。 |
いろいろな本で何度も見ているものなので、いまひとつ見た感動は薄い。歩きながら横目で見てさっさと行き過ぎる。
今日のメインはマリー・ド・メディシスの生涯を描いた一連の絵だが、まだ銀との待ち合わせまでに時間があるので、他の絵も見る。
すっごくたくさんの絵を見たので本文中では内容を割愛するが、その中でも一番印象に残ったのがヤン・ファン・エイク[Jan van Eyck]の「宰相ロランの聖母」[La Vierge du chancelier Rolin]。
これは、絵の素晴らしさとかそういうのではなく(でも細かく見れば見るほど興味深いいい絵だった)、その背景に描きこまれた建物の一部が気になったのだ。
この絵はある豪奢な部屋の中で、左側に宰相のロランが、右側に裸のむちむちの幼児イエスを抱いたマリアが椅子に座っている、という構図の絵で、画面の背景にはバルコニーから見える川とその両岸に広がる街が描かれている。
部屋の中の描写も細かくて、床の模様やら柱の彫刻などもみっちり描かれているのだけれど、画面の左右両端ちょこっとに窓がある。
そしてその窓にはガラスがはまっているのだが、そのガラスはいわゆる板ガラス1枚ではなく、まるく分厚いビン底ガラスを上下左右にきっちり敷き詰めて作られているのだ。
あっ、これ、ロワールのショーモン城の螺旋階段で見たのと同じ意匠のガラス窓じゃんっ!?
へえ。あのガラス窓と同じものを、まさかルーヴルの絵の中で見るとはねえ。
この絵に描かれている場所がどこだかはわからないけど、絵の中にわざわざ書き込まれているあたりからして、この時代(絵が描かれたのは1434年頃)にはやった意匠なのかもしれない。
シュノンソーでは階段の構造に歴史ありと思ったけど、窓ガラスの作りにもきっと歴史があるのだろう。
■ マリー・ド・メディシスの生涯
いくつもの展示室を抜けた後、ようやくマリー・ド・メディシス部屋到着。
おおっ、部屋が広い&絵がでかいっ!
なにしろ、舞踏会が開けそうなほど天井が高くて広い部屋に、横3メートル×縦4メートルの絵が四方の壁一面にずらりと20枚以上並んでいるのである。まったくもって壮観である。
しかも、どの絵も神話の神様盛り込みまくり&美化しまくりである。
もはやこれは絵画というよりも、架空の物語を絵巻にしたみたいだ。すげーなー。
ガイドブックによると、このルーベンス[Pieter Paul Rubens]が描いた一連の絵には「マリー・ド・メディシスの生涯」という名前がついている。
もともとはリュクサンブール宮殿の壁にかけられていたのだそうな。
そして驚くことに、この絵を発注したのはなんとマリー本人とのこと。
おいおいおい?、こんなに自分を美化して描かせるなんて、ちょっとやそっとのツラの皮の厚さじゃできないぞ。
とりあえず最初から見ていく。
全部で24枚あるというが、わたしのメモにコメントが残っているのは21枚分。
ちなみに、マリーの家系図と略歴はこんな感じ。
<家系図>
シャルル
(アングレーム伯)
┌──────┴──────┐
│ │
フランソワ1世 ●
│ │
アンリ2世─┬─カトリーヌ・ド ●
│ ・メディシス │
┌──┬──┬┴──┐ │
男 男 男 マルグリート──アンリ4世─┬─マリー・ド・メディシス
│
│
(『三銃士』の王様→)ルイ13世
1573年 マリー、生まれる
1600年 マリー、アンリ4世(47才)と結婚
1601年 マリー、後のルイ13世を出産
1610年 アンリ4世が暗殺されたため、マリー、ルイ13世の摂政となる
1617年 マリー、親政を始めたルイ13世に追放される
1629年 マリー、ネーデルラントへ亡命する(1631?)
1638年 後のルイ14世誕生
1642年 マリー死去
リシュリュー死去。
1643年 ルイ13世死去
最初の1枚目の絵には、マリーは描かれてなかったと思う。メモによると、糸をつむぐ3人の女神とローマ神話における最高神ユピテルとその妻ジュノーが描かれていた。
ふむ、この絵でマリーの誕生を予感させるわけか。
タイトルは「マリー・ド・メディシスの運命」だった。
2枚目ではマリーが生まれて、3枚目ではマリーが育っている。
3枚目の絵のタイトルは「マリー・ド・メディシスの教育」。誰かはわからないがとにかく神様がひざの上に広げた本をマリーがのぞきこみ、その様子を後ろから三美神、上からマーキュリーが眺め、かたわらでは男神がチェロのような楽器を弾いている、という構図だ。
一見微笑ましい絵なんだけど、地面に置かれた鏡に悲鳴をあげる男の顔がうつっていた。何を意味しているんだろ? 不明。
4枚目では天使が貴族の身なりをした男性にマリーの肖像画を見せていて、その様子を天上から鷲をつれたユピテルと孔雀をつれたジュノーが見ている。
これは、マリーの夫になるアンリ4世がその見合い写真(見合い肖像画)を見ている場面なんだそうな。
アンリ4世(新教側)といえば宗教戦争中に旧教徒と新教徒の融和策としてカトリーヌ・ド・メディシスの娘マルグリート(旧教側)と結婚した人だけど、マルグリートとの間には子どもができなかったので、マルグリートとは1599年に離婚し、その3ヶ月後にマリーとの結婚を決めたそうである。
そして5枚目ではもうさっそく結婚式を挙げている。ことの進みが早い。
結婚式が行われたのは1600年10月、場所はフィレンツェ。
日本じゃ関ヶ原で天下分け目の決戦が行われている頃に、イタリアじゃこんなことをしていたのか。
でも、アンリ4世は忙しくてフィレンツェに行けなかったから、マリーはアンリ4世の代理人と式を挙げたという。それでいいのか? 愛がない。実際にふたりの間に愛はなかったというからこんなもんなのだろう。
6枚目の絵のタイトルは「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」。
これは、んもう、とにかく華々しい絵だ。
初々しい花嫁がとついできたっていうよりも、新しい支配者がさまざまな神様に迎えられて威風堂々乗りこんできたって感じである。
ひたすらははあ、と感心する。
この絵では、青い布地にフランスのブルボン王家の紋章である金のユリを縫い取ったマントをつけた人物がマリーを出迎えている。
この人物は、もちろん寓意としてフランスを意味しているんだけど、こういうのは美術の世界ではアレゴリー(Allegory)というそうな。つまり、この人物はフランスのアレゴリーということになる。
このフランスのアレゴリーはあちらこちらの絵で出てきた。
あと、青地に金のユリの紋章は「フラ・ダ・リ」(Fleur-de-lis)という呼び方がちゃんとあるとのこと。
7枚目の絵には、「マリー版受胎告知か?」というメモが残っているが、実際の絵のタイトルはマリーとアンリ4世がリヨンで出会った、というような意味だった。
この絵は上のほうにライオンがひく車に乗ったアテナがいて、一見マリーとアンリ4世の出会いを祝福しているように見えるけど、実際には、アンリ4世はリヨンにマリーが到着するのを待ちきれず、愛人のアンリエットを連れて旅行に出かけちゃったという。ひどい話である。
8枚目の絵でマリーは出産している。生まれてきたのは後のルイ13世。『三銃士』の時代の王様だ。
生まれてきた赤ん坊は、ヘビを身体に巻きつけた男に抱かれている。
ヘビねえ。わたし的には印象悪いけど、西洋的には縁起がいいんだろうか?
ちなみにルイ13世が生まれたのは1601年9月。結婚してすぐに子どもができたことになるけど、マリーはアンリ4世の愛人であるアンリエットとどちらが先に男の子を産むか、その後先を争っていたというから、早くに生まれてほっとしたろうな。
実際、マリーに遅れること数週間後にアンリエットも男の子を産んでいる。
9枚目の絵では、子供のルイ13世の頭上で、これまたフランスのアレゴリーであるユリを描いた水晶玉をかかげたマリーとアンリ4世が描かれている。
でも、絵のタイトルは「アレマーニュとの戦いの準備」みたいな意味になっている。
「アレマーニュ」っていうのは、昔フランス人がドイツのことを呼ぶ時に使った名前らしいけど、たぶんあんまりいい呼び方じゃないと思う。
10枚目は、メモによると「マリーの戴冠」という言葉が残っている。
なんで戴冠なんだ? と思ったが、そういやナポレオンも自分の嫁さんに対して戴冠式をやったっけ。
というわけで、これはマリーのフランス女王としての戴冠式なんだそうな。1610年にサン・ドニ聖堂で行われたとのこと。
マリーの戴冠を祝福するかのように、頭上では天使が金貨を降らせていた。
そして11枚目。これがまたでかい。縦はいままでの絵と同じくらいだけど、横幅が3倍くらいはありそうだ(実際には横7.27メートル)。
この絵のタイトルは「アンリ4世の神格化とマリー・ド・メディシスの摂政宣言」。
アンリ4世は1610年に旧教徒に暗殺されてしまい、わずか9歳のルイ13世が国王として即位。マリーが摂政になった。
その場面を描いているのがこの絵なんだけど、絵の左側ではアンリ4世が鷲をつれたユピテルと大鎌を持ったクロノスに両脇をかかえられて天上世界へ連行(笑)される様子が描かれ、黒い喪服を着たマリーが右側で例のマント姿のフランスのアレゴリー君から、フランスのアレゴリー玉を受け取っている。この画面で、マリーはフランスでの最高権力を手に入れたことを示すわけだ。
それにしても、アンリ4世の連行される姿がかわいそうだな?。まあ、暗殺だからしかたないか。
しかしこのアレゴリー君、男かと思って「君」付けにしてみたのだが、よく見たら片袖脱いだ半身に豊満な胸がついている。おうっ、なんてこった。このフランスのアレゴリーは女性なのか。

これがその11枚目の絵。右にマリー、左にアンリ4世がいる。 |
12枚目の絵では、画面の右側では悪が駆逐され、左側では神による平和な世界、というような様子が描かれている。
横になった三日月の紋章がついたかぶとをかぶっている女神もいた。アルテミスか?
13枚目は「凱旋するマリー」というメモが残っている。実際のタイトルは「La Prise de Juliers」(綴り、間違ってるかも)。
マリーの頭に月桂樹の冠をかぶせようとする天使や、側に獅子の頭をなでる女神がいたようである。
14枚目は「L'Echange des princesses de France et d'Espagne」。直訳すると「フランスとスペイン(エスパーニャ)で王女の交換」か?
絵はフランスのアレゴリーがルイ13世の嫁らしき若い女性を迎えているような内容で、周囲では天使が金のしずくを降らせていたり、豊穣の象徴としてなのか果物がたくさん描かれたりしている。
まあ、きっとこれはルイ13世の妃となるスペイン国王フェリペ3世の娘アンヌ・ドートリッシュがフランスに来た時の様子なのだろう。
ふたりはお互い14歳の時に結婚したといわれるから、これは1615年のできごとである。
15枚目は「La Fe´licite´ de la regence」。意味は「摂政時代の至福」といったところ。
マリーにとっても人生の絶頂期だったのだろう。白テンの毛皮を裏打ちした青地に金のユリを縫い取ったフラ・ダ・リ柄マントを羽織り、片袖を脱いだマリーは、女神然として画面の中央に正義のアレゴリーである天秤をかかげて立っている。
画面内には、んもー神様があふれかえっているのだが(まあ、どの絵もそうだけど)、右側には角や尖った耳をした人々が倒れていた。

15枚目の絵。画面中央で右腕をあげているのがマリー。 |
16枚目は「La Majorite´ de Louis XIII」。直訳は「ルイ13世の成年」かな。
この頃、マリーはリシュリューに政治をまかせて摂政政治を行っていたわけだけど、成年に達したルイ13世が親政を始めると母子で対立してしまい、リシュリューは失脚、そしてマリーはどこぞへと追放されてしまったのだそうな。
だからこの絵は今までとは趣きが違って、内容はちっとも華やかでなく、黒いマントを着たマリーは侍女たちが漕ぐ小さな舟に乗って逃げているのだ。侍女たちはみんなうんざりした顔をしていて、舟の行く手には先行きに不安を感じさせるかのように海獣がいる。むむ、ちょっと悲惨。
それでも舟にはフランスのアレゴリー嬢が乗り、フランスのアレゴリー玉を持った女神も乗っている。正義は我に有り、ってことか?
17枚目は「La Fuite de Blois」。「ブロワからの逃走」か? ということは、マリーはブロワ城に追放されていたのか。そういえばそんな内容の解説を読んだ記憶がそこはかとなくあるぞ。50近いばーさんが決死の思いで城から逃げ出したとかなんとか。
どうもこの時代、ブロワ城はルイ13世の弟のガストン・ドルレアンが城主だったらしい。そういやこの人もルイ13世にうとまれてブロワに飛ばされたのではなかったか?
メモには「戦いの中の黒衣のマリー」という記述が残っているから、ブロワから逃げた後もやる気満々だったのかもしれない。
18枚目は「La Traite´ d'Angouleme」=「アングレームの条約」というタイトルで、黒衣のマリーがマーキュリーから「平和」の象徴たるオリーブの枝を渡されている。
アングレームの条約ってなんだろ? これは不明。
19枚目では、マリーはマーキュリーに導かれてどこかの聖堂内に入ろうとしている。そばにいるたいまつを持った女性の足元には甲冑と銃が置かれ、後ろからは身体をヘビにまとわりつかれた男たちが追ってきている。
何だろう、この男たちは? 疫病かなにかを意味しているのかな?
20枚目では、マリーはマーキュリーの杖とオリーブの枝を持って昇天している。
おー、ついに死んじゃったのか。
昇天するマリーを守るためか、ケルビムがマリーに息を吹きかけたり、女神が雷で追ってくる魔物を倒していたりした。
そしてわたしが見た中ではラストになる21枚目。
タイトルは「Le Triomphe de la verite」。意味的には「真理の勝利」か。
天上世界に落ち着いたマリーは、月桂樹の冠を渡されている。死後もなお幸せそうである。
これで「マリー・ド・メディシスの生涯」の見学は終了。
ふうっ、と一息ついたけど、考えてみればこの絵、1622年〜25年の間に描かれたものなんだから、最後の方はほとんど想像なんだよね。マリーがネーデルラントへ亡命したのも、この絵の中には盛りこまれていないはずだし。
なんだ〜〜。そっか。最後の何枚かは想像なのか。
ちょっと拍子抜け。
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