今日、明日とお嬢K は隣国ベルギーのブリュッセルへ買い付けと交渉に行っている。私と橋本教授 は美術館巡りの予定。とはいってもそうは回れない。特にルーブルは1日では絶対に無理な広さだ。今回はどちらにしてもざっとしか観ることができないので、開き直って午前中にオルセーに行き、午後からルーブルに行くことにする。
パリでは「カルト・ミュゼ」といって、市内および郊外の美術館や観光名所などの入場料がフリーになるパスがある。1日券、3日券、5日券などがあって、料金は1日券80FFだ。オルセーの入場料が40FF、ルーブルが45FFなので、これを買うことにする。これはメトロの駅で売っているので、とりあえず駅に行く。「ドゥ、カルト・ミュゼ、えーとワン・ディ、スィル・ヴ・プレ」これで通じちゃうからすごい。
カードが1枚と各国語(日本語はない)で書かれたパンフレットが入っている。このカードの裏に、今日の日付と名前を書いておく。
『オルセー美術館』は、セーヌ河をはさんでルーブルの対岸にある。もともとは1900年のパリ万博のために作られた鉄道の駅舎だった。その後しばらくして駅は閉鎖になったが、ミッテラン時代に美術館としてオープンした。館内には昔の名残の大時計や豪華な階段の手すりなどが飾ってある。
オルセーはちょうど今日本にやってきているが、ホンの一部だけ持って行ったようでほとんど展示に影響がないらしい。基本的に1848年から1914年までの美術品を所蔵・展示している。ルーブルや近代美術館、印象派美術館などからの移設がほとんどで、印象派絵画など日本人にもよく知られ、人気のある作品がたくさんある。ルーブルが古代、オルセーが近代、そしてポンピドゥー・センターの国立現代美術館が現代物を扱っているので、この3つでヨーロッパの美術史をたどることができるようになっている。
さすがに駅舎だっただけのことがあって、建物内部はユニークな構造になっている。中に入ると1階は天井までの吹き抜けになっている。天井はガラス張りのドーム状になっていて、そこからの自然光で館内はとても明るい。1階中央に彫刻が並び、両脇の小部屋に絵画が並んでいる。ミレーの『晩鐘』、マネの『オランピア』などのホンモノが目の前(ほんとに目の前)で鑑賞できる。1階奥にはオペラ座(オペラ・ガルニエ)の構造模型が置いてあり、その複雑な構造と優雅な外観を細部まで見ることができる。
館内には、校外学習で来ているのだろう、先生に引率された高校生のグループがいくつか来ている。いいよな、こんなホンモノが身近にあるんだもんな。
入り口で「コードレス・ガイド」という機械を借りたので、鑑賞にも熱が入る。これは電話器型の音声ガイドで、作品の近くでその作品番号をダイヤルすると、その作品の解説を聞くことができる(もちろん日本語)。30FFはチと高い気もするが、専門のガイドさんがいるようなもので頼もしい。
2階に上がると彫刻が中心で、ロダンの『地獄の門』がデンと構えている。濁流に飲み込まれる人々と、それを見下ろした「考える人」。有名なNOVAのCMに出てくる「考える人」はこれの拡大版だ。
3階はいよいよ印象派絵画がズラッと並んでいる。モネ、マネ、ルノワール、ドガ、ゴッホ、ピサロ、シスレー・・・みんな本物だ。すごい、すごい! もうずっと見ていたい・・・。
点描派スラーの作品や、タヒチに生涯をかけたゴーギャンなど、もっとじっくり鑑賞したいのだが、全然時間がない。すべてをしっかり観て回るには1日では足りない。それを半日で回ろうというのだからバチがあたりそうだ。名残惜しいが、いいや、また来よう(また来る気になってるワタシ)。
オルセー駅には駅を取り囲むように豪華なホテルが建てられていた。当時、ホテルの『レセプションの間』だったところは美術館のレストランになっていて、『祝典の間』は現在は美術品の展示室になっている。この『祝典の間』は天井にも絵画が描かれ、壁にも4枚の絵がかかり、柱などいたるところに彫刻が施された豪華な部屋で、当時の優雅な雰囲気を彷彿とさせる。現在でもクラシックのコンサートなどを催すことがあるそうだ。ゼータクだよな。
後ろ髪を引かれる思いでオルセーを後にする。いささか興奮状態ではあるが、お腹も空いた。話の種にと、その昔橋本教授 が数日間のパリ滞在の間通いつめたという日本料理の店に行ってみる。やっぱり後悔した。おいしいから通ったんじゃなくて、日本語が通じるから通ったのね。ったく種にもなりゃしない。もう書かない。
明日は丸1日空いているので、せっかくだからロワールの古城巡りを予定している。パリから日本語ガイド付きの観光バスが出ているので、マドモワゼルM に手配をしてもらった。ルーブルに行く前に彼女のところへ行ってチケットを受け取らないといけない。
彼女のオフィスはオペラ座からすぐの一等地にある。パリ市内は、法律で歴史的な建造物は外装を変えてはいけないことになっているそうなので、昔からの建物がズラッと並んでいる。路面が石畳なこともあって、一本裏道に入るとタイムスリップしたような感じになるのだが、建物の内部に入ってしまうと、ちゃんとエレベーターはあるし、オートロックのドアだったりする。
通りに面した木製の大きな分厚いドアを開けて入り、中庭に出る。こちらの建物はロの字型の構造で、必ず中庭がある。馬車で乗りつけていた頃の名残りだそうだ。このビルはいわゆる雑居ビルで、ロの字が5つのブロックに分けられていて、それぞれに入り口がある。Eの入り口から入り、エレベーターで5Fで上がる。
こじんまりとした明るいオフィスで、お仕事中にお邪魔する。明朝7:15出発、19:30帰り予定だ。あ、そんな長旅だったのね。バウチャーを受取り、ちょっと話をして、ルーブルに向かう。
ルーブル美術館は、コの字を形成する3つの建物(リシュリュー翼、シュリー翼、デゥノン翼)で構成されている。そのうちのリシュリュー翼には大蔵省が入っていたのだが、ミッテランのルーブル改造計画によって全館を美術館とし、中庭中央にガラスのピラミッドを作ってその下を中央入り口(ナポレオン・ホール)とした。3万点に及ぶ展示物が7つのセクションに分けて展示されていて、古代文明から19世紀初頭までの西洋美術まで網羅されている。
何からどう見てよいのか皆目見当がつかない。入り口でパンフレット(日本語版)をもらい、そこに載っているめぼしい展示物を参考に見て回ることにした。1階は彫刻が主になっている。デゥノン翼から見て回る。それにしても古代の見事なギリシア彫刻が無造作にそのへんに立っている、といった感じで、日本のようにガラス越しといったことがない。手を伸ばせば簡単に触れることができる。警備員がそこかしこにいるわけでもない。写真も、撮りたければどうぞ、ただしフラッシュ禁止のところ(主に絵画)ではフラッシュはいけません、という程度だ。『大人の国』だからね。
ギリシャ古代彫刻群を過ぎると、その先の階段は人だかりがしている。階段の先の踊り場はガラス越しの外光でひときわ輝き、その中に、あの『サモトラケのニケ』が立っている。「おおおぉ〜・・・」思わず声が出てしまう。もうこれだけでもルーブルに来たかいがあったというものだ。
サモトラケ島で発見されたこの勝利の女神像は、紀元前2〜3世紀の作だといわれていて、アメリカのスポーツ用品会社の社名にもなっている。1950年に右腕が発見されたが、補修されているわけではない。腕も顔もないにも関らず、不完全さを感じさせない。特徴的な背中の羽、風になびき、身体にまとわりつく衣。ものすごい存在感。誰だよ、こんなもの創ったのは。
彼女が立っている台座は、ガレ−船という船の舳先を模した石の台だったということを初めて知った。ついでに台座に触っちゃった(作品には手を触れないでください)。この場を立ち去り難いのだけれど、まだ見はじめたばかりでこの先にまだ山のように見たいものがある。
どこかで見た彫刻が通路のまん中に立っている、と思ったら『ミロのビーナス(アフロディーテ)』だもんな。これはさすがに足元だけ透明なアクリルで囲ってあって、手を伸ばしても無駄なようになっているが、それでも至近距離だ。 教科書でしか見たことなかった身としては感激ものだ。取れてしまっている腕は、いったいどんなポーズだったんだろう。昔からいろいろな彫刻家が想像で腕をつけてきたが、これほど世界中の人を悩ませる女性もそうはいないだろう。
はしょって2階に上がる。2階は主に絵画が集められている。ことにデゥノン翼は『モナ・リザ』を始めとするイタリア絵画と、フランス絵画の大作が所狭しと並んでいる。平日のせいか館内は混雑しているというほどではないが、一部屋だけ異様な雰囲気の部屋がある。『モナ・リザ』のある部屋だ。
思ったより小さな絵で、ガラスケースに納められている。黒山の人だかり、と言うほどではないが、見学の団体がいくつか入っているらしく、みんなで覗き込んでいる。不思議な興奮が部屋中に満ちている。やや空いたのを見はからって近寄ってみる。本物。写真と全然違う。えも言われぬ雰囲気を漂わせ、見る人を魅了する。角度を変えてどこから見ても、彼女の視線を感じる。いま日本に来ている『モナ・リザ』はコピーだそうだ(そう簡単には海外へ出さないよな)。やっぱり本物を見なきゃ、本物を。
このセクションには、その他にも教科書や美術書でしか見たことがなかったような名作がずらりと並んでいる。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』、ジェリコーの『メデュース号の筏』、ルイ・ダヴィッド『ナポレオン1世の戴冠式』・・・見れば「ああ、この絵か!」と誰もが知っているような有名な絵画が、目の前にある。どれも大きいというより巨大で、本物の持つパワーに圧倒される。こんなに大きかったのね。
この頃には既にルーブルの魔力に取り憑かれてしまったようで、半ばボォーっとした頭でふらふら歩いている。妙に喉が渇いた。水が飲みたい。ちょうど喫茶スペースがあったので一休み。フランス語のメニューに水を見つけ、「ドゥ、オード・エヴィアン、スィル・ヴ・プレ(エビアンふたつちょうだいな)」通じちゃったよ。ちゃんとエビアンが2本来た。フゥーッ。
気を取り直して3階へ行く。ところでルーブル美術館は火曜日休館で、開館時間は9時から18時まで(入館は17:30まで)なのだが、月曜日は一部だけ、水曜日は全館が21:45まで開いている。今日は遅くまで開いている日で、団体(ツアー)の連中は遅くまでいないので、18時を過ぎることからだんだん空いてきた。
3階のリシュリュー翼にはルーベンスのホールがある。両側の壁面にルーベンスの大作が合計21枚並べられている。中へ入った途端にその迫力に圧倒される。絵のサイズが違うよ。美術本で見たあれは何だったんだよ。飲み込まれそうな迫力。思わずそばの椅子に腰かけて、絵を見あげる。こりゃ、やばい。何がやばいんだかわからないけど、やばいよ、これ。とにかく全然違うんだから、自分が知っていた(つもり)のと。
ひとしきり堪能したあと、フランス絵画の回廊を回る。『ガブリエル・デストレとその妹(二人の上半身裸の姉妹の絵。妹がお姉さんの乳首をつまんでいるやつ。作者不詳)』が、なにげなく掛かっている。ラ=トゥールの『ダイヤのエースを持ったいかさま師(ルーブルのガイドブックの表紙にも使われている)』などという絵も、本物が目の前にある。今思うに、この時点で膨大な美術品にラリッていたのかもしれない。『大工聖ヨゼフ』や『最後の晩餐』などという名画も「あ、これね・・・」という感じで歩きながら見ていた記憶がある(恐ろしや)。オユルシクダサイマセ。
オルセーと異なり、ルーブルの場合は時代が古いこともあるが、彫刻や絵画のテーマが宗教に基づいているものが多い。ヨーロッパの古代史(ナポレオンとかルイ何世とかね)はもちろんだが、基本的にはギリシャ神話、ローマ神話、旧約聖書、新約聖書などを知らないと、何を描いた絵なのか、誰の彫刻なのかわからない。
たとえばさっきの『大工聖ヨゼフ』は、幼い男の子の持つろうそくの光の中で仕事をするおじいさんの絵なのだが、聖マリアが神の子(キリスト)を宿すときに、神から父親役を言いつかったのがこの大工のヨゼフで、神はヨゼフの信仰心を試すため、キリストの親代わりとなる条件として、自分の子供を殺せと命じていたのだ。何も知らない子供は父親の仕事の助けにとろうそくをささげ持っている。ヨゼフの顔には例えようのない苦悩が滲んでいるのだが、聖書に出てくるこの話を知らないと、頑固そうな親父と無邪気な子どもの絵になってしまう。
『ミロのビーナス』はアフロディーテなのだといわれても、それが誰だかわからなければしかたがない。より深く、西洋美術を味わうには、大いなる興味と、ちょっとだけ勉強が必要だ。
興奮覚めやらぬうちに外へ出る。既に20時をまわり、すっかり暗くなっている。最寄りのチュイルリー駅からメトロに乗ってホテルに帰る。あ、そうだ! まだ夕飯を食べていない。なんだか気力を使い果たしてしまい、フランス語のメニューと格闘する元気がない。ふと見るとフランス・パンのサンドイッチの屋台がある。「ボンソワー、ムッシュー。えーと、これと、これ、スィル・ヴ・プレ」 近くの食料品店でワインとおつまみを買って、OKですっ。
ワインが安いんだ、フランスは。テーブル・ワインなら12〜3FFくらいでおいしいのが手に入る。コート・デュ・ローヌでもハーフサイズなら17〜8FFですよ。しかも輸出用ではないので防腐剤が入っていないんだそうだ。日本の3〜400円の、ワインとは名ばかりのまずい飲料に比べたら、天国だ、ここは。
この国ではワインが”特別な存在”ではなのだ。だってね、ホテルの部屋に置いてあるコップ、日本の旅館でいえば部屋に置いてある湯のみ茶わんが、ここではワイン・グラスなのよ。どうぞお飲みなさいっていってるようなもんでしょうが。それじゃ、お言葉に甘えて・・・。
◎◎◎旅行メモ◎◎◎
●ルーブル城の石垣
ルーブル改造計画でガラスのピラミッドを作ったとき、その脇(シュリー翼の下あたり)に地下駐車場を作る予定だった。ところが掘り返してみたら昔のルーブル城の城壁の一部が出てきてしまったため、予定を変更してそのまま展示室にしてしまった。それをシュリー翼の地下で見ることができる。ガイドブックでは城趾をぐるっと一周して元に戻ってこれるはずだったんだけど、地図がいいかげんなのと途中が工事中で行かれなくなってしまった。をいをい・・・。
●フランス語
フランス語は勉強する機会もなくほとんど知らなかったが、外国へ行くときは最低限「こんにちわ」「さようなら」「ありがとう」「ごめんなさい」だけはその国の言葉で言えるようにしていくのが私のポリシーなので、『カタコトのフランス語がらくらく話せる本・CD付き』(←話せるわけネーだろ!)を買って、出発までの約1週間、毎晩聞いて勉強した。その結果、やはり大したことはなかったけど、耳を慣らしておけたのは助かった。
●体験的『フランス語入門の前』
「ボンジュール」「ボンソワール」「オーヴォワール」の最後の「ル」はほとんど心の中で発音する。「ボンジュー」「ボンソワー」「オーボワー」と書いたほうが実際の発音に近い。
「R」の音はフランス語独特の発音で、喉の奥で発音する。RよりHに近い音だ。「トレビアン」の「レ」を正しく発音するのはすごく難しいが、これができるようになると、いきなりフランス語っぽくなる。
ほとんどの単語は最後の子音を発音しない(c,f,l,rは発音するときもある)。
paris(パリ) vous(ヴー:あなた) salut(サリュー:やぁ!)
名詞が複数形になると後ろにsがつくが、発音はしない。
Deux cafes, s'il vous plait.(ドゥ キャフェ、スィル・ヴ・プレ)
発音しないなら書かなくてもいいじゃないかと思うのだが、そうもいかないらしい。始めのうちは思わず英語読みをしてしまうのだが、慣れてくると最後の子音と複数形のsを読まなくなって、実際の発音に近くなってくる。ちなみに「注意を促す言葉」の語尾の子音は発音するんだって。
●お勘定
レストランなどでお勘定をしてもらうとき、言い方は二とおりある。
「ラディション、スィル・ヴ・プレ(お勘定してください)」
「サ・フェ・コンビヤン?(いくらですか?)」
勘定書きをもってきてくれるので、書いてある数字の金額を払えばよい。地元の人は金額と内容をよーく確認している。悪意でなく、単純に間違えていることがけっこう多いんだって。
困るのは値札がないような小さなお店。「サ・フェ・コンビヤン?」と聞いて、値段を言われても、紙に書いてもらわなきゃわからないもんね。
●数詞
どうして金額を聞いてもわからないかというと、フランス語の数詞はことのほかややこしいからだ。たとえば「80」という時は「4つの20」という言い方をする。「90」になると「4つの20と10」という。そんなもん、わかるかっ!
●名詞の性別
フランス語にも男性名詞と女性名詞、中性名詞があって、使い方が厳然と区別されている。どれがどれだかは覚えるしかない。
「これはきれいだ」という場合、女性名詞に対してはElle est jolie.(エレ・ジョリ)、男性名詞がきれいなときはIl est joli.(イレ・ジョリ)になる。elleは英語で言うShe、または女性名詞をさすItで、 iはHe、または男性名詞をさすItということになる(旅行者にそこまで要求しない、とお嬢K )。
どっちか わからないときは「セ・トレ・ジョリ」という便利な言い方がある。これはどちらにでも何にでも使えるらしい。ちなみに
●よく使う言い方
「スィル・ヴ・プレ」は万能。とにかく一番よく使う。何かあれば「スィル・ヴ・プレ」だ。英語のpleaseと同じで、名詞のあとにつければ「何々ください」、指差して「スィル・ヴ・プレ」で、「それちょうだい」になる。書くものを貸してほしければ、ものを書く手まねをして「スィル・ヴ・プレ」。 レストランやカフェで店員を呼ぶときも使える。手をあげて「スィル・ヴ・プレ〜」
「おはよう/こんにちわ」--- 「ボンジュー」
「こんばんわ」 --- 「ボンソワー」
「わかりました」---「ウィ、ダッコー」
「ごめんなさい」---「パルドン」 英語のパードンだな。
「失礼」---「エクスクゼ、モア」 英語のエクスキューズ・ミーだな。
「OK」「それでけっこうです」---「セ・ボン」 トイレじゃない。
「ありがとう」--- ご存じ、「メルスィ」
「おいしいです」---「セ・トレ・ボン!」
「さようなら」---「オヴォワー」
店を出るときは「メルスィ」か「オヴォワー」のどちらかで挨拶して出てくる。
「はい」---「ウィ」
「いいえ」---「ノン」
●ペット
犬を連れて歩いているフランス人をよく見かけた。みんな鷹揚というか、どこへでも連れていく。盲導犬でもないのに平気でデパートやブティックに連れて入る。オシッコしちゃったらどうするんだ、と思うのは私だけか? 誰も何も言わない。細かいこと言わないんだ、「大人の国」だからね。
「大人の国」にしては、そこかしこに犬の糞が落ちている。うっかり踏んじゃった人の靴痕がしっかり残っているのもたくさんある。でも、だからといって誰もなんにも言わない。踏んだやつが悪いんだ。こんなに糞だらけなのに、朝はきれいになっている。それは・・・。
●道路掃除
早朝、まだ夜が明けきらないうちに(とはいっても7:30だったりする。この時期、明るくなるのが遅い)外へ出ると、街中で一斉に道路掃除をしている。
道路の縁石の部分にところどころ穴があいていて、そこから一斉に水が吹きだし、たくさんの掃除人夫(パリ市清掃局の職員)の人たちがこの水でゴミを掃き流す。歩道は散水機で水を撒いて、ゴミから犬の糞からすべて車道側に流してしまう。別の縁石には下水に通じる口がぽっかりとあいていて、そこへ全部流してしまうのだ。どうりで毎日、道路がきれいなはずだ。
パリ市内は縦横に下水道が張り巡らされていているので、こういう芸当ができる。下水道ツアーというのもあるそうだ。臭そうだけど。
ちなみにアメリカの一般家庭では「生ごみ」がほとんど出ない。流し台の排水口の下にミキサーの歯のようなものが付いていて、野菜くずや魚の骨、残った肉などすべてそれで粉々に砕いて、そのまま下水に流してしまうのだ。日本でこれをやると「下水管が細くてすぐに詰まってしまう」そうだ。街づくりの思想が、日本の行政とは根本的に違う。
●人種の坩堝(るつぼ)
宿泊先のホテルでは、朝食の食堂は黒人のおばさんたちが切り盛りしている。毎朝、満面の笑顔で迎えてくれるおばさんのほかに、髪を細かく編んだかっこいいおばさんなど、総勢3〜4人いたようだ。ベッドメイクなどの仕事も黒人のおばさんたちがやっていた。始めのうちは「フランス語を話す黒人」がしっくりいかなかったのだが、慣れた。
朝の道路掃除も黒人が圧倒的で、後はアラブ系の人たちが多い。白人は少数だ。途中、タクシーで通りかかった一角でも、「この辺は黒人が多くてあまり治安は良くない地域」とお嬢K が言っていた。
メトロで乗り合わせた黒人のおじさんは、次の駅で降りようとドア付近に寄っていった私に「降りるのかい?(と言われた気がした)」と優しい笑顔で体をずらしてくれた。メルスィー、おじさん。
そもそもフランスは移民が多い。かつてはいろんな国の宗主国だったし植民地にしていたから、そういう国から亡命という名目でやってきたたくさんの人を受け入れてきたからだという。そういう人たちの子孫はれっきとしたフランス人だから、黒人がたくさんいたっておかしくはない。おかしくはないけど、3K仕事が多いのは、なぜ?