第5日目(2000.2.3/Jeudi)

■ロワール

 今日は早起きをして、ロワール川に点在する古城巡りのツアーに参加する。バスは、昨日帰りに乗った地下鉄の駅のすぐそばから出発する。7時15分出発なので。7時前にホテルを出る。フロントに「今日はロワールへ行ってきます」というと、彼は大仰に両手を広げて「Wonderful Day!」と送ってくれた。まだ外は真っ暗だ。

 集合場所に着いてもまだ暗い。参加者14人+運転手+ガイドが2人。うち1人は日本人だ。日本人の客は私と橋本教授 ともう一人なので、3人でガイドさん独り占め(妙な日本語だが)状態だ。バスは大型の観光バスなので、中はガラガラ。

 もう一人のガイドのおばちゃんは、英語とスペイン語で同じ内容を繰り返す。大変だこと。でも途中からスペイン語だけになった。我々を除く11人は、どうやらみんなスペインからの観光客らしい。高校生くらいの女の子3人組が近くに座っている。一人は瞳がものすごく魅力的な娘だ。今回はおとなしくしていよう。もう一人の日本人は名古屋の大学生の男の子で、卒業旅行で一人できているのだそうだ。おとなしそうな子なんだけど、やることは大胆だよな。俺が初めて海外旅行したときなんてさあ、・・・やめとこ。

Bus  パリ市内を出るあたりでようやく空が白んできた。通勤でパリ市内に入ってくる車と対向して、バスは郊外へと高速道路をひた走る。1時間弱も走ると、あたりは田園地帯になる。パリって狭いのね・・・。パリからロワールまで、距離的には東京−名古屋間くらいある。東名高速を走っているようなものだ。片道約3時間半。とりあえず寝かせてください。

 ロワール地方というのは、15世紀にシャルル7世がロワール川湖畔のシノン城に宮廷を移して以来、160年間にわたってフランスの政治・文化の中心になったところだ。当時、王に忠誠を誓う王侯貴族が競ってこの地域に城を建て、その数は100を越えるという。今では観光名所や宿泊設備になっている。ヨーロッパの古城に泊まるなんて乙女チックでよいが、鎧を着た幽霊でも出なきゃいいけど。ジャンヌ・ダルクが100年戦争(はい、世界史の教科書を開いて!)を勝利に導いたのも、この地から始まり、レオナルド・ダ・ビンチが客死したのもロワールの城だった。

 途中、ドライブインでコーヒー(自動販売機までエスプレッソだもんね)とサンドイッチの朝食をとり、やがてシュノンソー城に到着した。

■シュノンソー城

Chenonceau  別名”6人の奥方の城”。代々の城主がみんな女性だったのでこう呼ばれる。最初の城主ディアンヌ・ド・ポワティエはアンリ2世のお妾さん。しかも相当年上だったらしい(ガイドのオバハンはやたらとそういうところに詳しい)。でも見た目はものすごく若かったんだって(50才代のときに20才代に見られたらしい)。

 この城は始めは手前の部分だけだったのを、ディアンヌがシェ−ル川に橋を渡してその上にギャラリー(舞踏会などを催す場所)を造り、周囲に見事なフランス庭園を造って今の姿にしたんだそうだ。でもアンリ2世が死ぬと、正妻のカトリーヌ・ド・メディチの復讐が始まって、ディアンヌを追い出し、自分がこの城の城主になる(オバハンが好きそうな話だ)。

 城に向かって右側の庭が『カトリーヌ・ド・メディチの庭園』、左側が『ディアンヌ・ド・ポワティエの庭園』と名づけられている。どちらも季節柄かなり殺風景になっている。ちょっと寂しい風景ではある。

 城内はチャペルもあり、どの部屋も広々としていて、大きな絵がかけられ、天蓋つきのベッドと暖炉が置いてある。優雅に暮らしたんでしょうな、きっと。アンリ3世が暗殺されたとき、奥方のルイーズ・ド・ロレーヌが喪に服すために室内をすべて真っ黒に塗って、生涯をその部屋で過ごした、という部屋も公開されている。陰気な部屋だ。

 この城は川の上なので、夏は蚊がすごいんだそうだ。王様は夏の時期はここへは来なかったらしい。地下に厨房があって、当時使われていたそのままを再現してある。船で運んできた食料をそのまま厨房にあげるための桟橋が、窓から見える。だいたい見たところで、お昼。

Lunch  お城からちょっと歩いたところに村がある。ほとんど観光村みたいなものだが、オフシーズンで閑散としている。いくつかあるホテルのうちの1ヶ所で昼食になった。食堂にはいると各テーブルにワイン(ガメイだよ)が1本ずつ置いてある。話せるじゃないの、なかなか。

 1皿目はポテトのパイ包み焼き。ま、こんなもんか。2皿目はサーモンのソテー、人参添え。どう添えてあるかというと、甘めに煮て擦りおろしたやつがサーモンの下に敷いてあり、輪切りにしたやつがサーモンの横にある。今日は人参が安かったんだな、きっと。3皿目(けっこうまともでしょ)はチョコレートのクレープ。ワイン付いてるし、タダだし、文句言わない。コーヒーは別料金で15FF。誰も飲まないから「アン・キャフェ、スィル・ヴ・プレ」。通じるもんなあ、こればっかりだけど。

 しかめっ面の旦那がお皿を下げに来たので「セ・トレ・ボン!(おいしいです)」というと、にこっと笑ったよ、しかめっ面が。ご一行様は再びバスに乗り込んで、シュヴェルニー城へ向かう。

■シュヴェルニー城

 お城の周辺には小さな村々が形成されていて、バスも細い小道を縫うように走っていく。お昼時なのでどの村も閑散としている。シュヴェルニー城に到着。入り口が閉まっている。昼休みに行っちゃったんだよ、きっと。みんなで騒いでいたら、奥のほうから係の人が出てきた。

Cheverny  このお城は17世紀にシュヴェルニー伯爵が建てて以来、今でも子孫が住んでいるので、すべての部屋を開放しているわけではない。3階は城主の家族が、1階の奥は息子夫婦が住んでるんだって。

 フランスは共和制になっちゃったので、貴族といえども税金を払わないといけない。いろいろ副業をしなきゃいけないわけだ。お城を公開して入城料をとったり、ホテルにしたり。

Cheverny  城内はさすがに手入れが行き届いていて、どの部屋にも見事な家具と装飾品が飾られている。特に『王の寝室』は金で飾られた天井と天使の飛び交う暖炉、天蓋付きのベッドはペルシャ産の絹張りときた。まぶしくて寝られないだろうになあ。よくみると燭台などには盗難防止のひもが付いている。少し前に、大事な壷かなんかを持っていかれちゃったんだって。

 この城では広大な敷地内で、シーズンになると猟犬と角笛を使った古式の狩猟ができる。これも収入になるわけだ。ちょっと離れたところに狩猟博物館があり、2000頭以上の鹿の角が、壁から天井まで部屋中に飾られている。鹿は良くて鯨はいけないのね、ハイハイ。

 この隣に犬舎があって、ちょうどお昼ご飯の時間だった。犬舎といっても犬は総勢70匹もいて、しかも猟犬だから檻が無かったら近づきたくない連中だ。ましてや訓練のためか目の前に鶏(姿そのまま。羽をむしっただけ)を山ほど積んだままお預け状態。犬は犬舎の屋上にあげられていて、吠える吠える。でもあまりいやしく吠えると鞭が飛んでくるから、あきらめちゃってるようなやつもいる。

Cheverny  やがて調教師(って言うのか)が、動きだしたので、いよいよ食べさせるのか、と思いきや、屋上の犬ではなくて犬舎のドアを開けた。あらまビックリ、半数は中にいたのね。どっと餌に群がる犬たち。屋上の連中はまだお預け状態なので、もう半狂乱。大変な騒ぎだ。

 初めの連中に餌が行き渡った頃を見はからって、ようやく上の連中をおろす。当然のことながらすさまじい勢いで餌に飛びつく。いやぁ、すごい迫力だわ。あっという間に餌がなくなった。跡形もない。

 あんまり長いあいだボォーっと見ていたもので、気がついたら服に犬の匂いが染みついちゃって、臭いのなんの。まいったなあ。スペイン娘に嫌われちゃうよ。

■シャンボール城

 最後に訪れたのは、シャンボール城。16世紀にフランソワ1世が建てたロワール最大の城。レオナル・ド・ダビンチも設計に加わっていたのではないかという説もあるくらい、ユニークな城だ。オフシーズンなので現在一部修復中。写真も興醒めだ。

Chambord  城は広大で天井が高く、その天井にもさまざまなフラスコ画が描かれている。さすがに傷みが激しい部分もあるが、その芸術性は高い。

 建物内部の中央には、天守閣につながるらせん階段が造られている。上から降りてくる人と下から上がっていく人が、途中ですれ違わないという不思議な階段で、城主が客を驚かせて喜んでいたらしい。何という事はない、2重らせん構造で、階段の入り口が180°ずれているので、ぱっと見ると普通のらせん階段にみえるというもの。これがまさにダビンチの設計だということなのだが、どーでしょー・・・。

 テラスから望む敷地も、これでもかというくらい広い。フランソワ1世は近くの川の流れを変えて敷地に引っ張り込もうとしたらしいが、さすがに造園師の忠告で途中でやめたらしい。

Chambord  お城というのは、あまりに日常とかけ離れているので、「すごいなー」とは思うけれどそれ以上でもない。だってね、ここで暮らしていた人たちなんて、あまりに我々とかけ離れていて暮らしぶりとか想像もできないし、うらやましいとも思わないし、ましてやこんなとこで暮らしてみたいとも思わないもんね。まあ、社会科の勉強よ。

 往復に時間がかかるので、まだ5時前だけど帰路につく。帰り道、のどかな田園地帯にいきなり白煙を上げる原子力発電所の煙突があらわれる。水蒸気とはわかっていても、どうも、ね。フランスは電力の77%だかを原子力に頼っているそうだ。

 パリ市内に入る頃にはすっかり暗くなっている。ほぼ予定通り、出発点に戻ってきた。ガイドさんにお礼を言い、「なんか困ったことでもあったら、連絡してよ(エラソ〜)」と、大学生にこちらのホテルを教えておく。きっとお嬢K がなんとかしてくれるから、と付け加えるのを忘れていたが。

 いや〜、バスで名古屋日帰りというのもなかなか疲れるもんだ。ワイン買って帰って、早く寝よっと。


◎◎◎旅行メモ◎◎◎

●当時のフランスはイタリア・ルネッサンスの影響が大きく、レオナルド・ダ・ビンチを始めとするイタリアの芸術家はフランスでも評価が高かった。ダ・ビンチは晩年、フランソワ1世の招きでロワールに滞在し、アンボワーズ城で死んだ。遺体はこの城の敷地内にあるサンユベール教会に埋葬されている。

彼はここにやってくるときに自分の絵画数点を持参し、その中にあの『モナ・リザ』もあった。だから彼の死後、こうした彼の傑作絵画はフランス王室の人しか観ることができなかったのだが、フランス革命で開放され、われわれ平民でも拝めるようになったわけだ。

ちなみにレオナルド・ダ・ビンチとは「ビンチ村のレオナルド」という意味だそうです。


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■参考文献
個人旅行「パリ」(昭文社)
「カタコトのフランス語がらくらく話せる本」(中経出版)
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