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■ バプオンへの道すがら
バイヨン[Bayon]寺院の北門から出て、次はバプオン[Baphuon]という遺跡に歩いて向かう。
歩いて行く途中、林の中にお土産屋さんの屋台が並ぶところを通ったが、ここではセールス攻撃を受けることはなかった。
屋台の中には雑貨に混じって楽器を売るところもあって、中国の胡弓によく似た(あるいはそのものな)楽器も売られていた。さすが地続き。

楽器のお土産屋さん |
林の中を歩いていると、どこからともなくニワトリとそのヒナが現れた。おお、まさに地鶏じゃ。
遺跡の中を走りまわるニワトリは、放し飼いのせいなのか、ふだん見るニワトリよりもずっと猛々しい顔つきで、小柄だけど筋肉質って感じの引き締まった身体つきだった。
バイヨン寺院からパブオンまで続く小さな林の中には、緑色の苔がついた大きな石が散在している。
表面をよく見ると、数字が白いペンキで書かれていたり、レリーフのようなものが刻まれていたりする。
Kさんに聞いたら、なんとこれらの石もアンコール遺跡の一部だそうな。
ええっ!? これって思いっきり野ざらしじゃんっ!
しかも、土が湿っていて足場の悪い林の中を、わたしたちはその石を踏み台にして移動していく。
ああ、なんて罰当たりなっ(^ ^;)。
しかし、復元を待つ崩れた遺跡の石たちは、あちらこちらで野ざらしのまま放置されていた。

野ざらしの遺跡の石。
そういえばこんな風景をルーヴルでも見た。 |

■ バプオン
バプオンは、ウダヤディティヤヴァルマン2世(もしくは1世)という人が1060年頃に建てた、もとはヒンズー教の寺院とのこと。
1060年というと、アンコール・ワットの造営が始まったのが1113年だから、それよりも古い寺院ということになる。
(※Attention! バプオンはアンコール・ワットよりも後の時代のアンコール・トムに含まれる遺跡ですが、アンコール・トムは都を造る際、古い時代の建物をそのまま利用したところもあるので、こういう矛盾(?)が生じます)
「バプオンは『隠し子』という意味」とガイドのKさんが教えてくれたが、これは王さまがこっそりどこかの女性に生ませた「隠し子」ではなく、戦争の際に王妃さまが自分の子どもをこの寺院に隠したことに由来して「隠し子」なんだそう。
同じ「隠し子」でも、由来を知らなければ大きな誤解を生みそうな名前のお寺だ。
バプオンは建物正面に、地上からの高さが1メートルくらいある柱に支えられたまっすぐな1本の道がある。まるで宙に浮いた道のようなので、空中参道と呼ばれているらしい。
わたしたちもその200メートルほどの長さがある空中参道の上を歩いてバプオンに向かう。

バプオン・遠景 |
遠くから見るバプオンは、四角い台の上に伏せたお椀を乗せたような形をしている。だから、円い遺跡だったな〜、という印象が残っている。
バプオンに近づくと、建物の左右からクレーンのアームが伸びていることがわかる。
なんと、現在フランスが修復中で、入ることはできないそうだ。残念。
(※Attention! 修復してない日は入れるそうです。わたしたちは運が悪かった)
「フランス人はコンピュータを使って、崩れた石をどんどん組みあわせていく。だからとても早い。日本人はひとつひとつ石を確かめながら組み直していく。だから時間がかかる」とKさん。
しかし、時間がかかるから悪いとか、コンピュータを使うからいい、という問題ではないのだそう。Kさんが言うには、日本人が直した部分の方がきれいなんだそうな(まあ、お世辞かもしれないが)。
確かに、こういう歴史ある建造物って理屈だけで造られているわけじゃないもんなあ。
NHKの「プロジェクトX」でやってた薬師寺金堂の修復でも、設計図が示す計算された正確な値と、職人さんが直感で言った理屈にあわない数値とで、実際には職人さんの数値の方が正しかった場面があったし。
そういう職人気質的な情緒がわかるあたりが、同じアジアの人間なんだろうか?
「ここより先は立ち入り禁止」みたいな柵があるところまで行って、バプオンの見学は終わり。何か特別なものを見た、という記憶はない。
中に入れれば、巨大な涅槃像を見ることができたそうな。かえすがえすも残念。

バプオン・近景。
クレーンが見える。 |

■ クロマーと貼り紙
空中参道を戻らず、わたしたちはバプオン前から北へ伸びる細い道を歩いていった。すると、女性がひとりで店番をしているお土産屋さんがあった。大きな横長の台の上に、「クロマー」と呼ばれる布がたくさん置いてある。
このクロマー、現地の子供たちが売りに来ると「スカーフ、スカーフ」と言っていたが、実際には日本の手拭いみたいなものである。
大きさは幅40cm、長さ1mくらい。さまざまな色の糸でチェックやストライプ模様を織り出していて、とってもきれい。
素材は木綿か絹。木綿だと1枚1ドル、絹だと3〜5ドルくらいだったかな?
カンボジアに来たらこれは買っとけ、というくらい有名なものでもある。
使い道は、首に巻いてよし、頭に巻いてよし、帽子に巻き付けてもよく、汗をぬぐってもいいし、顔を洗った後のタオルにしてもいい。
だからまさにスカーフというよりは手拭いなのだ。
地元の人は上手に頭や帽子に巻いていた。
白人の観光客はボーイスカウトのスカーフみたいに首に巻いたり、頭に海賊巻きにしたりしていた。
いずれもとってもかっこいい。
しかし、なぜかわたしがクロマーを首に巻くと、いきなりド田舎の「農民」になってしまった。
Why? そんなにもわたしの顔は農耕民族顔なのか? (T_T)
ちなみに、以前一緒に旅行に行った友人(銀)にクロマーをお土産にあげたら、ヤツはにくたらしいほど似合っていた。
そういやあいつは日本人顔というよりも、東南アジア顔だもんな。
人には似合い不似合いがあるんだな、と実感する。
何にせよ、今回の旅行のお土産はクロマーにする、と決めていたので、この店のお土産屋さんで10枚ほど買い込む。マダムもばんばん買い込んでいた。
クロマーの他にはTシャツやレリーフの拓本も売っていた。
拓本かあ。うーん、中国みたい。まあ、絶対ニセ物だろうけど(Kさんも「あれはニセ物」と言っていた)。
しかし、拓本&掛け軸大好きなマダムはほしかったらしい。
「こんなにクロマーたくさん買ったんだから、1枚おまけにほしいわぁ」と拓本を指差しながら言ったら、Kさんが通訳してくれてホントにタダで1枚デヴァター(女神)の拓本Get(笑)。
欲望はとりあえず1度口に出して言ってみるものである。

ホテルで撮影したクロマー |
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デヴァターの拓本 |
その後、空中参道と平行しているあぜ道みたいな道を、三人で歩いて戻る。
ふと道のそばに立つ木を見ると、濡れないようにビニール袋に入れられた
A4くらいの紙が貼り付けられていた。遠目にも人の写真と文章が印刷されているのがわかる。
「あれは戦争で行方不明になった家族を探すビラ」とKさんが教えてくれる。
戦争で行方不明になった家族を探すビラか・・・
でも、使われている写真は20年以上も昔のものなのだそうな。いちおう現在は戦争が終わって10年たつけど、それ以前も10年以上に渡って、写真1枚撮ることができない状態だったわけだ。
日本は戦争が終わって55年以上たつ。
でも、この国はまだ10年。
戦争はまだまだ身近になごりを残しているんだな、と頭ではわかっていたが、この時はじめて肌で感じた。

行方不明の家族を探すビラが木に貼ってある。
背後にバプオンの空中参道が見える。 |
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