『アンコール5日間徒然日記』2001年5月29日記

第21号
 3日目の7――午後もジャヤヴァルマン七世の遺跡から/
         スラ・スランとバンテアイ・クディ の巻
2000年10月29日 発行

 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥《アンコール遺跡群周辺図》‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

   北
   ↑
   ┼ 
   |         ┌―――――――――――――――――┐
   |         |┌┐┌――――――――┐┌―――┐|
       ┌―――――┘└┘└―…      └┘   ||タ・ソム
       |┌―――――――★―…       ★    ||★
   北大門→ ★     プリア・カン     ニャック  ||
 ■■■■■■||■■■■■■         ・ポアン   \\
 ■     ||     ■                 \\
 ■     |└――――――――――┐            ||
 ■バプオン |┌――┐┌―――――┐|            ||
 ■象のテラス||  || ■   |└―┐          ||
 ■など   ||  || ■   └―┐|     東メボン★||
 ■    ┌┘└┐ || ■     ||          |└―…
――――――┘┌┐└―┘└――――…  ||          |┌―…
――――――┐└┘┌―――――――…  ||          ||
 ■    └┐┌┘    ■     ||    プレ・ループ||
 ■ バイヨン||     ■     ||         ↓||
 ■     ||     ■     ||         ★||
 ■     ||     ■     |└――――――――――┘|
 ■     ||     ■     └―――――┐┌―――――┘
 ■■■■■■||■■■■■■          ||■■■
   南大門→ ★                 ↑||■■■
       ||        バンテアイ・クディ|| ↑
       ||■■■■■■           ||スラ・スラン(池)
       ||■┌――┐■           ||
―――――――┘|■| ◎ |■┌――――――――――┘|↑
―――――――┐|■└――┘■|┌――――――――――┘↑
 ←空港へ  ||■■■■■■||┌→→→→→→→→→→┘
       |└――――――┘|↑
       └―――┐┌―――┘↑ 今回の進路
           ||┌→→→┘
           ||↑
  シェムリアップへ↓||↑
           ||

※ 縮尺は適当です。どーみてもアンコールトムが大きすぎる・・・
※ ■は基本的に環濠を意味しています。
※ ◎はアンコール・ワットです。

 
 
スラ・スラン[Sras Srang]

 3時半前、スラ・スラン到着。
 車を降りて、海岸沿いみたいなさらさらの砂をしきつめた駐車場を歩いてKさんに連れられていくと、大きな長方形の池が見えた。おお〜、広いっ!

 この池がスラ・スランという遺跡だった。10世紀末に貯水池として造られ、 12世紀末にアンコール・トムを建造したジャヤヴァルマン七世によって護岸などが整備されたとのこと。

 Kさんが、「『スラ』は池、『スラン』は水浴の意味です」と言う。
 もともとは王さまが水浴するための池だったんだそうな。
 ふうん、これ全部がお風呂だったわけか。でかい風呂だな。

 ガイドブックを見ると、スラ・スランの大きさは東西700メートル、南北 350メートルとなっている。
 しかしこの池、Kさんが「湧き水ではなく、雨水だけの池です」と言っていた。

 へーえ、こんな大きな池が雨水だけでできているのか。
 こうしてこの池を見る限りは、水が豊富な地方なんだなあ。

 わたしたちがいた池の西側には石造りのテラスが設けられていた。これも 12世紀末のジャヤヴァルマン七世製。
 テラスのふちにはナーガ(蛇)の胴体を模した太い欄干がめぐらされていたが、壊れている個所の方が多かった。

スラ・スランのテラス
スラ・スランのテラス。
空の雲行きがあやしい。

 池の真ん中には、かつては石の建物があったんです、とKさんが説明してくれた。でも、今は壊れてなくなってしまったそうだ。
 池の中央に遺跡かあ。安芸の宮島みたい。

 西のテラスに立って東を眺めると、池の対岸にはわずかな大地が見えるだけで、すぐに白と灰色の雲で覆われた空へと風景が変わってしまっている。

 広い。そして何もない。

 ああ、わたし、とっても遠くに来たんだな。

 左手の岸辺でドンドコドンドコにぎやかなお囃子の音がする。Kさんに聞いたら、何やら仏教のお祭りをしているそうな。
 ふうん、どんなことをお祈りするお祭りなんだろう。

 詳しいことはわからなかったが、何かいいものみたな、という気分になった。

 バンテアイ・クディ[Banteay Kdei]

 「さあ、次の遺跡へ行きましょう」とKさんがスラ・スランに背を向けると、スラ・スランの駐車場の向こうに四面尊像を頂上にのせた迫り出しアーチの門が見えた。

バンテアイ・クディの入口
スラ・スランからふりかえるとある
バンテアイ・クディの入口

 おう、次の遺跡はこんな近くにあったのか。

 この遺跡の名前はバンテアイ・クディ。
 Kさんが、「『バンテアイ』は砦、『クディ』はお坊さんの意味」と説明してくれる。
 昔は1万人近くのお坊さんが住んでいたそうな。ふうん、規模の大きい遺跡なんだな。

 あんまりはっきりしないけど、いちおうジャヤヴァルマン七世によって12世紀末頃に建造されたと考えられているそうな。

 さらにKさんは、「2ヶ月ほど前に、この遺跡を掘ったら仏像がたくさん見つかったんですよ」と話してくれた。
 どうもヒンドゥー教徒に襲われて壊される前にと、お坊さんたちが仏像を埋めた跡だったらしい。

 へええ、そんなことが。
 そういやそんな話、中国のどこかのお寺でもあったなあ。あれは文化大革命で破壊されそうになった仏像を埋めたんだっけか?

 ちなみに帰国後調べたら、2001年3月に、バンテアイ・クディで上智大学の発掘調査によって破壊された石仏が103体見つかった、とのことだった。

 ということは、わたしはまさに掘りたてほかほかの遺跡に行ってたんだな。
 行く前に知っていれば、もっと感慨深かっただろうに。残念。

 話を遺跡に戻す。

 遺跡の門へ向かう途中で、ぱらぱらと雨が降り出してきた。
 ああ、雨の降り出しそうな空だとは思っていたけど、ついに降ってきたか。

 わたしは傘を持ってこなかったが、どうせ片手にデジカメ、片手にメモを持っていたから、傘を持つ余裕はない。
 頭に雨よけとしてクロマーをのせ(完璧農民スタイル)、ぬれるのも一興とそのまま行く。

 門に近づくと、遠くからははっきりとしなかった四面尊像の表情がはっきりくっきりと見えてくる。
 門をくぐると、裏の壁には大きなガルーダのレリーフがあった。午前中に見たプリヤ・カンのガルーダも大きかったが、ここのガルーダも大きかった。

 門をぬけると眼前には森が広がる。その木立の間から遺跡が見える。
 ああ、かつて一度失われた遺跡って感じだ。

 雲の厚い空から、雷鳴が聞こえてきた。う、落ちないだろうな。

 ざあぁあぁっ、と激しい雨の降る音がする、と思ったが、わたしの頭や肩を叩く雨はそれほど強くない。

 なんだ? と思って見上げたら、頭上の木々の葉が大きくゆれていた。ああ、葉擦(はず)れの音か。ここの遺跡も木々が深い。

 その木々の間をぬけて遺跡の建物にようやく到着。

 午前中に見た最後のふたつの東メボンとプレ・ループは、ピラミッドのように高さのある遺跡だったけど、ここは午前中に見たほかの遺跡、プリア・カンやタ・ソムに似て、平面に建物が並べられている。

 建物の前には、スラ・スランと同じナーガの胴体でできた欄干をはりめぐらせたテラスがある。
 欄干は、やはりほとんど落ちてしまっていたが、突端のナーガの頭部分や所どころにすえられたシンハーはよく残っていた。

バンテアイ・クディ、建物入口
バンテアイ・クディ、建物入口

 建物の中に入る。すると、オレンジと金色の衣をまとった仏像がまつられていた。周囲にはきらきら光る紙でつくられた法輪塔のようなものがたくさん飾られている。
 おお、アジア。

仏像
周囲がとにかくきらびやかな仏像

 しかし、塔門の上の四面尊像とはずいぶん顔が違うな・・・と思っていたら、この仏像の頭はKさんいわく「ニセ物」なんだそうな。
 ふうん、頭だけ後世の作ってことかな?
 まあ、仏像を埋めて守らなきゃいけないような時代を経験しているお寺なんだから、そのまま残っている仏像なんてほとんどないのだろう。

 建物内をどんどん進むと、この遺跡もかなり崩壊が進んでいることがわかる。
 あちらこちらに材木でつっかい棒がなされ、所によっては石を積み上げてできた円錐形の塔を、これ以上石組みがゆるまないようにヒモ(!)でしばりあげているところもある。
 はあー、必死だな。

ヒモでしばりあげた塔
ヒモでしばりあげた塔

 碁盤の目状に造られた遺跡の中でふと足を止めると、いつもなら合わせ鏡のようにはるかむこうまで続く門と壁が、この遺跡ではちょっと違う。
 というのも、壁そのものに歪みが出ていて、壁の一番端っこの方は、はがれたポスターのようにたわんで前に倒れてきているのだ。

 うわー、こりゃ地震がきたら一発で崩れるな。


奥の建物が、
たわんで前に倒れてきているのが
わかりますか?
 
崩壊が激しい建物群

 実際、崩落してくだけた石が、そこここに折り重なっていた。

 壁に彫られている美しいデヴァター像も、いつかああして崩れてしまうのだろうか。

 歩いている内に、雨の降りが強くなってきた。しかし、建物はほとんど屋根が落ちてしまっており、雨宿りはできない。

 雨は降るが気温は高い。
 だから、石と石の隙間の地面からは、熱気がぶわっとあがってくる。

 しかしその雨も、遺跡を西の端まで歩いたらやんでしまった。さすがスコール。
 空はすでに明るく、日もさしていた。

 遺跡の西にも木が多い。
 ふと木々を見上げると、木の上に落ちた種が育ったのだろうか、紫色の蘭の花が咲いている。きれい。

 西の門には、地についた剣に両手を重ねておいた門番のレリーフがきれいに残っていた。
 これだけ建物が崩れ、荒れ果てていても、いぜん門番はこの寺院を守りつづけているようだった。

おわり
 

  編集後記 

 
 はい、スラ・スランとバンテアイ・クディでした。

 スラ・スランも、けっこうお土産売りの子どもにまとわりつかれたような記憶があるんですよね。
 でも、バンテアイ・クディに入ったら付いてこなかったのでほっとしました。

 バンテアイ・クディの、ヒモでくくった石塔というのは、見るとなかなかショックです。
 まさに、崩壊の速度に修復が追いつかない、という感じでした。

 それではまた次号でお会いしましょう。
 


3日目の1――朝の町をぬけて/アンコール・トム北大門 の巻
3日目の2――白い首長竜がいる遺跡/プリヤ・カン の巻
3日目の3――風にのる伝統音楽を聞きながら/ニャック・ポアン の巻
3日目の4――カンボジアのゴムの木とは?/タ・ソム の巻
3日目の5――双子のように似た遺跡/東メボンとプレ・ループ の巻
3日目の6――お昼ご飯はフレンチにて休憩 の巻
3日目の7――午後もジャヤヴァルマン七世の遺跡から/
              スラ・スランとバンテアイ・クディ の巻
3日目の8――緑と白の遺跡/タ・プローム の巻
3日目の9――20分で4つの遺跡はやまわり の巻
3日目の10――アンコール・ワットで君は何を見たか? の巻
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