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■ タ・ケウ[Ta Kev]
午後5時、タ・プロームを出る。
次はタ・ケウという遺跡に向かう。ここもタ・プロームから至近の距離にある。よってあっという間に到着。
午後に見たバンテアイ・クディやタ・プロームの建物は、車道からは見えない位置にあったが、タ・ケウは道を走っている途中、車の中からも見えた。
広々とした草原の中に、遺跡がぽつんと建っている。

タ・ケウ |
ここは午前中に見たプレ・ループや東メボンと同じで、ピラミッドのように高さのある建物だ。
階段状の基壇の頂上に、わたしたちのいる西側からは3つの塔が見える。
タ・ケウは975年にジャヤヴァルマン五世が建造に着手したヒンドゥー教の寺院。
Kさんによると、タ・ケウは硬い石(この場合は緑石砂岩)でできた、あまり彫刻のない遺跡だそうな。
というのも、建造主のジャヤヴァルマン五世が途中で亡くなったりしたせいで未完成のままだかららしい。
その言葉通り、彫刻がなく、石の表面が平らなままのせいだろうか、タ・ケウはコンクリートの建物のようにつるんとした感じだ。
石は緑石砂岩を使っているとのことだが、この時は夕日を浴びていたせいで、建物は全体的に明るいオレンジ色に見えた。
タ・ケウの内部は立入禁止なので、車から降りて外側だけ眺める。
遺跡の手前に赤い看板がある。白い文字が見えるので何て書いてあるのかKさんに訊いたら、「立入禁止 罰金4000F」だそうな(笑)。
(※Attention! Fの意味は不明。フランス・フランでいいんだろうか?)

入ったら罰金です |
でも、白人の男性が小さな女の子ふたりに案内されて、タ・ケウ内を歩いているのを見た。
ガイドさんに連れられて、効率よく解説を聞きながら遺跡をめぐるのもいいけど、ああして気楽に個人で遺跡を歩くのもいいな、と思った。
■ 橋
タ・ケウは外から眺めるだけなので、あっという間に退却。
メモには「5:07 OUT」と書いてあるので、遺跡の前じたいには5分もいなかったんじゃなかろうか。
ま、それはともかく車に乗って、ふたたび左右にジャングルの広がる道を進む。
すると、途中に川があった。Kさんがシェムリアップ川だと教えてくれる。
川があるので当然橋を渡る。
橋と言ってもしっかりした橋ではなくて、何かの上に板を渡しただけみたいな、非常に簡素な造りの橋だ。
渡る時、けっこう車がガタガタゆれた記憶がある。
その後しばらくすると、道の右側、緑の木立の中に、石を積み上げてできた低くくて厚い壁のようなものが、1メートルはない間隔でたくさん平行に並んでいるのが見えた。
何だろう? 橋げたみたい――というわたしの印象は正解。
Kさんは何も言っていなかったと思うが、これはスピアン・トマ[Spean Thma]という、アンコール時代の橋の遺跡だったのだ。
「Spean」は「橋」という意味なので、これは「トマ橋」ということになるようだ。

スピアン・トマの橋桁 |
この時わたしが見ていたのは橋桁の一部、それも上部だけで、ホントはもっと大がかりな迫り出しアーチの連なる橋桁なのだそうな。
ううん、すごいっ。
アーチがひとつでも感動するのに、迫り出しアーチが連なっている橋脚なんてすごすぎる。
まあ、今回の観光ルートには含まれていないので仕方がないが、見られたらよかったな、と思った。
■ トマノン[Thommanon]
橋を渡ったあとしばらく車で行くと、ジャングルの中に開けた広場のようなところがあり、そこで車は停車した。ここも前の遺跡、タ・ケウから激近である。
車を降りてふと視線を向けた先にトマノンがあった。
広場の奥、ジャングルを背景に、ひっそりとたたずんでいる。

トマノン。周囲に人は少ない。 |
Kさんがその反対側、道の向こうを指差すと、そこにも同じようなかたちの遺跡があった。
こちらはチャウ・サイ・テウダ[Chau Say Tevoda:チャウ・サイ・テボーダ、チャウ・サイ・テヴォーダとも]という遺跡だそうな。
ぱっと見には、ああ痛んでいるな、という印象を受けた。
どちらも12世紀初頭、アンコール・ワットを作ったスールヤヴァルマンニ世の治世に作られたとのこと。
トマノンはフランスによって修復済みだが、チャウ・サイ・テウダは中国による修復が現在も進行中らしい。
中国による修復か・・・何か意外。
――ってゆーか、自国の遺跡の修復を急げ、中国。埋め戻したり水に沈めたりしてる場合じゃないぞ。
修復中だからなのか、チャウ・サイ・テウダは見学はしなかった。
今考えてみると惜しい、と思うが、Kさん的にはこの後わたしたちをアンコール・ワットでのサンセット観光に連れて行かなきゃいけなかったので、時間がなかったのかもしれない。
まあ、午後は日没までを考えると3時間くらいしかないのに、あちこち行かなければならないからな。余裕がないのか。
やっぱ3日間くらいじゃひとつひとつをじっくり見るのはきついんだなあ。
さて、トマノン。
白い巨木がぽつぽつと生える広場の草地の中にできた道を通って遺跡へ近づく。
広場にぽつんと、しかし偉容を誇りながら建っているせいだろうか、この遺跡はまるで野原に置き去りにされた機関車みたいだ。
周囲が暗くなり始めているせいもあるのだろうけど、雰囲気はちょっとさみしげ。
トマノンの建物の形は、今日これまで見てきたどの遺跡ともちょっと違う。
それぞれの建物は地面の上に平面状に並べられているのだけど、建物の床部分がとても高いところにあるのだ。
それに対して今日見てきたプリア・カンやタ・ソム、バンテアイ・クディやタプロームといった平面構造の遺跡の建物は、どれもほぼ目の高さにレリーフがある。
あとで考えて気づいたが、これはアンコール・ワットの建物と同じなのだった。
アンコール・ワットは建物内に入れるのでそれほど違和感なかったけど、確かに地面から第一回廊を見るとかなり高い。
そか。ここはアンコール・ワットを作ったのと同じ王様が建てた寺院だもんな。そういうつながりがあったのか。
「この遺跡は天女がきれいです」とKさんが言ってくれるのだけど、そのデヴァター(天女)のレリーフはどれも高いところの壁にあり、とても見づらい (笑)。
建物にのぼれれば目の高さにあるんだろうけどなー。でものぼってはいけないようなのだ。残念。
(※Atteniton! でも帰国後、あちらこちらのサイトを見たら、建物内の写真を撮っている人がいた。OKなのか?)
というわけで、トマノンの中央祠堂で撮ったわたしのデヴァターの写真は、どれも下からのあおり写真である。
うううっ、正面から撮りたかったよう(T_T)。

ああ、見づらいっ。
いちおう柱にデヴァターがいるの。
近くによって撮れないのが残念。 |
しかしKさんの言うとおり、ここのプリーツスカートのデヴァターはどれも美しかい。
ああ、正面から見たい、近くで見たいっ!
恨みを晴らすかのように&シロウトは数が勝負っ! とばかりにばしばし写真を撮りまくる。
それにしてもこのデヴァター、身体は正面向いているのに、足だけ横向きだな。
足(足首より下)を正面から描写する文化というか技術というか概念というかが、この時代にはまだなかったのだろうか? それともそういう様式なのかな?
(※Atteniton! あとで写真を見直したら、アンコール・ワットのデヴァターもそうだった)
ちょっと離れたところにある経蔵にも目を向ける。
建物の基壇部分に、きれいな文様の装飾があった。
「これはみんなカンボジアの植物をレリーフにしています」とKさんが言う。

経蔵 |
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基壇に刻まれた花の文様 |
これは何ていう花で、これは何ていう名の実で・・・と教えてもらったのだが、うっかりメモに書き留めるのを忘れた。惜しい。
マダムは植物好きなので、おぼえているかもしれない。
外側からのみだけど、トマノンをじっくり見て(と言っても記録を見ると 10分くらいだ)、5時20分、車に帰る。
この遺跡の敷地内の木にも、あの戦争で行方不明になった人を捜し求めるビラが貼られていた。
同じ人の写真かな・・・
いろんな歴史が、ここには混在していた。
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