ベートーヴェン作曲  《交響曲》第9番 ニ短調 《合唱付き》 op.125(1822〜1824年)

●ベートーヴェン 「交響曲」第9番 ニ短調 作品125「合唱」

ルチア・ポップ(ソプラノ)  
キャロリン・ウォトキンソン(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール) 
ローベルト・ホル(バス)
オランダ放送合唱団
王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク指揮


フィリップス PHCP-1674
 
●ベートーヴェン 「交響曲」第9番 ニ短調 作品125「合唱」
ベートーヴェン  「コリオラン」序曲 作品62
リン。ドーソン(ソプラノ)  
ヤート・ファン・ネス(アルト)
アンソニー・ロルフ・ジョンソン(テノール) 
アイケ・ビイルム・シュルテ(バス)
リスボン・グルベンキアン合唱団
18世紀オーケストラ
フランス・ブリュッヘン指揮


フィリップス PHCP-10509
 
●ベートーヴェン 「交響曲」第9番 ニ短調 作品125「合唱」

アンネ・シュヴァーネヴィルムス(ソプラノ)  
バーバラ・ディヴァー(アルト)
ポール・グローヴズ(テノール) 
フランツ・ハヴラタ(バス)
東京オペレシンガーズ
サイトウ・キネン・オーケストラ
小澤征爾指揮


フィリップス UCCP-9424

ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)は、ドイツの作曲家。古典様式の大成したという位置づけであるが、ロマン派への橋渡しとも言われる。

ドイツ・ボンに生まれ、音楽家の家系であり小さい頃より、音楽教育を受け、鍵盤楽器等の楽器を学び、作曲もするようになる。演奏旅行などもしながら、やがてヴァルトシュタインの助力で、1792年ウィーンへ出る。モーツァルトの死後1年であり、当時の第一人者・ハイドンに入門。やがていろいろな音楽家に教えを受け、その後も演奏に作曲にと活躍するようになる。

30歳頃から耳鳴りが消えず、苦悩する。1802年には、ウィーン・ハイリゲンシュタットで遺言までしたためた。しかし、その不幸にめげず、創作力は高揚、エロイカ交響曲、オペラ「レオノーレ」、運命、田園交響曲を書くにいたる。
9つの交響曲を残したが、第8番から第9番までの約10年間は、ピアノソナタや宗教曲を意欲的に書いていた。そして「ミサ・ソレムニス」の完成後、徐々に交響曲作曲へ傾倒、1年をかけて第9番を書く。最後の交響曲となった第9番の後は、弦楽四重奏曲を書き続けるものの、1827年、56歳で息をひきとる。

ベートーヴェンの作品は、オペラ、9つの交響曲など管弦楽曲がよく知られるが、室内楽曲やピアノ作品の数々が忘れられない。しかし、彼の晩年の作品でもある最後の交響曲が、この第9番である。

1822年、彼が52歳の時、ロンドンのフィルハーモニック・ソサエティに交響曲の作曲の依頼を受ける。しかし、それに至るまでに、新交響曲への構想はあったようである。そしてついに前例を見ない、合唱付の交響曲作曲に踏み切ったのである。
この4楽章の合唱は、シラーの詩「歓喜に寄す」をテキストにしており、曲名も「シラーの頌歌「歓喜に寄す」による終末合唱を持つ交響曲」が正式なもの。もともと、学生時代からこの詩には心寄せており、長年温めていた構想であったという。この人類愛と歓喜を歌い上げたシラーの頌歌を交響曲に取り入れた記念碑的作品である。

なお1824年の初演は、耳の聞こえないベートーヴェンが指揮(実際にはウムラウフ指揮、コンサートマスターのシュパンツィッヒらが補佐をした)、演奏は不十分だったようであるが、作品の素晴らしさに大成功であったという。演奏が終わって熱狂し拍手をおくる聴衆に対して、ステージ上のベートーヴェンには拍手が聞こえない。それをアルト独唱のウンガーが作曲者の袖をひいて聴衆の方へ振り向かせたという。

《第1楽章》
ニ短調。冒頭部は第3音を書く、完全5度の空虚なハーモニーで始まる。大変神秘的に開始、やがて強烈で、奮闘するような第1主題、おだやかな変ロ長調の第2主題を持つ、ソナタ形式である。

《第2楽章》
ニ短調。テンポの速いスケルツォである。それまでの交響曲は急速な1楽章に対して、2楽章は緩叙楽章を置いてきたが、こういう形の曲想はベートーヴェンが初である。熱狂的な乱舞のようである。

《第3楽章》
変ロ長調。変奏曲の形で書かれている。1、2楽章とテンポも速く激しい感じであったのが、ここで静かになり、美しいメロディが連なる。愛、憧憬といったものを連想させる。

《第4楽章》
これが最も壮大で、華やか、しかも4人の独唱と合唱が加わる大規模なカンタータ的楽章。しかも1、2、3楽章の旋律を引用して否定するというアイディア、これもこの曲の持つ大きなテーマと結びついている。
ニ短調の冒頭は、まず管楽器とティンパニのみの大変激しい「問い」。続いて弦楽器のみの「答え」。この問いは「歓喜」を示すともいうが、答えで否定する。やがて奮闘するような第1楽章が登場し、弦楽器によって否定。続いて、熱狂的な第2楽章が登場し、再び弦楽器によって否定。そして、憧憬をあらわすような第3楽章が登場するが、やはり弦楽器によって否定される。
そして、歓喜とはこれだと言わんばかりに、あのメロディが静かにチェロとコントラバスによって無伴奏で奏される。
そして再び冒頭の激しい「問い」に対して、バリトン独唱が「オ!フロイデ!」と、まずベートーヴェン自身の言葉で「おお友よ、この調べではなく、さらに楽しく、喜びに満ちた歌をうたおう!」と歌った後、いよいよシラーの「フロイデ シェーネル ゲッテル フンケン…」つまり「よろこびよ、美しい神の火花よ 楽園に生まれた乙女よ…」と、有名な24小節の主題を歌う。そして合唱が入り、高らかにコーラスを歌い上げる。そして、徐々に独唱が加わり、合唱と対話するように、そして曲は変奏しながら壮大に展開していく。
中間部は変ロ長調になり、行進曲風にテノールソロと男声合唱が高めていく。
次にト長調になって、ゆったりとした3/2拍子になって、「ザイト ウム シュルンゲン ミリオーネン」と「もろびとよ、抱き合おう…」を朗々と歌う。その後、合唱は「よろこびの主題」と「抱き合おう」の二重フーガとなる。
最後は、ニ長調で、テンポを上げ、四重唱が「ダイネ ツァーベル ビンデン ヴィーデル」を反復し、合唱も加わり、盛り上げる。そしてテンポをさらに上げて、高らかに歌い上げ、「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン!ゲッテルフンケン!」と絶叫して曲を閉じる。


ベートーヴェンの第9交響曲といえば、日本では年末のコンサートの恒例行事となっています(外国ではそうでもないそうです)。どうしてそうなったのかは、諸説あるようですが…。
わたくしがアマチュア合唱団に所属していた時、ピアノ伴奏ではありましたが歌う機会がありました。
今でこそ、いろいろな合唱団だけでなく各自治体で合唱団員を募っての演奏会も増えましたが、この曲は決して楽な歌ではないです!
当然テキストはドイツ語ですし、音域も広いです。そして早いパッセージも多く、終わり頃のテンポがプレストになったあたりの動きは、どう考えてもコーラスのメロディというよりは、弦楽器の動きじゃないか?と思わせるところがあって苦労しました。

しかし歌ってみて、また生演奏を聴いてみて、この曲が感動を与えるのは間違いありません。このテーマ「歓喜」というものをベートーヴェンがどんな風に考えたのかな…などと想像しながら歌うと(…いや!そんなことを考えながら歌えるような曲ではないですが…)、ひとしおです。

なお日本での初演は、大正13年11月29、30日、東京音楽学校で、指揮はクローン、独唱は長坂好子、曾我部静子、沢崎定之、船橋栄吉。ウィーン初演から100年後だったといいます(この船橋栄吉は、「牧場の朝」の作曲者!)。<2003.1.1>