松本編

 私の一人旅は、ここから始まりました。松本といっても、メインで訪れた場所は『安曇野』でした。「なんか旅にでもいこうかな」と思い立ち、最初の地として安曇野を選んだのですが、宿がどうしても取ることができず、しかたなく近くにあった「松本」を宿の地としたのです。
 まず、私が行った場所は、なんと松本電鉄の最終駅『新島々』でした(いまさらながら何で?)。そこからバスに乗って30分ほどにある『水殿ダム』近くで下車。そのとき、一緒に一人の男の子が下車しました。私は、その子に声をかけられました。


     男の子:どうしてここでおりたの?
     わたし:うーん、ちょっとね。いい景色だったからさ。
     男の子:ふーん・・・。


 男の子は、そのまま去っていきました。軽蔑の目をして(怒)。
 そこから私は、『新島々』駅まで徒歩で戻りました。徒歩で戻るなんて人、私ぐらいなものです(バスの運行時間が少ないんだもん、1〜2時間も待ってられるか!)。その途中で見える紅葉に、私は思わずシャッターを押しました。

『新島々付近の紅葉』
 『新島々』駅に着いたときには、足がパンパン、あちこちに水ぶくれ。「歩いてねえなあ・・・」と実感(運動不足か、それともMTBの乗り過ぎか?)。足の痛みから、これ以上の散策を断念し、そのまま宿泊先のビジネスホテルへと向かったのです。
 二日目、いよいよ目的の『安曇野』に向かって旅立ちました。大糸線に揺られること約30分、『穂高』駅に到着。早速、近くにある『穂高駅前観光案内所』に赴き、色々と資料を入手。そして、レンタサイクル『しなの庵』にて自転車を借り、さっそうと穂高の町を飛び出しました。
 まず最初に訪れたのは、『大王わさび農場』というわさび田。日本名水百選のひとつに認定されている涌き水を使用して栽培されているわさびが、15万uにわたって広がっていた。そこで、私は『わさびソフト』を食べながら散策。まあ、若い人は私くらいのもので、周りはみな、おじちゃんおばちゃんの観光客だらけ。散策途中で『わさび漬けの作り方教室』なるものがあった。試してみたかったのだが、時間が無く断念。そこでのおみやげとしてわさび漬け、『わさびワイン(白)』を購入。
『大王わさび農場のわさび園』
 『大王わさび農場』を後にした私は、かなりの遠出をし、『池田町ハーブセンター』を訪れた。何故、ここを訪れたのかというと、出発前に会社の後輩が不眠症だと聞き、それならハーブが効くのではないかと考え、ここを散策リストに加えたのだ。この周辺には、約100種類のハーブが栽培されており、そのためかほんのりハーブの匂いが心地よかった。館内では、ハーブ商品(リース、ポプリやクッキーなどのお菓子類)が売られており、そこで『ハーブソフトクリーム』を食べる(またかいっ!)。
 そこを離れ、しばしチャリンコでゆっくりと安曇野の雰囲気を満喫。『北アルプスパノラマロード』をゆっくりと進む。線路をまたぎ、山側に向かって進む中、何気なくパシャリ。
『アートヒルズガラス館へ向かう途中』
 自転車はすすみ、『穂高IMAXシアター』に到着。残念ながら、ここで常時上映されている『信州シンフォニー』を見るには時間が無かったが、その分、敷地内にある『アートヒルズガラス館』に立ち寄り、そこにある見事なガラス製品で目の保養。工房もあり、作業風景が見学できた。さすがにこわれたらと思い、そこでのみやげ購入は断念。
 自転車はさらにすすみ、『安曇野ジャンセン・塚原美術館』へ。アルメニア人の画家ジャン・ジャンセンの作品を中心に展示してある美術館で、遠くに行くと必ず美術館を訪れる私は、無言で作品を拝見した。映像展示も行っており、係員に勧められるまま観賞。暗い雰囲気の作品だったが、なにか心に残る、そんな感じを残し、隣にある『レイヨンヴェール』にて小休憩。店内にも作品が展示されており(誰の作品かは不明)、落ち着いた雰囲気の中、私はコーヒーとチーズケーキのセットをいただく(店内の従業員、私はきれいだと思った)。
 夕方になり、そろそろ松本へ引き返そうと思ったとき、『碌山美術館』を発見。「よっしゃ、入っていこう」と思ったが、よく見ると閉館時間となっていた(涙)。そのままレンタサイクル近くにある『穂高神社』を訪れる。そこで、交通の守り神と聞き、早速交通安全をお願いする(翌年、交通事故にあい、7万円もの修理代を支払うはめになってしまう・・・)。これにて、2日目は終了となる。
 3日目、最終日。ビジネスホテルを出た私は、列車出発までの間、松本市にある名所を散策。最初はもちろん、有名な場所『松本城』へ。
『松本城』
 城内に入り、2階に上ると、火縄銃を中心とする銃と鉄砲関係の資料を展示していた。それを見つつ、一番の上の天守閣まで上り、そこから見える松本市内の眺望を堪能(冬に来たら、もっといい景色になるんだろうな)。ただひとつ気になったのが、天守閣までの階段が急すぎること。踏み外したら、えらいことになりそう。
 そこから10分ほど歩いていくと、『旧開智学校』が見えてきた。
『旧開智学校』
 明治9年から昭和38年まで小学校として使用されていた建物で、その内部には明治初期からの教科書などが展示されていた。「サイタサイタサクラガサイタ」。昭和初期の小学校の教科書にあったこのフレーズ、歴史か何かの授業で見たものを、実際の目で見ることが出来た。
 その後は、おみやげを買いーの、ぶらぶら歩きーので時間をつぶし、午後の特急で家路につきました。


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