会津若松編
| 11月は私の誕生月ということで、休みをとろうと思っていたのですが、運悪く取ることができず、急遽11月3〜5日の3連休に行くことを決めました(旅の出発日の1週間前)。紅葉シーズンとばっちり重なったせいもあり、宿はビジネスホテルしか取れず、思わず涙(ああ、温泉、温泉に入りたかったよーっ!!)。 そして11月3日、福島県会津若松に向かって出発しました。新幹線で郡山に向かい、そこから磐越西線に乗換え、会津若松へと行くルートに決めていました。 その途中の郡山での出来事。郡山で昼食をと「まつたけ弁当」を売店で買い、近くのベンチに座って食べていると、カメラを持った人たちが大量に横を通りすぎました。「カメラ小僧の集団だ・・・。何かあるのかな?」と思い、残りの弁当をすばやくかきこみ、その団体についていきました。 プラットホームに着くと、団体さんは一斉にある方向に向けてシャッターを押していました。そこには、『オリエントサルーン』という列車が止まっていました。先頭車両に掛けられている看板を見て、どうやらこの車両が最終運転をするらしく、団体さんはその勇姿を撮ろうとやってきたのだろうと思いました。 すいません、団体さんと一緒に撮ってしまいました(決して鉄道マニアではありません。誤解なさらぬよう…)。 |
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| 郡山駅から磐越西線に乗換え、一路会津若松へ。のどかな風景が辺りに広がり、私の目を楽しませてくれた。この磐越西線のほとんどの駅が無人駅で、乗る人はほとんどなし。私が乗った車両も5、6人乗っているくらいだった。 そして電車に揺られること約1時間20分(特急ビバあいづだと約1時間、ちなみに私は乗っていない)、目的地の『会津若松駅』に到着。そこからちょこっと周ろうかなと思ったのだが、いかんせん時間がなく、そのままビジネスホテルへチェックイン。 夕食は外で食べようと決めていた私は、旅の三大目的の一つ、『わっぱ飯』で有名な『田季野』へ。だが、「ウソ……」、空いてなかった。満席のため食べることができなかった私は、その近くにあったラーメン屋で『会津若松ラーメン』を食べる。「どうせラーメンを食べるのだったら、喜多方に行って食べたかった・・・」、私はその夜、くやしさに枕を濡らしたのだった(ウソ)。 |
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| 2日目、ちょっと早めにホテルを出た私は、会津若松駅のコインロッカーに荷物を預け、バスの案内所で『あいづフリー乗車券(1日券)』の券を購入(これを観光施設の窓口に提示すると、団体料金で入ることができるのだ)。そして早速、バスに乗り込み、最初に着いた先が『旧滝沢本陣横山家住宅』。会津戦争時の政府軍の砲弾や刀の傷痕が生々しく残っており、かなりの激戦であったことが感じられた。 |
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| そこから歩くこと約五分、飯盛山近くにやってきた。このあたりになると、観光客がどっと増える。この観光客のなかに若い人も多く(自分も若いんだけど…)、久しぶりに年齢層にあった場所を選んだかなと実感。 まず、ふもとにある『白虎隊記念館』を訪れる。そこには、会津戦争で使用された武器や防具などが展示されており、日本テレビで年末に放映された長編時代劇『白虎隊』のパネルも展示されていた。この時代劇を見て幕末の歴史に興味を持った私の感想、「この時代劇、なつかしい…。あ、里見浩太郎に森繁久弥も出ていたんだよなあ…」。 まあ、それはともかく、『白虎隊記念館』、『白虎隊伝承史学館』を訪れたあとは飯盛山にある『白虎隊の墓』に向かう。飯盛山に登るには階段もあるが、お金を払えば『スロープコンベアー』もある。私以外は、皆階段を登っていた。 上に着くと、白虎隊が鶴ヶ城を見下ろしたという場所があり、そこから城下をパシャリ。 |
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その後、白虎隊の墓にも訪れ、お線香をあげる。そして、パシャリ(心霊写真は写ってないよ)。
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そして、飯盛山を下りていくと、なにやら摩訶不思議な建物を発見。『さざえ堂』と呼ばれる六角形の堂で、寛永8年(1796)に建立されたもので、堂内には観音様がまつられていた。内部のらせん状の階段を登っていくと、いつのまにか下りの回廊になり、出口に抜けるようになっている。世界に2つとない構造の建物らしい。
資料館でみたあまりの凄惨さに少しブルーになっていた私を救ってくれたのが、飯盛山近くにある『会津駄菓子資料館長門屋』だった。 |
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幼少の頃、よく買った粉ジュースや板ガムを見ることができ、感動。買いたいとはおもったのだが、さすがに置いていなかったのは残念。2階は資料館、1階は販売店になっており、そこでおみやげを購入。もちろん、駄菓子セット。
再びバスに乗り、着いた先は『会津武家屋敷』。2万3000uもの広大な敷地に、藩政時代の建物や資料を展示した観光施設で、かなりの人でにぎわっていた。 |
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そこにあるお休み処『今様』で一服。そこで武家屋敷に広がる紅葉を見ながら、和菓子と抹茶をいただく。
そして昼食、『会津武家屋敷』から歩いて5分のところにある料理屋でとる。メニューは、奥会津の『手打ちそば』と『田楽』。ここで、会津の郷土料理、二つ制覇。 昼食後、少し歩くと『天寧寺』というお寺がある。ここには、新撰組隊長『近藤勇』の墓があるときき、早速お参りに(新撰組ファンの人は、必ずお参りに行くべし)。お墓は小高い丘の中にひっそりと立てられていた。草葉の陰から、稽古にあけくれていた道場のあった日野の空気を感じ取ってくれたことと思う。この場は、写真を撮らずに、次の目的地へと向かった。 『天寧寺』から歩くこと約10分、『御薬園』に到着。 |
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ここは、日本風の植物園で、池泉回遊式庭園として整備されたもの。約400種もの薬草が、目を楽しませてくれるものなのだが、いかんせん今は秋から冬にかけて季節、ほとんど枯れている状態。ここには数奇屋造りの茶室があり、そこで抹茶(この日、2杯目)をいただき、出口近くの売店で『伍代茶』を購入。このお茶は、かすかな甘味があり、飲みやすいのでおすすめ。
そして『鶴ヶ城』に向かう途中、くだもの屋を発見。親から「リンゴを買ってきてくれ」と頼まれていたこともあり、そこで買うことにした。店内に入ると、感じのいいオバさんが接客。すると、奥から一人、また一人とやってきて、3人が私1人を接客するようになっていた(このときは、さすがにびっくりした)。宅急便の手続きを終え、店を出ようとすると、店長さんが「これ、おまけね」といって、リンゴが4つ入った袋をくれた。店長さん、あんた本当にいい人だーっ!!私は、リンゴを一つかじりながら、『鶴ヶ城』に向かった。 『鶴ヶ城』の途中に『福島県立博物館』を見つけ、中に入ろうとしたが、入口に貼ってあったポスターを見て、動けなくなった。何故って、『英雄たちの系譜』と書いてある周りにウルトラマンたちが並んでいるんだもん。福島まで来て、ウルトラマンを見るなんて…、けど見ちゃった(笑)。 まあ、そんなこんなで、やっと『鶴ヶ城』に到着した。 |
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ここで観覧券を買い(500円)、天守閣へ。そこは観光客でごったがえしており、苦労してやっと外を見ることができた。その風景を写真に収めました。
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城内には、戊辰戦争などの資料が飾られており、それらを見ながら下へと下りる。そして、近くにある茶室『麟閣』にてこの日3杯目となる抹茶をいただく(飲み過ぎだっちゅーの)。
そして追手門から『鶴ヶ城』を後にした私は、最後の訪問地として『会津酒造歴史館』を訪れる。ここは『鶴ヶ城』から歩いて5、6分のところにある。ここでは、日本酒が出来るまでの工程、お酒の種類の違いなどを係の人が丁寧に説明してくれる。後は、館内をぐるりと見学。その中には、会津では有名な『小原庄助さん』のコーナーまであった。『小原庄助さん、朝寝朝酒朝湯が大好きで・・・』、こんな文句を聞いたことがあるとおもいますが、その伝説の人物です。その他、酒の飲み方で判る性格という掲示もあった。みなさんの周りに『唇をなめながら話しをする人』はいませんか?・・・その人は、性的不満らしいです(笑)。 見学が終わると、地酒のきき酒コーナーがある。そこで、にごり酒の『みやいずみ』をいただいたのだが、そのときの飲み方が変わっていた。何と、にごり酒のサイダー割りである。それがまた、飲みやすい。女性には、ぴったりの味わい方かもしれない。この飲み方に感動した私は、おみやげにと『みやいずみ』を2本購入。そして、2日目の旅は終わった。 |
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| 3日目は、帰りの電車までほとんど時間がなかったため、おみやげにと出発前から寄ろうと決めていた場所、『五郎兵衛飴総本舗』を訪れる。ここの飴は、何と800年の歴史を持つもので、もち米と麦芽を原料としたシンプルなものである。その飴が入っている箱が、なんとも言い難い。そこで、水あめと18個入りの飴を購入した(ちなみに、家族たちの反応は「飴のようで飴でない、グミのようでグミでない。よくわからん」だった)。 購入後、電車に飛びのリ、会津若松を後にしたのでした。 |
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