花巻・遠野・盛岡編(その1)

 2月に飛騨高山に行ってから、「一人旅に行きたい、行きたい」と思っていた。夏休みも何時取れるのか、そう思いながら一日一日を過ごしていた。
 そして、7月に予定を決定、8月に予約を取ったのだが、かなり予定と食い違ってしまった。今回の旅は『(車中1泊してるけど)2泊3日の旅』とでも言いましょうか。まあ、前置きはその辺にして。

 23日(木)、仕事を何とかギリギリで終わらせた私は、深夜バスに乗り遅れそうになり、正直泣きそうだった。自宅に戻るまで「出発は11:30」と思っていたのが、何と11:00!!30分も前だったのだ。何とか、出発10分前に池袋にある、深夜バス停留所に着くことが出来た。
 まあ、夏休みということもあるのだろうか、結構人が乗り込んでいた。私の席は、前から2列目の窓側。バスは出発後、設備に関するビデオが流された後、すぐに消灯。あまり寝心地が良くないが、なんとか眠ろうと必死だった。だけど、1時間に1回のペースで目を覚ましていた。
 翌日、朝8時にJR釜石駅前に到着。すでに日が高く上っており、かなり日差しが暑く感じた。釜石駅内を見た感想は、率直に言って「わあ、人いねえ」。ここ釜石駅から釜石線に乗って、1日目の目的地である『遠野』を目指した。発車時刻は、午前9時03分。

『釜石駅にて釜石線』
 この釜石線、『銀河ドリームライン』という愛称で呼ばれ、釜石線の駅にはそれぞれ、エスペラント語の駅名がつけられているのだ。ちなみに釜石駅は「ラ オツェアーノ(La Oceano)」といいます。もし釜石線で旅をする機会が出来たなら、駅名の意味を考えながらノンビリ列車にゆられてみてはどうでしょう?
 午前10時02分、目的地の遠野駅(エスペラント名:フォルクローロ)に到着した。ここで、乗車している人もかなり降車した。
 そして、いつものとおり、私は手にリュック(中にカメラ、旅行本など)を残し、その他はコインロッカーへ。次に、駅前にある日本通運の営業所でレンタサイクルを借りる(時間ごとの料金となっている。返した時に精算)。
 準備万端整った私は、まず『遠野市立博物館』へ。
『遠野市立博物館』
 ここでは、柳田国男の遠野物語の世界の紹介から、自然とくらし、民俗学に関する展示が行われている。展望台としても親しまれている鍋倉公園(鍋倉城址)の入り口にある。遠野物語の不思議な世界をタップリ楽しむことが出来た。
 この博物館で「とおの昔話村」の共通券を購入していたので、そのまま『遠野市立とおの昔話村』へ。柳田国男が『遠野物語』を書くために滞在した高善旅館を移築・保存した「柳翁宿」、昔話をイラストや映像で紹介している「物語蔵」、昔話の歴史を紹介する「遠野物語資料館」などがある。ちょうど近くの遠野物産館にて物語の語りがあるというので、そちらにいって物語に耳を傾ける。
『とおの昔話村』
 そこから自転車でかなり行ったところ(国道283号線を花巻方面)に、『卯子酉神社』と『五百羅漢』への看板が現われる。『卯子酉神社』は縁結びの神様らしく、社前の木に左手で赤い布を結べたら縁が結ばれるというそうだ。まあ、自分は一人旅だし、そういうものに縁が無いし・・・。
 まあ、それはそれとして、私は『五百羅漢』へと向かった。その看板から歩いて300mほどのところにある。かなり草木が茂っているうえ、黒や赤のトンボ達が私の行く手をさえぎるかのように大量にとまっていた。
 そして、日が差さずにじめっとした雰囲気の中、『五百羅漢』はあった。『五百羅漢』は、約200年前に東北地方を襲った大飢饉の犠牲者を慰めるべく、大慈寺の義山和尚が自然の花崗岩に彫ったものだそうだ。その彫られた顔が、私には少し悲しげに見えた。
『五百羅漢』
 遠野駅の南側を攻め終えた私は、そのまま北側を攻めることにした。まず向かった先は、遠野のスポットで一番遠い場所にある『山崎のコンセイサマ』である。国道340号線をただひたすら自転車をこぎつづけた(10キロ以上…)。やっとのこと『山崎のコンセイサマ』に着いたとき、着ていたTシャツは汗をかなり吸いこんでいて、今にも滴り落ちそうなほどになっていた。
 『山崎のコンセイサマ』は、農作物の豊穣や幸いをもたらす神として信仰されているそうだ。そのほか、子宝に関することもある。子宝に恵まれない人は、そこから赤い枕を借り、授かったときは枕を2つにして返すのだそうだ。
 このコンセイサマ、見た目は男性の●●●(ピー)。賽銭箱にも、しっかりとその形が描かれている。
『山崎のコンセイサマ』
 そこからまた自転車で3キロほど行くと、『山口の水車』、『ダンノハナ』、『デンデラ野』、『佐々木喜善の生家』がある。『山口の水車』、この水車は今ではほとんど見ることは出来ないだろう。付近の人々の脱穀や製粉で、現在も利用されているのだそうだ。
『山口の水車』
 そこから坂を少し下ると、『佐々木喜善の生家』が見えてくる。佐々木喜善は、遠野物語の語り手として有名で、この生家に44年間住んでいたのだそうだ。この生家には、喜善に会うために柳田国男など著名な人が訪れていた。
 ここには、現在も佐々木家の人が住んでいる。
『佐々木喜善の生家』
 そこからすぐのところに、『ダンノハナ』がある。現在は、共同墓地となっているが、そこは昔、囚人を斬った場所と言われており、村境の神を祭るための塚とも言われている。
『ダンノハナ』
 そして『デンデラ野』へ。ここは、60歳になった村人が捨てられたという伝説が残っている。60歳を過ぎた老人は非生産者とみなされ、ここで自給自足の生活を送ったのだそうだ。映画『楢山節考』のシーンを思い出した私は、その悲しい伝説に思わず涙した。
 この『デンデラ野』は、死者の霊が通る場所ともいわれている。
『デンデラ野』
 『デンデラ野』から約3キロいったところに、『早池峰古参道跡』、『伝承園』、『常堅寺・カッパ淵』がある。
 『早池峰古参道跡』は、平安時代から中・近世にかけて隆盛を誇った修験場へと至る参道跡で、そこには長い間風雪に耐えてきた鳥居が、往時の姿を残している。
『早池峰古参道跡』
 『早池峰古参道跡』の横に、『伝承園』がある。遠野地方の農家の生活形態を再現し、菊地家曲がり家、佐々木喜善に関する資料館などがある。ここには、1000体のオシラサマが祭られている。
 オシラサマとは、美しい娘と馬との悲恋物語に由来している。オシラサマは、養蚕の神とされるほか、眼病の神、火難除けの神様とされているところもある。30cmほどの桑の木に馬と娘の顔を彫り、毎年布を着せて家の神として祭っているのだそうだ。
 ここでは、100円で願掛けができる。もちろん、私も将来のことを願をかけてきました(内容は秘密だよーん)。
『伝承園』
 昼食は、この『伝承園』の横にある食堂にて『伝承園定食』をいただく(700円)。このメニューの中には、この地での伝統食『ひっつみ』がある。すいとんの中に入っている小麦粉の練り物の代わりに、ほうとうの幅広バージョンなるものが入っていると思えばいいかな(いいのか?)。
 昼食後、遠野といえばでおなじみの『常堅寺・カッパ淵』へと向かう。
 『常堅寺』は、1490年に開山し、山門には3.5mの仁王像が安置されている曹洞宗の寺。境内の左手には、頭に円形のくぼみのあるカッパ狛犬がある。昔、寺が火事になったとき、小川に住んでいたカッパが火消しをしたことから祭られるようになったといわれている。
『常堅寺』
 そして、そのお寺の裏に、『カッパ淵』がある。ここには、カッパが多く住んでいて、人々を驚かせていたといわれている。
 岸辺には、お乳の神様・カッパ神も祭られている。このカッパ淵には、毎日そのカッパを探しに来る、有名なおじいさんがいると聞いていたが、この日は残念ながらいなかった。けど、遠野駅前の豆腐屋にそのおじいさんが写っているポスターを見て、有名人ぶりを再確認。
『カッパ淵』
 そろそろ旅館のチェックインの時間が近づいてきたので、遠野駅前まで戻ることにした。その途中、猿ヶ石川を渡るのだが、その橋からの景色が良く、つい写真に撮ってしまった。
『猿ヶ石川の橋からの風景』
 1泊目の旅館は、『旅館平澤屋』。ここで、私は不思議な体験をした。寝ようと布団に入って目を閉じた瞬間、自分の周りから子供達の笑い声が聞こえてきたのだ。私はびっくりして飛び起きたが、周りにはもちろん子供はいない。もしかすると、どっかから連れてきちゃったのか、それともこの旅館に住んでいるザシキワラシか?
 それは、誰も知らない・・・(旅館の人は、知ってるのかも…。でも、聞けなかった)。



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