朝ボート乗り場までのタクシーは非効率的だった。ボートの乗っている時、スコールが来て屋根から室内に移動したが、すぐに止んだのでまた屋根の上に。しかし屋根に居たおおくの人はそのままだったが、平気だったのかな?景色は変化に乏しくケツが痛いのを我慢してひたすら眠るしかなかった。プノンペンの船着き場でオヤジに捕まったが、人がよさげなので話しにのる事にした。まずは2ドルの宿に行ってから、ライフルを撃ちに行った。最初はやる気はしなかったが撃ってみると面白く、拳銃も撃った。結構上手く的に当たっていて、向こうの人もビックリしていた。そこから悪い道をしばらく行ってキリングフィールドにいった。すごく素朴な場所で子供達は普通に遊んでいた。しかし目線をずらすとそこは骨の山。拷問が行われた学校は未だに暗い影があり、気が滅入る。シルバーパゴダに居る時に、土砂降りの雨が降ってきて身動きがとれなくなった。雨が止んだら道は川に。オヤジにとりあえずセントラルマーケットに連れて行ってもらってからホテルに帰って一休み。夜、オヤジに置屋に連れて行ってもらった。ビックリした事に7歳の少女が50ドルとかで身を売っていた。18歳になると、もう10ドルぐらいの価値しかなくなるらしい。シンガポールのインド人街では2000円。タイの中華街では500円その昔東南アジアは売春天国と言われていたが、エイズが猛威を振るっている現在でもマーケットは開かれている。しかし収入はがた落ちだとか。バンコク、タニヤは客寄せの女の子が歩いている人よりも多く立っている。バブルの時に出来た日本人専門の店は、非常に苦しい経営をしているのか?しかしあれだけの女の子を未だ抱えていると言う事はそれなりにやって行けているのだろう。など余分な事まで考えさせられた。
 プノンペンからホーチミンへはツアーバスで移動。朝6:30に出て夕方5時頃到着。カンボジア側は道が最悪だった。トラックが立ち往生していて足止めをくったり、冷房が壊れたり、車の戸が閉まらなくなって紐で縛ったりといろいろあった。ホーチミンで早速ハノイ行きのバスのチケットをゲットしてからホテル探し。安いのに結構良い感じの宿を見つけた。
 ホーチミンを出発した車は異常に遅い。こんなんで本当に時間通り着くのかという心配をことごとく期待通りに2時間遅れて到着。乗り換えのバスは既に出発した後。この日は朝から何も食べていなく機嫌が最悪。旅行会社にどうしてくれるんだと言ったら、遅れたのは会社の責任ではないというではないか。謝りもせずにそんな態度をとられたのでカチンときて、俺は金がなくて、飯も食べていないのに今晩はどうすればいいんだときれたら、そこの旅行会社の一室を貸してくれた。シャワーも貸してくれると言ったのだが、タオルがないのにどうすんじゃといったらびっくらしていた。金がない日本人ははじめてだったのかな?しかし寝ようとしても隣のレストランがうるさくて眠れない。ただでさえ腹が空いているのをごまかす為に早く寝たいのに。うるさいと怒ったら、10時までは我慢しろと言われ、なすすべもなく退散。しかし日程が丸1日ずれてしまったのに頭が熱くなっていたのでなかなか眠れなかった。
 朝時間通りに待っていたのにバスが来ない。ふざけるなーー。俺のときは時間通りに出発してしまったのに。いらいらしていたら、俺が何も食べていないのを知っているので、飯をおごってくれると言ってきたが、情けは無用。お前らなんかに貸しは作らんわで、いらいら。
 バスは小さなバンであった。俺は前に座った。途中人がひかれていたり、乗っていた白人女性が座りションしたり、車の後ろが突然開いて荷物が落ちたりと楽しませてもらった。それだけでなく裸の男が歩いていたり一体なんなんだ?8ドルの宿に泊ったのだが、シャワーの水にバスクリンが入ってるなんてサービスまでついていた。少し違うような気がするが深く考えるのをよそう。その方が幸せかもしれん。とにかく両替した金で飯を食いにいった。2日ぶりの飯なので二人分も頼んでしまい、腹がはちきれそうになった。しかし幸せだった。ピザとヤキソバを一人で食べるなんて店の人もびっくりだろう。この町はちょうちんやが多くて幻想的な雰囲気があった。
 ホイアンからフエのバスはやはり遅れてついた。アジア時間では遅れに入らない気がするが、しかし途中の休憩が多すぎ。山の上に郵便局があるのにはビックリ。思わず手紙を出してしまった。フエでは乗り換えのバスまで時間があるので、三輪車で王宮を見に行ったら、その運転手がバイクでパゴダ行かないかと言ってきたので行ったら、途中とても綺麗な水路があって感動した。フエは充実した観光が出来た。暖かいベトナム人にやっと会えた。夜ハノイ行きのバスは臭かった。しかもキープした席がベトナム女に交換させられた。そのせいでゆっくり眠る事が出来なくて疲労困憊。
 ハノイ到着は3時間遅れ。時計が意味のない世界だなここは。ホテルで中国のビザを訊いていたら、代行するからと一点ばり。自分で取るから言いというのに、安くするからとうるさい。どうしても自分で行くからと言ってホテルを出て、大使館に行こうとバイクを捕まえたが、英語がわからないらしい。チャイナエンバシーといってたら、日本の大使館に連れて行かれた。そこで警備員にチャイナエンバシーに行きたいと言ったら、バイクのオヤジに伝えてくれた。そしたらこのオヤジ始めからそう言えば良いだろ。シナエンバシーに行きたいのだろ。なんだチャイナって?と逆切れされた。英語で中国の事をチャイナって言うんだろ。シナは英語ではないぞと言っても聞く耳持たぬオヤジだった。そんなことしてたので大使館は閉まってしまった。早く日本に帰らねばならぬのになんなんだこの国は。ホテルに帰ったらエアコンのリモコンがなくなっていて、冷房がつけられなかった。安く泊っているのは事実だが、冷房を使わせてくれないのなら始めに言ってくれ。居ない間にリモコン持って行くなんてせこすぎる。
 朝早速中国大使館に早く行ってって待っていたら、あっちに行けといわれた。時間間際にビザセクションに行って、なんとか午後にはビザをゲット出来る事になった。ホテルでハノイから中国の国境の町ドンダンまでの列車のチケットをゲット。しかし36ドルも払ったのに、チケットにはベトナムの通貨で6ドル分しか書かれていないので、おかしいと抗議したら、上から書きなおしやがった。完全にぼろうとしている。だから駅に行ってその事を言ったら、これは書きなおされていて不正乗車券だから、無効になるといわれた。ホテルでなかなかチケットを渡さず、出発間際に渡して来たのは、気がつく前に遠くに行かせ手遅れにしようとしていたのかな。だからハノイには戻ってくるのかと訊いてきた訳だ。とにかく鉄道警察に行って、ホテルの人と事情徴収。しかしこれがまた厄介で、10時間も警察に拘束された。俺は悪くないのに。暇で死にそうだった。食べる事も出来ないし。なんでこんな時間がかかるのか不思議でしょうがない。またここで足止めをくらい一日ずれた。
 とうとう日本に居なくてはいけない日になってしまったのに、帰国のめどは立っていない。とても遅い列車でドンダンにいって、そこから中国に入った。この町での飯は安くて美味かった。バスターミナルでは筆談でなんとか広州行きのチケットを手に入れたが、翌日のだった。このバスがまた曲者だった。
 裸で寝たので風邪をひいた。夜ジェットリーの映画を見て、次ぎの映画も見ようとしたが睡魔には勝てなかった。そのまま寝てしまったので服を着るのが面倒だったが、後の祭である。そんな状態で、なおかつこれからのバスは昼なのに寝台バス。イスではなくベットしかない。しかも狭いときた。寝返りも出来なく、昼間なのに寝ていないといけない、この拷問に近いバスにひたすら乗り続けなくていけないと思うと頭が痛い。
 広州で香港行きのバスを聞いたら、列車の方が言いといわれ、駅まで行くバス乗り場まで連れて行ってくれた上に、俺が細かいのがないと知ると、なんとバス代を出してくれた。俺より金を持っていないのに、その優しさに感動した。香港に行く列車はとても綺麗だった。香港では重慶マンションに宿をとった。風邪がヤバイので吉野家にいってショウガを沢山食べた。うまかった。日本帰国の航空券を買いに行ったが思ったより高くて片道しか買えなかった。しかも最悪のレートで買わされた。
 マックに行ったら、ケチャップとタイソースの両方があってポテトを美味しく食べられた。吉野家も、マックも香港は一味変わっていていいぞ。コンビニの抹茶コーヒーはいただけないが。
 なんだかんだで予定より4日遅れて無事に帰国。タイで送った荷物のほうが早く帰宅していた。