1章
ディオニュソスへの道のり:2つの縛り
私がディオニュソスに身を浸す動機付けとなったのは、自分自身に2つの「縛り」を意識し始めたことだと思う。私は10代の頃ビートやヒッピーの映画や小説に触れ始め、20歳からの約4年間、旅の中で実際に、現代のディオニュソスに身を置くことになった。映画や小説に関して言えば、ただヒーローたちに魅了されたことから、触れ始めたと記憶しているが、なぜ彼らに惹かれたのか、ということについては当時、ロクに解っていなかった。そもそもそんなことに興味がなかったのだ。高校生になった時、私は自身の中で躁と鬱が入れ替わる瞬間を見るようになった。それが激しい時には自身を持て余し、困惑した。その度に私は、少しでもそのことを忘れるべく、映画や小説に没頭した。その際、選んでいた作品の多くがビートやヒッピーの作品だった。それらの作品に触れることで毎回、何か楽になったような、頭がすっきりしたような感覚を得ることができたからだ。私は徐々に、その激しい躁と鬱の入れ替わりについて、その瞬間にあるもの――その直接のきっかけになっているもの――を考えるようになった。だけど、その頃もまだ、なぜビートやヒッピーの作品に惹かれるのか、ということについては、ほとんど考えていなかった。そして私は大学生になり、相変わらず触れていたそれらの作品や、それらの作品に描かれているようなことを実践している人との出会いから、それを実体験してみたいという思いに駆られ、旅を始めた。もっともその頃もまだ私は、躁鬱の入れ替わりによる困惑に悩まされていて、旅はそこからの気分転換としての意味合いもあった。そして旅を始めた私は、徐々に自分にある2つの縛りに対して、自由へのリアクションを始めた。
縛り1:血縁
まがいなりにも、社長令嬢として生まれた私は、物心ついた頃から「社長令嬢として振舞わなければいけない」という強迫観念を抱いていた。それは主に、小さな会社の事務所も兼ねた実家への来客に対してであった。全く知らない人びと、あるいは覚えていない人びとに対し、事前の人物紹介をもとにその人びとを想像し、そして笑いかける理由も思いつかないままに笑顔で両親の隣に座っていた。もっとも、両親はそれを特に強要していたわけではない。それはむしろ、私の側の、良い子でありたいというありふれた幼心が起因していた。
しかしその脅迫観念も、私が中学、高校へと上がるうちに薄れてゆくこととなった。友人や恋人といった、血縁関係以外の強い絆を知るようになった私は、それほど両親との絆に執着しなくなり、愛情表現を求めることもなくなっていったからだ。更に、そういった非血縁的つながりによる関係は、そのころから日に日に広がってゆき、16になって一人暮らしを始めるころには既に、そちらの関係だけで私の日常はほぼ埋め尽くされていた。これについては、尊敬していた兄が留学してアメリカに行ってしまったこと、父親との不和が年々強まっていたこと、つまり家族という血縁的な絆よりも非血縁的なそれの方に価値を見出す方が易しかったという事情も、無関係ではなかっただろう。
こうして私は血縁的な絆への関心を10代のうちにほとんどなくしてしまった。しかしそれは、あくまでも私の側の事情だった。両親にとって私との絆は普遍的なものであって、その絆への関心は薄れることはなかった。私は長期休暇や年末年始が近付くたびに帰省を求められた。強制されることはなかったが、それを断るごとに私は、多少なりとも心を痛めた。私が帰省を拒み続けたのは、それ以外に時間を割きたいことが山のようにあったことが主な理由だが、もうひとつの核心的な理由として、父親とのことがあった。私と父親との不和はその頃既に、少なくても私にとっては修復の見込みのないものになっていた。修復したいという意思もなかった。父親へのリスペクトや愛情は、もうすっかりなくなっていたのだ。
母はそのことを知っていたし、私が父親にリスペクトや愛情を持てないことの理由――それについては、あまりにも個人的な事情であり、触れることがこの論文を書く上で必ずしも必要だとは思わないので、今回は割愛する――に、よくよく同意してくれていた。しかし、父親と私の間のパイプ役であった母には、辛い思いをさせ続けた。心が痛んだ。そしてそれと同時に、血のつながっている人間をロクに愛せないということで、人道的な部分で私には、大きな欠陥があるのではないか、という不安も抱くようになった。
それは父親のことだけではなかった。前に書いたように、その時既に私にとって、リスペクトや愛情に確信の持てるのは、母と兄、そして母方の祖父母の4人に対してだけだった。だから冠婚葬祭等、親類――中には全く知らなかったり、あるいは忘れてしまっている人びともいた――の集まる場に顔を出すことにも全く興味が持てなかった。そして事実、可能な限りそれを避けてきた。
もっとも、その頃既に私は、非血縁的な人間関係だけで十分過ぎるくらい生活が満たされていたので、血縁的絆の欠落そのものに対しては、全く危機感や不安を抱いていなかった。ただ、「血がつながっている人間を愛するということは人間として当然のこと」という、どこで知ったのかも思い出せないような幻想だけがいつも私の心の片隅にあり、そのことによる劣等感のようなもの――私は何か重要なものが欠落したダメ人間なのではないかという思い――を拭い去ることができなかった。しかし、この血縁関係というもの、そしてそれによる自身への縛り――それらを意識し始めたことは、私が旅を始めたことと無関係ではなかった。海外にいる間は、少なくとも物理的に困難だということで、帰省や冠婚葬祭の場への参加はまぬがれたし、そのことに対する真っ当な――少なくとも自身にとっては――言い訳はできたからだ。
縛り2:淋しさ
ある事情から比較的早い時期に一人暮らしを始め――この事情についても、非常に個人的なものであり、ここで触れる必要性はあまり感じられないので、今回はこれも割愛する――物理的にも一人で過ごす時間が毎日確実にあったからか、私は自分の抱く淋しさという感情に対し、喜びや怒り、悲しみ、悔しさ、等の他の感情に対するよりも過敏であった。これは言い換えれば、他のどの感情よりもずっと、淋しさという感情に、私は踊らされていたということだ。
しかしその淋しさにはいつも、例えば何かの不在といった具体的な要因はなかった――少なくとも当時そう考えていたし、今もそれは変わらない――為、友人や恋人と一緒に居る瞬間にも、それは私の中に存在していて、つまりそれは誰かと一緒に居ることで、消えるたぐいの淋しさではなかった。私は人恋しかったわけではなかったのだ。そのことは、しばしば周りに居てくれたの人たちの理解をはずれた。「飯食いながら『腹減った』みたいなことを言うな」――恋人と一緒に居ながら、うかつに軽薄に「淋しい」という言葉を漏らした私に対する、彼の、非常に的を得た発言だった――もし淋しさという感情が、何か具体的なものの不在によってのみ引き起こされるものであったとすれば。
しかし何度も言うように、私の中にあった淋しさは、何かの不在によるものではなかった。それは何に起因することもない、独立した感情だった。そしてその淋しさは、突如何の前触れもなく私の心の中で肥大し、私はそれに例外なく踊らされた。不安に陥り、混乱し、不本意に時間を浪費することを余儀なくされた。私は、風邪で高熱が下がるのを待つように、ただこの肥大した淋しさが、小さくなるのを待ち続けた。
待つ間に私は、しばしば本を読み、映画を観た。「路上」や「地下街の人びと」を読み、「イージー・ライダー」や「明日に向かって撃て」「俺たちに明日はない」を観た。そして気ままな旅というものに、ずっと憧れを募らせていた。そして大学に進学してからも、その習慣は変わらなかった。更に入学したての頃、インドに一年留学していた人と知り合ったことによって、旅に対する憧れは、日に日に膨らんでいった。そしてついに私は旅に出ることを決意した。情けなくも、相変わらずの淋しさに踊らされていた日々の中で私は、映画や小説の中の旅に浸るのではなく、実際に自分が旅をしてみようと考えたのだった。そしてこの時既に私は、自身の中で躁と鬱が入れ替わる瞬間が、淋しさの肥大する瞬間と一致していること、更に私が「鬱」だと思い込んでいたものが、実はその肥大した淋しさに他ならないということ――それらの事実に薄々気付き始めていたのだった。