ホンジュラス ウティラ島:リスペクトと身軽さと

2002年の夏、サンペドロを後にして、いくつかの場所を訪れた後に私は、カリブ海に浮かぶウティラという小さな島に向かった。ここで私は、約1ヶ月暮らした。拠点としていたのは「ロマ・ビスタ」という宿で、島の内陸部にあったため料金が比較的安く、長く居る旅人が多かった。一緒に暮らしていたのはファビー(女 フランス)その恋人のブルーノ(男 フランス)、アーロン(男 スイス)、ヨハン(男 南アフリカ)、マリー(女 US)、フアナ(女 スロベニア)、その恋人ブラス(男 スロベニア)、チャーリー(男 オランダ)トム(男 UK ウエールズ)トム(男 US)、アーロン(男 US)、その恋人セラ(女 US)、J(男 韓国)、当時私のシェアメイトだったF(男 日本)、そして思い出せない幾人かの人びと、と10数匹の猫だった。年齢は10代から30代まで、といった具合にまちまちで、当時私は22だった。

ここでの生活スタイルは、それぞれ全くバラバラだった。例えば――朝、ダイビング・インストラクターをしているアーロン(スイス)とヨハンは決まった時間になると、それぞれの職場であるダイビングショップに出勤する。ブルーノはファビーの為にコーヒーを沸かし朝食を作る。そして数日遅れで手に入る新聞に目を通す。フアナとブラスは育ち盛りの若者よろしく――実際、彼らは私たちの中で一番若かった――大皿に山盛りのフレンチ・トーストを、その華奢すぎる身体に似つかわしくもなく、早々に平らげ、ビーチに向かう、私やFは割と早い時間に目覚め――私とFの部屋は、キッチンと共同スペースのすぐ近くに位置していて、数人が起きてくるとその物音や声で目が覚め、そのため非常に健康的な生活になっていた――しっかりと朝食を取り、ダイビングや泳ぎに向かう。ファビーとブルーノは朝食を終えると、アクセサリー作り――彼らは、行く先々で、アクセサリーを道売りしながら旅を続けていた――に精を出す。同じテーブルで、アーロン(US)とセラは、まだぼんやりとしたままチェスをしている。その隣ではJがダイビングの勉強をしている。昼頃になると、アーロン(スイス)やヨハンが昼食を取りに戻る。キッチンではフアナとブラスが大量のパスタを茹でている。マリーは出勤――彼女は、昼間はカフェ、夜はバーで働いていた――時間が迫り、バタバタと宿の中を行ったり来たりしている。トム(UK)は信じられない量の食材を抱えてキッチンの前で順番待ちをしている。夕方近くなるとファビーとブルーノは海岸のメイン・ロードへと仕事に向かう。私とFはビーチを引き上げ、夕食の材料を買い、ファビーとブルーノの店を冷やかし、帰途に就く。アーロン(スイス)やヨハンと合流する。宿の前で、夕食に出かけるアーロンとセラ――彼らは、少なくとも夕食は、一度も自炊したことがなかった――に会い、挨拶代わりに冷やかして、宿に入る。キッチンではトムが何やら手の込んだ料理に奮闘している。フアナとブラスはテーブルの横の階段で楽しそうに喋っている。私とFは2箇所しかないシャワーで順番を見計らい、海水を落とす。アーロン(スイス)とヨハンはジョイントを片手に、ダイビングタンクの空気調合について話をしている。そのうちにブッダとツーリスト――10数匹いた猫の中で、この二匹だけ名前があり、子猫のブッダと成人猫のツーリストは常に一緒に居て、親子のように見えた――がテーブルの上に上がってきて、本を読むJの邪魔をする。道端で拾ったマンゴーを山のように抱えるFにチャーリーが「売ってくれ」と声を掛ける。皆で順番に夕食を作り、テーブルや階段を使い、夕食を取る。食事を終えてもだれもその共同スペースを離れることはなく、だんだんと人が密集し始め、ジョイントも回り始める。1人で日記を付けている者も居れば、輪になって喋っている者も居る。ギターをかき鳴らす者も居れば、テーブル横のハンモックで静かに話をするカップルも居る。ブッダに必死で芸を仕込む者もいる。たまにそこに居る皆で外のバーに飲みに行ったり、パーティに出向いたりするのを除いては、誰もその共同スペースを離れない。仕事を終えたマリーやファビー、ブルーノが戻る頃には、そこは、はちきれそうなくらいの人でいっぱいになっている。スモーカーたちが充分にストーンし、宿の周辺やメイン・ロードから聴こえる音楽が鳴り止む頃、ようやく、誰からともなく「お休み」と告げてそれぞれの部屋に戻り、眠りに就く。そしてロマ・ビスタに静寂が訪れる。――こんな風に1日が過ぎていた。

月が昇り、夜も深まる頃、スペイン語を勉強しようと、グァテマラで買ったナショナルジオグラフィックを持ち、テーブルに向かう。ギュウギュウ詰めのテーブル。ヨハンが少しつめて、場所をつくってくれる。セラとアーロン(US)はまたチェスをしている。ヨハンとチャーリーは数週間後に迫ったサンジャムという祭りについて話している。アーロン(スイス)がジョイントを巻く。――「お前は――要らないよな?勉強してるのだからな。」――ヨハンがからかう。――「ホワイノットミスター!」――皆が笑う。――「この女はYAKUZAだ!!」アーロンがヤクザヤクザと叫ぶ。Fが部屋から出てくる。仕事から戻ったマリーはあきれて笑う。「Hey, クレイジー・ガイズ。ワッツアップワッツアップ?」――「ちょっと見せてくれよ」――ヨハンに雑誌を渡す。既に私は雑誌に集中できていない。瞳孔の開ききった眼で、ヨハンが雑誌を見つめる。――「すごいね。スペイン語読めるんだ。」――ここ、ウティラでは現地民の公用語が英語であり、その為か旅人たちもほとんどスペイン語を使わない。だから誰がスペイン語を話せるのかまだよく解らない。――マリーが言う。「あんた読んでる振りしてるだけでしょ!ユコ、この男はスペイン語はからっきしなんだから。騙されちゃダメよ。」「シーシーセニョリータ」ヨハンとアーロン(スイス)が顔を見合わせて苦笑する。ハンモックにいるファビーにジョイントを勧める。――「グラシアス、ユーコ」フレンチ・ビューティが穏やかに笑う。「日記書いてるの?あたし長らく書いてないや。そろそろ書かないとな・・・」「ふふ。日記なんてね、毎日書いてると書くことなくなってくるわよ。だからたまに書くのがいいのよ。そうすれば、書くことだらけでペンが進むでしょう?」――階段で、襟足だけを異常に伸ばした奇妙な髪型のバルセロナ人の青年2人にFがジョイントを渡す。「グラシアス」ぶっきらぼうに1人が受け取る。スペイン語しか話せないこの2人は、どこかこの場所になじめないでいる。Fはスペイン語で話を続ける(Fはスペイン語も流暢に話せた)そのうちに笑い声が響く。ブルーノもそこに参加している。彼もスペイン語を話す――ジョイントを持ってFが戻る。「何だ。あいつらフレンドリーじゃん。単に英語話せないだけだよ。」「髪型面白いよねしかし。しかも2人そろってさ。」「俺の知り合いのバルセロナ人も確かあんな髪型してたんだよね。あれ絶対バルセロナで流行ってんだよ。」「またテキトウなこと言う・・あたしバルセロナ行ったけどあんなの見なかったし。」――横でフアナがくすくす笑っている。「日本語解るの?」「ううん。だけど聞いてると響きが面白くって。あたしも日本語勉強したいな。」――「その前に僕らスペイン語勉強しないと。」――ブラスがフアナを小突く。――ファビーがテーブルでアクセサリーの材料を広げる。セラがアーロン(US)と顔を見合わせながら、ファビーにオーダーするネックレスの材料を選ぶ。アーロン(US)は今にもとろけてしまいそうな眼でセラを見つめる。――雑誌はどこかにいってしまったらしく、見当たらない。諦めて眠りにつく。「ブエナス・ノーチェス」

 「ね、大麻どこで買えるのさ?」――昼下がり、Fがアーロン(スイス)に尋ねる。――「海辺にフレンチ・カナディアンが住むバンガローがある。そいつらが持ってるぜ。入口の犬の彫刻が目印だ。何?お前買うのか?ふふふ。お前もついにジャンキーか。ふふふ。」――私とFは勿論海辺に向かう。レンタルサイクル屋泣かせの2人乗りも板についてきた。眼を凝らしてバンガローをひとつひとつ見てまわる。おかしい。それらしきものが見当たらない。入口に彫刻のあるフレンチ・カナディアンの住みかは見つけたものの、その彫刻はどう見ても犬ではない。鳥だ。(これは後に、ドッグとダックの聞き間違いだったことが判明する。)――「どうするよ?」「でも、間違いだったら笑い話にはならないよね。『大麻ある?』『大麻?』『そう大麻。』『大麻だって?』『そう大麻。あるの?』『そんなものうちにはない!!!』『そうか。間違えたよ。』ってさ、間違えたじゃすまなくなるかも、よね。」「やめとく?」「とりあえずはね。ビーチ行くか。」「バモス!」――ビーチにはバルセロナの2人とブラス・ファナがいる。バルセロナの2人はなぜか狭いベンチの上で日光浴をしている。ブラスとフアナは波打ち際で何やらはしゃいでいる。――「ワザップガイズ!」――カイとユカだ。ユカは元米軍基地で働いていた小柄の女でこの島ではダイビングのレスキュー・ライセンスを取得するべく潜っていた。カイはユカのルームメートで、マッチョな身体の黒人ニューヨーカーだ。ユカはカイの腕にぶら下がっている。――「ユカ、かわいい服着てるね。つくったの?」「ああこれ?これは宿のシーツ。ははは。昨日仕事はけてから飲んでたら、ついにお金なくなっちゃってね。『よし、シーツ着てやれ!』ってね。まだばれてないよね、カイ?」「お前でもそれで2枚目だろ?そろそろ奴らも気づくよ。まったくもう・・」Fと私は笑い転げる。Fは海に飛び込む。皆で後に続く。――ユカとFは素潜りでウニを取っている。その場で割って食べる2人に白人たちが驚く。カイが笑う。かまわず2人はウニを自転車のカゴに山のように詰め込む。――「取りすぎかな?」――そして良心の呵責から少し海に戻す。――私は泳ぎ疲れて少しベンチで休む。と、隣に現地民の恰幅の良い中年女が座る。彼女は葉巻のような大きなジョイントをおもむろに取り出し火をつける。2、3服して隣にいる私に勧める。勿論受け取る。タイミングよくFが現れる。「葉巻じゃないよ。大麻ね大麻。タイマ。」日本語でタイマタイマと連呼しながら――中米に入って以来随所で、グラス、ガンジャ、モッタ、等大麻を示す言葉が全て通じてしまう、にも関わらず、比較的日本人が少ないからか、大麻という日本語だけは抜け道だった。だから中米にいる日本人は、わざわざヒソヒソ話をする手間を省くべく、タイマという言葉を使っていた。勿論、私とFも例外ではなく。――Fにジョイントを渡す。中年女はおかしそうに2人を見つめる。――「ね、マダム。これどこで買ったのさ?」私がストレートに尋ねる。「うちの旦那が売ってるのよ。アルゼンチン人のね。良い品質でしょう?」「グレイト!ね、あたしたちに売ってくれる?」「いいわよ。あたしはルナ。あんたたちどこに住んでるの?」「ロマ・ビスタ。」「わかったわ。明日3時に届けてあげる。」「マーベラス!」Fが叫ぶ。隣で見ていたユカが笑う。「あんたたち、好きだねぇ。あたしは酒の方がいいよ。でもデリバリーしてくれる奴少ないよ。あんたたちラッキーだね。やったじゃん!じゃあ、今夜も飲むか!お祝いだ!」「また飲むの?」Fが苦笑する。「毎日飲むのよ。」「お前金ないんでしょ?」「パトロンがいるから大丈夫!」――カイは水の入ったタンクをかついでランニングを始めている。隆々とした筋肉が震えている。「どこまでやれば気が済むんだろうね?」ユカが苦笑する。「Hey, guys!バーベキューしようぜ!」遠くからカイが叫ぶ。3人で応える。「シー・セニョール!」

 夕暮れ時、海から帰る途中にチャーリーに会う。彼はアメリカ大陸の最南端から始まり、もう既に3年旅を続けている。疲れからか孤独からか、流れ者特有の眼差しが彼にはある。――「ユコ、ちょっと待ってくれ。」――野菜を売る民家の前でチャーリーが立ち止まる。「野菜を買うの?だったらもっと安くて良い店があるよ。」「いいんだ。ここで買いたいんだよ。」――チャーリーに続いて小さな店に入る。「景気はどうだい、旦那。」「まぁまぁだよ。今は旅人が多いから救われてるよ。」小ぶりの玉葱とトマトとジャガイモを数個ずつ買って店を出る。――「何だ。チャーリー、あの店あなたの知り合いなんだ。」「いや、違う。」「そうなの?じゃあ何でさ?」「――ユコ、みんなが同じ店で買うだろ?そしたらお金はそこにばっかり集まるわけだ。でもそれじゃ、裕福な奴とそうじゃない奴ができてしまう。俺は、お金を分散して落としていくんだよ。」――チャーリーは、ここまでの3年の旅の間、太平洋の上で随分の月日を過ごしていた。船で働いていたのだ。彼の人柄を買ってのことだろう、随所で雇い主から、給料以外にも旅費を賄ってもらっていたという。――仕事帰りのアーロン(スイス)とマリーを遠目に見付ける。「シーシーセニョール」「ワッツアップワッツアップ」「ヘイ!ユッコ!アイ・ラブ・ソニー!」2人が遠くから叫んでいる。「ヘイ!ワッツアップワッツアップ!」叫び返す。チャーリーは苦笑する。「やれやれ。お前らみんなワッツアップだ。ジョイントも吸わずにそれか?お前ら安上がりでいいなぁ。ユコ、そろそろ瞳孔開いてくるんじゃないか?」――チャーリーは苦笑しながらも結局は3人の勢いに押されて、大騒ぎしながら4人で帰途につく。

 皆が眠りに就いてロマ・ビスタが静かになった頃、ハンモックで本を読むブルーノが目にとまる。――「オラ・ユーコ。少し話さないか?」――ブルーノは、私がここロマ・ビスタに来たばかりの時、最初に話し掛けてくれて、ウティラのことをいろいろと教えてくれた人だ。彼と恋人のファビーは英語よりもスペイン語の方を好むらしく、彼らと話す時だけは私はスペイン語を使っていた。――「ね、1つ聞いていい?ファビーとどこで出会ったのさ?フランス?パリ?」「ふふふ。それが中国行きの飛行機の中なんだよ。」「中国行ってたの?しかも2人とも?すごい偶然だね。」「そうだよ。運命だ。僕らは2人とも旅ばかりしていて、出会った時には既に同じようなところを訪れた後だった。」「アクセサリー売りの仕事は前からやってたの?」「いや、ファビーと始めた。もっと言えばこの旅から始めたんだ。だからまだまだ僕らはシロウトなんだよ。でも、毎日が勉強で楽しいよ。」「そうなんだ。でも2人はすごく仲良しよねぇ。いつも一緒にいるしさ。だからできるのだと思うよ。」「いや、逆にそれぞれの時間を持つためにやってる、っていうのもあるんだよ。ファビーはアクセサリーをつくる。僕は外をまわって友人を増やし、宣伝をして客を増やす。僕らは勿論愛し合っているけれど、いつも一緒だと少し重たく感じる。だから一日のうちに少しくらいそれぞれの時間があるほうがいいんだよ。ところで、ユーコとFはどこで出会ったんだい?」「あたしたちはグァテのアンティグア。でもあたしたちはちょっと違うよ。恋人じゃなくてルームメートだし。いつか時期が来たら別れるよ。それぞれの旅があるからね。勿論、別れは淋しいけどさ。」「そうだね、別れは淋しいよ。いつだってね。」「淋しさか・・・ね、ブルーノ、あたしさ、ネオ・ヒッピーって淋しさから自由になる為に旅したりコミューンつくったりしてるんじゃないかって思うのよ。」「ネオ・ヒッピー?突然だね。」「うん、あたしさ、大学でそういう研究してるのよ。専攻が社会学でね。」「なるほど。面白い研究だね。さて、淋しさ、か。うん、確かにそれはあるかもしれないね。だけど、そこから自由になろうとしているのはイッピー(彼はフランス語訛りか、Hの文字をいつも発音しなかった)だけではないと思うよ。例えば僕らだってそうだ。僕らは正確にはイッピーではない。フランスに帰れば仕事もある。勿論選ばなければ、の話だけどね。そして時にはその仕事に自由を感じる。なぜか。淋しいなんて考える暇もないくらい忙しいからだよ。そういうふうに仕事を利用してる人はたくさんいると思うし。」「なるほど。じゃあ、逆にみんなヒッピーなのかもしれないよ。みんな手段はどうあれ自由と心の平穏を求めてるんだからさ。」「そうだね。それも面白いかもしれないね。」――「まだ起きてたの!」バーの仕事を終えたマリーが、子猫を抱えて階段をのぼってくる。「ブッダ?」「違うのよ。この猫、そこのとこでふらふら歩いてたのよ。病気みたい。眼が潰れてるのよ。」――「見せてごらん。」ブルーノがハンモックから降りる。「こいつは随分弱っているね。身体もノミだらけだ。洗ってやろうか。」マリーはヨハンを呼びに行く。アーロン(スイス)も起きてくる。――「よしよし、大丈夫だ。」ヨハンが猫を抱き上げる。ネオナチよろしくスキンヘッドに鋭い眼の風貌、にも関わらず彼は誰よりも動物好きだと見える。いつかも突然入ってきた犬を抱き上げて呆れるマリーを横目にキスしていた。――「よしよしよしよしお湯だお湯だ。」アーロン(スイス)がお湯を持ってくる。嫌がる猫を洗ってやり、ノミを取る。どこからか誰かが持ってきた目薬を差してやる。猫を毛布にくるんで廊下の隅に寝かし、それから皆で眠りに就く。――次の朝には、皆の不安をかき消すように、何も知らないトムがその子猫とじゃれていた。――「ヘイ・ダーリン!」ヨハンが猫を抱き上げてキスする。Fが笑う。――「あのハゲ、見かけによらずかわいいよなぁ。」

 メイン・ロードが少しずつ賑わい始めている。サンジャムが近づいているのだ。ウティラには毎日次々と旅人が流れ込む。どの宿も満室になる。勿論ロマ・ビスタも例外ではない。私たちの住んでいる建物は、言わば高床式になっている。暑さへの対策だろう。しかしその床と地面の間のスペースも、今やテントで一杯になっている。宿の主であるマダムが宿にあぶれた旅人に、安く場所を提供していたのだ。――「ああほんとに、まったくもう!忙しいったらありゃしない!あたしは今日一日中洗濯してるのよ!朝からお客さんばっかりだし!ああ忙しいったらありゃしない!ねぇあなた、マンゴー好き?ならよかった。これあげるわよ。うちの息子がそこの木からたくさんもいで来たのよ。ねぇあなた、シーツ替えてあげましょうか?持ってきなさい。みんなにも言ってあげて。」――いつも愚痴っぽい口調とは裏腹に、マダムは優しい。面倒見もいい。だからこそ、猫も集まるのだろう。(マダムの話によれば、そもそも猫はブッダとツーリストの二匹だけだったという。徐々に野良猫が集まるようになって、10数匹にまで膨れ上がったのだ。しかしこれも「もう!多すぎて嫌になるわ!」などと言いながら、マダムは毎日必ず10数匹に餌をやっていた。――「2人はサンジャム行くの?」――フアナが尋ねる。「どうするよ?」「うむ。どうするか。」私とFは顔を見合わせる。――「私たちは残るわよ。ね、一緒にこの島に残らない?」――サンジャムはウティラから少し離れたキー(珊瑚礁でできた小さな島)で開催される。年に一度の中米最大の祭りだ。――「でも、空っぽになったウティラを見るのも面白そうだよな。」Fが言う。――「お前ら正気か?どうかしてるよ。祭りだぜ祭り!サァァァァンジャム!」アーロン(スイス)が言う。――「俺らはそんなにパーティ・ピープルじゃないの。」「ほうほうほうほう。」「何だよ。」「じゃあこの極上のジョイントも要らないってわけか。」「ヘイ・ミスター!大丈夫。俺らは今日からパーティ・ピープルになるからさ。」――ブラスがサングラスの奥で苦笑する。(彼は生まれつき眼が弱く、日光を直視できない為、常にサングラスをかけていた)――結局、フアナとブラス、J、ブルーノとファビー、そしてFと私がウティラに、ロマ・ビスタに残ることを決める。

 たった一晩のお祭りだが、朝から旅人もロマ・ビスタもうかれている。食料や酒を買い込み、ハンモックと共にザックに詰め込み、キーに向かう船が出る時間まで皆がそわそわしている。――「俺はサンジャムが終わったら発つよ」――チャーリーが言う。「僕らも行こうと思うんだ。セラがもうアメリカに帰らなきゃいけない。」アーロン(US)もつぶやく。――彼らだけではない。恐らくサンジャムを境にここを発つ者は多いだろう。――「ヘイ!とにかく楽しもうぜ!皆の衆、そろそろ船が出る頃だ!」――アーロン(スイス)の一言につられて皆が始動する。ロマ・ビスタからぞろぞろと旅人が排出されてゆく。居残り組みは手を振って送り出す。「楽しいパーティを!」――静かな1日が始まる。昼下がり、ブラスとフアナは人のいないビーチに向かい、Jはテーブルで静かに本を読んでいる。ブルーノとファビーは誰もいない海にダイビングに出掛け、私とFはすっかり旅人が消えたメイン・ロードに向かう。――街は意外にも活気がある。ウティラはウティラで地元民たちのお祭りなのだ。――「あんたたち、どこ行くの?ジャム行かなかったの?」――宿のマダムだ。この島の唯一の乗り物であるバギーを、軽快に運転している。後ろには息子らしき少年が乗っている。――「あたしたちは残ることにしたのよ。空っぽになったウティラが見たくてね。」「あんたたちは変わってるわねぇ。みんなわざわざ本土や国外からやってくるのに。でもまぁ、ここの祭りもささやかだけど楽しいわよ。じゃ、また後でね。」――そう言ってマダムは走り去る。――船着場では名前も顔も知らないミュージシャンが歌っている。本土から来ているようだ。たくさんの地元民たちがダンスをして酒を飲んでいる。夕暮れの活気の中で海の向こうのキーを見つめる。かすかな灯りが見える。――食事をして宿に戻ると、フアナとブラスがテーブルに居る。Jはハンモックで食事をしている。――「静かでいいね。」――フアナが言う。「でもちょっと淋しいかな。」――「オラ・エヴリバディ!」ブルーノとファビーが戻る。少し飲んできたようだ。――「今ごろみんな楽しんでんのかな?」Fがつぶやく。――「私たちも楽しもうよ!」――フアナの一声に皆が集まる。コーヒーやらビールやらを片手に、皆であれやこれやとゲームを始める。ひっそりとした島に5人の声が響く。そしていつもより早く皆眠りに就く。――「SwitzerlandSwitzerland!」「HeyHeyHeyHey!」アーロン(スイス)とアーロン(US)だ。チャーリーとヨハンの笑い声も聴こえる。――明け方、パーティ帰りのハイテンションな住民に夢うつつ、やれやれ、と思う。だけどどこかほっとしてまた深い眠りに就く。皆が帰ってきたことに、私は安心していた。

 「よう、お2人さん。飲みに行かないか?」――チャーリーに誘われる。彼は明朝の船で発つ。――カリブ海に架かる桟橋の上のバーで、コロナビールを注文する。マリーがバーテンをしている店だ。――「おごるよ。」チャーリーが払う。「最後の1枚だ。お前らにおごりたい。」――ウティラで最後のお金を使い果たした彼は、本土でまた働き始める。――「チャーリーは何で旅をしてるのさ?」――Fが尋ねる。「それはつまり自由になりたいからだよ。」「でもチャーリーはアムスに住んでるんでしょう?アムスって世界一自由な場所だとあたしは思うけど。」「ある意味ではそうだ。だけどどこにいても自由にならない部分はある。俺はどこにいても自由でありたかった。そんな時、旅は俺に突然振りかかってきた。出来事、だったんだよ。」「どこが旅のゴールになるの?」「どこ?何がお前の旅のゴールなんだ?」――逆に聞き返されて戸惑う。――私は何の為に旅をしているのか、何の為に生きているのか、どういう旅をしたいのか、どうやって生きてゆきたいのか――そんなことを考える。チャーリーの「どこにいても自由でありたい」という言葉がいつまでも心に残る。マインド・ユートピアという言葉が頭に浮かぶ。――部屋に戻り、Fと話す。「チャーリーは何で俺らを誘ってくれたんだろ?」「そうよね。他にもっと親しい人たちがいるのにね。しかも最後の夜に、最後のお金で、だもんねぇ。」「うん。でもそういやあいつ、俺らの名前とかなかなか憶えないくせに、いつも俺ら誘ってくれてたよなぁ。何でだろ?」「確かに。『ヘイ・ユーガーイズ』ってよく言ってたよね。でも確かにいつもかまってくれてた気はするね。「何か俺らって同じ匂いがするのかな?もしかしたら。」「うん、そうかもね。ロマビスタって1人身の人あんまりいないしね。」「なんにせよ、嬉しいよな、何か。」「そうね。嬉しいよね。特別な感じがしてさ。」「うわ、見送りたくないなぁ・・・」「うむ・・・」

 サンジャムを境に、ひと塊の旅人たちがロマ・ビスタから消えた。それでもアーロン(スイス)、ヨハン、マリー、ブルーノ、ファビー、と親しかった人たちは変わらず居る。そして私とFも変わらずとどまっている。――「あたしさ、そろそろ仕事を探そうかと。」「いいね。俺もそうしようかな。マリーかユカに聞けば紹介してくれそうじゃん?」「うん。そうすればしばらくここにいれるね。」「あとは釣りでもして魚でも採ってくるか!」――「ファック!あのスイスめ!もう顔も見たくないわ!」突然マリーが苛立ちながら部屋から出てくる。――「あんなクレイジーな男は見たことがないわ。マリー、あのスイスのことなんて気にしないことよ。」「そうさ。ああいう奴はどこにだっているんだよ。そして我々の平和をかき乱す。」ファビーとブルーノだ。――私とFは驚いて顔を見合わす。――「今、『あのスイス』って言ったよね?何、まさかアーロンのこと?」「そんなまさか・・・だってついこないだまでみんな仲良かったじゃん。俺こないだアーロンとブルーノが話してるの見たばっかりだし。」「でもスイスってアーロンだけでしょう?」――私たちは恐る恐る3人の話に耳を傾ける。ヨハンもいる。ただ、彼は1人黙っている。ヨハンの方を見る。ジェスチャーで「困ったもんだ」と言う。――3人がそのまま外出し、ヨハンが残る。――「何があったのさ?誰のこと喋ってたの?」Fが待ちきれず尋ねる。――「アーロンのことだよ。」「アーロンってあのアーロン?あいつが何をしたのさ?」「何もたいしたことじゃないよ。くだらないケンカだ。それをマリーの奴がわめき散らしているだけだよ。」「でもファビーやブルーノは何でマリーの肩持つの?いや、それどころか2人もアーロンのこと嫌ってるっぽかったよね。『あのスイス』とか言ってて、あたしたちまさかアーロンのこと言ってるとは思わなかったよ。」「俺だって理解できないよ。お前らと同じだ。俺だって奴が好きだ。」――「何か、ブルーノたちにどんな顔して会えばいいか解らないよ俺。」――Fがつぶやく。「うん、恐らくあたしたちには変わらず優しくしてくれるんだろうね。でも、どう接していいか解らないよね。ぎこちなくなりそうだ。」「うむ。俺、何かブルーノたちのこと信じられなくなりそう。でも悲しいよなぁ。あいつらのことだって俺、すごい好きだったのに。」「あたしだって同じよ。今わけがわからないもん。だけどヨハン、ヨハンが同じ気持だって知ってほっとしたよ。」「俺だってそうだよ。わけがわからない。あいつらの話にもう耳を傾けたくないよ。」

 「SwitzerlandSwitzerland!」アーロンが戻る。相変わらずの明るさの中にどこか淋しさが見える。――「Hey!小僧ども!俺はこの宿出て行くことにしたぜ。」――「何でさ?どういうことだよ?」Fが飛びつく。――「別に何でもないよ。ただのお引っ越しだ。ダイブ・マスターの仲間とルームシェアすることにしたんだよ。その方が安くつくからな。何、こんな狭い島の中のちょこちょこっとした移住だよ。会いたくなくてもその辺で毎日出くわすよ。」――「だけど何でまた急に?お前そんなこと言ってなかったじゃないか。マリーの奴のことか?あいつのことなんか気にするなよ。俺らもたった今その話をしていたところだ。ここにいる3人は、誰もお前が悪いなんて思ってないよ。ここにいればいいじゃないか。」ヨハンも動揺している。――「いや、いいんだよ・・・さあ、引っ越しだ引っ越しだ!マダムはどこだ?挨拶してくるよ。お前らまた後でな!」

 アーロンがいなくなってからも、ロマ・ビスタの日常は何事もなかったかのように流れていたし、誰と誰の人間関係もヒビが入ることはなかった。少なくとも表向きには何の問題もなかった。アーロンともしょっちゅう出くわしたし、彼は相変わらず元気だった。だけど結局のところ、私はもうこの場所にとどまることができなかった。あまりにも悲しかったからだ。私は数日後、ロマ・ビスタを、そしてウティラを離れた。

 異文化の混在する日常の中で、それでも私たちの間には、異なる生活スタイルに対する強い関心とリスペクトがあった。私たちの共同スペースには、朝起きてから夜眠るまでの間、必ず誰かが居て何かをしていた。そしてそこを通る際――それぞれの部屋と宿の出入り口との間にそのスペースは位置していて、宿を出入りする度にそこを通ることになる――必ずと言ってよいほど、誰もが、数分、あるいは数時間の寄り道をしていた。又、日が沈み、夜が更けるにつれて、そこが人で一杯になり――テーブルだけではなく、床や階段、ハンモックまでが人でひしめき合っていた――皆で大騒ぎしていたかと思えば、それぞれが、読書、書き物、チェス、と、違うことに従事し始めたり、かと思えば、誰かが隣に座っている者の雑誌に興味を示し、「おいおい、何だよそれ?」という具合に会話が始まったり、とにかく1つの小さな空間の中で、そこに似つかわしくないほどの数の人間が、それぞれ違うことをしていて、それでいて、その一部が、あるいは全体が、くっついたり離れたりを繰り返していた。それは完璧な生活のように思えた。完璧なコミューンのように思えた。そして私は、そんな生活がいつまでも続くと思っていた。だけどそれは、ほんの一部のリスペクトが崩れた瞬間に、簡単に壊れた。

 ウティラ・コミューンでの生活を境に、私にとってのディオニュソスの位置づけ――この頃、私にとってそれは、絶対的なリスペクトを置く唯一の世界観となりつつあった――は変化した。ディオニュソスは、リスペクトを置く数ある世界観の中の1つとなった。1つの世界観に絶対的なリスペクトを置く、という発想――それは他の世界観を拒絶し、またそれに対抗することにもなりうる――自体が私の中でなくなったのだ。周りの全ての人間にリスペクトを持つことも、身軽であることも、初めて体験した心地良さだった。そしてひとりひとりのそういったリスペクトがつくり上げたこのウティラ・コミューンは、束の間ではあれ、ユートピアだった。だけど、それが簡単に壊れてしまうのだということも知った。「どこにいても自由でありたい」――チャーリーの言葉をいつも思い出す。今いる場所を「ユートピアだ」と言い続けられるように、リスペクトと身軽さとを、いつも身にまとっていたい。

 

     帰国した後、ここでの生活を共にしたアーロン(スイス)とFとのコンタクトに成功した。彼らの生活のスタンスは、このコミューンにあったディオニュソスをよく体現しているのではないかと思う。従って、参考資料として以下、自由とユートピアについてインタビューした際の彼らのコメントを載せておく。

 

ンタビュー1 アーロン(スイス)

「――かつて俺は銀行で働きながら、週末になればパーティに繰り出す、なんて生活をしていた。何故か我が庭にはマリワナがポコポコ咲いてた。銀行では、それなりのキャリアも身につけた。株に手を出して、したたかに一儲けも二儲けもした。だけど、いつかそんな生活にも疲れた。だから辞めた。

 

そして、海で暮らそう!と、ダイブ・マスターになった。

だけど、15ヶ月そうやって海で暮らして、結局その生活にも疲れてしまった。だから辞めた。そして帰国して、銀行に戻った。

 

その時は、落ち着く、ということがどういうことなのか、知りたいと思った。

俺はもう30だ。周りの友人達は、結婚し、子供を作り、それはそれはそれはそれは幸せそうに暮らしている。(オウケイ。認めよう。ちょっと羨ましかったんだ。)だけど、彼らをずっと見ているうちに、結局こう気付いた。『これは俺が選択したい人生じゃない』ってね。だから俺は『落ち着く』という選択はやめた。これが重要なところなのだと思う。

 

思考を自由にする。そして選択する。自分の運命は自分で構築する。

そうすれば、リアルな『この』世界は、他のどの世界とも同様に、ユートピアになりうる、今はそんな風に思う。―これは、俺が日常や旅先で出会った全ての人に言っていることだ。

 

スイスという国が、思いの他良い国に思えて来たから、2.3年はこっちで暮らそうと思っている。そしてまた旅に出る。いつか、旅への情熱に疲れたら、その時は旅も『辞める』だろうと思う。」

 

インタビュー2 F

「――自由かあ。そうだなぁ、好きだと思うことをして生きる、そんな感じ。

だけど、何かに固執すると、そこから動けないから、ストレスになる。それは嫌だ。これが楽しい、って思ってても、他にもっと楽しそうなもの見つけたら、『やっぱりそっち!!』って転身できるスタンスでいたい。後は、強欲でいたい。楽しいものは、全部見たいし、全部やりたい。

 

ただ、その上で、無理はしたくない。

自分を圧迫したくないし、他人も圧迫したくない。自分を圧迫するのは勿論、他人を圧迫するのもすごいストレス。だって俺は、みんなに好かれたいから(笑)。そんなん無理、って周りから言われるけどね。だから好きなことやるけど、それが他人を圧迫してるなら辞めちゃう。何かの本で誰かが言ってたけど、『好きに生きる』ってのと『好きなことをして生きる』ってのとはちょっと違う、と。この違いって大事な気がするんだよね、俺は。」

 

――なるほど。じゃあ、ユートピアもそのへんにある?

 

「そうだね。見られること、注目されることが好きだからね。とにかく好かれたい。

理想は、俺は好きなことしてるのに、皆が俺に優しくしてくれて、尚且つ俺に何の見返りも求めない環境(笑)。あ、でもそれも飽きちゃうかもね。そうしたらまた違うこと考える。」


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